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森のピクニックと恋の話



さわさわと風に揺れた枝葉が、地面に落ちる影の模様を複雑に変える。


小さく動く影は小鳥だろうか。

見上げて実際の姿を目にしようとしたけれど、木漏れ日が眩しくて上手く捉えられなかった。


おまけに、そのことに気を取られていたせいで、サラはずべっと躓いてしまう。



「はは。妖精に足を取られたかな」


そう微笑んだのはアーサーで、篭に入ったダーシャは欠伸をしている。

帰り道は自分の足で歩くと約束したようだが、多分、帰りもダーシャは籠の中に入ったままだろう。

何しろ今日はピクニックなのだ。

美味しいお弁当でお腹いっぱいにして、ダーシャはすやすや眠ってしまうに違いない。


ふわふわと揺れるスカートに、以前に旅行用に買ったブーツの爪先。

そこにもレース模様のような木漏れ日が落ち、サラは足元の小さな花にまた目を奪われる。


「…………鳥がいたの」

「山鳩だと思うよ。ほら、あっちの木の上に移動した」

「もう少し小さな鳥に思えたのだけど、鳩だったのね…………」

「こんな風に、森の中に入るのは初めてかい?」

「お姉さまや叔母様は、あまりこういうところが得意じゃなかったの。ほら、…………虫がいるから」

「サラは、平気なんだね」

「虫は少し苦手だけど、もっと素敵なものがあるもの。アーサー、見て、この影。葉っぱの形がくっきり浮かび上がっていて、草に残った朝露がきらきらしているわ。モザイク画みたい…………!」



思わずはしゃいでしまったサラに、こちらを見るアーサーの瞳が柔らかくなる。

こんな森の中ではその灰色の瞳は淡い水色にも見えて、サラは何だか嬉しくなった。

この白い髪ももう嫌いではないけれど、森の中を歩くサラにも影が落ち、ひと房手に取ってみると、薄紫がかった灰色のように見えた。



「おっと、その足下に気を付けるようにね。木の根が盛り上がっているから」

「立派な木がたくさんあるのね…………。あれは、ヤドリギ?」

「鳥の巣のようにも見えるけどね。…………ああ、山百合だ」

「…………すごい、こんなに沢山!」



小さな茂みを抜けると、そこは一面の百合の群生地だった。

真っ白な百合の花がどこまでも咲いている光景にサラは感動してしまったが、アーサー曰く、一輪の百合はあっという間に広がってしまうので、こんな風になるのは決して珍しくはないそうだ。


「我が家の庭にも、母が鉢植えで貰った百合がいつの間にか広がって、あちこちに咲いているよ」

「そういうものなのね…………。でも、とっても綺麗…………」



花が咲いているからか、蝶や蜂の姿もある。

こんなところになら妖精もいるかもしれないと思える光景に、サラはすっかり素敵な気分になった。



「少し雨が続いたから、咲いているか心配だったんだ。昨日はよく晴れたから、一気に咲いたね」



その言葉に振り返り、百合の群生地に見惚れていたサラは、どこか満足げに微笑んだアーサーに目を瞠る。

こちらはいつもとあまり変わらない白いシャツに黒いズボン姿だが、靴はピクニック用の紐靴を履いてきたようだ。



「もしかして、私にこの場所を見せようとしてくれたの?」

「元気が出たかい?昨日は、随分落ち込んでいたようだからね」

「……………お父様にも気付かれなかったのに、どうしてアーサーは気付いてしまうのかしら…………」

「友達だからじゃないかな」



アーサーはそう微笑んだが、サラは、胸がいっぱいになってお腹の底がむずむずした。


先日、あんな風にアーサーを最初の町に連れていくと豪語しておきながら、サラは翌日に屋敷を訪れた家庭教師と相性があまり良くなく、すっかり意気消沈してしまっていたのだ。


昨晩、明日は森にピクニックに出かけようかとアーサーから連絡を貰い、お風呂場でこっそり泣いてしまった直後だったサラは、とても嬉しかった。



とは言え、森に二人で遊びに行くとなると反対されるかなとハラハラしながら報告すれば、なぜかすっかりアーサーをサラの保護者の一人のように考えている父は、快く賛成してくれた。




『お隣の坊ちゃんは優しい方ですし、旦那様はお嬢様が楽しそうにしているのが嬉しくてならないんでしょう。確かに、普通のご家庭のお嬢さんであれば、ご両親に怒られてしまうかもしれませんが、お二人の様子を見ていれば誰も反対はしませんよ。まるで、仲のいいご兄妹のようですからねぇ』



