序章 八
八
昨夜の調査はすべて空振りに終わった。
あの後もう二件事件現場を回ったが、目ぼしい情報は得られなかった。
元々だめ元だったけれど、流石に一晩という時間を徒に浪費したことは痛手だ。
今日こそ、今回の事件の犯人の手がかり、その片鱗だけでも見つけたい。
「神埜さんは、妖怪の探知などはできないんですか?」
「うん、できないね」
昼休み。
今日は、屋上で古賀凛とともに食事をとっていた。
楓が作ったお弁当は大きすぎて、昼休みの小一時間という空白では、食べ切るのも苦痛な量だった。
その楓は、わたしの分の弁当に力を入れすぎたので、自分の昼食を用意していなかったらしい。
今は、購買に食料の確保に向かっている。
「目に見えてる相手が妖怪なのかとか、まぁ、『霧』を無視して認識することはできるけど、人型の妖怪が妖怪だって、気づけない場合もある」
わたしの守人としての能力は、戦闘に特化してばかりだ。
身体能力の強化や妖力にあてられて自我を失うなどはしないけれど、それらは、生物にはあまり必要のない機能だ。
生物としても、守人としても、気づく、知る能力というのは、大変に重要なのに。
「そうですか。残念」
「そんなにあからさまに残念がられると、傷つくなー」
何故だかわからないけれど、楓と秋くん、そして古賀凛は、いささか打ち解けてしまったらしい。
今朝方からなんだか三人の纏う空気感が緩くって、わたしも、古賀凛に対して敬語を使うのが馬鹿らしくなってしまった。
「あなたがそれできたら、今回の事件も速く片がつくんですけどねー」
「……五月蠅いなぁ」
コンビニ弁当を食べ進めながら、古賀凛の小言は流暢だ。
それこそ初夏のコバエみたいに、鬱陶しくて仕方ない。
「探知能力持ってる術者なんて稀でしょぅ。文句言うなら、調停社から貸し出してくれればいいのに」
「いえ。こちらとしても万年人員不足は課題なので。優秀な守人がいる土地に優秀な人員をさらに配置するという贅沢は、できないんです」
「……」
そう言われてしまっては、何も言い返せない。
喉奥まででかかった悪態も、腹の底に沈む。
ついでに、味のしないゴムみたいな竜田揚げも、食道に押しこんだ。
この竜田揚げはどうやら、昨晩の残りものらしい。
楓の母が作ってくれたものを、今日の弁当のメインとして利用しているようだ。
どうも楓のやる気は、あるのかないのか判別しない。
もちろん作ってくれたことそれ自体には、感謝しかない。
「どうにか味、思い出せないもんかなぁ」
口に出しても、叶わないものはどうしようもない。
味がわからなくても、記憶を辿れば味わった気になれると思ったのだが。
どうやらわたしの記憶は曖昧で、昔食べた楓母の手料理の味を、思い出すことはできなかった。
空しさと晩秋の冷たい風だけが、わたしの胸を深く穿った。
午後の授業が始まった。
昼休みの終わりを告げる鐘が鳴っても、わたしは屋上を出なかった。
楓も古賀凛も、先に教室に戻った。
わたしは一人、肩のあたりで適当に結っている髪を秋風に遊ばせていた。
先ほど、古賀凛との会話の中でひとつ嘘を吐いた。
意識して吐いたわけではないし、一〇〇パーセント完全に嘘というわけではない。
わたしに、妖怪の存在を感知する力がないというのは嘘だ。
ただ確実性が酷く低いわりにとても疲れるから、やらないだけだ。
こう見えて、やればできる子なのだ。わたしは。
ということで、ちょっと本気を出してくだんの妖を探してみようと思い至った。
率直に学校をサボると楓に怒られるので午前は大人しく受講したが、午後からはボイコットさせてもらう。
屋上から街を見下ろして、色あせたその光景を展望していた。
「んじゃ、燈凪暢取りに行きますか」
展望し、遠望し、見渡しても、別にわかることはない。
視覚も聴覚も濁っているから、目のいい楓に頼んだ方がまだ見えてくるものがあるというものだ。
探知能力を使うのにも、身体能力を限界まで底上げするのにも、燈凪暢がともにあれば最も効率いい。
生徒も先生も教室内に引っ込んで静まり返った校内を、足音をひそめて行く。
鞄は昼休みのうちに屋上に持ってきていたので、それを背負って、自主早退だ。
意気揚々と進むわたしに、しかし、一つの男声が降りかかる。
「おじょうさん、どこまで?」
見れば、一段飛ばしで降りていた階段の踊り場に、影の姿。
わたしの行き先を塞ぐように壁に寄りかかっているが、そんなもので今のわたしは止められない。
止まらないのだ、わたしは。
「よければご一緒しますよ――ってちょっとまてぃ」
完膚なきまでの無視を決め込んで、突っ込みとともに肩に伸ばされた影の手を、身を翻して避ける。
とん、とんと二歩で階段を下りきって、一階に降り立つ。
そのまま生徒玄関に向かって歩を緩めなかった。
「わたしは止まらないのだー、のだー、のだー、だー」
「お前、そんなキャラだったか?」
やや寝不足で、昼間なのに深夜テンション気味ではある。影になど構っている暇はない。
わたしはわたしの道を行く。
「待てって、深春。例の妖怪、探しに行くんだろ? 俺も手伝うよ。探索使うならサポートいた方がいいだろ?」
「別に、一人でも特に問題はないけどね」
校舎を出てグラウンドを突っ切るのは目立つから、その外周を半ば走るようにして抜ける。
影は、突っぱねるわたしの態度を気にする様子もなくついてきた。
確かに、妖の「霧」を解くには影の力は結構使えなくもない。
封印済みとはいえ、いたらいたで便利なんだよなぁ、影。
「わかった。まぁ、手伝ってくれるっていうならお願いするよ。今はとりあえず一回帰って燈凪暢取ってくる」
「その後は?」
「どこか、高いところ」
わたしのアバウトな計画にも、影は「オーケイ」と二つ返事で了承の意を示した。
「じゃあ、行こうか。バケモノ退治」
「おう。望むところだ」
そのバケモノの一種がわたしの後ろをついて歩く。
妖は好きではない。
やっぱり、世を乱す彼らのことを、生まれた時からわたしの平凡な日々を奪ってきたそれらを、好きにはなれない。
でもどうしても、影のことは嫌いになれない。
そんな相反する想いを抱えた、人間らしいわたしが、今日も人間らしくない非日常を送り続けた。