第一節:魔法本クゥ・リトル・ブックス
「…雷撃!」
暗闇に静まった訓練場に一筋の閃光が走る。
その一撃は木製の的の頭を貫き、残された光がその一撃を語る直線を描いていた。
「我が剣に宿れ炎、邪を打ち倒す灯火よ!」
その言葉が発せられた瞬間、訓練場の中心に炎が上がる。
炎は剣を這う様に広がり、舞い散る火の粉がうっすらと顔を照らす。
一段と険しい表情をした誠一の周囲には火の粉が舞い上がる。
「属性付加・炎!」
呪文を唱えたその時、剣を這う炎が消え剣の柄から吹き出るように炎が刃を包む。
揺らめいていた炎は剣を包み、炎にしては不自然なほど光り輝いていた。
「…ようやく出来た、詠唱魔法」
一瞬気を緩めるが彼は再度集中し剣を両手でしっかりと握り、腰を落として足に力を入れる。
地面が少し抉れる程しっかりと地に足を付け、姿勢を下げる。
「……ッ!!」
足に込めた力を解き放ち、数秒の内に遠くに位置する的に肉薄する。
その勢いを殺さぬまま剣を的の中央部に突き刺す。
「属性解放・爆破!」
そう唱えた瞬間、誠一の持つ剣が輝き大爆発が起こる。
爆発は前方に広がり、的を焼き尽くすと同時に奥の壁まで焦げ跡を残すほどの威力を見せる。
誠一はその反動に耐え切れず、爆発と同時に後ろ側へ吹き飛ばされ起き上がる頃には爆風も収まっていた。
「予想以上の火力だな…」
誠一は精神的疲労を感じながらも、自分の出せた結果に満足していた。
誠一が使った魔法は一般的に詠唱魔法と呼ばれており、魔法の素質があるなら大抵の者が使える魔法である。
但し詠唱に掛かる時間があり、その長さに比例するように消費する魔力は多くなる。
物によっては複数人で詠唱する場合もあり、それは魔法ではなく奇跡と呼ばれる。
座り込んだ彼は詠唱魔法について記載された小さな手引きを読み返し、その内容を再度確認する。
「今の魔法は連続で使えないな…」
己の疲労感から詠唱魔法が連続で放てないと悟る。
今誠一が使った魔法は詠唱魔法の中でも簡単な部類であり、彼の魔力ではこれが限界であった。
「実践に使えるのはまだ先かな…」
そう言いながら自分の左手に視線を移す。
あれから何度か試してみたものの、あの時の黒い雷撃は出せていなかった。
「あの時、確実に自分の魔力量では出せない火力が出せた」
もう一度使えれば。
一瞬その言葉が頭をよぎるが、それを振り払うように頭を横に振る。
「駄目だ、理解出来ない力に頼るのは…」
あの一件から数日が経過しようとしているが、誠一は行き詰っていた。
魔法の扱いは日々上達しているように感じるが、微々たる変化であり自分の思い描く強さには手を伸ばす事すら許されないでいた。
「こんな時間まで特訓とは、参考にしたいほどの向上心ですね」
ふと訓練場の入り口から明かりと同時に男性の声が聞こえる。
「アルバート様?」
アルバートは苦笑いを浮かべながらこちらへと歩いてくる。
誠一は立ち上がると姿勢を正すが、彼は楽にしていいと人のいい笑顔で言うと一冊の本を渡す。
「これは?」
渡された本を彼が不思議そうに見ていると、その本の表紙には閉じた目の様な絵が描かれている。
その表紙を見ていると突然その目が開き、誠一の顔を凝視し返してきた。
「うぉあ!?」
「おっとっと…」
誠一が驚いて本を落としてしまうが、アルバートがそれを支えるように落下途中の本を拾う。
「大丈夫ですかセーイチ、どうかしたんですか?」
心配そうに誠一を覗き込むアルバート、その様子に誠一は彼が悪意を持ってあの本を渡した様ではないと思う。
「いえ、その本が今…」
本の表紙を指差すがアルバートは心底不思議そうな顔をしている。
