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月日は流れ、七年後。十七歳の春。
葉月とは違う学校になったので、顔を合わせることも少なくなったが、会えば必ず「隠し事はない?」と聞かれながら、人として生活をしている。
力の使い方も大分慣れ、制御もうまくいっている。最近は、魔物以外にも力を使うようになった。たまに、突っ掛かってくる人間を脅す程度に力を使って、小競り合いで済むように仕向けている。
このままなら、渡瀬家の厄介にならず、生活できるのだろうと思っていた。
しかし、春は暖かい陽気に紛れ、魔物の類も増えるので力の制御にはもってこいの季節なのに、今年はあまり遭遇していない。
おかしい……この時期になると嫌でも毎日遭遇するのに……今日あたり塚に行かないとやばいかもな。でも、まだ辺りは明るい……山に入るのは早いし……。
そんなことを考えながらの下校途中。あと一つ角を曲がれば施設がある通りに出るところで、この辺りでは見慣れない男とすれ違った。見た目からはどこにでもいそうな四十代くらいの男で旅行者のように、肩に少し大きめの鞄をかけていた。
男とすれ違うと妙な匂いを感じた。体臭でもなく香水でもない、嗅いだことのない匂いだった。
その直後、ビリっと何かが全身を巡った。かと思ったら、大きく心臓が脈を打ち、力が湧き上がってくる。力の制御ができなくなっていた。
なんだ? 体が熱い、頭が痛い朦朧とする。前のときと比にならないくらい辛い……早くどうにかしないと……。
不意に浮かんだのはあの山の塚だった。
もしかしたら、あの塚に行けば落ち着くかも……。
いつもなら、夜を待って施設を抜け出して山に入るが、そう言っている余裕はない。早く楽になりたくて、まだ明るい内にあの場所へ向かった。
山を登る途中、体が熱いのを耐えきれず、制服の上着を脱ぎ捨てた。やっとの思いで塚にたどり着いても、力が制御できずにいた。
ここに来れば……落ち着くはずなのに……。
「な……んということ……だ」
その声に心臓が止まるくらい驚いた。いつもなら誰かにつけられないように注意しているのに、声がするまで気づけなかった。
「ま……まさか、本物? 本物なのか? 噂でこの辺りにドラゴンの体が眠っていると聞いていたので来てみたら……生きていたのか?」
その人間は喜びでなのか声が震え、目は狂気に満ちていた。その狂気な目に背筋が凍る。『何を言っているんだ!』と叫びたかったのに息が切れて声が出なかった。
ふと、夕日でできた自分の影を見て驚いた。影はどう見ても人間の形をしていない。
これは……頭には角が二本ある。腕はごつごつしている。背中に羽があるのか?
話で聞いたことがあるような、ドラゴンの特徴に似ている。姿を確認するため、恐る恐る自分の体を見る。明らかに人の肌ではない。腕も硬質な皮膚に覆われ、指から鋭い爪が伸びている。体をよじり後ろを見ると、立派な尻尾が垂れていて、羽が背中から生えているように見える。
なんだこれ? どうなってる?
狂気な目をしている人間は、よく見ると先程すれ違った妙な匂いがするあの男だった。
「凄い……凄いぞ! 夢じゃないよな……君、さっきあの通りですれ違った男の子だよね? 妙な感じがしていたからついて来たんだけど、いやーびっくりしたよー! まさか君が魔物だとは……それも、ドラゴンの子供? もしかして他にも人間に化けているのがいるのかな?」
すると、持っていた鞄からナイフと小瓶を取り出した。小瓶からは異質の魔力を放ち、あの妙な匂いも漂ってきた。
「この香料を使うと人間に化けている魔物を炙り出せるから、狩るとき便利なんだよねぇ。この街、結構魔物が多くて本当やりがいあったわぁ……ククク」
やばい……このままだと、魔物として狩られてしまう。この体で戦うか逃げるか、どちらかだ。
俺は小物の魔物と戦ったことはあったが、人間とは小競り合いの脅す程度で実践はない。この男がどの程度の力量なのかも計り知れない。そうこう考えているうちに、男は持っているナイフで襲いかかってきた。
羽……動け!
ぎこちなく羽を動かし男の腕を払い、ひるませた隙をついて距離をとった。
「チッ!」
男は奇襲に失敗して距離をとり、こちらの様子をうかがっている。俺はいつ攻撃されてもいいように身構えるが、体がうまく使いこなせていないので、避けるのは難しそうだった。あんなナイフでは傷つかないとは思うものの、やっぱり叩かれれば痛い。
背中の羽の動かし方は何となく覚えていたが、頭で考えるとこうも動かせないものかと実感する。それに、羽を動かせても昔のように飛ぶことはできないようだ。
普段使っていない筋肉ではやはり無理か……。昔はどうやって戦っていたっけ? ああ、炎を吐いたんだ! でも、炎が大きければ人間を殺すことに……。
俺がいろいろ考えている間、男は何かブツブツ言っていたが聞き取れずにいた。今なら逃げられるのではと後退したところで、俺のほうに手をかざして見せた。
「……風よ、刃となれ! 〈疾風〉!」
しまった! 魔法を使うのか!
風は鋭利な刃物のようになり、俺に襲いかかる。間一髪の所で避けたが左腕をかすめ、ドラゴンの皮膚をも切り裂いた。
「グゥゥ……」
「鳴いた! 鳴いた! ドラゴンを鳴かせた!」
以前なら、この程度の風は羽の力で跳ね返すことができていた。少し呻き声が出たくらいで喜んでいる男の顔を見ていたら、だんだん腹が立ってきた。
人間だから手加減してやったのに……もう容赦しねぇ!
腹に魔力を集中させ、息吹とともに火を吐こうとしたが、何故か出なかった。
何故だ? 前世でこうやって出せてたはず……なのに……。
その上、次第に体が震え、硬直していく。
ふと、小さい頃を思い出す。施設に入所している子の誕生日、ケーキに立てられたローソクの火が怖かった。今は平気になっていたのでそのことを忘れていたが、小さい頃はその火を見たくなくて、ひとりで別室にいたことがあった。
まさか……あの火事で両親が死んだからか? 体が拒んでる?
腹に溜めた魔力は不発に終わり、ただ力を消費しただけだった。そのせいか、体が鉛のように重く動かない。足に力が入らず、膝を折ることとなった。
「はは……なんだ! 火でも吐くのかと思ったら、何もできないのか? 脅かしやがって! ドラゴンなんてこんなもんか」
その場から逃げたくても立ち上がることすらできない。頭もまた朦朧としてきて、体が焼けるように熱い。
「へぇー。これは驚いた。君は魔物ではなく、人間なのにドラゴンになるんだね?」
倒れ込んだ俺の体からは、熱を帯びて蒸気が出ていた。ぼやけた視界から見えた手や腕は人間の形に戻り、火傷を負ったようにただれている。
男はそんな俺に近づき、髪の毛をわしづかみにし、顔を覗き込んできた。
「うん。『魔眼球』はちゃんと持っているのか。これは頂きだな」
ドラゴンになったせいなのか、力を消費しすぎたせいなのか、それともさっきから匂うこの香りのせいなのか、だんだん力が入らなくなっていく。
気持ち悪い。くそ……こんなところで……。
男の手が目の前に伸びてくる。目を抉り出そうと瞼に指がかかった。
俺には振り払う力すら残っていなかった。もう、ここまでか? そう思った時、目の前にいた男が視界から消え、何者かが俺に背を向け立ち塞がった。