竜の物語と馬車の物語
【竜の物語】
むかしむかしあるところに、二つの国に跨る大きな窪地の森があり、その森の中には、それはそれは美しく、けれども恐ろしい竜がいました。
その竜はとても大きくて、何でも食べてしまいます。
しかし、食事の時以外はとても優しい竜でした。
「お腹が空いたな」
そう呟く竜に震え上がり、窪地の森に面する、大きな帝国の国境を任されていた騎士が言いました。
あの竜は恐ろしい怪物なので、是非とも討伐しなければならない。
けれどもとても頭のいい竜なので、特別な作戦が必要だ。
それを聞いた騎士に仕えていた魔法使いは、騎士様に取り立てて貰う為にと、皆が近寄らずにいた悪い魔物に相談を持ちかけてしまいました。
「僕は小さな子供は食べないよ」
竜がそう言うと、帝国のお隣にある美しい雪の国の小さなお姫様は、怖さを飲み込んで誠実に頷きました。
竜は賢く恐ろしいもので、けれどもそれは、竜がそのような生き物だという当たり前のことなのです。
良き隣人でいられるように、食事の時には近付いてはならないと、国王に頼んで国民に命じて貰い、自分が竜に食べられてしまうくらいの成人の年齢を迎えると、どれだけ寂しくても食いしん坊の竜には近寄らないようにしました。
お姫様は、美しい竜にすっかり魅せられてしまい、その竜が大好きになっていたのです。
国の魔法使い達は揃って頷き、もしその竜とお喋りをしたいのなら、手紙のやり取りをすればいいと、お姫様に恐ろしい竜との賢い付き合い方を提案しました。
竜はとても気まぐれな生き物ですので、その竜は暫くすると窪地の森を出て行ってしまい、何年もの間、世界のあちこちを旅していました。
けれども、何年もした後に再びその二つの国の間の窪地の森に戻ってきて、懐かしいその森で翼を休めることにしたのです。
竜がそこに戻ってきたことに気付き、また二つの国の人々は、それぞれにあれこれと話し合いました。
「今度こそ竜を殺さなければならない。大きな手柄を立てて、皇帝に褒めて貰おう」
そう息巻くのは、帝国の国境を守る騎士で、すっかり年老いていました。
騎士様に続けと、こちらも歳を重ねたあの魔法使いも杖を握り締めます。
「竜が食べてしまいたくなるような、獲物を置いておけばいいんです」
「ふむふむ、それで?」
「その食べ物に恐ろしい呪いをかけておけば、呪いの晩餐を食べた竜は死んでしまうでしょう」
そう提案した魔法使いに、騎士は、でかしたと魔法使いを褒めてやりました。
けれどもそんな食べ物にあてはないと言うと、魔法使いは任せて下さいと胸を張ります。
実はこの魔法使いは、かつて相談を持ちかけたあの魔物に、竜を倒す為の協力を取り付けていたのです。
「ああ、あの立派な竜が帰ってきたわ。あの竜は子供は食べないから、私の可愛い末王子に、素敵な祝福を授けてくれるでしょう」
一方で、かつての雪の国のお姫様は、違う王家筋の従兄弟に嫁いでその国の王様のお妃様になっており、体弱い小さな末王子を連れて竜に会いに行くことにしました。
自分はもうあの竜には会えませんが、かつてその竜が、幼く体の弱かった自分に素晴らしい祝福を授けてくれたことを思い出し、末王子にもそれを授けて貰おうと思ったのです。
他の王子達は立派な竜に会える末王子を羨ましがりましたが、残念ながらもう充分に大人になってしまっていたので、諦めるよりほかにありませんでした。
ところが、馬車で窪地の森に向かっていたお妃様は、待ち構えていた隣の帝国の兵士達に捕まり、馬車ごと燃やされてしまいました。
お妃様はそれまでずっと、お城の外に出るときは人攫いに遭わないようにと黒い馬車に乗っていました。
お妃様の愛用の馬車はとても賢い馬車で、大好きなお妃様を守る為に、自ら真っ黒な箱馬車に姿を変える魔法の馬車でしたが、それが仇となり、隣の帝国の兵士達は、それが隣国のお妃様であることを知らずに捕まえてしまったのです。
