機知
「ちょっと」
デジャヴか。前にもこんなことがあったような——。
振り返ると、優等生がそこにいた。かつての忠告が思い出される。
「……よう」
辛うじて返事をするが、僕は現状に押し潰されていて、まともに取り合う気持ちになれなくて、そっぽを向いた。
けれど奴は遠慮なしに問いかける。
「君はどうするの?」
——何を——言っているのか。
どこまで知っているのだろうか?
「……どうしようもないだろ」
親がアレでは、僕にはどうしようもない。怒りよりも諦めが先に来ていた。
一華はあれから——学校に来ていなかった。昼休みも放課後も、学校で姿を見かけない。
僕はこれまで通り、一人で生活を送るようになっていた。
「……しょうがなかったんだよ」
あの時、絞められた首が痛む。黒いチョーカーで隠した、アザがジクジクと定期的に存在を主張する。
思い出すと、震えが止まらず、手汗がじわりと広がり、動けなくなる。
「君はしょうがなかったと、思いたいんだね」
奴は淡々と続ける。
「君は本当に大切な物が無いから、そうやって中途半端に関わって、手放す」
奇しくも同じ言葉選びにびくりとする、
そんなことは初めから分かっていたこと。ただ——ただ、こんな小説に劣る自分の人生でも——
「……一華は大切だった」
今でもそう。そのはず。本当に?
「じゃあ仮にそうだとして、君は大切な物を大切にしないんだね」
「大切にはしたさ、出来る限り」
「出来る限り?」
奴はその言葉が引っ掛かったように、強く問い返す。なんとなく居心地の悪い中、言葉を返す。
「……俺自身も危険に晒して、彼女を守ろうとした。出来る限りのことをした」
「君はここにいるのに?」
「……」
その問いに、僕は答えられなかった。
「あの子が今どういう状況に置かれているのか分からないけれど、今ここに現に君はこうやって暇を潰してる」
「君の出来る限りというのは——自分に危害が及ばない限り。自分に不利益が及ばない限り」
「一番大切なのは自分であって、他はそれに劣後する」
その通りではあった。
僕が今どう思っていようと、客観から見れば、そうに変わりない。
主観と客観の差異は、要は欺瞞だ。「自分は一華を出来る限り大切にした」と思いたい自分の存在。
けれど——僕がやれることも何もない、はず。
「……何を言いたいんだ?どうしようもないだろ?」
そう答える僕に、奴は言う。
「——世界をヒネた見方で見て、自分なりに生きている君を、好ましいし自分に似ていると思ってたんだ」
「でもそれは違って、君はここでウジウジしてて、意志も持たず行動も起こさず、ただただ変化を恐れてる」
「それが——ムカつく」
奴の優等生然とした口調は、吐き捨てるような、怒りをぶつける率直なものに変化した。
「……なんだよ? 仮にあの父親をどうにかしたとして、結局はあそこが一華の家なんだ。あそこに帰るしか無いだろ。だからどうしようもない」
奴は即答した。
「君、考えろよ。倫理や法律に反していることをしているのに、なぜそれしか無いと思う?」
「今の君はあの子よりも、ルール、ルールよりも自分。あの子は一番後回しに考えてる」
「精神を変容させるために、ルールを破るのに、大切な物を守ることよりもルールを優先してる」
聞き捨てならず、反論しようと、した——
「……一華は大切——」
「だったらそれ相応の行動をしろよ!!」
逆鱗に触れたかのような怒声に思わず身を引いた。
奴は自分を取り戻したかのように頭を振って、落ち着いた声で続ける。
「僕は僕の大事な物があるから、君にはこれ以上立ち入らない」
「ただ本当に大切なら、それを最優先に行動しないと、後悔すると忠告する。それだけ」
言うことは終わったと言わんばかりに、奴は手をひらひらとさせて姿を消した。
× × ×
……自分に、何が出来る。
子供という立場で、親から一華を守れるのか。
守れなかったことは前回検証済みだ。
いや——具体的には、一華の親と対峙した状態で、あの親に自分の主張を認めさせることは、出来なかった。
(ルールより一華を優先する……)
親と子というルール。子は産みの親の支配下に置かれる。それが現状の問題。
それを無視すれば——
(……出来るのか。果たして、自分に)
——けれどやるべきことが見えた頭は明瞭になり、行動に移すための段取りを自然と考えていた。
どうせ小説よりも劣る自分の人生。
本当に大切な物を大切にすることを心に決めて、僕は学校を後にした。




