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葉月が居てくれたおかげで、気持ちが落ち着いた。まだ背中には、さすってもらった優しい手の温もりが残っている。
「ありがとう……葉月。少し落ち着いた」
俺は、どうして葉月の前で醜態をさらすことが多いんだ?
「そう? 良かった」
ふと、自分の掌を見ると、赤い痣の様なものが腕のほうまで続いていた。
「その痣、しばらく消えないそうよ? もしかしたら一生残るかもって言ってた」
「? この痣?」
「うん」
「もしかして、これは魔物化した痕か?」
「たぶん、そう……幸い顔にその痣は残らなかったんだけど、首のところから、残ってる」
俺は病室の隅にある鏡の前で、病衣の襟をめくり首筋を見てみると、右半分、痣の様なものが広がっていた。
「これは……」
「なんか炎みたい……だよね」
「俺は……火を使ったのか?」
「ううん、使っていない」
「あの時、何があった?」
「んー……聞きたい?」
「そりゃ、聞きたいだろ? どうしてあんなことになったのか」
「半身……魔物の姿になってたの。右半身」
葉月は俺に近づき、右手の病衣をまくり上げた。
「その赤くなってる部分は、ドラゴンのような皮膚に覆われていたわ」
「これは、その痕?」
葉月は深く頷いた。
右半身、首から太腿くらいまで痣がある。葉月に眠らされる前、自分の体を見た時は、確かに右半身がドラゴンの皮膚で覆われていた。
「ごめん……昊が戦っている最中、全く手が出せなかった」
葉月は下を向き、申し訳なさそうにしている。
「まぁ、俺も意識がなかったとはいえ、なんとなく想像がつく」
「それでも! 私たちは導師で……それを食い止めるのが役目なのに……」
「いや、止めに入って怪我されるほうが俺は嫌なんだけど? 魔眼球に溜めていた魔力全部使い果たしているから、相当暴れてたみたいだし」
「あ……うん。バアルは昊の体を何度も引き裂いていたの。でも、昊は腕を千切られてもそこから生えてくる。それを何度も繰り替えしていたわ。バアルは急所を狙っていたけど、なぜか弾かれていたの」
「俺が防御してた、とかじゃなくて?」
「うん、違う。魔物の皮膚みたいに硬質化していて、切り裂くことができなかったみたい」
「そこまで、変わっていたいのか」
「すごい速さでお互いぶつかり合っていたから、止めることができなくて……結局、昊がバアルの首を掴むまで、動きを封じることができなくて……」
「そうか、それで止まったから、俺も意識がはっきりしてきたのか」
「…………」
葉月は暗い表情で、あまりこちらを見ようとしなかった。何となく空気が重い。気の利いた言葉も思い浮かばない。俺は沈黙に耐えられなくなり、話題を変えるしか、思いつかなかった。
「あー……それにしても、何でさっき、泉さんの容体聞いた時、すぐ教えてくれなかったんだよ」
「え? ああ……母さんも昊が気付く、数時間前に目が覚めたの。二人とも目が覚めたから、安心しちゃって……」
「びっくりしたんだぞ? 何も答えてくれないし、何か……泣きそうだし、泉さんに何かあったのかもって……」
「ごめんね」
「最悪のことを考えてたよ。まったく!」
「ねぇ……昊って、母さんの事好きでしょ? 女として」
俺は、思わず噴き出した。
「え? なんで、そうなる?」
「んー……私らの前では何か気張ってる感じがするんだけど、母さんといると和やかだし、なんとなく……目つきが、エロい」
「何でだよ! 違う! 泉さんのことは確かに好きだけど、その……『お母さん』て、こうなんだなって実感してたって言うか……」
首から上が異様に熱い。まさか、葉月にそう見られているとは思わなかった。
「へぇー……ホントかなぁ?」
「それに、俺が好きなのは……」
あれ? 俺、今、何を言おうとした?
「え? なになに? 好きな人いるの? 私の知ってる人?」
「好きなヒトは……イナイデスヨ」
あれ? なんでこんなに……。
「何で棒読み? 昊からこういう話聞くの、珍しいよね」
心臓がバクバク言ってるんだ?
俺は思わず、葉月の顔をじっと見ていた。
「なに? どうしたの?」
でも、居た堪れなくなって目線を逸らしてしまった。
「あー……それより……俺、戦ってる最中の記憶飛んでるんだよね。何があったかもう少し、教えてくれないか?」
「あー! 話逸らした! 絶対教えない気でしょ!」
俺は人間に転生して、前世よりはるかに穏やかな世界で暮らしている。
前世では、戦い付けで弱肉強食の世界。兄弟にも見放され、孤独の日々。それが、当たり前で普通だった。
だが、最期に辿り着いたこの地の人々は、そんな俺を献身的に見てくれた。
そして、最後に願った。
『次生まれ変わるなら、ここの人間の様な優しい人に生まれ変わりたい』
バアルは去るときに「またな」と言っていた。次会う時までに、俺は力を使いこなせて置かないと、守りたいものも守れない。
もう、守られてばかりではダメだ。もっと、力を使いこなせなければ……。
たぶん、今もあの場所で生きているはず。
俺は竜王に、会いに行かなければならない。