「これでいい囮になるでしょう。この馬車に乗っている者は、あの竜の友人だといいます。であれば、この馬車に呪いをかけてしまい、あの竜に食べさせればとびきりの呪いになる」
そうほくそ笑んだのは、悪い魔物です。
唯一、魔物だけはその馬車に乗っていたのが、雪の国のお妃様と幼い王子様であることを知っていました。
なぜならばと言うと、真っ黒な馬車の屋根の上には、雪の国の王家の紋章が残っていたからです。
その国の紋章は、とても特別で不思議なものでした。強い力が込められているので、悪さをされないようにと守護が強く強くかけられており、何もない時にはどうしても思い出せないのですが、目の前に誰かが正しい紋章を示せば、記憶の中にしっかりと浮かび上がるのです。また、王族の者達と特別な職人や魔法使い達だけは何の制限もなく思い出したり、描いたりも出来ました。
そんな特別な印のある馬車ですから、悪い魔物はわざとその馬車を狙ったのです。
その魔物は、帝国の騎士達が窪地の森の竜を仕留めたら、ぴかぴかと光輝く白い角を是非に欲しいと思っていました。
ただ、竜はとても強かったので、自分で戦うのは嫌だったのですが、隣国のお妃様と王子様の入った馬車を使えば、あの竜を殺してしまう程の強い呪いになるのは間違いないのです。
悪い魔物は、蝕の晩を選んで、可哀想な雪の国のお妃様と末の王子様、更には御者やお付きの騎士達をぐつぐつと馬車ごと煮込んでしまい、そこから更に何日も手間暇をかけて呪いのかかった晩餐に仕上げると、窪地の森の近くに置いておきました。
ところが、悪い魔物や、その魔物の力を借りた魔法使い、そして帝国の騎士達には、一つだけ大きな誤算がありました。
裕福な商人くらいのものだと思っていた竜の友人が、実は隣の国のお妃様と王子様だったのですから、その国の王様や残された王子様達が、帰らない二人を国を挙げて探さない筈もなかったのです。
このままではまずいと、あの悪い魔物が雪の国の王様に会いに行きました。
「お妃さまと王子様は、あの竜に食べられてしまった。何て可哀想なことだろう」
悪い魔物はそう言うのですが、王様はその魔物の言葉は信じませんでした。
悲しむふりをしてにやにや笑う悪い魔物を信用してはならないと、その国に住んでいた良き魔物が忠告してくれたのです。
そうしてその良き魔物は、お妃様と王子様が、悪い魔物に馬車ごと燃やされてしまったことを調べ上げ、そのことを王様に知らせました。
怒った王様はすぐさま兵を挙げ、慌てた帝国の騎士達は、窪地の森から逃げ出します。
雪の国の王様は、お妃様の友達だった竜にも使いを出し、帝国の騎士達に狙われていることと、竜に会いに行ったお妃様達が殺されてしまったことを伝えました。
するとどうでしょう。
怒った竜は、大きな翼を広げて帝国に飛んで行くと、その騎士のいた国境のあたりの領土を、騎士や魔法使いごとむしゃむしゃと食べてしまったのです。
竜は、何回かやって来て遠くから自分を見ていたお妃様を友達だとは思っていませんでしたが、それでも優しい竜でした。
かつて守護を与えてあげた小さな人間の子が、自分の為に殺されてしまったと聞き、とてもとても悲しかったのです。
勿論、帝国の皇帝は驚きましたが、国境の騎士のように竜を倒そうとは思いませんでした。
実は、騎士達が簡単な気持ちで倒そうとしたその竜は、帝国のぜんぶの兵士達の力を持ってしても到底打ち勝てないくらいに、恐ろしく強い、特別な竜だったのです。
だからこそ悪い魔物は、ぴかぴかの角を手に入れる為に、騎士や魔法使い達を使ってその竜を罠にかけようとしたのでした。
自国の騎士達のしたことを知ると、皇帝は慌てて竜にたくさんの貢物を捧げ、雪の国の王様にも使いを出して、今後二度と雪の国の民を傷付けないと約束しました。
そこでやっと、恐ろしい災厄となって帝国を食い荒らしていた竜も怒りを鎮め、雪の国の王様にお悔やみを言ってから、また旅に出て行きました。
竜が旅に出た後、雪の国の王様と残された王子達は、優しかったお妃様と可愛い末王子の殺されてしまった場所に、沢山の花を手向けました。
