表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

時の戦慄

作者: 浅海咲也



 はるか昔、『神』を呼び出した1人の男がいた。

 彼は願った。


「我が一族の、繁栄と存続を」


 『神』は応えた。


「汝の名を継ぐ流れの中で、十番目に生まれし娘らを、十七になった年に我が花嫁として捧げよ。さすれば、汝の願い、叶うであろう」


 契約は成された。

 彼が呼び出したのが、本当に『神』だったのか。それとも、もっと別の『何か』だったのか、今となっては確かめる術はない。それでも、彼の屋敷の片隅には小さな社が建てられ、『神』がまつられている。

 そうして、何人もの少女が『花嫁』として『神』に捧げられてきた。今でも、その契約は継続されている。

 そんな中で、彼女は産まれた。

 彼の……神供の名を継ぐ一族は、誰もが噂しあった。

 十二番目の花嫁が産まれた、と。

 少女は、あすかと名付けられた。彼女は、母・弥生の愛情を一身に受け、幸せに育てられていた。普通の少女たちと同じように。ただひとつ違う事と言えば、あすかに付いて回る、『十二番目の花嫁』という言葉だった。

 そんな状況にいたたまれなくなって、あすかを連れた母親が家を出たのは、彼女が三歳の時。彼女の十七歳の誕生日までには戻るという条件をつけられてはいたのだが。

 ほんのひとときのものではあったが、自由を手に入れた母娘は、弥生の妹の家庭に迎え入れられることになった。

 あすかにとって叔母にあたる文は、神社を護る須藤家に嫁いだせいか、不思議な力を持つようになっていた。

 その彼女には、あすかと同じ年の息子がいる。彼は、名前を康平といった。2人はとても仲が良く、まるで本当のきょうだいのように育てられた。




 日々は、穏やかに過ぎていった。穏やかであればあるほど、時間が流れるのは早く感じるものなのか。

 平穏な時間は、長くは続かなかった。

 あすかが高校一年の秋の事だった。彼女が十六歳になってから、半年余りが過ぎようとしていた。




「弥生さんたちがおかしい?」


 先に相談を持ちかけたのは、あすかの方だった。


「おかしいって言うか……なんて言ったら良いのか分からないんだけど、何かに怯えているような、警戒しているような……」


 あすかは、言葉を選びながら言った。

 しかし、彼女が言いたかった事は、康平も気が付いていたようである。彼は、静かに頷いた。


「半年くらい前から……だろ? たぶん、神供の本家から連絡が入ってからだ」

「うん……」


 その時の話の内容を、彼らは知らない。

 知っているはずがなかった。それは、弥生と文が必死になって彼らに隠していること。

 そして、いずれは彼女に話さなければならない、彼女自身の運命。


「何かあるのなら、話してくれればいいのに……。母さまは、何も言ってくれない」


 少し寂しそうに言うあすかに、康平は元気づけるかのように言った。


「オレも、気になってはいたんだけどさ……。調べてみるか?」

「……うん!」


 それがきっかけだった。


 彼らは、運命に向かって一歩、足を踏み入れてしまったのだ。

 もう後戻りはできない。

 二人は、康平の家の離れにある蔵に出入りするようになった。

 それは、弥生や文がいない時に限られてはいたのだが。

 須永家の蔵には、なぜか、神供家にまつわる資料が数多く保管されていた。文書量で言えば、神供の本家のそれにすら、匹敵するかもしれない。

 あすかと康平は、何かを知ることができると信じていた。

 それは、直感でもあった。

 そうして数か月が過ぎた、ある日のことだった。

 二人はいつものように蔵の中にいた。

 そんな中で、あすかがある物を見つけたのだ。


「康平、康平っ! ちょっと、これ見てよ」


 それは、古い巻き物のような物だった。

 あすかは、それを康平に渡す。

 開いてみると、それは系図のようだった。

 おびただしい数の、名前の羅列。


