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夜明けの葬列





その屋敷に住む一族は、呪われていると言われていた。

恵まれた才と美貌を持ち、だからこそ決して逃れられない、呪われた音楽の祝福があるのだと。





さあさあと、柔らかな夜明けの雨が降る。

けれども、濡れた下草を踏んで庭を横切る石畳の細い小道にさしかかると、その雨間を抜けたようだ。

振り返れば、葬儀の準備をする人達の出入りする屋敷の方にだけ、暗く悲しい雨が溜め息のように揺れている。



真っ白な薔薇が咲き溢れる瀟洒な石造の屋敷は、ジョージアン様式だろうか。

青みがかった白灰色の石壁には、その豊かな庭に咲き乱れる花々が彩りを添え、季節ごとに様々に表情を変える。



特に美しいのは初夏の庭で、そこかしこに咲き乱れるオールドローズは、生垣やアーチの全てに、花びらのぎゅっと詰まったカップ咲きのふくよかな花を咲かせる。


ナナカマドの白い花は星屑のようで、アストランティアのピンク色は可憐だ。

様々な色が万華鏡のように散らばるその庭には、しかし、白と紫がやはり目についた。

それは、もしかするとこの家の庭を愛した誰かの、特別に好きな色だったのかもしれない。



ゴーン、ゴーンと教会の鐘の音が聞こえる。

庭園側では夏の夜明けの雨が上がり、辺りにはしっとりとした霧が這っている。

澄み切った雫を落とす枝葉を揺らし、白薔薇に覆われたガゼボの中で泣いている一人の少女を、どうしたものかなと木の陰から見ていた。



家から運び出される棺と、喪服の人々の群れ。



秘めやかな葬列には陰鬱な絶望が付き従い、そちら側の道に向かう空はまだ暗い。

降り止まない雨の方に向かい、真っ黒な傘をばさりと開くたびに、死の色をした花で世界を切り取るよう。



ガゼボで泣いている少女には、誰も声をかけないのだろうか。

そう思うと胸が痛んだが、或いは、人々が己の良心に蓋をしても恐れるのは、この一族につきまとう暗い呪いの影なのかもしれなかった。




また遠くで、追悼の鐘の音が聞こえる。

僅かな雲間から細い朝日が溢れ、大通り側の空に残った雨をきらきらと輝かせた。



その時だった。

漆黒の喪服の細い肩が震え、唐突に背後の誰かの気配に気付いたものか、泣いていた少女が顔を上げた。




(ああ、……………)




その日のことを、アーサーは忘れないだろう。



夜明けの風にほろほろと花びらを崩した薔薇が白い花びらを落とし、足元の霧が風に揺らめいた。


そんな中でこちらを見たのは、真っ白な髪を持つ、美しい青い瞳の少女。

その瞳は、静謐な湖のような深く吸い込まれてしまいそうな美しい色をしていた。




「…………あなたは誰?」



訝しむ為の誰何ではなく、この家の住人としてそう言わなければいけないからと発したような声音だった。

透明だけど家族の死に疲弊しきっていて、その失望と苦痛がありありと伝わり、胸が潰れそうになる。


でもそれは、所詮身勝手な、彼女の苦痛の責任を取らなくてもいい第三者の同情でしかない。




「お隣の、ジョーンズワース家の次男だよ。ここに越してきた時には、僕は学校の寮に入っていて、挨拶に来られなかったんだ。初めまして。それから、おはよう、サラ」



そう名前を呼べば、清廉な青い瞳に途方にくれたような無防備な困惑が揺れた。



まるで修道女のような簡素な喪服だが、宝石のような真っ白な髪と青い瞳以外には何も必要ないだろう。

その色彩でこそ鮮やかに浮かび上がるこの少女の美しさは強く目を惹き、けれども、だからこそ、その異端さに眉を顰められるに違いない。



(こんな風に危うい綺麗さだからこそ、この子は注目されてしまうんだろうなぁ…………)