その様子に疑問を持ち再度自分も表紙を見るが、先程と違い目は閉じきっていた。
「この本は魔法の習熟に役立つと思ったのですが、止めたほうが良いみたいですね」
アルバートは少し残念そうな顔をしており、思わず誠一はすいませんと謝る。
「いえ、やはり魔法の習熟は私よりアビゲイルとセシリーの分野ですね」
私にはトンとわかりませんと彼は笑ってみせる。
「もう夜分も遅いですし、特訓も程々に休んで下さいね」
彼は最後まで人の良さそうな笑みを浮かべたまま訓練場から去っていく。
「…疲れてたのかな」
誠一はあの本に引っかかりを覚えつつ、片づけを程なくして終え自室に戻り眠りについた。
次の朝、目を覚ました誠一はあまりの非現実的な状況に絶句していた。
「おはよう、主」
昨日見た本が誠一の目の前に浮いており、表紙の目は此方をしっかりと捉えている。
その見た目に全く見合わない少女の様な声をしており、発声器官が見当たらないもののしっかりとその声は耳に聞こえる。
ガイルは少し困惑しているようだが、何時もの様に朝食の支度をしてくれている様だった。
誠一は暫く固まっていたが、ふと我に返りその本を掴む。
「オイコラ、挨拶も無しに人を鷲掴みとは」
「お前は何だ」
その本の声を遮るように誠一は問いかける。
その本は面倒くさそうにため息をつくと、説明を始めた。
「私の名前はクゥ・リトル・ブックスだけど、長いからクゥって呼んで。長い間眠っていたというか眠らされていた…あーんと、魔法本だよ。久々に目を覚ましたらお前との契約がされていて驚いたけど、まぁそういう事だよ。似たような存在なお互い、仲良くやっていこうじゃない」
「えっと…何処から突っ込めばいいのか」
誠一は突拍子もない言葉の連続に思わず頭を抑える。
「まぁ、取り合えず」
「…あぁ、そうだな」
飯にしよう。
その意見だけはお互い一切ブレ無く、もしかしたら息の合うコンビになるのではと互いに思うのだった。
「ところで、一つ聞いていいか?」
「どうした主、さっさと飯にしようよ」
「お前、本のままどうやって食べるんだ」
そう聞くとクゥは自ら本を開きページを捲り出す。
暫くページを捲る心地よい音が続き、とあるページで止まる。
次の瞬間緑色の触手がページから飛び出し、その中央には口らしき物が見える。
「こうするのさ」
「…そうかい」
誠一は考える事を放棄し、ガイルにもう一人分の食事を用意させる。
こうして誠一はクゥ・リトル・ブックスと出会いを果たした。
この奇妙な出会いが起こす波乱を、今はまだ誰も知る由は無かった。
セシリーの自室、片付けていない書類等が机の上に散乱しており彼女の杜撰さが垣間見える。
「で、それは何だセーイチ」
セシリーは机に肘をつけ顎を手のひらに乗せたまま、白い目で誠一の横に浮いている本を見て一言そう言った。
「私はクゥ・リトル・ブックス、主のパートナーってヤツだよ」
「お前、魔法生物か?」
「ちょっと違うけど、まぁそういう解釈でいいよ」
クゥは特に気にも留めていない様子で表情の見えない目で返す。
「まぁいい…取り合えず今日は魔法制御の訓練だ、準備しておけ」
「はい、失礼します」
セシリーの自室から出ようとした際、クゥが小さな声で話しかける。
「ねぇ、あれは誰?」
「あぁ、あの人はセシリー様。この国で最高の実力を誇る三人の内の一人で優しい人だよ。」
ふぅんと興味なさげにクゥは答え、誠一と共に訓練場に向かうのだった。
「なぁ、クゥ聞きたい事があるんだが」
「私の知ってる事ならなんでもどうぞ」
訓練場に向かう途中、廊下を歩きながら誠一はクゥに問いかける。
「お前は俺と自分が似たような存在って言ってたよな」
「うん、そうだね」