「これは……神供の家系図か……」


 床に置かれたそれを覗き込むように見ながら、康平は、問いかけるような、確かめるような、そんな口調で呟いた。


「家系図……?」


 言いながら、あすかも一緒になって覗き込む。

 ふと、あすかの目にとまるものがあった。


「ね、康平。これ、何だと思う?」


 あすかの指が指し示す先には、名前に付けられた赤いしるし。


「こっちにもあるぜ」


 家系図を開いていくと、しるしがいくつも付けられていることが分かる。

 弥生や文たちの代までが記されている家系図の中で、しるしが付けられた名前は、全部で十一。


「十一個か……。たぶん、何らかの関連性があるとは思うんだけど……」


 康平の言葉に、あすかも頷く。

 しかし、それが何であるのか、今の彼女たちに知る術はなかった。


「とにかく、これはオレが調べてみるよ。今日はタイムオーバーだな。そろそろ、母さんか弥生さんが帰ってくる時間だ」


 そうして、二人は蔵を出た。

 季節は、冬も終わりに近付こうとしている。

 辺りは、すでに暗くなり始めていた。


「あ……雪だぁ……」

「本当だ。どうりで冷えると思った」


 空を見上げる二人を包むように、雪は降り続けた。

 それはまるで、運命の歯車が回り始めたことを、空が悲しんでいるかのようだった。





 それが、彼女たちの平穏な日々の最後の瞬間となった。

 その夜、あすかは夢を見た。

 いや。正確には、夢の中で誰かに呼ばれたのだ。



『待っていた……。時は満ちる。我は待った……十六年の月日を……。迎えに行くぞ、我が花嫁………あすか………。我が下へ来たれ………あすか』



 あすかは、自分の悲鳴で目を覚ました。

 恐ろしいと、彼女は感じた。

 夢の中であすかを呼ぶ声は、最初は穏やかなものであった。それが、徐々に邪悪なものを纏ったものへと変わっていったのだ。


「あすか? どうしたんだ?」


 彼女の悲鳴を聞きつけたのだろう、となりの部屋で眠っていたはずの康平が、あすかの部屋に入ってきた。


「……康平……」


 力なく呼ぶ彼女は、自分で自分の身体を抱きしめて震えていた。


「あすか……?」


 康平が彼女のとなりに座ると、あすかは声もなく彼の身体にしがみついた。

 恐かったのだ、彼女は。

 夢の中で呼びかけてきた声の主が何者なのか、自分をどうしようというのか。

 それとも、ただ単なる夢に過ぎないのか。

 言葉にできない程の不安と恐怖が、あすかの中に渦巻いていた。


「………康…平」


 あすかは、康平の胸を涙で濡らしていた。

 そんな彼女を、康平は優しく抱きしめる。


「大丈夫……大丈夫だ、あすか」


 優しく、宥めるような口調で康平は言う。

 あすかの髪を、優しく撫でながら。

 それから、どれくらいの時間がたったのだろうか。

 ずっと、髪を撫で、『大丈夫』と繰り返し言ってくれた康平のおかげで、涙は止まっていた。

 だが、身体の震えは、依然として止まらなかった。


「……康平…お願い。今夜……そばにいて。一人にしないで」


 彼は無言だった。

 その代わり、あすかを抱きしめる腕に、ほんの少し力を込めた……それが返事。

 あすかは従兄の腕の中で、ようやく安心することができた。

 やがて、二人を睡魔が襲う。

 あすかが眠りについたのを確認して、康平も睡魔に身を任せる。

 浅い眠りの中、康平は、かすかな何かの気配を感じていた。

 それは、気配を感じていることにすら気付かないほど、かすかなもの。

 人間のものではない気配。

 それが後々、彼らの生命を脅かすものになるということを、康平は無意識に感じていたのかもしれない。




 翌朝、雪は止み、辺りは一面の銀世界だった。

 目を覚ましたあすかは、外を見た瞬間、自分の目を疑った。


「康平……あれ見て……」


 庭に面したあすかの部屋。

 その、彼女の部屋の前にだけ広がる、異様な光景。

 それを最初に見つけた彼女の声は、心なしか震えていた。


「な……っ?」


