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夏休みも終わり、登校初日。
樹さんから「あまり一人で歩くな」とは言われたものの、誰かと登下校をするのは苦手だ。
とはいえ、あまり心配かけるのもどうか思い、一人の時は、できるだけ人通りの多い道を選んで通っている。遠回りになるが、駅前の繁華街が一番人通りは多い。面倒だがこれは、魔眼球を狙っている奴らの対策だった。
本当は、バアルのことを考えれば、人の多いところは避けたい。だが、あれから十年近く現れていないところを見ると、人間を避けている可能性もある。
それなら、それでいい……今はアイツに会いたくない。
この日、学校も終わり、駅前の繁華街を通って帰っていた。すると、多くの人が賑わう中、不思議と耳に入ってきた声がする。
〈こんなところにいたのか……〉
この国の言葉ではない。でも、分かる。久しぶりに聞いた言葉だ。しかし、その言葉は現代で使う者はいないはず。
その言葉を発した者の方へ振り向くと、立っているのは現代のファッションを着こなす若い男に見える。
「やっと見つけたぞ! ソール!」
それは、前世の俺の名前だった。前世の名前を知っているのはそういない。更に転生している事が分かるのは、俺を封印したアイツ――……。
「お前っ! は……誰だ?」
アイツじゃない。顔を確認するが全く見覚えがない。けれど、このしゃがれた声は聞き覚えがあった。それも前世ではなく、もっと最近。いつ、どこで聞いたのか思い出せない。
そんな俺の反応に、男は肩を落としている。
「バアルだよ! オレのこと覚えてないのか?」
え?
「バアル」と聞いただけで、一気に鼓動が早くなり、体中鳥肌がたった。
しまった……反応しなければ、素通りできたかもしれなかったのに……。
俺はできるだけ平静を装った。
「ああ! お前! あの『魔王バアル』か! あー……お前って、そんな顔だったっけ?」
バアル? 本当に? いやでも、確かにこんな声だった。まさか本当に来るとは……。
「久しぶりに会いに来てやったのに、失礼だな!」
「何千年も会ってないんだぜ? 忘れるだろ?」
「いや、お前の事だ。完全に忘れてただろ?」
ギクッ! よくわかってるな。
「ソール、お前はそう言う奴だよ。オレが話しかけなきゃ無視しただろ?」
「そ、そんなことはないぞ? だって、まさかこんなところに、魔王様がいるとは思わないだろ?」
「じっとしているのが嫌いなの、お前も知ってるだろ? だから、遊びに来てやった!」
「わざわざ来ないで、城で座って待ってろよ。その内、遊びに行ってやったのに」
「オレ、城なんて持ってねぇんだけど?」
「あれ? そうだっけ? それにしても、よくわかったな? 俺、今、人間だぜ?」
「そりゃあ、わかるさ。オレ様を誰だと思ってるんだ?」
「ははは、さすが、『魔王バアル』様」
ついさっき、バアルに会いたくないと思ったばかりだ。暑いのと同時に冷や汗もでる。
まさか、こんな人前に堂々と出てくると思わなかった。前世の力を俺がほとんど使えないと知ったら、どうする気だ? 昔なら、もっと暴れていてもおかしくないのに、静かにしていたのも気になる。
さて、どうする?
バアルは俺とは裏腹に、余裕を見せつけるかのようにニヤリと笑う。
「なぁ? ソール……久々にあそぼーぜ?」
「俺は今、『ソール』って名前じゃない。『真空寺昊』って名前だ」
「別にいいだろ? ソールだって……あまり変わらないだろ」
「いや……変わるだろ。それにしても急だな。お前が来る時の挨拶がなかったから、何処にいるのかと思ったよ」
「ああ、挨拶ってコレか?」
バアルは右手の指をパチンと鳴らすと、轟音と共に突風が過ぎ去っていった。
周りの人たちはざわつき始める。ついこの間、この街の近くで竜巻被害があったばかりだった。そのせいもあって、強風などに過敏になっている人も多くいた。
「この間もここの近くで竜巻を作って遊んだんだ。気付かなかったか?」
マジかよ。ここのところ、災害が多いとは思っていたが、コイツだったのか。
「あー、あれってお前だったのか……昔はもっと豪快に壊してただろ?」
「最近の建物は固いよな。これくらいじゃ崩れないんだ」
こんな繁華街で暴れられたら、たまったもんじゃない。
「バアル。ここだと何かと動きづらい場所を変えようぜ」
「ああ? オレは別にここだって気にしねぇ。むしろこの辺り一掃できるから暴れてやりてぇんだけど?」
「それは、後ででもいいだろ?」
「オレはやっと、お前と暴れられると思ってウズウズしてたんだ」
やばい……コイツが暴れたら怪我人どころか死人が出る。いいところはないか?