一族の呪いが囁かれる中、一家の伯母と長女が亡くなる痛ましい事件に、この次女の雪白の髪はあまりにも刺激が強過ぎるのだ。

ましてやこの少女の髪色は、先天的なものではなく、数年前に亡くなった母親の死によるものである。





「……………おはよう。それと、ここは私の家の庭なのではなくて?」

「君のご家族に、お悔やみを言いにきた帰り道なんだよ。知っているかい?この小径を抜けると僕の屋敷の裏口にとても近い。君のお父さんには了承をいただいているよ」

「…………そうなの。………その、こんな言い方はおかしいのかもしれないけれど、………お悔やみを言いに来て下さって有難う」



その一言にはたいそう胸がざわついたので、傷付いて怯えきった少女に微笑みかける。




「それは、君の一族は呪われているからと、お悔やみを言いに来る人すら少ないからかい?」

「…………っ、」



びくりと揺れた肩に、ああやはりと得心した。



こんな夜明けに死者の棺を教会へ運ぶのは、運び手が雇われ者ばかりであることを、隣人達に隠す為なのだ。


仮にも地元の名家の一つであるこの一族の、長女とその伯母の死という大事件である。

しかしながら、それまではこの一家と付き合いのあった者達の多くや、遠縁の親族達さえも、それぞれの口実を見つけ出し葬儀への参列を断っているようだ。



呪われた一族でまた死者が出た。

そう、無責任な噂話があちこちで囁かれているのだろう。


音楽に愛された一族の悲劇として、彼等に降りかかった恐ろしい運命は、面白おかしく騒ぎ立てられ、多くの者達が知っていた。


それまではたわいのないゴシップだったその呪いが、俄かに現実味を帯びて自分の近くにやって来た時、人々は良識や善良さを投げ捨てて、そこで苦しむ人達に背を向けてしまうのだろうか。



(数年前にも、有名なオペラ歌手だった彼女の母親が亡くなった。その時も随分な騒ぎになったと、叔父さんから聞いている…………)




アシュレイ家の人々は、音楽の神に愛され過ぎたが故に、音楽を生業としない者や、音楽の職を捨てた者は非業の死を迎え命を落とすと言われている。


それだけならまだしも、その音楽の神とやらは、彼等になかなかに身勝手な試練を押し付けるらしい。

彼等には、降りかかる災難を乗り越え、音楽を愛し続けることが望まれるのだ。



その噂を聞いた時にまず思ったのは、音楽の神とやらは、我が儘過ぎやしないだろうかということだった。


負荷を与えておいて折れたら許さないという手法は、ならず者のやり口ではないか。

あまりの荒々しさに、生前の故人を愛した人達すら追い払ってしまう。



だから、この隣人宅の葬儀は、家から車までの棺の運び手にすら苦労しているのだ。




(……………近代になって、教会は社交の場になった。かつてとは違い、風習としての信仰という以上に、心から神を信じる人達がどれだけいるだろう。それなのに、かつて友人や恋人だった人の葬儀にすら、彼等は背中を向けてしまうのか…………)




堪らない気持ちで見上げた初夏の庭園は、おとぎ話のような色彩で夏の始まりを祝福している。

その美しさと無垢さに胸の強張りが緩み、そっと息を吸えば、芳しい薔薇と緑の芳香に慰められた。




今、目の前にいる少女の姉のオードリーは、雑誌などでもその姿を見かけることのある、有名なバイオリニストであった。


その美貌と闊達な微笑みが多くの者達に愛され、彼女には、有名な議員の息子の婚約者がいた筈だ。

また、交友関係も広く、一年前にバイオリニストを引退した今も、かつての楽団の仲間達とは懇意にしていたのだと思う。



諸事情で大学の寮から週末ごとに家族の家に戻って来るようになったので、オードリーの姿は何度か見かけたことがある。


調べ物の関係で帰宅が遅く、裏口から屋敷に帰ることの多かったアーサーが、隣の家の庭から聞こえてきた楽しげなお喋りを耳にする限り、彼女の恋人や友人達は、よくこの屋敷を訪れていたのだろう。

