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見える人と車中の告白



ごうんとエンジンの音がした。


ジャンパウロの立派な車に恐る恐る乗り込み、サラはがちがちに強張った胸の底からふうっと息を吐いた。


アシュレイ家の庭の木々は鮮やかに色付き、庭には秋の花が咲いている。


急いでいたのか大雑把だったのか、前向きに入れてあった車をバックさせ、ジャンパウロは、目が合ったサラににっこり微笑みかけてくれる。



「むさ苦しい車中だから、息苦しくなったら好きに窓を開けていいからな」

「は、はい!」

「その場合は、サラが落ちないように、アーサーがしっかりと支えてやれ」

「……………ジャン、サラもそこまで無茶はしないと思うよ」



そう微笑んだアーサーは、いつの間にかすっかりジャンパウロと仲良しになっていた。

親しげなその様子には、甥っ子と叔父さんのような気安さがあって、サラは何だか驚いてしまう。



実は、こうしてジャンパウロがアーサーとダーシャを連れて会いに来てくれたのには、理由があった。


あの歌劇場の夜に、抜かりなくアーサーに声をかけてお喋りしていたジャンパウロは、サラの父から、ジョーンズワース家が国外に転居してしまい、サラが落ち込んでいるという話を聞いて、何とアーサーに会いに行ってくれたらしい。


その国での小さな公演があり、その帰りに寄っただけだとジャンパウロは言う。

だが、サラのような子供の目から見ても、しっかり話す為に一晩その町に泊まり、尚且つジョーンズワース夫人に話を通してここまでアーサー達を連れてきてくれたのだから、どれだけ迷惑をかけてしまったのだろうと、サラは恐縮しきっていた。


とは言えその中で、アーサーとダーシャは、すっかりジャンパウロと冗談まで言い合えるくらいの関係を育て上げており、サラの父も驚いていたくらいだ。




「……………その、ほこり橋とやらを見に行けばいいのだな?」

「問題のあたりをくまなく見て回って、何も見付からなきゃ、どこかで食事でもしながら来年の作戦を練るしかないな。あの世とこの世の境界線が曖昧になるっていう意味なら、大晦日や夏至祭なんかもどうなんだ?」

「………………私に聞かないでくれ。公演のホテルで同室だった時、君が、私の寝台の下で見たという幽霊の話を、ずっと作り話だと思っていたんだぞ……………」



そう言って額を押さえた父に、サラは首を傾げる。



早々に朝食を終えるなり、今日は車で遠出するので支度をするようにと部屋から追い出され、サラは慌てて、森歩きもあるというので動きやすい服に着替え、尚且つ、ノンナから男性陣はその種の準備には手薄に違いないと言われ、水筒に入った紅茶やカップ、ちょっとした焼き菓子やおしぼりなどの入った荷物を整えたりした。



(その間に、色々お喋りしてたのかしら。どんな話をしたのかな……………)




「…………ジャンおじさまは、幽霊が見えるんですか?」


おずおずと尋ねたサラに、ジャンパウロは運転しながら教えてくれた。

車内は青灰色のしっとりとした革のシートで、紅茶のようないい匂いがする。

これはジャンパウロの車で、昨晩はジャンパウロの家に泊まり、そこから昨晩遅くにはサラの父に連絡が入っていたようだ。



「ああ、俺は大概のものは見えるからな。歌劇場の幽霊たちや、宮殿の近くでは古い時代の亡霊たちも見えるぞ。この国じゃないが、古いホテルで悪霊らしきものに出会った事もあるし、墓場で墓犬を見たこともある」

「は、墓犬も…………」



墓犬は、この国の子供達がおとぎ話でよく耳にする妖精の一種だ。

目撃例の多い妖精であるし、お年寄り達は信じていることが多い。

実はサラも、ちょっぴり信じていた。


びっくりしてしまったサラに、ジャンパウロは小さな頃からそういうものが見えたのだと教えてくれた。

特に遺伝かどうかは分らないが、両親もそういうものが見えたという。



「………………そうだったのか…………」

「お前なぁ。前に話しただろう。俺は幽霊が見えるんだから、呪いなんぞ今更だって」

「………………いつのことだ?」

「…………ああ。あの時のお前は弱っていたからなぁ。最後にその話をしたのは、お前の奥方の葬儀の夜だ。アイリーンにもそう言ったんだが、あいつは無責任な慰めの言葉だと思ってたみたいだからな。何しろアイリーンは、幽霊は見えていなかったし」

