跋文
跋文
妖刀燈凪暢――。
平安時代ある貴族に仕えていた武士が、混沌とした世を治めるため妖怪退治に使用したとされている刀。
その刀は、妖怪を斬ることで妖しげな力を封じ、邪気を振り払うことができる。
今もなお続く守人の「仕事」を引き継いでいる神埜深春は、今日も燈凪暢を背負い妖退治に奔走する。
楓のいなくなった学校に、通い続ける。
楓がいなくってから、年が明け、季節が巡り、四カ月という時間が経とうとしていた。
街の木々はいつの間にか桜の花を咲かせている。
楓のいないまま新しい年はやってきて、じきに新年度すらもやってこようとしている。
一切の音沙汰もなく、楓は深春の前から姿を消した。
桜の薄桃色ははっきりと視覚に収まっている。その色を感じられている。春先の木漏れ日のぬくもりも、花の香りもわかる。
それなのに、深春の世界は一切のモノクローム。
ピアノの鍵盤すら美しく見えるほどに、色褪せていた。
「私本当は、ずっと前からカルマ君の事情について知ってた。調停社のデータで知らされてて、もしかすると、その経過観察の意味もあって私はここに派遣されたのかもしれない」
休日を、凛と過ごすことが多くなった。
影は、その日も彼女とともにパンケーキの有名な喫茶店を訪れていた。
甘味を頬張る凛の、物憂げな表情を直視できない。
「そっか」
「あの日も、なんか様子が変だなぁって思いながら、あんまり、深くは追及しなかった。カルマ君途中でどっか行っちゃったのに、追いかけなかった」
凛が自責の念を抱えていることは一目瞭然だった。
そしてそれが見当違いであることも、影にはわかっていた。
たとえあの日が平和に終えられようとも、いずれカルマは深春を殺そうとしていたはずだ。
どれだけ他でうっぷん払いされても、その方法がさらに、彼の憎しみを助長する。
カルマはもう、ああする他救えなかった。ただ悔やまれるのは――。
「俺もあの日、楓ちゃんを止められなかった。俺なら、俺の力なら、無理やりにでもあの子を止められたはずなのに」
誰もが勝手に、深春を都合のいい神さまみたいに崇めていた。
彼女を知る人も知らぬ人も、深春がただの女子高生で、痛みも苦しみも眠っているだけで死んでなどいないのだと、そんな当たり前のことをわかっていなかった。
楓だけが、まっすぐに深春を見て深春のために動いた。
「……なんか」
「うん」
「私たち、似てるね」
「そう、だね」
人は誰しも痛みを持ち、苦しみを抱く。
それは平等にすべての人に訪れ、そしてすべて、その人だけのものである。
他の誰かが人の痛みを知った気になってはいけない。
苦しみを理解して、わかるよ、なんて声をかけてはいけない。
人はみな、孤独だ。
放課後になって、ちらほら残っていたクラスメイトたちも下校するなり、部活動に行くなりしていなくなった。
深春は、ただ一人だった。
右隣のからっぽの席を見て、次に教室を見渡す。
何ら変わらない、楓がいなくなる前と変哲のない光景が広がっている。
楓がいなくなっても、世界は変わらない。
昨日は今日になって今日はやがて明日になる。
「いかなきゃ」
立てかけてあった燈凪暢を手に、今日も街に繰り出す。
頬をあたたかい液体が流れて、外気に晒されると少し冷たかった。
そのすべてを、深春は知覚できるようになっていた。
でも結局、何も変わっていないのかもしれない。
だって深春の世界に、今、色なんてどこにも見られないから。
「涙、拭いて」
誰も、拭ってくれやしない。
「手、握って」
誰も、握ってくれない。
涙を拭って手を握り、優しいぬくもりで抱きしめてくれた幼なじみは、もういない。
いつかまた、彼女の世界に色が戻ることがあるのか。
今はまだ、誰も知りえない。
どこか、遠くの街──。
「ふふっ」
今日も少女は、愛する人たちの息吹を感じる。
手に入れた力は誰よりも何よりも広く世界を感じることができる。
今日も少女は、捨て去った日々を思い出して笑う。
嬉しくて、喜ばしくて、一人少女は笑う。
ひとり、ひとり。
ただ、きみのために 了