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その日、学校から帰ると、樹さんと男性の話し声が家の中から聞こえてくる。
「……なるほど確かに、それは偽物の可能性がある」
「そうですよね……」
二人の声は応接室から聞こえる。二階の俺の部屋まで行くには、どうしてもそこの脇を通らないといけなかった。仕事の話はまだ俺には分からないが、樹さんを無視するわけにもいかず、帰ったことだけ伝えて、さっさと部屋に引きこもることに決めた。
「できれば出品前に、本物かどうか確かめてほしいのです」
「んー。しかし、その日は……」
「ただいま帰りました」
「お帰り、昊君」
「あれ? お弟子さん……ですか?」
「あ……いや、この子は、まぁ……」
樹さんは説明しづらそうに頭を掻いた。
「お弟子さんなら挨拶しないとですね。はじめまして、僕は中川テオです。よろしく」
「あ……はじめまして、真空寺昊です」
中川は、わざわざ立ち上がって俺に握手を求めてきた。見た目は二十代後半、俺より背が高く、立ち姿もスラっとしていて綺麗だ。清潔感もあって一見、好青年に見える。
しかし、俺はその手をあまり取りたくはなかった。直感で、この男は普通でない気がする。だが、初対面で礼儀正しく対応している人の手を振り払う理由がない。仕方なく握手を交わしたのだが、この男の青い瞳を見た瞬間、背筋が寒くなった。
何だ? この禍々しい感じは、まるで……でも、樹さんの仕事相手だ。気のせいか?
差し出された手を一瞬握って、すぐに放した。
「どうかされましたか?」
「……いえ」
「フフ……昊さん……良い眼をしてらっしゃる。眼光が鋭くて……いいですね」
ヤベ……無意識に睨んでたのか?
目を逸らし、テーブルを見るとまだお茶が出されていない。中川に一礼して、すぐに台所に向かうと、泉さんがお茶の準備をしていた。
「泉さん。ただいま戻りました」
「あら昊くん、お帰り」
「あの、それ……応接室に持っていくお茶ですよね? 俺が持っていきます」
何となく泉さんを、中川がいる応接室に近づけさせないほうがいい気がした。
「……そう? ありがとう。悪いわね。でも帰ってきたら、まず! 手洗い、うがいよ!」
「あ……はい」
洗面所に行き、再び台所に戻るとお茶の準備は整っていた。
「じゃあ、昊くん。これ……お願いね」
これは、さっさと引きこもることは無理そうだ。葉月が居れば、いろいろ聞けるのに……。
「葉月は……まだ戻ってないですよね?」
「そうねぇ。そろそろ、帰ってきてもおかしくないんだけど……」
「そうですか……。泉さんは応接室にあまり近づかないほうがいいです」
「あら? どうして?」
「な……なんか、お……男同士の話が始まったみたいです!」
我ながらアホくさい理由だ。絶対こんなの嘘だとバレてる。恥ずかしすぎて顔が熱い。
「……? あらまぁ、そう。昊くんも参戦するの?」
「え? ええ! まぁ……」
「じゃあ! 邪魔しないように葉月にも言っておかなきゃ……ね?」
「ああ、はい……お願いします。何かあれば俺を呼んでください」
温顔の泉さんが、どういう理解をしたのかわからないが、とりあえず応接室には来ないだろう。
お茶を持って応接室に向かう途中、丁度葉月が帰ってきた。
「葉月……お帰り」
「……ただいま。あ、それ昊が応接室に持っていくの?」
「うん」
「……そう」
葉月も応接室の客人を見て台所に向かっていたようだったが、えらく不愉快そうな顔をしている。
「葉月……あの今来ている人は、よく来るのか?」
「ん……? ああ、そうね。常連の依頼主、変なことしか頼んでこないけど……」
「ふーん。なぁ……」
「え?」
「あの男……人間か?」
俺は、すれ違いざま葉月にだけ聞こえるように、小さな声で聞いた。
「ええ……人間よ。……うけど」
「え? 今なんて?」
よく聞き取れない言葉があった。葉月は応接室を睨むようにして、その場を離れていった。
お茶を出しつつ中川の顔を見ると、俺が言うのも何だが、笑顔の綺麗な男だ。だが、さっきから嫌な印象が払拭できず、その笑顔のせいか余計胡散臭さが増す。
それにしても、この違和感はなんだ? 気配が人間でも魔物でもない。でも常連だというし、樹さんは笑顔で話している。思い過ごし? 葉月はもう部屋に行ってしまったし……。
そんなことが頭の中を堂々巡りしていて、樹さんたちが何の話をしているのかさっぱりわからなかった。お茶を出し終え、その場を去ろうとした時、樹さんが話しかけてきた。
「そうだ昊君。今回のこの依頼、葉月と弥生と一緒に受けてみないか?」
「え? 俺……ですか?」
「中川さんは、今度オークションを主催することになったらしいんだが、出品されるものが曰く付きのものが多い魔道具だったりするんだよ」
「はぁ……」
「魔道具のオークションの場合、当日に本物を偽物とすり替えてしまう人がいるんだ。競売にかける前に内密に鑑定してほしいそうなんだよ」
「え……鑑定? 俺、何も知識ないですよ」
「大丈夫、ちゃんと教えるし、魔力があればわかる物だから……葉月にも行かせるし」
「え? 樹さんは?」
「その日、私は別の仕事で行けなくてね。断ろうか迷ってたんだ」
「でも、葉月たちが行くなら、俺はいらなくないですか?」
「いや、君のほうが、こういうのはうまいと思うよ」
そう言いながら、樹さんは合図を送るように自分の目を指した。
ああ、俺の魔眼球のほうが確実ってことか……。
「でも俺……今朝、習ったばかりですよ?」
「まだ少し猶予はあるし、それまでには慣れるから……よし、やってみよう! ということでいいですか? 中川さん」
「ええ、樹さんがそうおっしゃるなら僕は構いません」
「え? いいんですか? 俺、半人前どころじゃないですよ?」
というか、正直この『中川テオ』という男にあまり関わりたくない。
「昊さん、そこまで硬く考えなくて大丈夫です。何事も経験です。もし見抜けなくても高額で落札した偽物が、お客様の手に渡るだけですから、気にせず挑んでください」
中川は満面な笑顔だが口調は刺々しい。
なんだ? このプレッシャーのかけ方は……。
「まぁ……昊君。何かあれば葉月達に聞けばいい、初仕事には丁度いいと思うぞ?」
「はぁ……わかりました」
「では、樹さんよろしくお願いします」
「中川さんの依頼、承りました」
「商談成立ですね。昊さん、頑張ってくださいね」
「……はい」
俺はこの不快感が顔に出ないように、必死に堪えた。