「…………へぇ。じゃあ、サラの叔母上はやはり、そちらの素養はなかったのかな」



そう言ったのはダーシャで、どうも昨晩の日付が変わったあたりからの限定仕様で、アーサーかジャンパウロの近くにいると、こうして人型で安定しているようだ。

なお、それでも全く見えない人も稀にいるようなので、行動には注意が必要であるらしい。


立派な剣を腰に下げているし、服装も時代がかっているので、今日がハロウィンなのが幸いしている。

何事だろうと振り返った通行人には、昨日もハロウィンの仮装の予行練習だと説明したと言う。



「何だ。お前さんも、見て貰えなかった口か」

「サラの叔母上が、呪いのことを探っているのは知っていたからね。彼女は優しくてしっかりとした芯の強そうな女性だったし、時々僕を撫でてくれたから、頼もしい相棒になるかなと思ったんだけど…………」

「………………私は、お父様も、見えない人なのだと思っていたわ」



そうサラが首を傾げれば、ダーシャはそうだねと首を傾げた。

父の方は、まだダーシャの方を直視出来ないのか、困ったような顔をしている。



「無意識に異質なものを認識しないようにしていたのか、何らかの形で可動域が広がったり、魔術の回路が通ることもある。僕がサラのところによく遊びにくるようになって、見ることの出来る目になったのかもしれない。…………ええと、後は今のこの環境かな」

「今の環境……………」



そう呟いたサラに、ジャンパウロがくすりと笑う。



「……………ああ。確かに、見える奴らに囲まれてるな」

「…………………そうか」


そう頷いてから、父ははっとしたようにサラの方を見た。



「サラ、私には見えなかったとは言え、彼を部屋に泊めたのだな?」

「お父様……………?ダーシャは猫だし、元王子様だとしてもやっぱり魔法の猫なのよ?」


サラがそう答えると、なぜか車の中はしんとする。

ややあって、おかしそうに笑ったジャンパウロが、一つの例題を出してくれた。



「サラ、もし俺が魔法をかけられて人の姿になっている小鳥で、その小鳥と友達だったら同じように部屋に泊めてくれるか?」

「魔法をかけられたお友達の小鳥なら、泊めると思う………」

「サラ………………」

「…………サラ、気を付けようか」

「……………僕は猫が優先なんだなぁ」



そこで、父とアーサーはがくりと項垂れてしまい、サラは首を傾げて不思議な反応を示した二人を眺める。



「でも、魔法のお友達なら大丈夫よ?ええと、………だって魔法だもの」

「ははは、こりゃ仕方ない。魔法基準なら、ダーシャはサラにとっては猫で決まりだ!」

「…………それはそれで、僕としても少し不本意なところもあるけれど、こちら側の基準で言えば、僕はサラの父親でもいいくらいの年齢だからね……………」

「……………そういや、お前さんはそうだったか…………」

「少なくとも君達よりは長く生きているよ。とは言え僕のいたところでは、まだまだ若輩者だった」


その言葉には、サラの父も興味を持ったようだ。

少しだけ振り返り、まだ目は合っていないようだがダーシャの方を見る。



「…………成人年齢は幾つなんだ?」

「明確な年齢は決まっていないよ。魔術を扱うのに適した可動域………魔術を扱える数値が育てば、こちら側の規準では子供に思える年齢でも…………十三歳くらいでも成人扱いとなる。確か、僕の兄上がそのくらいで公務を引き受け始めていたからね。…………その可動域の数値の高い人間は成長がゆっくりで、人ではないものには及ばないものの、随分と長く生きるんだ」

「…………その、人間ではない生き物は長命なのだな…………」

「僕の大事な竜は、平気で千年前の話をしたりしていたな。僕の祖父も少なくとも三百年は生きていたし、戦争がなければ更に長生きする…………した、だろう」



最後の言葉で、ダーシャの声が微かに揺れた。


ダーシャの家族はもう誰も生きていないのだろうと言外に皆に伝わり、サラはその悲しさをどうしたらいいのか分からず、窓の外を見る。


そうすると、窓の外を流れてゆく、雲間から差した朝陽をきらきらと煌めかせる穏やかな湖畔の風景が酷く胸に残った。

湖に枝を落す楓の色と、湖畔から飛び立つのは鴨だろうか。



戦争という言葉が鈍く深く響けば、この車の中では戦争を知る世代である、サラの父やジャンパウロには色々な感慨があったようだ。



「ったく、やりきれないもんだな。魔法が使えても、そういう問題はどうにもならんか………」

「そちら側でも、やはり戦争があるのだな……………」

「……………ああ。僕は、契約した竜が僕を殺し、山猫の使い魔に転属させることで逃がしてくれたけれど、他の血族達は、かの国の術式で魂まで滅ぼされた筈だ。…………だから僕は、あの国境の町に、噂に聞いたことのある遠い先祖を探しに行こうと思った…………」



(あ……………!)



