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序章 七

     七


 その日の夕食には、秋くんを呼ぶことになっていた。

 平生からたまにあることではあった。

 私のお母さんは何故だかわからないけれど秋くんのことを気に入っていて、一度挨拶に来て以来、頻繁に食事に招待している。


 今日もその例に漏れず家に帰れば秋くんが居間にいた。

 私は携帯端末やそれらに準ずる電子機器を厭うので彼の連絡先を知らない。

 でも、何かとハイカラな母は私が知らない間に秋くんとアドレス交換を済ませたらしい。

 私を介さず既に秋くんが食卓にいることを、今さら言及したりしない。

 家に帰ってまず私が呆然とさせられてしまったのは、今日はその食卓に、もう一人少女の姿があったからだ。


「……古賀さん」


 古賀凛。

 深春と関わりのある調停社の仕えだという、少女の姿をした「何か」。

 その彼女が、秋くんと肩を並べてリビングの椅子に座っている。

 キッチンからは、鼻歌まじりの母の声。


「あぁ、かえちゃん帰った? さっき影くん呼んだら、今日はお友だちも一緒みたいだったから、ついでに夕飯招待しちゃった」

「……」


 あまりに、能天気すぎやしないだろうか。

 十六年間この母の娘をやっているから、もはや口を出すことはしまい。

 だけど、この状況はいかがなものだろうか。

 深春が見たら、発狂しかねない。少なくとも、不機嫌さを隠すことなく踵を返して自宅に帰ってしまうくらいは考えうる。


「お邪魔してます、楓ちゃん」

「お邪魔してます」


 いつも通りの様子の秋くん。

 いや、いつもよりは多少申し訳なさみたいな、苦笑いみたいなものが爽やかな表情に滲んでいるだろうか。


「……はい、いらっしゃい」


 隣に座る古賀さんに目をやる。なんだか状況に頭がついていかなくて、とにもかくにも、席についた。

 四人掛けのテーブルの内、三つが埋まる。

 そのうち一つ、私の正面秋くんの隣を陣取っている古賀さんが、恭しく頭を下げる。


「今日はお招き、ありがとうございます。突然の訪問でご迷惑おかけします」

「ご招待、してないけどねー」

  というか、先ほど初めて顔を合わせたばかりだ。

 それもメインは深春との顔合わせで、私との会話なんてほとんど皆無だった。

 それに、秋くん。


「秋くんは、古賀さんと知り合いだったの?」

「えぇ、うん。調停社の人とはそれなりに。今回こっちの支部に拠点を構えるみたいだから挨拶に来てくれたんだけど、なんでか、お邪魔する流れになっちゃって……」


 なるほど。

 妖怪の彼がそれらと関係のある調停社と繋がりを持っていてもおかしくはない。

 いろいろと、複雑に条件が絡み合った結果がこの食卓を形作っている。


「えぇと、それで……」

「楓ー、ちょっち手伝ってぇー」

「ああぁ、もう」


 とにもかくにも状況を整理しようと言葉を発したところで、母に声をかけられた。

 座ったばかりの椅子から立ち上がる。

 ある意味当然と言えば当然のことで、母の作る本日の晩餐は、中々に気合いの入ったものだった。

 キュウリとアボカドのサラダに、白身魚の刺身。母の得意料理である竜田揚げなど、山盛りもいいところだった。


「秋くんご飯大盛りにしちゃうねー、古賀さんは? ご飯どれくらい食べる?」


 気づけば淀みなく客人にお食事をお出ししている。


「あ、そんなに。ちょっとで大丈夫です」


 そんなこんなで、落ち着いた頃には三人揃って母の料理に舌鼓を打っていた。

 今日も、母の料理は、美味しい。


「なんだろうなぁ、この状況」


 今や我が家の食卓を囲むものは、三分の二が非人間だ。

 明確に確認をとったわけではないけれど、おそらく古賀凛は、人間ではない。

 秋くんや風雅さんと同じ、妖怪だ。封印されているか否かなどの詳細は定かではないが、深春の態度から、まず間違いないだろう。

 