サラが持って行く焼き菓子を作ってくれたベサニーには、そう言われた。

兄妹のように見えるのかと少しだけ複雑な気分にもなったが、こうして一緒に森にピクニックに行けるのならば、そんな風に見えるのもいい事かもしれない。



「有難う、アーサー」

「どういたしまして。もしかして、来ると話していた家庭教師と何かあったのかな?」

「暫く学校に行けないから、何人かの先生にそれぞれの教科を見て貰っているの。…………でも、昨日来たバイヤール婦人は、…………あまり私のことが好きではないみたい」

「おや、それは我が儘な人だね。君の家から依頼が入り、それを引き受けたのなら自分の仕事だろうに。君のお父上だって、観客席に躾のなっていないお客がいるからって、指揮をやめてしまったりはしないだろう?」



アーサーにそう言って貰えると、少しだけ気持ちがすっとした。



バイヤール婦人は、より宮廷文化が華やかだった隣国の出身の人で、そちらで派生した文学の教養や、舞踏会や夜会でのダンスの指導では、かなり評価の高い家庭教師であるらしい。


また別に、勉強一般を教えてくれる家庭教師もいるのだが、女児であるサラには、もっと細やかなマナー教育も必要だろうと、父が手配してくれたのがバイヤール婦人である。


女性としての立ち振る舞いを指南するという意味では、バイヤール婦人の祖国の教師はかなり人気が高いのだ。



(でも、言われたことが分らなくて動きが止まったら、陰気で可愛げがない子供だって言われてしまった…………)



バイヤール婦人曰く、サラは暗くて協調性がないらしい。



それは確かに不得手な分野ではあるものの、婦人が社交界で殿方にちやほやされた話には、どうやって相槌を打てばいいのか、サラにはまだ分らなかった。


バイヤール婦人が、一曲踊ってくれないとあなたを殺して自分も死んでしまうかもしれないと言った男性を、本気で嫌がっているのか、それともそこまで思われるのも満更ではないのか、判断をつけかねて動きが止まってしまったのだ。



けれど、サラからそんな話を聞いたアーサーは目を丸くした後に、声を上げて笑った。



「……………笑うなんて、酷いわ。本当にどう答えればいいのか分らなかったのよ……………」

「いや、君を笑ったんじゃないよ。そのバイヤール婦人の、あまりにも幼い自己顕示欲におかしくなってしまった。…………やれやれ、ご婦人がたは、そんな風に相手を威嚇するものなのか。…………サラ、そういう場合は、バイヤール婦人はとても人気があるんですねと、尊敬を込めて驚いてみせるといい。それで満足するよ」

「……………もう失敗してしまったのに?」

「きっと、そのような家庭教師だと、すぐに誰かに交代させるというのも難しいだろうからね。次に来た時には、前回は、婦人に何かがあったらどうしようと心配になってしまって、すぐに反応出来なかったとでも言えばいいさ」

「………………それで、私の声が聞こえなかったふりをやめてくれる?」

「……………そんなことをされたんだね。まったく、困った家庭教師だな。………それで君は、あんな風にダーシャを抱えて蹲っていたのかい?」



こちらを見て、ふっと優しい目をしたアーサーの手が、頭に乗せられる。



そう言えば、バイヤール婦人が帰った後、困惑と悲しみに打ちひしがれて、サラは庭で日向ぼっこをしていたダーシャをわしっと捕まえて、そのけばけばの体を抱き締めて蹲っていたのだ。


ダーシャを抱えていれば胸が温かくなるような気がして、暫くの間そうしていたところを、アーサーに見られてしまったらしい。



(昨日はご家族でお出かけされるって聞いていたから、帰って来た時に見られてしまったのかしら…………)



だとすると、そんな姿をアーサーの母親や父親にも見られている可能性がある。

それはそれで恥ずかしかったが、気付いてくれたことでピクニックに誘って貰えたのなら、あの時にサラはああしていて良かったのだ。



バイヤール婦人との最初のお喋りで失敗した後のサラは、こちらから話しかけたことに対し、聞こえなかったふりを何度もされた。



寂しさと惨めさで胸が苦しくなったのだが、アーサーが言うようにそれがバイヤール婦人なりの威嚇の作法だった場合は、あの美しい女性も、サラのことを怖がっていたのかもしれない。