そこでサラは、はっとして短く息を飲む。


勿論、あの父から教えて貰った大事な本は持ってきてあるのだ。

とは言えそれは、アーサーの家の呪いの履歴でもあるかもしれず、本当ならもっと時間をかけてみんなに読んで貰いたかった。


一時間程車で走った後はほこり橋のある小さな町で一度休憩をすると言っているので、そこでアーサーやダーシャにも読んで貰おう。



「ダーシャ、お父様がね凄い絵本を教えてくれたの」

「絵本、かい?」

「ええ。もしかしたら、ダーシャなら分るようなことが書いてあるかもしれないわ。…………あのね、アーサー。アーサーにも読んで貰いたいの。トランクに積んであるから、後でほこり橋のある町に着いたらね」

「……………僕にも?」




そう言われたアーサーは、再会後初めて、あの頃のように真っ直ぐにサラの目を見たような気がした。


思わず目を丸くしてしまったサラに、アーサーはどこか投げやりな微笑みにも似た歪んだ眼差しになってしまう。

その変化にがっかりしたサラは、しゅんとして項垂れる。



(ふ、普通にしていれば良かった……………)




車の中で、サラが一番小さいのに、後部座席の真ん中は座り心地が宜しくないと、窓際を譲って貰っていた。


アーサーを最も座り心地が悪いその席に追いやったのは、“ざまぁないな”という評価をアーサーに下したジャンパウロだ。

彼曰く、レディを悲しませた男性はこうなって然るべきであるらしい。



でも、アーサーがこんな風にギクシャクしてしまうのは、サラが気の利いた言葉を返せないからかもしれない。

誰だって、うまく跳ね返らないボールでは遊べないものだ。



少しだけ張り詰めた空気を察したのか、ジャンパウロがげふんと咳をする。

サラの父もあまり社交的ではない人なので、このような雰囲気の緩衝は上手ではなく、彼の存在がとても有難かった。



「アーサー、到着したらやることがあるんだろう。今の内に、きちんと話をしておけよ」

「ええと、………ここでかい?」

「お前には、このくらいの舞台がお似合いだ。きちんと説明して、まずは仲直りしろ」



そう言われてしまい、アーサーは仲直りかと呟いて目を瞬いていたが、悲しい目で自分を見上げるサラに気付いたのだろう。

はっとしたように短く息を飲み、きちんとこちらを向いてくれた。




「……………サラ」



久し振りに会ったアーサーは、アシュレイ家の居間にいる間や、朝食を食べている間はとても口数が少なかった。

けれども、車に乗り、住宅街を抜けて長閑な森沿いの道路に出ると、何度かサラの方を見ていたような気もする。


名前を呼ばれてこくりと頷いたサラに、“いつか”という冷たい言葉を書き残した薄情な友人が、綺麗に淡く微笑む。




「……………ごめん。……………僕は意気地なしだから、わざとあんな言葉をカードに書いたんだ」

「………………アーサーにとっての友達は、お隣さんまでなの?」

「…………いや、そうじゃなくて、…………そうだな、………この空間で告白するのも、かなりの勇気がいるけれど、僕は怖気付いたんだよ」

「……………お父様がお亡くなりになられたから?」



そう尋ねたサラに、アーサーは、心の助走をつける人のようにして、ふうっと胸の奥から吐き出すような深い溜め息を吐いた。


サラは、自分も、胸の底に悲しくて苦しい思いがひたひたになると、こんな溜め息を吐いていたことを思い出す。

そしてそれは、今朝までずっと続いていて、布団の中で堪えきれずに泣いたのは、ついさっきのことだったのに。




「…………そうだね。父が亡くなった時、僕は堪らなく恐ろしくなった。僕は、恐らく性格的には家族の中では父と最も気が合ったのだと思う。父も僕を可愛がってくれていたし、………尊敬する、大好きな父だったよ」