思い浮かんだのは、近くの河川敷。あそこは、だだっ広いのに人があまりいない。
うまくあそこへ誘導できるか。
この繁華街からそう遠くない。俺は何も言わずバアルに背を向け、河川敷のほうへ走り出した。
「ソール! どこへ行く!」
「遊んでやるからついてこい!」
そうは言ったが、内心ドキドキだった。現状、俺の実力はバアルの力量に完全に見合っていない。
たぶん、渡された『アミュレット』は、突風を起こしたバアルの魔力に反応したと思う。樹さんたちには来てほしくないが、俺一人でコイツの相手は正直きつい。肉体強化をして、何とか凌がないと……。
「へぇ……今度こそ、オレ様を楽しませてくれるのかねぇ」
繁華街の切れ目にきた所で、俺は背筋に嫌な気配を感じた。振り返ると、刃の様な風がすぐそこまで来ていた。
「くっ!」
間一髪、それを避け、バアルの位置を確認する。
いない? 誘き寄せるのを失敗したか?
立ち止まって辺りを見わたしたが、姿が見えない。
だが、風の刃はどこからともなく飛んできた。
「これはバアルの風か?」
バアルの姿は見えない。
くそっ。アイツどこに……。
少しずつバアルのことを思い出してきた。
バアルは嵐を起こす。ここ最近の大雨、竜巻はコイツの力だろう。それと、体を見えなくする力。魔眼球を持っていれば見えるが、無いと結構厄介な力だった。
あ……そうか。アイツ、今は姿を見えなくしたのか。未だ魔物化はするけど魔眼球を使った方がよさそうだ。
魔眼球を使い、辺りを見わたす。すると、姿を消しているバアルを捉えることができた。バアルがビルの上から、俺を狙ってきているのがわかる。
河川敷までもう少し。このままついてきてくれ。
あと少しで目的地、バアルはすぐ後ろについてきている。
俺は腕を魔物化し、爪を尖らせた。卑怯な手だが、不意打ちを狙う。
バアルが河川敷に着いたのを見計らって振り向きざま急襲をしかけた。その爪でバアルの喉元を切り裂こうとするが、避けられてしまう。しかし、それは想定内。今度は左手を下から突き上げ、風の爪を創り出し、縦横無尽に放ったがそれも弾かれてしまった。
「ソール……残念だな。お前の様な奴が騙し打ちとは」
やっぱり歯が立たない。今の俺の実力は、前世の三分の一にも満たない。
「十年以上待てば、少しは楽しませてくれると思ったから、あの時生かしておいたのに」
「あの時?」
「覚えてないのか? あの日、お前の両親を焼き殺してやったじゃないか!」
そう言われた瞬間、頭の中に映像が次々と写し出される。
小さい頃、炎に巻き込まれたあの日。
母は誰かに首を掴まれ、その手から火が放たれた。その足元には、血だらけの父が倒れている。火が父にも移り、二人の悲鳴と共に一気に家へと燃え広がった。熱が全身をじりじりと覆う。母は俺に気付いて「逃げて」と言った。
母はその場に投げ捨てられ、火が全身にまわる。
火を放った男は俺に近づきこう言った。
「見つけた。お前が『転生者』か」
確かにその男は、今、目の前にいるバアルと同じ顔をしていた。