親族の数があまり多くなくとも、棺の運び手に困るような女性には思えなかったのだが。



一年前の舞台上での痛ましい事故は報道でも取り上げられ、死傷者が多く出る惨事に巻き込まれたオードリーは、命には別状がなかったものの、右肩の手術を余儀なくされたらしい。


結果として、バイオリニストとしては致命的な怪我であったが、演奏者としての道を断たれても、彼女には幸せが残されていた筈なのだ。



ほんの一ヶ月前に、アーサーの家の庭師が仲睦まじく過ごす恋人達から聞いたことによると、今年の秋には結婚する予定であったそうだし、彼女はその後、義父の政治活動の手伝いの一環として、国内外の音楽家達と連携の上、音楽に纏わる施設や団体の支援をしてゆく仕事に就くことを決めたのだそうだ。



それなのに、たった一ヶ月前に、新婚旅行は南国に行くのだと語ったばかりのその婚約者は、あの棺を持ちに訪れることはなかった。





『芯の強い、優しいお嬢さんですよ。坊ちゃんにもあのようなお嫁さんが来たらいいんですがねぇ。……ほら、今年もこんなに薔薇を貰いましたよ』



薔薇の季節になると、籠いっぱいの薔薇を、オードリーはいつもくれていたのだそうだ。


その薔薇を去年受け取ったのは、アーサーの兄で、ただのお裾分けとして贈られた薔薇は兄がとある悲劇から立ち直る切っ掛けとなっていた。



だからこそ、その薔薇をくれた女性が亡くなったと知ったからには、そして、その埋葬が人目を忍ぶように行われるのであれば、せめて隣人として、お悔やみを言いに行ってあげたかった。



そうして、その帰り道にアシュレイ家の次女であるサラを、この庭のガゼボで見かけたのだ。



(喪服は着ているけれど、葬儀には参列しないのだろうか。………或いは、……………行ってはならないと、誰かに言われてしまったのだろうか…………)



見事な薔薇を揺らす微かな風に、少女の長い髪がふわりと揺れる。


それはまるで新雪のような白い髪で、アーサーは痛ましく思うよりも、不思議な畏敬の念に打たれた。




「呪いのことなら気にしなくていいよ。僕の一族も呪われているからね。それも百年もので、ジョーンズワースの家は僕達兄弟の代で絶えるらしい。失礼な話だと思わないかい?」

「……………失礼?」

「その呪いをかけたのは僕どころか僕の祖父母や両親も知らない誰かだし、始まった時には僕達は生まれてもいない。知りもしない相手を呪うのは、…………何て言えばいいのかな、いささか八つ当たりが過ぎる」




腕を組んでそう呟けば、サラは目を丸くした。


呪いという姿の見えない悪意に対し、この少女は、呪い手を非難しようと思ったことはないのかもしれない。


ましてや、愛する家族を一度に二人も喪ったばかりで、それでも気丈に自身の一族に課せられた運命を睨みつけるのは難しいだろう。




「…………でも、恐ろしいものだわ。そうでしょう?」

「とてもね。けれど、残念ながら僕は自分の呪いで手一杯だから、君の一族の呪いは怖くないよ」

「だから、……………お悔やみを言うくらいなんてことはない?」

「ううん、それは隣人としての当然の礼儀だ。君のお姉さんは、我が家に沢山の薔薇をくれた、優しい人だったからね。残念ながら伯母さんのことは存じ上げていないけれど、親交のあった隣人を悼むのは当然のことだよ」

「……呪いを恐れないということと、お悔やみを言いに来てくれたことは別なのね?であれば、………こんな髪を持つ私に話しかけたこと?」



そう言い、サラは苦く微笑んだ。

今のこの少女にとって、自分の家はどのように見えているのだろうかと、ふと考えた。

あれだけ広い屋敷に住みながら、自分の部屋でもどこかの部屋に隠れてでもなく、こんな風に庭で一人で泣いていた少女は、何を考えていたのだろう。



「君は綺麗な女の子だろう?変質者の疑いをかけられても呪いのせいだと言い張ればいいから、こうして、一人ぼっちで泣いているお隣さんに、大丈夫かいと声をかけるのはなんて事はないってことなのさ。夏とは言え夜明けは寒いよ。女性は、あまり体を冷やさない方がいい」