そう言ったアーサーに、ジャンパウロが微かに驚いた気配がする。

彼にとっては、アーサーはこんな風に胸の内を吐露しない、もっと飄々とした青年に見えていたのだろうか。



「…………上手に悲しめなかったの?」



そう問いかけると、こちらを見た灰色の瞳がふつりと揺れる。

それはまるで、その問いかけを選んだサラに対して、君はそんな風に考えるんだねと理解しようと思考を巡らせているようにも、そんな風に見えるのかなと途方に暮れているような無防備さにも思えた。


その深さと澄明さに、サラはまた、どことも知れない雪深い不思議な国の情景を思う。

見たこともない筈の美しい国には、もしかすると竜や魔物がいるのかもしれない。



「…………いや。その逆で、とても悲しかったんだ。…………あんな風に泣ける程、僕は自分の心が柔らかいとは思っていなかったから、少しだけ驚いた。もっと、…………そうだね、自分は冷たく薄情な人間だと思っていたんだ。…………そして自分がそんなにも弱いのだと理解するのと同時に、僕の稚拙な企みが呪いを悪化させて、父の命を奪ったのだろうかと考えた」

「……………でも、アーサーは家族を守りたくて、呪いについて調べ始めたのでしょう?それは薄情とは真逆のことだと思うわ」

「…………これを言うと君に嫌われそうだけれど、僕はね、……………どんな奇跡が起きても、家族の全員助かるとは思ってはいなかった。…………だからね、誰かが犠牲になるのであれば、それは僕であると自惚れていたんだ」



その言葉にぎゅっと膝の上のスカートの生地を握り締めたサラに、アーサーはまた淡い微笑みを閃かせる。


それは、決意でもなく、覚悟でもなく、やはり胸が痛くなるような羨望で、だからこそサラがずっと危ういと思い恐れていたもの。



「アーサーは、呪いを止めたいけれど、呪いが嫌いじゃないのね?」

「ジョーンズワースの呪いを憎んでいるよ。けれども、この呪いがなかったなら、僕はとうに自分の命を絶っていただろう」

「………………おいおい」



そこでジャンパウロがそう呟いたが、サラの父は何も言わずに聞いているようだ。

その背中にはなぜか、拒絶のような感情は伺えず、サラは、父も何かに失望して死にたいと思ったことがあるのだろうかと、少しだけ心配になる。



知らなければ、それはないものなのだ。


バイヤール夫人と仲良くなって、サラは、初めてそんな残酷なことを知った。

サラがあの形の痛みを知らなければ、バイヤール夫人の古い傷痕には気付かなかったに違いないし、それは多分、同じ色のチケットを持たない者には決して有りのままに見えないように出来ているのだ。



(だからお父様も、アーサーの言葉に拒絶感を持たないのなら、同じような気持ちを感じた事があるのではないかしら…………)



とは言え、今の告白はサラにとっては大問題である。

サラが恐れていたアーサーの眼差しの先が、もし彼自身の死に繋がるのなら、絶対に引き止めなければならない。


そう考えて心の中でじたばたしてしまい、サラはもう一度自分の我が儘さに悲しくなる。

でも、アーサーが死んでしまうと考えたら胸が潰れそうになり、ふぐぐっと表情に力を入れた。



「だから、……………殺されてもいいの?」


か細い声で尋ねたサラに、アーサーは困ったような優しい微笑みを浮かべた。


「……………自分でも、理由は上手く説明出来ないんだ。…………僕にとって、不可視のものや魔法のようなものは、なぜだかずっとすぐ側になくてはならないものだった。どうしてそう思うのか、なぜ人と同じように感じられないのか。………なぜ、僕は奇妙な知識を幾つも持っていて、どうしてここには、僕が帰りたいどこかがないのか。…………そんな事を考えてばかりいた僕にとって、ジョーンズワースの呪いは唯一の魔法の証明であり、同時に、決して愛する訳にはいかない魔法だった。だから僕は、愛するものを守る為であれば、死ぬことすらも、魔法に触れる大義名分になると考えたらしい」



その言葉にサラははっとする。

こういう言い方をするのであれば、アーサーはもう、死んでもいいとは思っていないのかもしれない。



(だって、アーサーは、…………上手に言葉に出来ないけれど、複雑だけど複雑じゃないもの)



あの絵本の中の物語や、ダーシャが抱えた過去に比べると、アーサーは複雑だけれどやはり普通の男性なのだった。


危ういものに焦がれていたけれど、それに失望すればこちら側に戻って来てくれないだろうか。



「……………触れたら怖かった?」

「そうなのかもね。父が死んで、僕は漸く気付いたんだ。僕は僕を呪いに捧げる覚悟は出来たとしても、家族だけは決して差し出せない。……………だから、家族の幸せを失わずに済むのであれば、自身の心を生かす唯一の術だとしても僕は呪いを手放しただろう。………僕が怖気付いたのは、大切なものを間違えていたことに気付いたからだ…………」