「それってどういう意味だ?俺は人間だしお前は魔法本だろう?」
その問いにクゥは暫く黙り込む。
表情の読み取れない目がこちらを深く覗く、見つめ返し続けていると深淵に引きずり込まれる様な感覚すら覚える。
「…あーうん、まぁそうだね君は人間だよ。でも君と私は似てるのさ、それはきっといずれ分かる時が来るよ」
クゥは曖昧な返答を返す。
その曖昧な返答に納得は言っていないものの、クゥの先程までの調子者の様な雰囲気が消える。
それに気が付いた誠一は一言謝り話題を半ば無理矢理切る。
少し気まずい空気が流れ、どうしたものかと誠一が悩んでいると今度はクゥから話しかけてくる。
「なぁ主、アンタ魔法が使えるんだろ?」
「ん?あぁ、人並みにはな」
「ならアンタの魔法の制御を助力してあげれるかもしれない」
そう言うクゥの雰囲気は先程までの暗さが消えており、朝に会った時と同じ雰囲気に戻っていた。
「本当か?」
「伊達に魔法本じゃないさ、まぁ本当にサポートくらいだから魔法の行使とかは主がしなきゃだけど」
「いや、十分だ。今始めてお前と組んで感謝したかもしれない」
クゥと誠一はお互いに顔と表紙を見合わせて笑う。
始めて出会った存在ではあるが、誠一はこの本に親近感に近いものを感じていた。
まるで長い間を共に過ごした友の様な、不思議な感覚だが誠一はいつの間にかそれに順応していた。
その後も一人と一冊は友の様に軽口を言い合いながら、歩を進めていくのだった。
訓練場に着いた彼らが準備を行なっていると、同じくセシリーの訓練を受けるべく兵士達が集まってくる。
誠一と同じ様に軽鎧を身に着けている者も居れば、フルプレートの重そうな鎧を着ている者も居る。
どの兵士もセシリーの部隊に所属している者であり、その腕前は百戦錬磨の強者と謳われているらしい。
彼女への信頼も厚く、わざわざ彼女の元で戦う為に志願し冒険者を辞めこちら側に来た者も居る。
ある程度自由が利く冒険者と違い、色々と制限が付く国の兵士だが彼女はその制限すら物ともしないほどの魅力があるのだろう。
「ようセーイチ、手伝ってやるよ」
人だかりから一人の大男が出てくる。
「アストリーさん、すみません」
誠一がアストリーと呼んだ大男は、フルプレートの鎧を鳴らしながらこちらに近づいてくる。
「フレドリックでいいって言ってるだろう?」
彼は誠一の背中を軽く叩きながら笑いかける。
「…ソイツは?」
フレドリックはクゥを指差し、不思議そうな顔をこちらに見せる。
「私はクゥ・リトル・ブックス」
急に宙に浮いた本が喋りだせば当然驚くだろう。
フレドリックは驚きの声を上げ、クゥに対して話しかける。
「俺はフレドリック・エイミス・アストリー、喋る本とはまた珍妙だな」
「喋る動物がいるなら、喋る本がいたって問題無いでしょ?」
クゥの返した言葉に彼は、それもそうかと笑いながら訓練の的を運ぶ。
どうやら彼はクゥを気に入ったらしく、その後も準備をしながらクゥと暫く語り合っていた。
程なくして訓練の準備が終わる頃、クゥがフレドリックと話を終えたのか誠一の元に戻ってくる。
「彼は感情的な人間だけど、それを制御する心の強さと力を持ち合わせているね。実に模範的な人間、でも男は中々に扱い易そうだね」
フレドリックの事が気に入ったのか、クゥは誠一の元に戻るなりそう言ってきた。
フワフワと誠一の横を陣取る彼女は無い口で小さく笑う。
「お前達、準備は出来たか」
突然訓練場に良く通る声が響き、それを聞いた全員は素早く隊列を組む。
声の主であるセシリーはゆっくりと奥の通路から現れる。
訓練時に身に着ける軽鎧を身に着けており、腰には剣を携えている。
「これより訓練を開始する。お前達、気合入れていけよ!」