そこでまた、サラは途方に暮れたように瞳を揺らした。


一度、自分の屋敷の方を振り返ろうとして、酷い胸の痛みを堪えるように身体を折り曲げる。



「…………家には、………入れないの」

「うーん、それは困ったね。家に入るのが辛いのなら、うちに来るかい?家政婦のエマもいるし、母さんもいるから如何わしくないよ。もう一つ、うちの一族では一番常識者の年寄り猫のダーシャもいる」

「……………あなた、さては変わり者ね?」

「失礼な。それは、見ず知らずの子孫までを呪うやつと同じ手口だよ」

「そうかしら…………」

「僕はとても僕でしかないけれど、変わり者と言われることはない筈だよ。………そうだね、それなりに上手くやっているからね」



そう言って微笑めば、サラは長い睫毛を揺らした。


すると、睫毛に残っていた最後の涙の雫が落ち、地面に吸い込まれてゆくことになぜかぎくりとする。



なぜだか分からないが、ずっとそうなのだ。

アーサーは涙や血を地面に落とすのが恐ろしいし、他人に委ねることをとても嫌う。

誰もいない筈の森や花影を覗き込みたくなるし、そこに誰もいないとひどく失望した。



なぜだかは分からない。

けれどもこの世界は、時折息苦しくなる。

もうどこにも行けないところに来てしまったのだと、小さな硝子窓から外を眺める度に思うのだ。




だから、ハンカチを彼女に渡した。

それは涙を不用意に地面に落とさないようにと渡したもので、それ以上の意味はなかったのだと思う。



サラはそのハンカチを受け取り、初めてハンカチというものを見た人ならざるもののように、困惑の眼差しをこちらに向ける。




「有難う。……………お父様は、今日だけは、私を誰の目にも触れさせたくないの。あんなに優しかった伯母様が、お姉様を殺してしまった。そんな事件の後で、私の…………この白い髪は注意を引き過ぎるからって。…………勘違いしないでね、お父様はとても優しい方で、私が好奇の目に晒されるのが堪らないのよ」

「だから、この庭に一人でいたのかい………?」

「……………ここはね、お姉様が大好きな薔薇ばかり。…………それにこのクレマチスは、伯母様の大好きな花。どうしてこんなことになったのかしら。二人とも大の仲良しだったのよ?…………私はせめて、葬儀に出られない代わりに、ここで二人を悼みたかったの」

「葬儀には行かなくてもいいのかい?今日は特に用事もないから、隠れて参列したいなら変装用の帽子を貸して、教会まで車で送ってあげようか?」



そう提案したのは、彼女が父親の懸念を汲みながらも、別の望みを持っていた場合を考慮したからだった。


まだ、十三、四歳の少女には、やりたくても出来ないことがあるだろう。

助けを得られなくて失望するには、あまりにもむごい日ではないか。



けれどもその提案に、サラは丁寧にお礼を言ってから、首を横に振った。



「……………いいえ。葬儀には参列出来なくても、二人の為にはどこでも祈れるから。もし、…………教会に行ってお父様が考えているような悲しい思いをして、私が挫けてしまったら、結局お父様を悲しませてしまうだけだわ。………埋葬の日には、二人でお墓に行くのよ。そこでまた、伯母様にもお姉様にも会えるでしょう?」



(おや、…………)



肩を震わせて泣いていた少女は、アーサーが思っていたよりも随分としっかりしていたようだ。


とは言えそれは、幼い少女の苦痛の免罪符にはならず、冷静に思考出来てしまうからこそ、彼女をより深く絶望させるだろう。


無知に泣きじゃくり、父親に取り縋って泣いてもいい筈の年頃で、彼女はその悲しみを綺麗に父親と二等分してみせたのだ。




「それなら尚更、我が家にお茶に来るといい。幸いながらお茶は美味しいからね」

「……………幸いながら?」

「僕の母は料理好きなんだが、作り出すパイは最悪と言うより悪夢だ。もしパイを見せられたら、必ず辞退するように。まだ、天の国に出立する前の君のお姉さんがどこかにいたら、妹を命の危険に晒したと叱られてしまう」