低く甘い声はひどく張り詰めていて、サラはその響きを辿りながら耳を傾ける。

まだ、アーサーがいなくなってしまった理由は語られていない。


多分、これからなのだ。



「サラ、……………僕が君と友達になろうと思ったのは、同じように呪いを持つ家に生まれた君であれば、僕の家族を救えるような秘密を持っているかもしれないと思ったからなんだ」



その告白は、すんなりとサラの胸に落ちた。

鋭くはなく、恐ろしくはなく、ただただすとんと落ちて来てぴたりとはまった。



「……………ええ」

「……………君は………!」

「サリノア、少し待て。俺達からしたら、我が子でもいい歳の青年だぞ」

「…………っ、だが、」

「よし、アーサー、続けていいぞ」

「サラ、お前も少しは怒りなさい、こんな……」

「分かった。分かった。でも後からにしてくれ。出来ればほこり橋探索とやらが終わってからだ」

「ジャン!」




父の言葉に、サラは首を傾げた。



(私は、アーサーに怒っているのかしら?)



それは少し違う気がした。

むしゃくしゃすることはあったが、サラがアーサーに向けた苦しみの中には、アーサーと対等である怒りは一欠片もなかった。



サラはずっと、アーサーが大切な友達だから、彼が危ういことをしないように引き止めたかった。



でもそれは、彼の願いを殺す行為かもしれないと、分かってはいたのだ。

願いが死ぬという事がどれだけの苦痛なのかは、その道を断たれた家族の苦悩から嫌という程に理解しているつもりである。



だからサラは、自分の願いがアーサーと対等だと思ったことはない。


無理やり友人の願いを捻じ曲げてしまうような、そんな強欲さを、サラが勝手に向けていただけ。




「だから、私はアーサーには怒れないの。アーサーがいなくなってしまった理由だって、私が、自分の願いを叶えるだけの力がなかったからだって分かっていたもの」

「………………サラ」



そんな本音を伝えれば、アーサーはひどく驚いたようだった。



「僕が、…………どうして君に興味を持ったのか、サラは気付いていたんだね…………」

「でも、葬儀の日に声をかけてくれた時はとても心配してくれていたし、その後にアーサーはちゃんと私の友達になったわ。…………ねぇ、アーサー、私に何かを話してくれようとした時に、よく分からなくて遮ってしまってごめんなさい。あの時はまだ、よく分からなかったの。アーサーがいなくなってから沢山考えて、大切な事を話そうとしてくれていたのだと分かったのよ」



ここで一度、なぜかアーサーが少しだけ待ってくれるかいと言って、自分の顔をごしごしと擦る一幕がある。

この様子を見て父は納得したようだし、目が合ったダーシャがにっこり微笑んで頷いてくれたので、悪いことではなさそうだ。




「……………ごめん。いや、………友達と言いいながら、僕の方がよほど子供だったな」

「そんなことないわ…………。友達ならね、……………本当はアーサーがどんな願い事を持っていても、その願い事がアーサーを幸せにするものなら、応援してあげるべきだもの。でも、アーサーには危ない事をしないで欲しかったの。…………私はきっと、最初からどこかで、アーサーが私にして欲しかったことを理解していたのかもしれない。だから、アーサーが行ってしまった時には、何も出来なかったって思いでいっぱいになったのだと思う」

「……………だから君は怒らないのかい?」

「ええ。だってアーサーは、一緒にほこり橋を探してくれるのでしょう?私とダーシャできっと魔法…………魔術を見付けるから、もう少しだけ待っていてね、アーサー」



意気込んでそう告げたサラに、なぜかアーサーは眉を下げて悲しい目をした。



「……………サラ、ここはええと、…………名誉挽回も兼ねて、今度こそ僕は君を大事にするよという場面じゃないかな」

「…………そう、なの?私がアーサーを守るのではなくて?」

「……………成る程。こりゃ、恋じゃないな。と言うか、友人よりも寧ろ、……………保護者か」

「…………………やめてくれ」

「はは、僕はずっとそう思ってたけどなぁ。サラは万事において、守りたいという気質の方が強いからね。まるで竜みたいだ」

「ジョーンズワースのお家みたいに、私のお家にも竜のご先祖様がいたのかしら…………」



そう考えると嬉しくなって、ほわりと微笑んで呟けば、なぜかアーサーとダーシャはぴたりと黙り込んだ。



とても呆然とした目でこちらを見るので、サラは慌てて、絵本の中に書かれたことがアーサーの家の先祖の話だったらと仮定してのことであったと、訂正しなければならなかった。