それなら、今度は怖がらせないように接してみよう。



もう一度あんな思いをするのは嫌だが、一度傷付いたからこそ得られるものもあるのだろうか。



(だって、私はそのお陰で、こんなに素敵な百合の花を見られたのだもの…………)



「どうしてだか分らないけれど、ダーシャに触れると元気になるの。でも、アーサーにこの百合の花を見せて貰って、もっと元気が出たわ。……………有難う」



くすんと鼻を鳴らしてそう言えば、こちらを見たアーサーがふわりと笑う。

そんな風に微笑むと、たいへん頼もしいお兄さんのように見えるのだから不思議だ。

この時ばかりはどこかに行ってしまいそうな危うさはなく、寧ろ、よれよれだったサラをしっかりと受け止めてくれている。



「ダーシャで良ければ、いつでも君を守りに行かせるよ」

「ブニャ!」

「それに僕のことも、もっと頼ってくれていい。これでも君よりは長く生きているし、君は、大事な妹のようなものだからね」

「アーサーが、私のお兄さんになるの?」

「おっと、何で不服そうなのかな……………」

「友達というのなら分るの。でも、兄弟みたいに思ってくれるなら、弟が欲しいわ」



そう言ってみたサラに、アーサーはぎょっとしたような顔をした。

まさかサラが、そんなことを言い出すとは思っていなかったのだろう。




「それは無茶だよ、サラ。僕と君の身長差を考えてご覧」

「追い抜いてしまったら、アーサーは弟でいい?」

「粘るなぁ…………。僕が君の弟になった場合、ダーシャをピクニックの場所に運ぶのは、君の役目になってしまうけれど、それでもいいのかい?」

「……………持てるかしら」

「……………ブニャ」



(アーサーが弟だったら、危ないことをしてはいけませんって言えるのにな…………)



サラにはそんな目論みがあったのだが、アーサーにそれを言える筈もない。

あくまでもサラなりの規準ではあるが、例えば父にであれば、危ないことはしないでと言えそうだが、兄となるとあまりそのようなことは言えない気がする。


出掛けてくるねと見送るその背中が、いつかどこかに消えてしまうかもしれないのに。



とは言え、今のサラにダーシャを運ぶのは無理そうなので、アーサーを弟にする目論見は失敗に終わったようだ。




「わぁ!」



百合の咲き誇る森の端を抜けると、ピクニックにぴったりな森の広場があった。



泉を挟んだ向こうには小さな丘があって、その上には立派な木が生えている。

ここには昔は小さな森の礼拝堂があったそうだが、今はもうなくなってしまったらしい。


青空を映し宝石のように煌めく小さな泉が美しくて、案外こんなところに奇跡が落ちていないだろうかと、サラは真剣にその中を覗き込む。



泉の水はとても綺麗で、小さな魚が泳いでいるのが見えたが、特に不思議なものや特別なものはないようだ。



「さぁ、シートを敷くぞ。泉に落ちないようにしておいで」

「私はもう、泉に落ちるような年齢じゃないわ……………」

「そうかな。ダーシャに体当たりされたらおしまいだよ」

「ブニャ」

「……………ダーシャ、私をここに落とさないでね?」

「………………ブニャゴ」



ダーシャは、そんな疑いをかけられるのは大変遺憾であるという目をしたが、うっかり体当たりされたら水浸しで森を歩いて帰る羽目になるので、サラは真剣にその目を見返した。



(あ、………………)



するとダーシャが、ひどく人間めいた、呆れたような表情を見せたような気がした。


けれどもおやっと目を瞠って覗き込めば、突然、草地の匂いを嗅ぐことに夢中になってしまったようだ。

風にさわさわ揺れる草を、短い前足でべしんと叩いている姿は猫そのものなので、気のせいだったのだろう。



アーサーが持って来てくれた敷物は、つるつるした水を通さないものの上に、ピクニック用の立派なキルトを敷くようだ。

こんな立派なものをピクニック用にしてもいいのだろうかと不安になったが、これは、ジョーンズワース婦人がパッチワークの練習用に作ったものらしく、アーサー達が子供の頃からピクニックに使っているのだとか。


何度も泥だらけにして洗ってあるものなので、掠れたような布地の風合いがまた、温かく美しい。



そんな素敵なキルトを敷いてピクニック出来ることに、サラは胸が弾んだ。




「それではお昼にしよう。水筒を開けてくれるかい?」

「まぁ、この水筒にはカップもついているの?」

「立派なピクニック用のセットなんだよ。これでも三つあるバスケットの内の一つなんだ」

「まだ二つもあるなんて…………!」



ダーシャを入れていた籠は二重構造になっていて、大きな猫が上に乗ってしまっても中身が潰れないような小さな籐箱が底に入っていて、それを開けると、中から丁寧に紙に包まれた素敵なサンドイッチが現われる。