 康平の驚きは、声にはならなかった。

 代わりに、彼の顔色だけが蒼白になってゆく。

 数センチほど積もった雪に残された、無数の足跡。

 それは、あすかの部屋の前にだけ存在した。

 どこから来たとも、どこへ行ったとも分からない、足跡の主。

 まるで、いきなりそこに現われ、あすかの部屋を伺って、そのまま、かき消えてしまったような。

 人間技ではないけれど、そう思わずにはいられない程、あすかの部屋の前だけが踏み荒らされているのだ。

 足跡の主がもたらすもの、それは危険。

 康平の内の何かが、そう警告を与える。


「これ……は?」


 唐突に、二人の背後から驚きの声があがった。

 弥生の声。

 驚きの中に悲嘆の色が混ざった、彼女の表情。そんな彼女に、驚くべき言葉が投げかけられた。

 知るはずのない人物からの、知るはずのない言葉。


「弥生さん、まさか……十番目に生まれたってことに、何か関係があるんですか……?」


 言った康平の顔は蒼白だった。

 まるで、自分の言った言葉が間違いであることをのぞんでいるような、そんな表情をしている。


「…………っ!」


 弥生は、言葉を失った。康平は気付いてしまっているのだ。

 あすかは、まだ何も知らない顔で、二人の顔を見比べている。

 だが、康平に気付かれた以上、弥生たちも黙っている訳にはいかないだろう。


「あすか……話があるわ。部屋に来てちょうだい。康平くんも、一緒に聞いて……」


 意を決したような、弥生の言葉。表情。

 あすかと康平は、顔を見合わせ、彼女に従う。

 弥生の部屋には、文も呼ばれた。

 そして二人は、あすかの運命を知ることになる。



 弥生は、全てを話した。

 彼女が知っている、全てを。

 かつて、あすかたちの祖先である男が、『神』と交わした契約。

 それが今でも生きていること。

 神供の一族に生まれた少女で、十人ごとに、『神』の花嫁として捧げられてきたこと。

 十一番目の花嫁から数えて、あすかは、ちょうど十番目に生まれた少女であること。

 つまり、十二番目の花嫁、であること。


「花嫁……わたしが……?」


 呟くように、あすかは言った。

 いきなりの情報量に、思考力が上手くついていかない。


「させない……させるもんですか……! 助かる方法を、必ず見つけてみせる!」


 言ったのは弥生。身体中から絞りだすような、悲鳴にも似た声。切実な願い。

 花嫁とは呼ばれていても、それは、花嫁の名を借りた、いわゆる生け贄、なのだ。

 家族として……いや、人間として、彼女と同じように思うのは、至極当然のことだろう。

 康平や文も、弥生と同じ思いを、願いを抱いたのだ。


「まだ時間はあるわ。あすかちゃん、これを……」


 差し出された、文の手のひらに乗せられていたのは、ビー玉ほどの大きさの透明な球。


「これは……?」

「……『護りの水晶』というの。本家の蔵で見付けた物よ。きっとあすかちゃんを護ってくれるわ……」


 不思議な輝きを放つ、護りの水晶。

 あすかは、文から水晶を受け取ると、それを見つめた。

 暖かい、と感じた。

 みんなの優しさや、勇気が宿っている、そんな暖かさだった。

 あすかは水晶を握りしめた。

 生きよう、と思った。

 自分を助けようとしてくれる人たちのためにも、そして自分自身のためにも。

 自分は、精一杯、生きなければならない。

 そう、あすかは決意したのだ。

 彼女が十七歳を迎える日まで、あと二ヵ月余りだった。

 この時、彼女たちの中の誰も予想さえできなかった。

 たった一ヵ月後に起こることになる悲劇を……。




 その日は、朝から曇っていた。

 というより、異常な程、薄暗かった。

 不気味な静けさ。

 あすかと康平は、弥生たちによって、外出を禁じられた。


「なぜ……? 早すぎるわ、早すぎる。まだ時間はあるはずよ……なぜ、今なの……?」


 弥生が悲嘆にくれる。

 両手で顔を覆う。

 悔しさ、怒り、悲しみ。