逃げ出してしまった悪い魔物が呪いを持っていってしまったので、悪い魔物に晩餐にされてしまったお妃様達の亡骸は戻ってきませんでしたが、その場所を美しい花々でいっぱいにし、死者の国に向かうお妃様達を心から弔ったといいます。
【馬車の物語】
最初のお話から少しだけ最近の、むかしむかし。
窪地の森の近くには、美しい雪の国がありました。
前の王様のお妃様と幼い王子様が、悪い魔物に馬車ごと燃やされて呪いにされてしまうという痛ましい事件があった後は、その国の人々は、戦争もなく幸せに暮らしておりました。
雪の国には、とても心の綺麗な優しい人達ばかりが暮らしていましたので、窪地の森に住んでいた竜以外にも、その国の人達と友達になる竜がいました。
その中でも、一際光り輝く美しい竜の一人が、綺麗なお姫様になって雪の国の王子様に嫁いできたのです。
それはとても幸せな結婚で、二人の間には、健やかな王子が三人と可憐な姫が一人生まれました。
けれどもその頃、窪地の森の方では、夜になると現れる、不吉な黒い馬車が目撃されるようになっていました。
その馬車はとても獰猛で、まるで生き物のように、近くを通る旅人を襲ったり、森に住む妖精達を食べてしまったりするのです。
森には何本か人間用の道がありましたが、その中でも一番立派な道の十字路に現れるので、事態を重く見た隣国の魔術師達や、古からその辺りを治めている雪竜達が調べたところ、その馬車の屋根の上には雪の国の王家の紋章があることが分りました。
それは、かつて悪い魔物に呪いにされてしまった、雪の国のお妃様と王子様を乗せたあの馬車だったのです。
「つじどくだ」
誰かがそう言います。
つじどくとは、不幸な顛末を迎えた呪いの種を十字路の真ん中に埋めておくと、その道の繋がるところに呪いが姿を変えた怪物が現われるようになり、出会ってしまった憐れな人達を食べて、どんどん大きくなってしまう、恐ろしいもののことでした。
これは大変だと、雪の国で一番の魔法使いが呼ばれ、その馬車を調べましたが、魔法使いは難しい顔をして首を横に振るばかり。
「これは蝕の日に作られた特別な呪いで、簡単に解けるものではありません。誰かがわざと、森の中のあの十字路に埋めたのでしょう」
「なんて酷いことを。あの魔物がやったのだろうか」
「かもしれません。あの魔物は狡賢いので、自分が逃げる時にそこに埋めておき、この国に嫌がらせをしようとしたのかもしれません」
「魔法使い、あの呪いをどうにか出来ないだろうか」
「王様、あの呪いはやがて、家に戻ろうとしてこの雪の国のお城にやって来てしまうでしょう。そうなったら、馬車の通るお城の周りの町は大変なことになります」
「なんてことだろう。それは絶対にいけない」
「その前に馬車を止める必要がありますが、あの呪いはあまりにも強いので、王子の一人か、姫の一人の命が必要になります」
そう告げられた王様は、とても驚きました。
王様はあのお妃様の息子でしたので、あの馬車の中に今も、大好きだった母親と可愛い弟の亡霊が閉じ込められているのかもしれないのです。
その呪いの為に、今度は自分の可愛い子供を捧げなければいけないと言われたのですから、驚いてしかるべきでした。
「どうして、王子や姫の命が必要なのだろう」
「私にもあの呪いは壊せません。けれども、あの馬車の呪いを一人だけに向けさせられれば、国民を守れます。その為には、あの呪いの元になっている、王家の血を持つ者が必要なのは間違いありません」
その言葉に、王様はがくりと項垂れてしまいました。
「でも、どうして今になって、あの馬車は現れたのだろう」
そう首を傾げたのは、王子の一人でした。
すると魔法使いはこう言います。
「お妃様が竜だからかもしれません。これまでは、弔いがきちんとされていたので、あの馬車は目を覚ましませんでした。しかし、お妃様は、かつて窪地の森にいた竜と同じような古くからおられる竜の一族ですので、十字路に埋め隠されていた呪いが、あの竜が帰って来たと思って目を覚ましてしまったのではないでしょうか」