「はい!」
彼女の言葉に整列した兵士達は姿勢を正し返答する。
誠一も最初はこの空気に戸惑っていたが、今では他の者と同じ様に声を張り上げれる程になっていた。
訓練内容は至って単純であり、走り込み等の基礎訓練を終えたら模擬戦や個人訓練となる。
セシリーの方針は個々の得意分野を伸ばす方針である為、訓練といっても比較的自由が利く。
その為誠一は個人訓練の時間、セシリーから指導を受け魔法の上達と剣の扱いを習っていた。
「さてセーイチ、雷撃とこの前教えた詠唱魔法だが扱えるようになったか?」
セシリーは個人訓練の時間になるや否や、誠一の方へと足を運びながら聞いてくる。
「えぇ、なんとか。ただ詠唱魔法はまだ実戦に採用出来る程の物では…」
自信なさげに答える彼に、セシリーは笑い掛けながら肩を抱く。
「いやいや、この数日で形にしただけでも十分だとも。お前はホント優秀な奴だよ」
「あ、ありがとうございます」
誠一を褒める彼女に対し、彼は苦笑いしながら礼で返す。
「主、私と行使すれば実戦レベルの運用が出来るんじゃないか?」
その二人の頭上で黙っていたクゥがそう言うと、間髪居れずにセシリーがやってみろと誠一に言う。
「分かりました。クゥ、頼むぞ」
「私がするのは魔力消費の効率化。簡単に言えば、より少ない魔力量で発動出来る様にサポートする事だ。ただ、これには一つデメリットがあって…」
そこまで言うと急にクゥは黙り込んでしまう。
誠一はどうしたとクゥに聞くと、観念したかのように彼女は話を続ける。
「君の感情が不安定な時は私の力は使えない。君が常に冷静な感情でなければいけないんだ。」
クゥは目を伏せ彼にそう告げた。
誠一はそのクゥの態度に違和感を覚える。
だが、その違和感の正体に気づくまでには至らなかった。
「そうか、分かった気をつけよう」
誠一はそう言うと魔法を行使する体制に入る。
「まずは…」
左手の人差し指のみを立たせ的へと向ける。
次の瞬間その指に電気が迸り始める。
「雷撃!」
そう唱えるのと同時に青白い閃光が一本の線となって的の頭部を貫く。
遅れて空気を裂いた残響が聞こえ、打ち抜かれた的は一点の焦げた穴を残していた。
「次は…クゥ、行くぞ」
「ん、了解」
誠一の言葉にクゥは気のない返事をした後、その本を開きページを捲る。
捲られたページから文字が溢れ出し、誠一の周囲を回り始める。
「我が剣に宿れ炎」
引き抜き構えた剣に炎が宿る。
その炎は剣を這う様に蠢いてはおらず、しっかりと剣を包み込むように形成していた。
「邪を打ち倒す灯火よ!属性付加・炎!」
形を作り上げていた炎がその輝きを増し、先端が弾ける様に燃え上がる。
炎の刃を作り上げた誠一は、前回ほどの疲労感が無いことに気が付く。
クゥに感謝しつつ、その剣を構え的へと突撃する。
やがて的に届く距離まで詰めた誠一は、その刃を突き刺し付加された属性を解き放つ。
「属性解放・爆破!」
前方に大きな爆発を生み、その反動で誠一は数歩分ほど土を足で削りながら交代する。
「…凄いじゃないか!」
一番に声を上げたのはセシリーだった。
彼の成功を祝うように肩を抱き、頭を荒っぽく撫で回す。
誠一は苦笑しつつ甘んじてそれを受け入れていた。
「調和率は良好…やっぱりこの子は」
ポツリ、誰に聞こえるでもないような声で一冊の本が呟く。
その目は非常に冷ややかなものであり、その眼光は寒気すらする程の殺意を抱いていた。
しかしその事に気が付くものはこの場にはおらず、誰の目にも留まることはなかった。
皆セシリーと共に誠一を祝っていた為、気づく筈も無い。
「殺すべきだ」
その言葉すら、誰も気付く事が無いほどに。