 いろいろな感情が弥生の中に渦巻いていく。

 だが、次の瞬間。彼女はそんな思いをかなぐり捨てる。

 代わりに生まれるのは、希望。そして勇気。


「そうよ、諦めたら……それで終わりなんだわ。諦めない……! 護るわ、わたしの娘を……!」


 運命さえにも屈しない。それは、彼女の母親としての強さ。


「そうよ、姉さん。わたしも手伝うわ」


 飾りのない、心からの言葉。

 弥生は、文の顔を見つめた。その瞳には涙が浮かんでいる。


「ありがとう……」


 二人は、そっと微笑み合った。

 そして、彼女たちが護ろうとしている少女は、一人の少年とともにいた。

 少女の部屋。

 そこは、異常な現象の中心にあった。


「康平……」


 あすかと康平の周りを、恐ろしい程の邪気が包んでいる。

 二人にも、それが分かる。


「大丈夫だ、あすか」


 二人は、寄り添うようにして座っていた。まるで、互いに庇い合うかのように。

 震えるあすかの肩に、康平の手が乗せられた刹那、周りの空気が揺れた。



『許さぬ……』



 康平は、声を聞いた、と思った。



『許さぬ。我が花嫁を奪わんとするもの………許しはせぬ!』



 脳裏に響く声。それは思念とも呼べるものでもあった。

 康平は、自分だけに向けられた声と共に、敵意を感じた。殺意にも似た、憎悪さえ含んだ敵意。

 彼は一瞬、寒気を感じた。けれど、彼の中に後悔や恐怖はなかった。

 あすかを護る。

 今の康平の心にあるのは、ただ、その思いだけだった。


「大丈夫だよ。母さんに貰ったお守りだってあるだろう?」


 康平は、あすかを落ち着かせるように言った。


「うん……」


 あすかは、文に貰った水晶を見つめる。

 護りの水晶。

 この小さな水晶に、どんな力があるのかは知らない。

 だが、こんな状況の今となっては、護りの水晶に頼るしかなかった。

 あすかは、水晶を握りしめた。

 全てが良い方向へと向かうように、祈らずにはいられなかった。

 その時、足音が近付いてくるのが聞こえた。

 二人は一瞬、身体を固くしたが、すぐに安堵の息をもらした。足音の主が、二人が信頼を寄せる人物たちだということが分かったからだ。


「あすか、康平くん……!」

「二人とも、大丈夫?」


 弥生と文は口々に言った。

 二人は、ただ、頷いて応える。

 『神』は、すぐそこまで来ている。

 全員が、そう感じていた。それは間違ってはいなかった。


「来た……」


 文がそう告げた刹那。

 信じられないほどの圧力が、彼女たちのいる部屋を襲った。

 それは、圧倒的な力。圧倒的な想い。

 軋みをあげる家具のように、彼女たちの身体が悲鳴をあげた。

 ほんの数秒の出来事だった。

 だが、『神』の力を思い知るには、充分すぎるほどの時間だった。


「これが……『神』の力……」


 勝てるのだろうか……。

 圧倒的な力を前にして、そんな思いが康平の中に生まれた。だが、それはすぐに打ち消される。

 勝たなければならない、という想いに……。


「これが『神』……?」


 宙に浮かぶ『それ』を見て、弥生は呟いた。

 『それ』は人の姿をしていた。

 美しい……異常なまでに美しい青年だった。美しさの中に、神々しささえ感じられるほどの容姿。

 彼は、流れる銀髪と深い緑色の瞳を持っていた。影のような闇を、その身体に纏っている。



『我が名は白鳳……』



 凛とした声だった。

 言葉を紡ぐ唇には、笑みがたたえられている。

 しかし、その姿の神々しさとは異なり、彼の放つ気配は、魔性そのものだった。


「白鳳……」


 あすかは、反芻するように呟いた。



『迎えに来た……』



 白鳳の深緑の瞳は、あすかを捕らえている。


「させないわ……!」


 誰に向けられた言葉なのかを察し、弥生が言い放つ。

 白鳳の瞳が、きらり、と輝きを放つ。

 その瞬間、あすかたちの周りで爆音がした。

 しかし、彼女たちは、爆風すら感じなかった。



『結界か……。こざかしい』