「なんか、ごめんなさい」


 見れば、古賀さんもどこか恐縮した様子だ。首を竦めるようにして頭を下げる。

 心なしか、ご飯を食べ進める手もゆっくりだ。


「いえいえ、全然」


 大方、母親が半ば押し切るように彼らを招いたのだろうということは想像できた。

 秋くんも、古賀さんも、悪いわけではない。

 別段私も、今のこの状況を強く嫌っているわけでもない。


「遠慮せず、食べてください。……それとも、妖怪さんだとあんまり食べなかったりします?」


 キッチンで洗い物なぞしている母に聞かれぬよう、声を潜めて尋ねた。

 秋くんは私たち人間と大きく違わない食事を、私たち人間の生活の中でとっている。

 だからそこに大きな違いはないのだと思っているが、そうとも限らない。


 世の中の九十九パーセント以上が、私の知らないことで構成されている。

 殊妖に関することであれば、なおのこと。

 人よりよく食べる妖怪がいたり、反対に、ほとんど何も摂取せずに生きる妖怪がいたりしてもおかしくない。


「あぁ、ううん。そんなことはないですよ。何日か食べなくても死ぬことはないですけど、基本的には、人と変わりません」

「あ、それと。敬語とか使わなくてもいいですよ? 実年齢も、そんなに私と変わらないですよね? なんなら、私もため口にしましょうか」


 調停社からの仕え、いわゆる諜報員は、今までに前例がないわけではない。 

 近所を歩くOLさんだったり、商店街の古本屋店員が諜報員をやっていることも、過去にはあった。

 その彼らは、みな名前から経歴、年齢まで、その多くを偽っている。言ってしまえば、調停社そのものが、妖怪を知らない人に対する虚偽の組織なのである。


「あー……うん、そうだね。年齢は、私の方が年上だと思う、多分」

「多分っていうか、絶対でしょ」


 絶対。そんなに、古賀さんが年配には見えないけれど、同じ妖怪仲間の秋くんが言うのだからそうなのだろう。

 あまり女性に年齢について問い質すのはよいことではないので、深く踏み込んだりはしない。


「楓、さんも。ため口で大丈夫だよ」

「うん。あ、名前も、呼び捨てでいいよ」


 古賀さんは、ともすれば年下に見えかねない風貌をしている。

 幼い顔立ちとか、細い体躯とか、そういうものがそんな見解をさせているのかもしれない。

 彼女が私を呼び捨てにするのなら、私は彼女を、どう呼ぼう。

 古賀さん、とそのまま定着させてもいいけれど、個人的には「コガリン」という発声がそのままあだ名のように感じられるので、それを推奨したい。

 イントネーションでいえば、前半から後半にかけて上がっていくイメージだ。

 マスコットみたいで、かわいいじゃないか。


「深春は、どうなんだ? 今回の『仕事』、受けるつもりなのかな」


 食事も一段落したところで、秋くんがそう切り出した。

 うちの母親は妖や深春の家の「仕事」について一切知らないので、それらの話題を取り扱うときには注意が必要だ。

 だけれど、どうも母は能天気な人で、ちょっとやそっとそういう類の話をしても気にしていない。

 だから秋くんも、私も、食卓でそれらの話題を出すことを強く留意したりはしない。


「深春はいつも通りだよ。妖がいれば封印する。困ってる人がいたら助ける。それだけ」


 深春は、至って単純だ。

 私たち人間や、ちょっと知力を持った妖怪みたいに煩雑としない。

 思考は山間を流れる湧き水みたいに澄んでいて、なんの突っかかりもなく進む。


「そうしていただけたら、調停社も助かるんだけど」


 だからこそ、私たちは勝手な願いを言ってはいけない。都合のいい神さまみたいに、彼女に祈りを押しつけるな。

 頑張っている深春を見ていると、いつもそう思う。

 深春は私のまっすぐな光で、ずっとそれを見続けてきたから、わかる。

 彼女はただ、特別なんかじゃない、一人。

 たった一人の、少女なのだ。




 夕飯を食べ終えると、一足先にコガリンは帰宅した。

 何やら、調停社への報告があるらしい。


「今さらかもだけど、なんで深春って妖にはあたり強いのかな」


 普段から、別段愛想がいい方ではない深春。

 だけど、秋くんとかコガリンとか、たとえ封印した後であっても、妖怪には強くあたる。


「それは……妖怪と守人が相対する存在だから、じゃないのかな」

「うーん」


 ばつが悪そうに言う秋くんも、そう単純な話ではないとわかっているようだ。

 行動や思考に迷いがないのに、何故だろう。

 深春の周りにはどうしたって一筋縄ではいかない環境が揃ってしまって、彼女を翻弄する。


「やっぱり、お父さんのことが関係してるのかな」


 妖怪に殺された、深春の父。厳しい人だとは聞いていたけれど、肉親の死というものは、いくらでも人を変えてしまう。

 だけど、少し惜しい。

 湯呑に入ったお茶を見つめる秋くんの言葉を、訂正する。


「それは、どうだろ。深春、あんまりお父さんのこと好きじゃなかったみたいだから」


 むしろ嫌ってすらいた。

 昔はよく、鍛錬を強いる父から逃げて二人で逃走劇を繰り広げたものだ。


「どっちかっていうと、お母さんの、方かな」

「お母さん。俺は、会ったことないなぁ」


 深春の、母。かつては明るかった深春が今のように外界に興味を持たなくなってしまった理由。

 彼女の変化にもやはり、肉親の死が関わっていることに違いはない。

 そしてそれは、妖に殺されてしまった父よりも、病気で亡くなった母の死の方が、強く。


「深春の、お母さんは、普通の人。守人でもないし、妖怪ともかかわりはない。でも世話好きな人で、封印された妖怪のお世話とか、いろいろやってた。……それと、病気がちだった」


 母の死で、深春は大きく変わった。

 守人になって五感を失い始めるタイミングとも被っていたが、それよりも前から、あの子は外界を拒絶していた気がする。

 外界を。世間を。妖怪を。――父を。


「お母さんが病気で亡くなって、それをお父さんと、妖怪のせいって、責めた。そう思い込んで、悲しみを落ち着けるために。……深春も馬鹿じゃないから、ちょっと冷静になればそうじゃないってわかっただろうし、すぐ、赦せたんだろうけどね」


 だが、そうする前に。深春の心が落ち着く綺麗さっぱり整理整頓されるよりも前に。


「その前に、お父さんが亡くなっちゃった。赦すタイミングを、逃しちゃったんだね」


 父を。妖怪を。何もできなかった、幼く弱い自分を。


「……そっか。じゃあ、まだもう少し、妖怪とか調停社とかとは複雑な感じかな」

「そだね。まぁ、そんなに心配なんていらないと思うけど」


 今はもう、深春は弱くない。力を得た。制御の仕方も、きっと覚えている。

 後はもっと根本的な問題。

 深春が、あまり自分を大事にしない癖をどうにかしてやればいい。

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