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翼なきもの  作者: 加藤 弓雅
第十章
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 私は、ひっくり返した桶に腰掛けて、芋の皮を剥く。

 剥き終わったらもう一つの桶に入れ、また次の芋を剥く。

 爽やかな風と陽の光が心地よい。

 芋の皮を剥く。桶に入れる。芋の皮を剥く。この繰り返し。

 何だか謡に似ている。

 おなじ節を繰り返しながら、でもだんだんと何かを積み上げてゆく姿。

 ”まこと猛き者よ銀の荒ぶる獅子、その鋭き爪で虚無を打ち払え”

 ”まこと聡き者よ翼ある者よ、その紅き瞳で虚無を見透せ”

 ”其はすべての力もてその敵を破り、地に海に空に凱歌をあげん”

 ”みよ!恩寵は確かにこの永久(とこしえ)を守り、我らに正しき道を示さん”

 いつの間にか、クレイズが隣に立っていた。

「美しい旋律だが、詞は恐ろしく剣呑だ」

「それは、人を滅びに誘う忌まわしき古きものと、大いなるものの御遣いの戦を、讃えた謡だから」

「御遣い?」

「他に、眷属とか守護聖獣とも呼ばれているお方たち。この街にも、邪なるものが呼び寄せた真深き黒き嵐を打ち破る、金色の狼のお姿を謡ったものが、伝えられているわ」

「奇跡の口伝か。芋の皮を剥きながら、歌うものではないな」

「確かにそうかも」

 私は、皮を剥く手を止めずに、手元を視野に収めながら、クレイズへ顔を向けた。

「でも好きよ。この旋律も芋の皮剥きも」

 芋の皮剥きもか、と彼は笑った。

「この国に来る事が決まる前からずっと、自分が何も知らないことを、思い知らされてきたから」

 分からないなりに、真っ直ぐ進もうとしたけれど、結局知らないが為に過ちを犯し、人を傷つける。

「知っていても未来を変えられないのならば、知らない事は幸せなのかもしれない。命終える時まで何も知らなければ、悲しみや苦しみはないと思う。死ぬ時でさえ」

 けれど、学ぶことで知ることで変えられるものがあるのなら、救えるものがあるのなら、私は知りたい。

 例え、魂が灼かれるほど、苦しくても。

「だから、私は知りたい。大切なこともそうでないことも、出来るだけ沢山」

 だって、私は翼ある蛇の言葉を聞いてしまった。

 もう、無垢な乙女では居られないから。

 向こうから私を呼ぶ声がする。振り向くと、マーサが厨の出口から身を乗り出して、手を振っている。

「シャルディ、ロナアー」

「うーい」

 私が答えると、マーサは笑顔で寄ってきて、桶の中をのぞき込んだ。

「ダウジュ、ダウジュ」

 言いながら、彼女が私の頭をなで回す。

 褒められているんだよね。でもこれ、子供を褒める時の言葉だったような。

 庭師の娘が、何かの手伝いをして、やはり同じようにされていたような……。

 私が考えたとおりらしく、隣でクレイズが大笑いしている。

 ひとしきり笑ったあと、彼はマーサに問いかけた。

「マーサ、シャルディ ルアン テレフレ」

「マルツェ ルクア デン ボルナジュル」

 彼の表情が固まった。マーサは構わず、すまし顔で一礼する。

 そして、私から桶を受け取った。

「何だったの」

「シャーデが役に立っているか聞いてみた。冗談のつもりで」

「それで、何て」

 クレイズは、頭をかきながら答えた。

「芋の皮剥きは、若旦那さまより上手。だそうだ」

 マーサが、桶を下げて軽い足取りで、厨へ戻っていく。

 鼻唄でも歌っているのだろうか。

 三つ編みの先が、楽しげに揺れている。




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