 白鳳のその言葉に、あすかと康平は文を見た。

 これは彼女の能力だ。

 二人はそう確信する。

 白鳳が、左手を宙にかざした。

 たったそれだけで、文の結界は破られてしまう。

 文と弥生の身体は後方に吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。

 声もなく、その場に崩れ落ちた二人には、戦う力は残されていないだろう。

 それほどに、凄まじい衝撃。

 康平は、あすかを支えながら、かろうじて踏み止まっていた。



『たかが人間ふぜいが……。我が花嫁に触れることは許さぬ……!』



 地の底から響くような、白鳳の声。

 それでも。

 康平は、白鳳の言葉に動じることはなかった。


「……どう許さないつもりだ? たとえ、刺し違えたとしても、お前なんかに彼女は渡さない」


 不適な笑みを浮かべながら、康平は言う。

 それは、白鳳に対する挑戦でもあった。


「人間ではないモノ……まして、彼女を愛してもいないモノなんかに、あすかは渡さない……!」


 康平が言い放った、その刹那。

 白鳳の瞳が憎悪に染まった。


「康……平…」


 更に色濃くなった邪悪な気配を、あすかは感じ取った。自分を護っている従兄の名前を呼ぶ。

 彼は、黙って頷いて見せた。

 大丈夫だよ、という言葉の代わりに。



『……消えろ』



 白鳳の声。

 誰に向けられたものであるか、それは明白だった。


「康平……っ!」


 悲鳴に近い、あすかの声。

 それは一瞬だった。

 あっと思う間もなく、彼の身体は壁に叩きつけられていた。

 康平の顔が苦しげに歪められ、彼の身体はその場に崩れ落ちた。

 あすかは、思わず康平のそばへ駆け寄った。

 康平の口から呻きが洩れる。


「康平……。しっかりして……っ」


 彼に触れようとした彼女の手に、バチリと電流のようなものが走った。

 瞬間、彼女は悟る。

 康平の身体に、苦痛が与え続けられている事を。


「……く……う…っ」


 激痛の中、康平は確かに感じた。白鳳の中に存在する、ひとつの感情を。


「やめて……もう、やめてよ……っ」


 絞りだすように、あすかはそう叫んでいた。

 耐えられなかった。

 自分のために傷ついていく、かけがえのない人。大切な人たちを助けられない自分が、もどかしかった。

 そして何よりも、何もできない自分が悔しかった。

 そう、彼女が悔しいと思った、その刹那。

 あすかの手の中で、護りの水晶が輝いた。


「え……?」


 驚愕の中、彼女の脳裏に水晶の使い方が閃いた。いや、水のように彼女の中に流れ込んできた『何か』が、彼女に教えたのだ。

 迷っている暇はなかった。

 あすかは、水晶を指と指の間に挟み、白鳳に向かってかざした。


「……封印する」


 毅然とした態度で白鳳を見据え、彼女は言った。



『ほう……』



 白鳳は、喉をくつくつと鳴らして笑った。さも、おかしいものを聞いた、と言いたそうに。

 けれど、彼女は動じない。

 あすかは瞳を閉じた。心を落ち着かせる。

 あすかの強い想いが、白鳳を封印することができる。

 あの瞬間、あすかの中に流れ込んできたのは、水晶の思惟とも言うべきもの。

 それは水晶の記憶。水晶の力。


「お前を、封印する」


 もう一度言って瞳を開いたあすかは、今、水晶と同じものだった。

 白鳳の纏う闇が、揺れた。

 今なら分かる。あの闇は思念。

 花嫁として生け贄に捧げられ、白鳳に殺された少女たちの想い。

 彼女たちが白鳳と対峙した時、手の中には水晶があった。

 今のあすかと同じように。


「……あす…か……」


 康平の声が、あすかの耳に届く。彼女の身を案じる声。苦しみの中から絞りだすような声。

 この人たちを……康平を護りたい。

 あすかは、心から思った。

 瞬間、白鳳の口の端から笑みが消えた。

 常にたたえられていた、不敵な、嘲るような笑みが。

