義務とルーチン
「……朝、か」
チュンチュンと鳥が鳴いている。窓から差し込むのは雲を通していない綺麗な光。晴天だ。
あの後——僕は家に帰り、冷蔵庫から取り出したご飯を食べ、お風呂も入らず泥のように眠った。
……感情を——動かされるのは、疲れる。
(それにしても、あれは本当に起きた出来事だったのか)
非常に現実感を伴った記憶、しかし薬の影響も相まって、夢だったという可能性もゼロではない。
——記憶が改竄されていれば、それは当人には夢だったと認識できない。
むしろ、あんなことが本当だった可能性の方が低いだろう。
物語の好きな僕のことだ、作り上げてしまったのかも——と、手を見ると少し指先が白く染まっている。
ドラッグにしては粒子が細かい。キラキラしておらず、マットな質感。
ぺろと舐めると、しょっぱさや汗くささと共に、昨日の光景がフラッシュバックした。
——ぐちゅぐちゅに汗にまみれた手での握手。熱い体温。
あれは、本当にあったことだった。
その事実に少し興奮した頭を抱えながら、僕はリビングに行き、テーブルの上にあったご飯のラップをぺりぺりと外した。
「いただきます……」
テーブルには僕一人。テレビはつけない。
ちゃんと生きている人間が目に入るのは、ストレスだからだ。
自分がまともに生きていないことを非難されている気持ちになる。
いつものルーチン。口に食物を運び、黙々と栄養を摂取する。
考えても良いことはあまりない。心に膜を張ってただただ仕事をこなしていく。
「ごちそうさまでした」
これも意味はないルーチン。昔はあったのかも、しれないけれど。
そして食器を軽く洗い、既に半分ほど埋まった食洗機に突っ込み、洗剤を入れ、回す。
シャワーを浴び、服を着て、ランドセルを背負い、家を出る。
どれもルーチン。
「行ってきます」
誰もいない空間に言う。ランドセルに紐でくくりつけた鍵で戸締りをする。
家を出て、坂を下り、登校班の集合場所を横目に、さっと通り抜ける。
意志があるなら単独で行動した方が、他の意思に邪魔されることはなくスムーズに行動が出来る。
それが僕の今の考えで、行動に反映されている。それは目下達成されていると言える。
(そうやって、生きてきた。生きてきた?いつから?)
登校後は誰とも話さず、本を読む。カバーで隠した、洋書。
有名なドラッグの精製方法と効果、量などを記した本。
(……これならなんとか精製できるか)
ドラッグを作るにはいくつか問題がある。所持の問題と、材料・精製設備の問題。
前者は法律上の指定薬物や麻薬に該当するかが問題なのと、それが公に見つかるかという問題がある。
法律を潜り抜けようとするなら、常に最先端のまだ法が及んでいない物質を精製する必要がある。
公に見つからないようにするには……一人でこっそり楽しむ、ぐらい。
後者はもっと現実的な問題で、材料がどれぐらい値段や入手ルート含め簡単に手に入るか。そしてそれを純度高く精製するにはどのような設備が必要になるか。
それらの問題を乗り越えるぐらいなら、実際問題他人から買った方が安上がりだ。
けれど、どうせ生きてもと思う自分には、これが実益を兼ねる趣味になっていた。
閑話休題。
そうやって、他人と関わらず、ひたすら自分の興味だけに時間を費やした。
家で問題にならない程度の、最低限の社会性を保ちつつ。
適当に授業を受けご飯を食べ、昼休み。
いつものように図書室に向かう。本を読んでいても不思議でない、他人と話さなくても不思議でない場所。
人がまばらな図書室の奥、人が寄り付かない机で僕は本を読み始めた。
ガリガリと鉛筆で藁半紙の裏に材料と製法をまとめていく。これはどこで手に入る、精製にはフラスコとビーカーがいくつ必要……。
そんな風にしていると、がやがやと騒がしい一団が入ってきたのが分かった。
どうやら夏休みの自由研究の題目を探しているらしい。
たしかにそんな時期ではあるが、わーきゃーと五月蝿いその存在は邪魔だった。
自分が異常だと言われている気分になる。
僕は静かに書き物ができるところを、探しに出た。要不要で言えば、不要な場所。行く目的が見当たらない所……。
扉が開かない屋上に続く階段の踊り場、僕はそこに向かっていた。
以前使おうとした冬場は寒くて断念したが、今なら問題ないはず。
自分の機転の良さに少し嬉しくなりながら向かったが、それは打ち砕かれた。
先客が、いた。