その話を聞いてお妃様はたいへん悲しみましたが、勿論、そんなことになってしまうだなんて、お妃様も知らなかったのです。
可愛い子供達の誰かを犠牲にしなければならないと知って、嘆き悲しむ王様とお妃様の姿に、人々も心を痛めました。
雪の国はとても大らかな国でしたので、王家の子供達が家臣達や貴族達に嫁ぐこともありましたが、王家の血筋だけではなく、恐らくは竜の血を引いていない者にはその呪いは反応しないと、魔法使いは言いました。
大事な王子や姫達を差し出すくらいならと名乗り出た家臣達も、子供達を差し出すならと自分が立ち向かおうとしていた王様やお妃様も、その言葉には、がっくりと項垂れてしまいます。
であればやはり、犠牲になるのは、王様とお妃様の子供達しかいないではありませんか。
「父上、母上、そして兄上様達、僕が参りましょう」
そこで手を上げたのは、末の王子でした。
その王子はとても聡明でしたが、残念ながら雪の国の人々が誰でも使える魔法があまり上手ではなく、とても体が弱くて病気がちでした。
雪の国はとても魔法がさかんでしたが、この王子のように、魔法が使えない子供はあまり長生き出来ません。
ですから末の王子は、国のことや、可愛い妹のことを考えると、あまり長く生きられない自分が犠牲になるのが、一番だと考えたのでした。
王様もお妃様も、全ての子供達を愛していました。
体が弱いとは言え、末の王子も大事な息子に変わりありません。
差し出すのはとても悲しかったのですが、このままでは馬車の呪いが王都に入ってきてしまい、国民達に被害を及ぼしてしまうでしょう。
泣く泣く末の王子を差し出すことにした王様とお妃様に、国一番の魔法使いは、素晴らしい作戦を考え出しました。
「死者の国の向こう側に、魔法の使えない、特別な国境の町があると言います。そこでは、人々は洗濯や料理にも魔法を使わないのだとか。末の王子様は、その国境の町に馬車の呪いを連れてゆき、そこで生活すればいいのです。幸い王子様は元々あまり魔法が使えないので苦にならないでしょうし、魔法が使えない世界であれば、魔法を得られないあの馬車は悪さを出来なくなるでしょう」
差し出した王子は死なせてしまうしかないのだと思っていた皆は、その話を聞いてとても喜びました。
これは、末の王子が魔法を使えないからこそ、可能になった作戦だったのです。
勿論、国境の町まで辿り着くまでにはたくさんの冒険が必要です。
恐ろしい馬車を呼びながら旅をしなければなりませんし、通り抜けなければならない死者の国には、恐ろしい死者の王がいるので、その死者の王の目を盗んで国境の町に向かうには、たくさんの勇気と知恵を必要としました。
その大変な旅には、王子のお付きの騎士だった妖精の騎士と、王子が旅の途中で仲良しになった、気のいい商人が力を貸してくれました。
三人で様々な困難を乗り越え、死者達が死者の国を空ける収穫祭の夜に、ようやく王子は死者の国の入り口に辿り着きます。
ここから、妖精である騎士は入れないので、二人は抱き合って別れを悲しみました。
「さようなら、僕の騎士。両親と兄上方、それから可愛い妹を、どうかよろしく頼む」
「畏まりました、私の王子。雪の国のことはお任せ下さい」
ガラガラと車輪が石畳を走る音が、二人の背後に聞こえていました。
その馬車は、ずっと王子を追いかけてきているのです。
一生の別れをこんな風に慌ただしく済ませなければならないことを嘆きながら、王子は最後の国境の町の入り口までついて来てくれるという商人と共に、今度は死者の国の中を進みました。
「死者の国は死者の国でも、ここは、魔物に殺された死者がいる場所だという。あの馬車がここを通る間に、犠牲になった人達を吐き出せばいいのだけどなぁ」
商人にそう言われ、王子は追いかけてくる馬車を振り返りました。
魔法使いが特別な魔法で、王子と馬車を結んだので、呪いの馬車が道中で人々を襲うことはありませんでした。