 あすかの手にある水晶に、あたたかな何かが集うのが分かる。

 それは力……想い、そして生命。

 他でもない、白鳳のそれが……。

 信じられないものを見る顔で、白鳳はあすかを見つめた。

 一瞬のようにも、長い時間のようにも感じられた。

 ふと、白鳳の身体に異変が起きる。

 支える術であった力を失い、肉体が灰のようになって崩れていくのだ。

 それは不思議な光景だった。

 人の姿をしたモノが、灰になって消えていく……。そして、彼の美しかった身体が跡形もなくなった時、水晶の輝きは、琥珀のようなそれに変わっていた。


「あすか……」


 振り返る彼女の瞳に、背を壁に預けながら立ち上がる、康平の姿が映る。

 白鳳の消滅と同時に、彼も自由を取り戻したのだ。


「康平……っ!」


 その瞳を涙でいっぱいにして、あすかは康平に駆け寄る。そして、その胸にしがみついた。

 そんなあすかを、康平は優しく抱きしめる。

 自由を取り戻したとは言っても、康平の身体は傷だらけだった。かなりの体力も消耗しているはずなのだが、彼は、そんなことを気にする様子はない。

 あすかさえ無事なら……。

 そう思っているのだろう。


「よく、頑張ったな。あすか……」


 康平の言葉に、あすかは黙っていた。

 あすかは、ただ、この腕を護りたかっただけなのだ。彼女を優しく包んでくれる、康平の腕を失いたくなかった。

 そう、あすかと十一人の少女たちとの違いはそこだった。

 白鳳と対峙した時、あすかには、とても大切で護りたいものがあった。

 けれど、少女たちには、それがなかったのだ。あったのは、憎しみや怨み。

 白鳳と契約した祖先を憎み、自分の運命を怨んだ。

 だからこそ、水晶の力は発動しなかった。

 護りの水晶とは、持ち主を護るものではない。持ち主が、護るべき者をその背に庇い、想いをぶつけた時、水晶はその力を発揮するものだったのだ。


「……あすか。白鳳はお前を……」


 言いかけて、康平は躊躇した。

 言うべきだろうか……?彼女に。

 康平は、確かに感じていたのだ。白鳳の想いを。それは、彼の行為からも知ることはできるはずだ。

 あすかの誕生日まで、まだ期間はあるはずだった。それなのに、待ちきれないかのように姿を見せた白鳳。

 彼は、決して、あすかを傷付けるようなことはしなかった。

 そして何よりも、あの瞳。

 あすかを愛していない、と康平が罵った時、あの緑の瞳に宿ったおそろしいまでの憎悪。康平に向けられた、殺意にも似た敵意。

 それらは、単なる偶然の一致だったのだろうか……?


「康平……?」


 あすかが康平の顔を覗き込む。

 言うべきではない……言わない方がいいのだ。

 彼女を、わざわざ困らせる必要はない。


「いや……何でもないよ」


 ごまかすように、康平は言った。

 白鳳の想いは、全ての花嫁に向けられたものであるのか。それとも、あすかだけに向けられたものなのか。

 それは康平には分からない。

 ただ、分かるのは、白鳳の彼女に対する想いが、康平のそれと同じものであったということ。

 それならば、と康平は思う。

 白鳳の分まで、自分があすかを愛していけばいい。

 自分がこの世が消える時まで、二人分の想いを込めて、あすかを愛し、彼女を護っていけばいい。

 簡単なことだ、と思った。

 人が人を想う心に、限りなどあるはずがないのだ。それならば、白鳳の分まで愛せるようになるまで、それほど時間はかからないだろう。

 そう思った康平の視界の隅に、立ち上がる弥生と文の姿が見えた。

 無事で良かった、と心から思う。

 その様子に、あすかも気付いたようだ。彼女も、ほっと息をついた。

 康平は、いろいろな想いを込めて空を見上げた。

 いつか、こんなふうに空を見上げた覚えがある。

 あれはいつのことだったか。ひどく昔のことのように、康平は感じた。

 雲ひとつない空は、高く、そして青く澄み渡っていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