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「遠慮することはないからな。おっと、そうだ! 忘れないうちに資料を渡しておかないと……彩音君、ちょっと持っててくれ」
すると、樹さんは応接室のほうへ何やら取りに行くと、封筒を持って戻ってきた。
「彩音君。コレなんだが……」
二人は台所を出た所で仕事の話を始めたので、夕飯の支度にとりかかると影原さんだけ戻ってきた。
「あれ? 樹さんは?」
「ああ、今日はこれから、養護施設の理事会なんだそうだ」
「え? 仕事の話とか、あったんじゃないんですか?」
「夕飯を頂いていくから、樹さんが帰ってきたらゆっくり聞くつもりだ」
影原さんの担当は魔物相手なのもあって、導師の力を借りに来る。樹さんがたまに家にいないのは調査のためらしい。
「ただ待っているのも悪いから」と、影原さんも夕飯の支度を手伝ってくれることになった。
「なぁ、昊くん……葉月ちゃんの護衛、何故断った?」
「え? だって嫌じゃないですか? 四六時中監視されるみたいで」
「別に学校が違うんだから、登下校ぐらい一緒でもいいと思うが……全く進展ないし」
「? 進展? 何のですか?」
「んー……葉月ちゃんも大変だな。まぁ、仕方ない……か」
「影原さん? さっきから何ですか?」
「一応聞くが、君の恋愛対象は人間で合っているか?」
「まぁ、そう……ですね」
この人はさっきから、どういう意図で聞いてきているのか理解ができない。何を聞きたいんだ?
「やはり君は顔に出やすいな。『解せない』という顔をしているぞ?」
「そりゃあ、なりますよ! 何が言いたいんですか?」
「んーまぁ……あくまでも、あたしの好奇心だ。前世が魔物だと恋愛対象はどうなるものなのか」
「恋愛対象は人間……です」
たぶん。俺もよくわからん。
「何だ? 好きな子はいないのか?」
「え? あまり考えたこと、ないんで」
「なるほどな……あたし的にはもう少しラブコメがあっても……」
影原さんは、何かブツブツ小声で言っていて、聞き取れなかった。
「え? 影原さん、何ですか?」
「……何か……楽しそうね?」
「おわっ! は、葉月か」
その時、俺の後ろには私服姿の葉月が不機嫌そうに立っていた。いつも出かけるときは、暑い日でも何故か長袖を着ている。
何をそんなに怒っているんだ? 暑くてイライラしているのか?
葉月はたまに、気配を消して近づいてくるので、驚かされることがある。それにしても、何故俺を睨んでいるのかがわからない。それをよそに、影原さんは明るく笑顔で葉月に話しかけた。
「ああ、おかえり、葉月ちゃん。お邪魔しているよ」
「彩音さん、ただいま戻りました。何か楽しそうですね」
俺は二人が話をしている間も、影原さんの言葉の意味を考えていた。
進展? 何のだ?
「昊、何黙ってるの? もしかして私の悪口でも言ってた?」
「言うわけないだろ」
「本当にぃ?」
葉月は疑るような目つきで、俺を見てきた。
「言うことないんだから……言わないだろ」
「……ふーん、そうですか」
「それはそうと、葉月ちゃん。今日はどこかに出かけていたのか?」
「ええ、友達に呼ばれて、ちょっと駅まで」
葉月は、プレゼントが入っていると思われる紙袋を持っていた。
「あれ? もしかして葉月ちゃんの誕生日って?」
「はい、今月です。『ちょっと早いけど』って、プレゼントを貰っちゃって」
「へー、因みにそのプレゼントは男の子から? 女の子から?」
「お、女の子からです! 男の子からなんて、貰ったことはないです」
葉月は慌てた素振りで、小さく手を振った。
「え? そうなのか?」
影原さんは、確認するように俺の方を見てきた。「弟の弥生が阻止して……」とこっそり教えると、納得するように頷いていた。
「そうか、今月誕生日ならお祝いしないとだな。ね? 昊くん!」
「え? ああ、そうですね」
影原さんがいきなり提案してきたので、あまり考えずに答えてしまった。
「お祝い、してくれるの? 昊?」
「え? ああ、するよ?」
そう答えてしまったからには、後に引けない。だが、プレゼントって何をあげればいいんだ?
「本当にしてくれるの?」
葉月はもう一度確認するかのように、顔を覗き込んで聞いてきた。
「す、するよ! 何か欲しいものとか……あるのか?」
「じゃあ、ケーキ作って! て、言いたいところだけど、作ったことないだろうからクッキーで良いよ? 市松模様希望!」
「え? 俺、クッキーも作ったことない」
「へへ、だから言ってるの」
「まずいクッキー、作ってやろうか?」
「おいしいクッキーで、お願いします」
葉月はすっかり上機嫌になったようで、うれしそうにしている。
喜んでもらいたいが、お菓子か……。不安でしかない。
「葉月の誕生日って、まだ先だよな?」
「うん、そうだよ? でもまぁ、初めてお菓子作るみたいだし、しょーがない! 手伝ってあげますよ」
「それだとプレゼントにならない気が……」
そう言う俺の横で、影原さんはニヤニヤしている。
「な、何ですか? 影原さん」
「んー……別にぃ。なんか微笑ましいなぁって思って」
それを聞いた葉月は、恥ずかしそうに俺から離れた。
「あー……ねぇ! ここ最近なんか妙な気配を感じるんだけど……二人は感じた?」
葉月は少し頬を赤くしながら、必死に話題を変えようとしていた。俺としても、もうこの会話は終わりにしたかったので助かった。
「葉月も感じたのか? 妙な気配」
「ええ。でも何か人間の気配じゃないのよ。やっぱり昊狙いかしら?」
やはり、バアルが近くまで来ているのか? それとも別の何か、か?
「そう言えば、昊くん。少し前、樹さんに『バアル』情報がもっとないか中川から聞いてほしいと言ったか?」
「はい。何か聞き出せましたか?」
「うーん。特に情報は無い。そもそも、その『バアル』っていう魔物は本当にこっちの世界にいるのか?」
「いると思いますよ。中川が嘘をつくとも思えない」
それに、『ドラゴンの転生者』を見つけたと言っていた。俺はバアルと会っているのか? しかし、その前に……。
「その前に、困ったことがあるんです」
「? 何だ? 昊くん」
「どうしてもアイツの……バアルの顔が思い出せないんです」
「え……? 顔? 昊くん、君は確か前世の記憶は、ほぼ思い出したと言っていたよな?」
「はい、思い出してます。うーん、前世のとき、結構一緒にいたんですけど」
「ねぇ、昊? ドラゴンて……記憶力、乏しいの?」
「ん? さぁ? どうだろうな?」
「うん。それは、あたしたちには、どうすることもできないな」
葉月と影原さんは呆れていた。