「……………そ、そんなに大変なものなの?でも、ご家族はいただくのでしょう?」

「そりゃ、母を愛しているからね。でも時々、父さんは瀕死になる」

「……………食べてみたいわ」

「冒険家だなぁ。………それなら、特別に一口だけなら食べてもいいよ。その代わり、体調に異変が現れたら隠さず申告するんだよ。後は、お茶をたっぷり飲むように」



アーサーはそう微笑むと、サラは、何でもないお喋りをしたことで、少しだけ悲しみに蓋が出来たようだ。


青ざめた頬に血の気が昇り、年頃の少女らしい健やかさが垣間見える。

やはりこの歳の少女が、たった一人で家族の死を受け止めるには、限界もあったに違いない。




(こんな日に、一人ぼっちで泣いていたら参ってしまう)



彼女の肉親はもう父親しかいない。

もう一人の娘と自分の姉の葬儀を執り行う場に立ち、その上で残された娘を守ろうと奮闘している父親には、手が回らないこともあるだろう。




(さて、誰かにこの子をお茶に招待することを伝えておかないとかな………)



隣の家とはいえ、未成年の少女を預かるのであれば、きちんと連絡を入れておく必要はある。



「君がここにいることを、お父様はご存知なんだね?」

「…………ええ。父には、暫く庭にいて、みんなが教会に向かったら部屋に入ると話してあるの。…………だから、」



そう呟き、サラは家の方を振り返った。

教会まで棺を運ぶ車はもう出てしまったようだ。



「君を母と我が家の愛猫に預けたら、僕が君の家の人に伝えておこうか?」

「…………そこまでご迷惑をかけられないわ。それに、家には人がいないの。普通なら、このような時は手伝いの人が来てくれるのでしょうけれど………」

「それならこうしよう」



そこでアーサーは、持っていた手帳の一頁にサラの父親宛のメッセージを書くと、扉の隙間から差し込んでおくことにした。




「これでいいね。君の帰宅が早ければ、あのメモは君が捨ててしまえばいい。…………さて、我が家の危険なお茶会にどうぞ。パイにだけは、気を付けておくれよ?」

「……………ええ。お茶に誘って下さって有難う。…………本当はね、誰か人がいるところにいたかったの…………」



紳士であればここでサラの手を取るべきだったが、何となく、そうすれば彼女が警戒してしまうような気がした。


アーサーはあくまでも、隣の家の変わり者であるべきなのだろう。

後はもう、お喋り上手な母親や、使用人のエマが彼女を和ませてくれる筈だ。



アーサーは、言葉巧みに一人ぼっちの少女を優しいお茶会に誘うだけの役回りでいい。

これを機に、既に母親を亡くしているサラが、困った時に隣人宅を頼れるようになれば、少しはジョーンズワース家を明るくしてくれた薔薇の恩返しになるだろうか。




籠いっぱいの薔薇を貰ったあの日、アーサーの兄は愛する人を喪ったばかりだった。

その女性が愛したものと同じ品種の薔薇が籠の中にあり、兄は救われたような思いであったと言う。



(父さんと母さんであれば家にいたけれど、あの二人が葬儀に参列するのは難しいからな…………)


アーサー達の両親は、立場上、政治的な活動と取られる言動には制限があるので、生前、議員の息子の婚約者であった隣人の葬儀には、公に出られない。

かと言って内々に参加する程にも親しくなく、オードリーが息子の恩人だと知っているだけに、難しい立ち位置であった。


だからこそ兄は、自分よりは自宅に近い学校に通う弟に、わざわざお悔やみを言いに行ってくれと連絡を寄越したのだろう。




『アーサー、…………今日、お隣さんから彼女が好きだった薔薇を貰ったんだ。マリエルから、いつまでも引き篭もっていないで、墓参りに来いと叱られたように感じたよ…………』



あの日、兄からそんな電話を貰い、アーサーがどれだけ安堵したことか。


三年前のクリスマスに、祖父から一族の呪いの話を聞いた時、そんな馬鹿なと笑い転げていた陽気な兄の憔悴しきった様子は、家族にとってとても辛いものだった。




(僕達の一族は、その血を絶やす呪いにかけられている…………)