茹でたアスパラや、美味しそうな匂いのするフライドチキンも入っていて、サラは目を輝かせた。



「私はね、ベサニーが蜂蜜のマドレーヌを焼いてくれたの。それとね、小さな林檎のパイもあるわ」

「そのパイは呪われてないかな?」

「ふふ、大丈夫よ。ベサニーのパイは、お店で売っているパイより美味しいんだから」

「ノンナが作った、あの、ミートボール入りのトマトと大蒜のパスタを食べている君が言うなら、間違いなさそうだ」



アーサーは、一度アシュレイ家で昼食を食べたことがある。



その時には、ノンナが祖国の母親の味だという美味しいパスタを作ってくれて、アーサーはとても感動していた。


サラには分らない大人同士のお付き合いの加減でそういう誘いが失礼でなければだが、ジョーンズワース婦人にも是非に食べさせてあげたい自慢の味なので、いつか父に相談してみようと、サラはこっそり考えている。



(ベサニーのお料理も凄く美味しいけど、ベサニーの料理はエマのお料理と似ているから…………)



「さあ、食べようか」

「ブニャ!」

「ダーシャ、サラが先だろう」

「ブニャ……………」

「ピクニックですもの、一緒に食べましょう」

「サラは、ダーシャに甘いなぁ…………」



二人は靴を脱いで敷物の上に上がり、おしぼりで手を拭くと、さっそくサンドイッチにかぶりついた。


自分も食べるのだと荒ぶって足踏みしていたダーシャにも、ダーシャ用の昼食が与えられた。

ダーシャの昼食はサンドイッチの残りで作られたようで、たいそう恨めし気にこちらのサンドイッチを見てくるので、チキンをあげた方が良さそうだ。



薄く切ったサラミハムに黄色いチーズ、そしてマスタードの挟まったサンドイッチは、シンプルだがとても美味しい。


もう一つのサンドイッチは、野菜たっぷりの卵焼きと、かりっと焼いたベーコンにタルタルソースが挟んである。



どちらも決してご馳走というものではないが、ピクニックでサンドイッチが崩れてしまわないよう、野菜を卵焼きに入れてあったりと工夫されており、この素朴さが堪らない美味しさで、サラはすっかり気に入ってしまった。



「気に入ったかい?」

「すごく、美味しいわ。エマのサンドイッチ大好き!」

「ところが、こっちのサンドイッチを作ったのは僕なんだ。称賛の半分はこちらにくれると嬉しいな」

「…………アーサーが、卵焼きを焼いたの?」

「そんなにびっくりしなくても、料理は好きだよ。褒められるのもね」



悪戯っぽく微笑んだアーサーに、ぽかんとしていたサラは、慌てて力強く頷いた。

こんな素敵なサンドイッチを作ってくれたのなら、正当に評価されるべきだ。



「アーサーは凄いのね。私は卵焼きなんて作れないわ…………」

「料理は苦手なのかな?」

「小さな頃にね、お母様とお姉さまのケーキ作りの手伝いをして卵を爆発させたら、すっかりお姉様が怖がってしまって、それ以降させて貰えないの……………」

「だったら、今度ベサニーに習ってみるといいよ。何でもいいから、何か一つ美味しいものを作れるようになっておくと、自分しかいない時に便利だからね。うちに来れば僕も教えてあげよう」

「私が卵サンドを作れたら、お父様は喜んでくれるかしら……………」

「おや、じゃあ内緒で練習するかい?」

「や、やってみてもいい?今度ね、お父様が劇場に連れていってくれるの。しばらくお仕事で空けていたから、色々してくれようとするのよ。だから私も、お父様に何かしてあげたいわ」

「よし、じゃあ決まりだ。君が、卵に呪われていない限りは、三回も練習すれば充分に美味しいものが出来るようになるよ」



そう微笑んだアーサーに、サラはわくわくして笑顔を浮かべる。


アーサーの作ったサンドイッチは、料理上手のエマが作ったのかと思う程美味しい。

こんなサンドイッチが作れるようになったら、随分大人になったような気がするだろう。



(私と同世代の女の子たちは、もっとずっと大人になっているのに…………)