けれども窪地の森で既に沢山の人達を食べてしまっているので、馬車からは夜になると時折、胸が苦しくなるような啜り泣きが聞こえます。
王子は、その中にはお婆様や叔父上もいるのだろうかと、その啜り泣きが聞こえる度に胸を痛めました。
けれども、そんな旅も終着点です。
死者の国から国境の国へ繋がる道のところで、王子は旅に付き合ってくれた商人に、お別れとお礼を言いました。
「こんなところまで一緒に来てくれて有難う。僕はこれから、慣れない土地で一人で暮らすようになるけれど、君達と過ごした日々のことを忘れず、共に戦った日々を心の支えにするよ」
商人もしっかりと頷き、二人は堅い握手を交わして別れました。
がらがらと、王子についてくる馬車の車輪の音が聞こえます。
この馬車と二人きりになってしまったことを考えると恐ろしくもありましたが、魔法の存在しない土地に行くのですから、この恐ろしい呪いも、魔法使いの言うように遠からず眠りについてしまうでしょう。
「国境の町は、立派な町だ。劇場もあるし、図書館もある。でもこの馬車を連れているから、あまり賑やかなところに住まない方がいいのだろう」
王子はそう考え、国境の町をあちこち歩いて、漸く町の外れに出ました。
霧が深くあたりはあまりよく見えません。
その近くで出会った町人に、この辺りはどんなところなのかを聞くと、ここはとても静かなところだと教えて貰いました。
「この辺りまでは国境の町だ。でも、この先にもたくさんの町や国があって、どの橋を渡るかによって、どんなところに出るのかが変わってくる。こちら側から見たここは国境の町だけれど、向こう側から見たここは、霧しか見えないから霧の町と呼ばれている。向こう側に行けば、もう魔法は何も使えなくなるよ。でも、魔法が得意ではない君にとっては、案外生きやすいところかもしれない」
そう言われた王子は、心を決めました。
どうせなら魔法が全く使えない橋の向こうに行って、呪いの馬車が二度と目を覚まさないようにしようと。
洗濯だけではなく、本を読むのにも魔法が使えないのは残念ですが、新しい生活のことを思うと、少しだけわくわくしました。
「やあ、ここは綺麗なところだな」
橋を渡ると霧が晴れ、そこに広がっていたのは小さな美しい町と、その周囲に広がるのどかな田園風景でした。
そして、新しい土地に出た王子は、いつもは苦しい呼吸がとても楽になっていることに驚きます。
どうやらこの土地の空気は体に合っていたようで、体の弱かった王子は、新しい土地ですっかり健康になってしまいました。
その後、新しい町で持って来た金貨を売り家を買った王子は、よく働き、町の人々にも愛されて、幸せな生涯を送りました。
時々、霧の向こうにある懐かしい祖国を思い悲しくなることもありましたが、自分が雪の国の王子だったことは、生涯誰にも言いませんでした。
けれども一つだけ、王子が町の子供達に言い聞かせていたおまじないがあります。
「もし、魔法を持つ子供が生まれたら、そしてもし、黒い呪いの馬車が追いかけてきたら、“竜は飛んで行ってしまった。あの王子はもうここにはいない”と言うんだよ。そうすれば、馬車はどこかに行ってしまうだろう」
もし再び、その馬車が目を覚ましてしまったら、きっと馬車は、とてもお腹を空かせているでしょう。
馬車が目を覚ましてしまうくらいに強い魔法を持つ子供が、いつかどこかに現われるかもしれません。
だから、大事なおまじないを忘れないように、王子は、子供達に何度もそのおまじないを言い聞かせたと言います。
もし、あなたに魔法が使えたら。
もしあなたの背後に、誰にも見えない不吉な黒い馬車が現われたら。
あなたもそのおまじないを唱えてみるといいかもしれません。
でも大丈夫。
あなたが竜の血を引いていて、おまけに雪の国の王子様の血も引いていない限り、その馬車はあなたに悪さを出来ませんから。
おしまい。
本日のお話は、アシュレイ家に残る絵本のお話となります。




