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序章 二

     二


 私は、悩んでいた。

 最近体重が増えたこととか、成績の伸び悩みとかではなくて、もっと重要なこと。

 そう、朝食のメニューについてだ。

 今日は週に一度の私が朝食を作る当番なのだが、普通に作ったところでつまらない。

 と、熟考しているところだった。

 ただでさえ料理上手の風雅さんや凝り性の()(はる)に比べて私の作る朝食は見劣りする。

 だけど夜毎の「仕事」で疲れを残しているだろう深春には美味しいものを食べてもらいたい。

 相対するジレンマが、私の中で渦となって踊っていた。


(かえで)、おはよう。朝ごはんは、なんですか?」


 優しい声音。

 ふとしたときに漏れ出る低い響き。

 いつもこの声が、私の背筋をぞくぞくさせる。


「あ、えと。まだ、決まってなくて。……なに、食べたい?」


 高校生くらいの少女――神埜(かみの)深春は、あくびをしながら和服の胸元をかく。

 露出した胸元から、一筋の切り傷が垣間見えた。緩やかな丘陵の間に、真新しい赤い筋。

 思わず目を逸らしそうになる傷痕が、痛々しい。


「なんでもいいよ。簡単なもので」

「……それ、どうしたの?」


 問うも、曖昧な唸り声みたいな生返事しか返ってこない。

 寝覚めの悪い幼なじみは、まだ、寝ぼけているようだ。


「昨日の『仕事』でついたのかな。なんか、硝子のバケモノだったし」


 こともなげに言って、深春は居間に入って行く。

 慌てて戸棚の上の救急箱を取って、深春に駆け寄る。


「ちゃんとっ……手当てしないと」


 深春は、自分自身に酷く無関心だ。

 自分という存在の持つ価値とか、対外的に及ぼし得る影響に関心がない。はなから、そんなものないと断定して考えようともしない。

 こちらがどれほど深春の言動に、一挙手一投足に心揺らしているのか。

 気づいてくれない。


「うん? うん。いいけど」

「けど……?」

「ごはん、作らなくていいの?」


 柔和な表情。悪意も、敵意も、興味関心もない。

 その貌がいつも、もどかしい。


「あ、っとー、作る! 作るから、ちゃんと、薬ぬってばんそうこう貼っといてね」


 透明で無色な深春よりも、なによりも、不器用でやるせない自分が、情けない。




 結局朝食には、簡単なハムエッグを作った。

 代わりに野菜たっぷりのコンソメスープで栄養を摂ってもらうことにして、深春の傷の手当てに時間をあてた。

 彼女の「仕事」について私が知っていることは少ない。

 というか、ほとんどない。深春や仕事仲間の風雅さんからはほとんど説明をされていないし、自分が理解できるとも思っていない。


 深春たちの「仕事」は、ちょっと古めかしい言い方をすれば、お役目だ。

 世界に溢れ返る、放っておけば世の理を壊しかねない妖たちを、退治する役目。

 それはとても重要な役割で、そして同時に、深春にしかできない。

 何故深春なのかと問われれば、それはもう、私のわかる範囲ではない。

 とにかく「仕事」にはあの白い柄の刀と深春が必要不可欠で、その「仕事」のために深春は、いつも体のどこかに傷をつけている。


「怪我したってことは、戦ったんだよね? 勝てたの?」


 朝の準備を粗方済ませ、私たちは学校に向かう。

 「仕事」の次の日はそれを言い訳にして学校を休みがちな深春を、無理やり着替えさせる。

 玄関先で、靴を履く背中に尋ねてみた。


「んー、まあねー。成功は、成功」


 またも、色のない返事。それも、ことこの話題に関していえば致し方ない。

 深春の「仕事」に関する感情は複雑だ。

 彼女も、いや、彼女こそ、この「仕事」の重要性を理解していることだろう。


 だけど同時に、どうしたって「仕事」を好きになれない理由がある。

 深春の父――神埜秋彦は厳格な人で、いずれ守人となるべく徹底的な修行の下深春を育てた。

 そんな父も五年前に「仕事」の最中妖怪に殺されており、深春はその「仕事」を、引き継ぐともなく引き継いだ。

 深春に表面的な感情はない。取り繕いとか、ただ上っ面だけの感情表現を嫌うのだ。

 複雑な心象を、奥底に隠した本心を、いつだって見せてくれないんだ。

 今日も私たちは、最後の一歩を踏み込めないまま二人並んで学校に向かう。


「深春! 楓ちゃん!」


 そんな私たちの背中に、声が――。

 快活さを音にして奏でたような声に、振り向く。

 振り向くも、視線を向けた先の道中に人の姿はない。

 声はもっと、上の方から。


「秋くん」


 見上げると同時にそれは――彼はアスファルトに降り立った。

 たんっ、という軽快な音を、彼のスニーカーが響かせる。


「おっはよー」

「おっはよん。すごいとこから来たね」


 秋雲の作る影みたいに黒い短髪がよく似合った少年の名は、秋村(あきむら)(かげ)

 風雅さんと同じ「仕事」の仲間らしいけれど、詳しいところは知らない。

 私にとって秋くんは、深春とともに同じ高校に通う、後輩でしかない。


「遅刻しそうだったもんで。今日、朝練なんだよね」


 彼はその見た目に似合う――いい意味で――軽い笑顔で、からからと笑う。

 しかし私の隣にいる幼なじみの反応は爽やかではない。

 仏頂面、という表現があまりにもぴったりな顔だ。


「影、目立つから裏道は避けろって言ったでしょ。人目につく」


 普段曖昧な表情が多い深春だけど、秋くんに対しては比較的露骨な態度を取る。

 やはり「仕事」関係だからだろうか。

 彼女の、率直に不機嫌そうな顔を向けられることが、少し羨ましい。


「大丈夫だって、人通り多くなったら下歩いてるし」


 そのまま三人、いつもの通学路を歩いて行く。

 秋くんは先ほどまで、民家の屋根や塀などを利用して学校までの登校をしていた。

 時折私も目撃して驚くのだが、なるほど、ショートカットだったか。

 さしずめ私は、ちょっと激しめのランニングなのだろうなんて思っていた。


「それで深春、昨日の『仕事』はどうだったんだ?」

「別に。特に問題なく終わったよ」


 一応所属としては一年後輩になる秋くんだけど、私たちと話すときはいつも砕けた口調だ。

 私は特に気にしていないけれど、そういう部分が深春は気に入らない……わけじゃないよなぁ。


「そうかそうか。呼べば応援行ったのに」

「別に、あなたの助けなんて必要ない」


 うーん、やっぱり。深春の対応はちょっと雑だと思われなくもない。

 むしろ、素直に感情をぶつけあえるこういうやりとりは仲のいい証拠だろうか。

 そうであるのならばやはり、羨ましい。

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