学院に通っていた頃の友人と、手紙でのやり取りをすることもある。


貴族の家の子は既に家同士の約束をした婚約者が出来たようで、その相手に仄かな恋心を抱いているようだ。

同じように音楽の道を目指していた友人は、既にコンクールなどで名前を上げていたりもする。



サラの父は、焦らなくてもいいと言ってくれる。



レッスンはきちんとしているし、コンクールなどはある程度の年齢になってからでも、突出した才能があれば名前を売るのは容易い。

サラの歌声には、アシュレイ家の者らしく、一度聞けばというだけの立派な才能があるのだとか。



(であれば、一度きりしかない子供時代は、いずれ進む音楽の道を豊かにする為に、色々な経験をするといいってお父様は言ってくれるけれど…………)



勿論わかっている。

それは、過酷な呪いを受けた娘に対し、少しでも自由な時間をという、父なりの愛情だろう。


でも、そう言ってくれても、今のサラには出来ることはとても少なかった。



学院に戻りたいと思っていたこともあるが、サラの家の事情を踏まえ、他の生徒の親達の感情に配慮されたしと、学院理事からしばしの休学の提案が来てもいる。

髪の色が真っ白になってからも通えた学院だが、確かに叔母と姉を亡くしたばかりのサラが通えば、呪いのようなものが自分にも波及しないだろうかと不安になってしまう同級生もいるだろう。




まだ子供だから、自由にどこかへ行ける訳でもない。



(ああ、でも子供だからこそ、呪いを紐解けるのは今だけの自由なのかもしれないのに…………)




サラが最後の一人でなかったら、父に、自分はこの呪いの謎を解きたいのだと言って、叔母の手帳に記された土地に出掛けていったかもしれない。

このくらいの年齢でも、一人で旅をする子供はいる。


でも、父に残されたのはもうサラだけなのだ。


そんなことをしたら、今は呪いに捕まらずに音楽を続けられている父の足元を、サラの無鉄砲さが崩してしまうかもしれないではないか。



ふわふわと、どこからか綿毛のような白いものが飛んできた。




その綿毛に目を奪われていると、奥ではダーシャが、アーサーのフライドチキンを奪おうとしてブニャブニャと短い足で懸命に跳ねている。

そんなダーシャを笑いながら叱っているアーサーの微笑みは、はっとする程に無垢で無防備だ。



不安はたくさんあるのに、そんな姿を見ていると胸の奥がほこほこして、ついつい唇の端が持ち上がってしまう。



まるで家族のような不思議な空間に、すっかり心が緩んでしまうのだ。




(……………かぞく)



ふと、そんな言葉が浮かび上がり、サラはぎくりとした。



今迄一度も考えたことのないその可能性に、自分でも途方に暮れながら、ダーシャに前足でパンチされているアーサーの微笑みをそっと眺める。



くしゃりとした前髪の下の柔らかな灰色の瞳は、あまりにも澄明で胸が震えた。

そんな風に笑えば、冷やかにも見える美貌に不思議な優しさが加わって、どれだけ見る者の目を惹きつける魅力的な人だろう。



あの日、一人で泣いていたサラに声をかけてくれて、自分の一族も呪われているのだと微笑んでくれて、理不尽な呪いはとても失礼なものだと教えてくれたのは、アーサーだ。


一緒にお喋りをしてくれて、ダーシャを貸してくれたり、お茶に誘ってくれたりして、大事な家族を大きく欠いたサラが寂しくならないようにしてくれたのもアーサーだ。



(卵焼きのサンドイッチが作れて、バイヤール婦人に何て言えばいいのかも教えてくれて…………)




けれども多分、彼の見ている眼差しの向こうにあるものに、サラでは到底太刀打ち出来ない。


そんなことは痛いほどに分っているのだけれど、サラはこの隣人を向こう側に行かせない為に、アシュレイ家の呪いの謎が解けるかもしれない、始まりの町を探すことにした。



(どこかに行ってしまわないで。こんな風に、ずっと一緒にいたいの……………)



そう思う我が儘で切実なこの気持ちは、友人からの手紙に書かれていた婚約者への淡い恋心に何だか似てはいないだろうか。



そんなことを考えてしまったサラは、呆然としてしまった後に、どうしようもなく恥ずかしくなる。



(そ、そういうことはよく分らないし、アーサーは大事な友達で、お隣さんで、もし家族のような雰囲気になったとしても、お兄さんのようなものだもの!お、男の人と友達になるのが初めてだから、混乱しちゃっただけだから………………!)



