グルーミング
教室で授業を受けるも、彼女のことが気になって集中できなかった。
なんでもないただの一人の女の子。そのはずなのに、なぜだかそうではない気がした。
はやる気持ちを抑えて授業を受け、さっきのことが気になって屋上へと向かっていた。
いて欲しいような気もするし、いて欲しくない気もした。
——前者の気持ちが強い僕は、人でなしだなと、自嘲気味に小さく笑った。
人通りが少ない、屋上へと続く廊下。トイレや音楽室、工作室などが並ぶ。放課後にそこに用がある生徒は少ない。
僕はその奥、屋上へ続く階段へと向かう。誰ともすれ違わずに、半分物置のようになっているそこにたどり着く。
彼女は——いた。
何かを待つような、自分から溢れ出るようなものを抑え止めるような、爛々とした表情をして、そこに、待っていた。
うずうずとしている彼女にはっと俺は気付いて促す。
「いいよ、喋って」
しかし、思いの外帰ってきた言葉は短く、大切なひとひらを紡ぐように彼女は言った。
「やくそく」
リノリウムの床に正座して冷たくないかと問おうとしたけれど、彼女の今か今かと期待する顔に負けて、その膝に仰向けに頭を乗せた。
天井にあつらえられた蛍光灯が見える。普段は見上げないので、いささか新鮮だった。
そうやって天井を探索していると、ゆっくりと彼女は僕の顔を覗き込んだ。
(——っ!)
今までにこの距離感で人と接したことが無い僕は少し怖くもあり、どきどきもした。
十数センチの距離で見えるのは、僕が映る黒い瞳とその弾力のある肌、感じるのは口からの吐息。
照れ隠しをするようにぶっきらぼうに言う。
「ほら、大切にしてよ」
そう僕が言うと彼女はとても嬉しそうな顔をして、僕の頭をそっと撫で始めた。
——これが彼女にとっての大切。
ふと昨日の出来事が本当だったのか確かめたくなり、なでる彼女の指を僕の口の中に導いた。
細い指をしゃぶり、味を確認する。
(やっぱり)
やはり、あれは夢ではなかったと、この時分かった気がした。塩と汗、少しアンモニアが混じったそれは、彼女が人間であることを示していたように感じた。
一通り満足して指を口から抜く。
彼女はそれを一度しゃぶり、味を確かめるかのように吸った。
そして、何を思ったか僕の指を彼女の口に導いた。
真似される行動、変わったグルーミング。
吸われた指先で、彼女の小さい舌を撫ぜる。ざらざらとした、表面。口内をすくうように指で感触を確かめた後、指を抜いて同じように味を確かめた。
酸が強く粘度が高い液体。
僕は、なぜだかそれを直接確かめたくなって、欲求のままに彼女の頭を抱き寄せて、口づけをした。
秘密という、後ろ盾に甘えて。
彼女は少しびっくりしたように目を開いたが、またとろんとした目つきで、舌で舌を確かめるように絡めた。
キスではなく、唾液の交換に近いそれ。幾たびか、彼女の唾液を吸い、僕の唾液を彼女に送った。
一通り満足して、僕は彼女への口付けを解いた。
彼女は口をぱくぱくさせて、頬を真っ赤に染めていた。
彼女は首の黒いチョーカーを、手持ち無沙汰に弄ったかと、思うとオーバーフローしたかのようにふらりと後ろに倒れ込む——
「危な!」
後頭部を打ちつけそうになる彼女の背中を支えた。
間に合ったけれど、彼女はぽーっとしていて、まだ手を離せる状態では無かった。
「しょうが、ないなあ」
繰り返される行動——僕は彼女の頭をを自分の膝の上に乗せた。
自然と頭を撫でる。ちょうどよい大きさの丸い物体。
そうやって繰り返していると、彼女はぽろぽろと泣き出してしまった。
「あ——」
声をかけそうになるが、かけられない。
彼女は、嗚咽も無く、悲壮でなく、はっと何かに気付いたかのような顔で、ただただ瞳から涙を溢れさせ続ける。
顔をつたった涙は、僕のズボンを濡らしていった。
——彼女がなぜあの時僕を介抱したのか、そして僕に取引を持ちかけたのか、今は分からない。
分からないけれど、今はまだ。




