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序章 三

     三


 五百蔵(いおろい)楓は踏み込まない。

 踏み込めば、今のわたしたちの関係――生まれてから十年以上続いた幼なじみという関係を壊すことになると、知っている。


「いつもごめんね、秋くん。深春がお世話になってます」


 今もそう。

 いつだって彼女は、一歩下がった場所でわたしと影を見ている。

 待っている、という言い方もできるかもしれない。


 さらさらの髪。中学時代運動部だったから、日焼けで髪が少し茶色い。

 控えめに編み込まれた髪が、楓の静謐さを崩さぬまま華を出している。

 華奢な体つきやふと想いをひっこめてしまう性格も。全部。

 わたしは、大好きなのに――。


「いやいや。あ、じゃあ俺、朝練あるから」

「はいはーい。じゃ、またね」


 楓と緩い会話を交わして、影が足早に立ち去る。っていうかあいつ、妖怪のくせに部活まで入っているというのか。


「元気だよねー、秋くん。部活何やってんだっけ」

「サッカー」

「いや、がっつり運動部なんだね」


 部活にも所属しないで、クラスでもあまり目立つ方ではないわたしたちとは大違いだ。

 人間であるわたしたちよりもよほど、影の方が学校生活に馴染んでいる。

 でも別に、そこに不満はない。わたしにはやるべきことがある。

 使命がある。

 目先にやるべきことがあるだけで、随分と気の持ちようは変わる。

 逃げではない。

 逃げではない……と、思っている。


「ねぇ、深春。今日は、一緒に帰れるんだよね」


 影が去ったのを見送って、隣を歩く楓が喜色に満ちた声を投げかけてくる。

 わたしとともに下校できることが、そんなに嬉しいのか。というか、まだ登校途中であるというのにもう帰りの話か。

 相変わらず、マイペースを絵に描いたような子だ。


「まぁ、大丈夫かな。『仕事』も一段落したし」

「やった。久しぶりだね」


 ここ数日、昨晩倒した妖怪を倒すために学校が終わるとすぐさま街に繰り出す日が多かった、行方不明者や死傷者も出ていた事件だから、どうしたって緊急を要する。

 「仕事」の関係では、学校を休まなければいけない日もしばしばあるのだ。


「どうせなら、どっか寄り道してこうか」

「ん、いいよ。どこ行こうか」

「うーん。どうしよっかなぁ」


 心なしか、楓の足取りが軽くなった。

 心持がすぐさま表情や仕草に出る。

 とてもわかりやすくて、いじらしい。

 隣で明るく笑う少女の安寧を、永遠にでも守っていたいと思った。




 学校に着いても、楽しそうな楓の様子はそのままだった。


「久しぶりにモール行くのもいいよねぇ。新しくできたクレープ屋、まだ行ってないし」


 あまり食事――食べることに興味はないのだが、楓が望むのならそれもいい。

 隣に笑う彼女がいるだけで、十分楽しめることだろう。


「うん……いいね」


 彼女が望むのなら、世界はその通りになる。

 わたしが、その通りにしてやる。……なんて。


 教室の隅。前から二列目の窓際がわたしの席だ。

 隣には楓がいて、始業前の教室にはほとんどの生徒が揃っている。

 クラスメイトはそれなりに騒がしく、友人らと雑談に興じて、朝の喧騒を作りだしている。

 ただしその喧噪は、わたしたちの周りには届かない。


 いつだってそうだ。

 わたしたちは――いや、わたしは、世界と距離がある。

 必然的にそうせざるをえない部分もあるし、自ら選んでもいる。

 守人の「仕事」のせいにしている点も否めないのだが、単純に一人が好きだということもある。

 こうしてふと窓辺に視線を這わせて景色をぼけぇっと眺めたり、隣の楓の横顔を盗み見たりする時間が、わたしはどうしても嫌いじゃない。


 でも、楓はどうなんだろう。

 いつもわたしに付き合って温度差を合わせてくれて、なおかつ一歩引いたところで俯瞰的な視点を持っている彼女に、無理をさせていないだろうか。

 そう、思わないこともない。

 少し人見知りなところはあるけれど、楓は別段、人付き合いが苦手じゃない。

 クラスメイトともそれなりに話す方だし、行事などがあればしっかり参加もする。

 世間と距離があるのは、みんなとずれているのは、そう。わたしだけだ。


「うま。チョコベーグル、おいし」


 昼休み。

 購買で買った惣菜パンや菓子パンを机に並べて食べる。

 余裕がある日は朝残り物で弁当を作ったりもするが、楓もわたしも、今朝は余裕がなかった。


「よかったね。残り一個、なんとか買えて」


 楓は、購買で限定二個販売されているチョコチップたっぷりのベーグルを食べて、ご満悦だ。

 うまうま、と、十数年前からなんら変わらぬ様子で咀嚼を続ける。


「深春も一口食べる?──って、あ、チョコチップ苦手だったっけ」


 くすぐったさを覚える。

 背筋をぞくぞくさせるような、声。

 言葉の内容よりもその音そのものをずっと聞いていたくなる。

 内容はいつも……あっちこっちに飛び飛びでわかりにくいのだけれど。


「好きだよ。全然。食べる食べる」

「そだったっけ? なんか昔から、深春の好きなものはころころ変わるなー」


 言われてみれば、そうだった。

 昔から、好きなものを決めるのが苦手だ。

 複数あるものから一つを、他を捨てて何かを選ぶということが、苦手だった。

 物事にはすべて、いい面と悪い面がある。

 どんなに悪いと思えたことでも、見方を変えればよかったと思える点がある。

 わたしはそこから、目を逸らしたくない。事物のいいところも悪いところも、すべて、見逃したくなかった。

 優柔不断は自滅を運ぶ一手ではあるけれど、わたしなら、そうならないと、そんな自負があった。


「まぁ、多分、ある程度エネルギー補給できて腹に溜まればなんでもいいんだ思う。そんなに、食事にこだわりはないかな」

「ふむ。……難しいね」

「難しい?」


 首を傾げて疑問を呈するも、楓からはなんの返答も返ってこない。チ

 ョコベーグルを食べ終えて、次の惣菜パンへと手を伸ばす。

 わたしも、あまり食べ進めていなかった焼きそばパンを頬張る。

 ぐちゅっとパンを潰すと、たっぷりの具材が口の中に溢れた。

 総菜パンじゃなくてもっと、シンプルな物を買えばよかったなぁ、と。ゆくあてのない後悔を胸に抱くともなく抱いた。


「おいし?」


 カレーパンをあっという間に胃に収めた楓が、緩い笑みで問いかけてくる。

 その目は、わたしの本心を見透かしているようにも、何も考えていないようにも見える。


「うん。美味しいよ」


 でもきっとこの嘘は、ばれている。

 じいぃっと、こちらを見つめる。丸っこい瞳。

 どこか、小動物を思わせる。柔らかそうに慎ましやかな唇が、言葉を紡ぐ――前に。


「深春、ちょっといいか?」


 低い声。高い位置から落ちてくる音に反応して、顔を上げる。


「カルマ先輩」


 長身痩躯で少し前髪の長い、物腰の柔らかそうな男子生徒が、立っていた。

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