「その本には、何て書いてあったんだ?」

「サラ、竜の話が書いてあるのかい?!」



走行中の車の中で二人に詰め寄られ、焦ったサラは、すっかり覚えてしまった絵本の内容を、諳んじてみせる。



その全てを聞き終えて、ダーシャは口を開いた。



「……………ジャン、少し路肩に車を止められるかい?霧が出てきたようだ。………もしこの先にあるのがあわいの橋ならば、霧というものはえてして扉になることが多い。深い霧に捕まらない内に、その絵本を見てしまった方がいいかもしれない。…………向こう側に近くなると、そこに記された文字を梯子にして、良くないものが現れるかもしれないからね」

「……………了解だ」




真剣な顔でダーシャがそう提案し、ジャンパウロは少し走ったところにあった、麦畑の端のところに車を停めてくれた。

恐らくは、収穫用のトラックなどを停める為の場所だろう。


いつの間にか雲が厚く空にかかり、曇天の下では、金色の小麦畑がどこまでも続いている。



サラの父がトランクから本を出してくれ、サラは車を降りて喫煙休憩に入ったジャンパウロの隣に立ってみた。




「そんな本をアイリーンが取っておいたのは、何だか不思議な偶然だな…………」

「ジャンおじさまは、どうしてこんなに協力してくれるんですか?…………お父様や、亡くなった叔母様の友達だから?」



サラは、競い合うように絵本を覗き込んでいるアーサー達がそれを読んでしまうまでの間、煙草に火を点けてふうっと息を吐いているジャンパウロにそんな質問をしてみた。


因みにこの呼び方は、ジャンパウロ自身の指定であるが、気恥ずかしくてなかなか呼べない。



(今もこんな風に親身にしてくれているけれど、とても忙しい人だし、危ないことだってあるかもしれないのに…………)



ここまでのドライブで、サラにも色々と理解出来たこともあるが、この動機だけはどうも腑に落ちなかったのだ。


すると、こちらを見たテノールの王と呼ばれる偉大な歌い手は、まるで狼のようなよく光る瞳を細めて遠くを見るようにする。




「……………俺の両親と弟達はな、亡霊に殺されたんだ。……………その時の俺は、……まだ、サラくらいのガキだったか。母国で、教会の幹部をしていた叔父の家に、何度も助けを求めに行ったが、ついぞ彼らは俺の話を信じず、救いの手を差し伸べてはくれなかった。…………その時のことを思い出すのさ。今は充分な大人になった。金もあれば人脈もある。それなら俺は、あの時の叔父がしなかったようなことをして、大事な友人を失わないように努力することが出来る…………」



その言葉はきらりと光る美しいナイフのような明快さで、サラは何だか嬉しくなって微笑むと、自分も戦うのだと頷いた。



(ああ、私はこんな人になりたいわ…………!)



アーサーやダーシャも大好きだけど、父は勿論特別だけど、サラはジャンパウロのからりとした強さにとても憧れた。

何て素敵な友達がいるのだろうと父の方を振り返り、サラはぎくりとする。




「お父様、…………泣いてしまったの?」

「……………い、いや、泣いてはいない。煙が目に沁みただけだ」

「煙が……………」

「いやいやいや、風向きが逆だろう。暑苦しい友情に感謝して、俺を抱き締めてもいいんだぞ?」

「……………いや、それはしないな」

「その、感動の会話の途中で突然冷めきった反応をするのは、お前の悪い癖だぞ…………」




そんなやり取りを始めてしまった父達から視線を外してアーサー達の方を見ると、剥き出しで震える心を向けるような、頼りない眼差しのアーサーがこちらを見ていた。



隣にいた筈のダーシャは、少し離れた位置に立ち、片手で口元を覆ったまま呆然と立ち尽くしている。



微かな風がざわめき、ハロウィンの日に相応しく、その風の向こうに姿のないもの達の気配を覗かせているような気がした。



広い麦畑のその先には小さな町があり、その町の外れには、霧の町への入り口かもしれない、ほこり橋がある。


ダーシャが話していた、霧は扉になるという言葉が、なぜか耳に残った。









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