そう、心の中でじたばたし、ぜいぜいと肩で息をしたサラは、ふと、こちらを見る視線に気付いて顔を上げた。




「…………………むぐ」

「どうしたんだい?色々な顔をしてたけど」



そう問いかけながら、アーサーは、まるでこちらの思考などお見通しだと言わんばかりの落ち着いた微笑みを浮かべている。


勿論、サラの迷走した愚かな勘違いになどは気付いていないだろうが、それでもサラが、自分の中であれこれ議論してじたばたしていたことには気付いている微笑みだ。




「ひ、秘密………………」

「うーん、秘密なのか。悲しいな。僕に言えないところで、また何かで落ち込んでいないかい?」



(い、意地悪だ…………!!)



わざとらしく沈痛な眼差しを作り、心配そうに尋ねるけれど、そんなアーサーの瞳は微笑んでいる。

サラが思い悩んでいることがしょうもないことだと気付いた上で、からかってみたくなったのだろう。


昔、練習していた刺繍が惨憺たる有様で、その失敗作を隠そうとする度に、オードリーにこんな風にからかわれたので、サラにだってそのくらいのことは分るのだ。



心配そうな眼差しをしてみせたアーサーに、ふわりと手を頭に乗せられ、サラは狼狽した。

一刻も早く何か適切な返答をしなければと思うけれど、直前まで考えていたのはこのアーサーのことなのだ。



ぼぼぼっと頬が赤くなってしまいそうで、何とかこの話題を終わらせなければならないと大いに焦る。



「え、ええと、……………アーサーは、男の子を好きになったことがある?」

「…………………え」



咄嗟に切り出した返答に、サラは頭を抱えたくなった。



(そ、そうじゃなくて!!)




これでは、自分が挙動不審になったのは、そんなことを考えていたからだと、自ら告白しているようなものではないか。

何とかこの質問を一般的なお喋りに持ち込もうと必死になったサラは、最初に冒した大きな失態に、まだ気付いていなかった。



(そ、そうだわ。女の子同士だって、誰かを好きになったことはある?って、興味本位でお喋りしたりする筈だもの。私はやったことはないけれど、本の中だと、そんな風にお喋りしたりもしているわ…………!)



「だ、だって、アーサーは男子校だったのよね?男の子はいっぱいいるでしょう?」

「……………………サラ」




なぜか、見る間にアーサーの顔色が悪くなってゆく。


どうしてだろうかと考え、サラはようやく、自分が発した言葉の重大な欠陥に気付いてしまった。

途端にサラも一緒に青くなり、くしゅんと項垂れる。



「………………ごめんなさい。こんなこと聞いちゃいけなかったわ………………。もうこの話はおしまいにする」

「そうだね、どうしてそう思ったのかすごく知りたいような、絶対に知りたくないような気がするけれど、この話は終わりにしようか。でも、君の誤解だけは解かせてくれるかい?」

「………………うん」

「僕は、同性に恋をしたことはないし、多分、…………まぁ、人生は複雑なものだから、何か大きな事件が起きたらどうなるのか保証は出来ないけれど、………でも、今後も恐らく、男性に恋をすることはないと思うよ」

「そ、そうよね………………。あの、アーサー………」

「男性を好きにならない男性でも料理はするし、そうだね、君のことだってちゃんと、魅力的な女の子に見える。断じて、僕は同性に恋をしたりはしないと言ってもいいくらいだと思う」

「………………ふぁい」




がしりと両肩に手を乗せられ、酷く真剣な面持ちでそう言われたサラは、もう何も言えずに、こくこくと頷くことしか出来なかった。

初めてアーサーに、魅力的な女の子だと言われたが、とても悲しい気持ちだったので、サラにはまだ恋について考えるのは早かったようだ。




「……………ブニャゴ」



そんな二人を、警戒の薄くなったアーサーの膝の上の籠からフライドチキンを盗みながら、ダーシャが呆れた目で見上げている。


けれどもすぐに、ふよふよと飛んでいた黄色い蝶に夢中になって、草地の方へ走っていってしまった。




なお、ピクニックの帰り道のアーサーが、さかんに足元を心配してくれて手を繋いでくれようとしたり、百合の花を摘んでくれようとしたり、紳士らしさを一生懸命に見せてくれるので、罪悪感に苛まれたサラがもう頑張らなくていいからと言ってしまったところ、アーサーはなぜか、打ちのめされたような悲しい顔をしていたのだった。
















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