序章 九
九
深春が、午後の授業からいない。
昼休みに先に私を教室に戻らせたところで気づくべきだった。
彼女は最初から、午後の授業をサボタージュするつもりだったのだ。
目的は推して知るべし。今回の妖怪退治のための調査に、午後を費やすつもりなのだろう。
目的が目的だけに素直に責めることはできないけれど、褒められることでもない。
目的と手段と結果がごちゃまぜになってはいないかと、心配になる。
深春が「仕事」を続けるのは、第一にお役目だから。そして第二に、彼女自身の日常を守るためだ。
学校での生活。休みの日に散歩して、熱い珈琲を飲みながら本を読む時間。
それら穏やかに尊い時間を守るため、深春は戦っている。と、思う。
それなのに、その日常を自ら擲っては意味がないのではないだろうか。
目的のための手段が形骸化して、結果を求めずに方法だけを遂行していく。
それではあまり、意味がない。
多分、今回の事件が悪質で、街の人やそれこそ私なんかにも危険が及ぶ可能性を憂慮しているのだろう。
でも、だからといっていつまでも深春に深春を浪費し続けて欲しくない。
私だって、深春の日常を守りたい一人だ。
できることは秋くんや風雅さんに比べ少ないけれど、その中でより効果的な手伝いをしたいと思っている。
そんな私の気持ちも、少しは汲んで欲しい。
エゴに満ちたそんな考えが、私の体を突き動かした。
「コガリン、秋くんの連絡先とか、知らない?」
差し当たっては、三年生の教室にいるコガリンを訪ねてみた。
放課後すぐに教室を訪れれば、まだ、彼女の姿はあった。
五時間目と六時間目の間に秋くんも訪ねたが、彼の姿も学校内にはなさそうだった。
深春とともに、妖怪の捜索にあたっていると考えるのが自然だろう。
神出鬼没な深春を探し当てるよりは、彼を見つける方が可能性はありそうだ。
「知らないけど、大体の居場所なら、わかるよ」
「え? そうなの? すっごい」
ただし私は携帯端末を持っていないので、頼みの綱は妖怪仲間で昨夜から秋くんと親しくしている、コガリンだ。
「妖怪同士だから、ある程度はね。私と彼、結構波長合うみたいだし。とりあえず、廊下で話そうか」
周囲の諸先輩方の目を気にして、スクールバッグを背負ったコガリンが教室を出る。
廊下にて、窓の外の中庭を見下ろしながら説明してくれる。
学校の中でコガリンの存在は、どのように認識されているのだろう。
「わかるっていっても、近づかなければだめ。でも近づけば、わかる。それぐらいの探知能力だと思って欲しい」
秋くんなどは調停社の手引きで正規の入学をしていることになっているが、一昨日までここの生徒ではなかったコガリンが今誰に不審がられず一生徒としていられるのには、妖の使う「霧」が関わっているはずだ。
「そっか、じゃあ……ごめんだけど、探すの手伝ってくれないかな」
「全然、構わないよ。私も、『仕事』見届けなきゃだから」
妖には、人々を惑わす「霧」という力がある。
ほとんどすべての妖怪が、というわけにはいかないだろうが、コガリンほど知力のある妖怪なら持っているはずだ。
人が大部分を埋め尽くすこの世界で、人に紛れるように生活している妖がいる。
彼らの存在が広く周知されず都市伝説と同程度にしか扱われていないのには、そんな力が関わっていた。
「んじゃ、行きましょっか」
「うん。お願い」
だけど、そんな力などなくても、今の私たちは放課後の余暇をともに過ごそうとする女子高生にしか見えない。
誰も私の隣を、人あらざるものが歩いているとは思わないだろう。
「古賀さん、楓ちゃん」
並んで学校を出ようとする二人。私たちに声をかけるのは、長身痩躯の男子生徒――カルマ先輩だった。
「あ、ども。こんにちは」
「うん、どーも。二人で帰るの? どっか行くのか?」
親し気に話しかけてくる様子には、苦手意識を抱く隙間もない。
こんなイケメンで好青年としか言い表せない先輩を厭う深春の気が知れない。
「先輩は? もう帰りですか?」
あ、しまった。質問に質問で返してしまった。
慌てて出た言葉を引っ込めようとするが、音速には追いつけない。
大して気にした様子もなく、カルマ先輩は返事をくれる。
「いや、ちょっと委員会の仕事があるから、まだ帰れないかな」
「そですか。私たちは、授業サボった深春と秋くんを探しに行くところです。心当たり、ないですよね」
ダメ元で聞いてみるもやっぱりダメで、「知らないなぁ」とカルマ先輩は返す。
「じゃあ、失礼します」
「うん。ばいばい、古賀さんも、また明日」
「……うん。また」
軽く頭を下げて、先輩の前を立ち去る。
どこか親し気なコガリンとカルマ先輩の会話が、聞いていてくすぐったい。
彼ら二人は、ここではないどこかでも関わりがあったのだろうか。
昨日も思ったことだが、どことなく二人の距離は近くて、緩やかに親し気な空気が流れている。
いろいろあってカルマ先輩もまだまだ妖怪とは遺恨のあるところだと思う。
でも、だからこそそんな彼の心の穴を埋めるのが妖であるとも考えられる。
そうであったらいいと、胸懐の奥で願っていたりもする。
「ほんとに楓ちゃんは、深春が大事なんだね」
そんなカルマ先輩に、立ち去り際そんなことを言われた。
響きが低くて、どこかもの憂げにも思わせる声。
「別に。ただ、夕飯までに帰って来てくれないと困るだけ」
自然と浮かんだ笑みを携えて、一瞬彼に向く。先輩の、黒くて暗い瞳をまっすぐに見据えて、わかってしまう。
「深春と食べようと思って、デザートにエクレア買っちゃってるから」
わかって、しまった。