だからもし、自分を親切な変わり者だと思って心を許してくれたのかもしれないサラが、アーサーが、その呪いを躱すヒントをアシュレイ家の惨事から得られないだろうかと考え始めていると知ったなら、落胆してしまうだろうか。



勿論、アーサーは隣人の不幸を心から悼んでいるし、サラの姉には心から感謝している。

夜明け前の庭園で泣いていたサラに声をかけたのも、彼女を一人きりにしておけなかったからだ。



けれども、サラが思っていたよりも聡明な少女だと知った今、彼女からアシュレイ家の呪いの秘密について少しでも聞き出せたらと考えている。



アーサーは決して善良な人間ではない。

それどころか、隣人の不幸を悼む傍らで、自分の家族を生かす為に剣を取りもする。




(…………そう。それは例えば、音楽を奏で続ける限りという条件は最初から一族に知らされていたのかだとか、呪いを退ける為に何かしたことはあるかとか、……………)




或いは、アシュレイの一族から花嫁を迎えた場合は、どちらの呪いが打ち勝つのだろうか、とか。




(いやいや、さすがにそれは本人には言えないな。…………おまけに、この子は随分と歳下過ぎる。あと十年もすれば、兄さんも恋に落ちるような素敵な大人の女性になるだろうに…………)



本当は、兄の心を救ってくれたオードリーと兄の間にロマンスが芽生えれば良かったのだが、その女性は婚約者がいる以前に、もうこの世の人ではなくなってしまった。



であれば、ここから縁を繋ぎ、この少女が兄と恋を育むような年頃であればと思わずにはいられない。


サラとは幾分か歳が近くはなるが、アーサーが自分でと思うことはなかった。


得てして物語には相応しい役割というものがあって、もしジョーンズワース家が呪われており、その呪いを誰かが打ち破るとしたら、それは兄であるとアーサーは考えているのだ。


陽気で情深く、頭が良くてなかなかに眉目秀麗な兄は、まさしく冒険物語の正統派の主人公である。


アーサー自身は、物語や古い信仰に纏わる民俗学などに傾倒してはいたものの、それは自身の為の学問であって、呪いというものを積極的に避けたいとは思っていなかった。




(ジョーンズワースの家は、得体の知れないものに呪われている……………)




それは、呪いを受けた者の孫の代で、ジョーンズワース家を絶やすと言われていた。



ところが、直接誰に向けられた呪いなのかが不明である為に、その呪いが成就するのが、アーサー達の代のことなのか、アーサー達の子供達の代でのことなのかが誰にも分かっていないのだ。



もっともらしく祖父から父と叔父へ、そして孫の代に当たるかもしれないアーサー達にも伝えられたその話は、二年前に従兄弟が、そして昨年に兄の婚約者がそれぞれに車の事故で命を落とした時に、俄かに現実味を帯び出した。




ジョーンズワース家の呪いは、火の馬車の呪いと呼ばれており、燃え上がる馬車の絵と共に言い伝えられている。



(僕達は、火の事故か馬車の………今の時代だと車かな………で呪い殺されると言われている………………)





もし、本当にそんな呪いがあるのなら。



そう考える度、自分がどれだけ異端な者なのかを痛感し、アーサーはその身勝手な考えを持つ己をずっと恥じていた。




(でも、僕は僕でしかない。それはやはり、どれだけ考えても変えることは出来なかった…………)



その願いを殺せば、アーサーはアーサーではなくなってしまう。

どれだけ不都合な足枷であったとしても、それはアーサーを形作る一つのピースなのだ。



(だから、…………)




勿論、家族や親族達、彼らの愛する人はもう誰一人として失われてはならない。

けれどせめて、自分のこの命くらいであれば差し出して構わないから。





もし、ジョーンズワースの呪いがこの身をもって成就するのならば、この世界には魔法があるという、この上ない証明となるのだ。





愚かにもアーサーは、それが見たくてならないのだった。


















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