終節:動き出す歯車
暗闇の中静かに鎮座する扉。
アビゲイルの自室前に二人は辿り着いていた。
アビゲイルが扉を開き部屋へと入り、続けて誠一もその背を追う様に入室する。
「さてと、それじゃあ早速で悪いけどちょっと失礼」
部屋に入るなり彼女は誠一の身体を触り出す。
何の容赦も無く身体の隅々を触る彼女に、誠一は少し心臓の鼓動が早くなりながらも冷静さを保つ。
「何を…してるんですか?」
「んー…魔力は残留してないか」
彼の問いに答えることは無く、一通り調べ終わったのか彼女は誠一から離れる。
「君はあの時戦った記憶は残っているかい?」
「あの時?洞窟での事ですか?」
「そうそう、あの時の記憶さ」
「えぇ…」
アビゲイルの問いで鮮明にあの惨状が記憶に甦ってくる。
守れなかった者達、そしてどす黒い感情に支配された自分。
自身の記憶を振り返り誠一は唇を噛み拳を握りこむ。
「…君も、セシリーと同類かい?」
その言葉に顔を上げると、苦笑いを浮かべるアビゲイルが此方を見ていた。
「全てを抱えていたら、君は壊れてしまうよ。だから…」
そう言いながらアビゲイルは誠一を幼いその身体で包み込む。
「誰かを頼ればいい。怖いなら、辛いなら私達を頼ればいい。」
「アビゲイル…様」
呆気に取られた様な声を上げる誠一を更に深く抱きしめる。
鼻孔をくすぐられるいい香りと、女性らしい柔らかさのある体躯に誠一の思考は段々と沈んでいく。
やがて意識が遠ざかっていき、力を失った身体は彼女の方へと崩れ心地よい感触と共に彼の意識は完全に途絶える。意識が夢へ手を伸ばしかけた時、アビゲイルの赤黒い瞳が笑っている様に見えた。
自分に良く似た誰かが立っている。
暗闇の中でそれは此方を凝視し、その目は酷く濁った感情をしていた。
話しかけようとしても声が出ず、その事に気付いた自分は喉元を抑える。
もう一度それに目線を向ける。しかし其処には誰も居なかった。
暗闇に目を凝らし、それを探していると不意に誰かに首を掴まれ視界を闇が覆う。
闇の中、何かの声が響く。
憎み妬み暗い光に手を伸ばせ。
それは良く聞いたことのある声。
自分自身の声だった。
「っ!!?」
夢から無理矢理意識を急速浮上させられ、目を覚ますとそこは誠一の住む自室だった。
「…あれは」
夢とは思えないほど現実味を帯びた感触だったが、自分の首元には確認しても痕は残っていない。
「おはようございますセーイチ様」
不意に横から声が掛かり振り向くと、ガイルが朝食の用意をして待っていた。
誠一は考えるのを一度中断し、朝食を取る事にした。
朝食を取りながらガイルに昨夜の顛末を聞くと、自分は疲労で眠ってしまいリヴァルが自分を部屋まで運んできたらしい。
「そうか…あ、報告…」
セシリーが報告は明日の朝でいいと言っていたと、アビゲイルが部屋に行くまでの間に教えてくれた事を思い出す。
朝食を取り終えた誠一は身支度を整えるとセシリーの元へと向かった。
「入れ」
昨日と変わらない声色が聞こえる。
失礼しますと一つ言葉を挟み部屋に入るとセシリーはソファへ腰掛けている。
「前日のご報告をします」
「…あぁ」
重苦しい空気が二人を包み、そのまま誠一は一つ一つの家へ遺品を届けた事を報告する。
「…以上です」
「セーイチ…私は」
「俺は…もう間違えません」
セシリーの声を遮り誠一は声を上げる。
「セーイチ…」
「今の俺は誰も守れない弱い人間です。だから、強くなりたい。その為に、俺に貴女の知る全てを教えて下さいセシリー様!」
驚いた様にセシリーは目を見開くが、静かに目を閉じ誰にでもなくあぁ、そうだなと呟く。
「私は厳しいぞ?」
挑発的に笑い、そう告げた彼女の瞳にはいつもの優しさが見えた。
セシリーは笑みを浮かべたまま手を前に出し、誠一に握手を求める。
誠一は彼女のその手を取り笑顔で彼女と握手を交わす。
明るい日差しが彼らを照らし、二人が見た空はいつもより晴れているように感じた。
同時刻、自室に篭り難しい顔をしたまま魔道書を捲る少女が一人居た。
「主、何をそう慌てている」
何も無い空間に光の粒が集まり、それは狼の形を成す。
それと同時に飛んできた声は呆れ半分、心配半分といった物だった。
「あぁ…リヴァルか」
主と呼ばれた少女、アビゲイルはリヴァルと呼ばれた狼を一瞥すると再び目線を魔道書に戻す。
「彼さ、私の想像以上かもしれない」
彼女にしては珍しく切羽詰った様な声を上げる。
酷く焦った印象を最初は見受けたが、焦っていると言うよりは怯えているという方が正しいだろうか。
リヴァルは彼女のあまり見ない表情を見て眉間にしわを寄せる。
「何をそんなに怯えているんだ、確かに闇魔法を使え」
「そうじゃないんだよ!」
リヴァルの言葉を遮りアビゲイルが叫び声を上げる。
すぐにはっと我に返った彼女は拳を強く握りながら語り始める。
「そうじゃないんだ…アイツには何も無いんだよ」
「…?どういう事だ?」
理解が及ばずリヴァルは彼女の言葉に首をかしげる。
「昨日アイツの記憶を覗いたんだよ。そしたら、アイツの記憶は数ヶ月分しかなかった…」
「記憶喪失ってことか?」
「違う…違うんだ、普通の記憶は自身が明瞭に覚えていない部分はノイズが入りまともに見えなくなる。私は記憶が無いから分かるんだ。自分の過去を探ろうとしてもノイズが邪魔をして探れない」
「……」
彼女から伝わる恐怖の感情はより明白になっていく。間違いなく彼女は誠一に怯えていた。
「でも、アイツは何も無かった!まるで急に生まれたように、さも世界がそうであったと決めたように!」
「主、一度落ち着け」
「ありえない!あんなの…あんな…」
崩れ落ちるようにアビゲイルは膝をつき、アイツは化物だ…とうわごとの様に言い続ける。
「主!」
弾かれたようにアビゲイルの身体がその大声でビクッと跳ねる。
我に返ったアビゲイルはリヴァルに感謝しながら、震えるその足で席へつく。
「アイツの記憶の、過去を知ろうとしたんだ」
ポツリポツリとアビゲイルは話し始める。
「でも、何も無かった…無窮の闇へと引きずり込まれるような闇…。ハ、ハハ…深淵とはああ言うモノなんだろうな…」
力なく笑う彼女のそばにリヴァルは近づくと、そっと身体を寄せアビゲイルに触れる。
「アビゲイル、大丈夫。どんな時でも私が居るから」
「…リヴァル」
縋るようにリヴァルに抱きついた彼女の身体は小刻みに震えていた。
恐怖に怯え、ただ支えを求めるその姿は年頃の少女と相違なく見えた。
「大丈夫、大丈夫」
そしてその少女はリヴァルに甘え、無意識のままポツリと呟いた。
「姉さん」
「っ!?」
その言葉にリヴァルは大きく反応を示す。しかし肝心の言葉を発した本人は、昨夜寝ていなかった疲れが溜まっていたのか穏やかな寝息を立てていた。
「……ゆっくりお休みアビゲイル」
リヴァルは呪文を唱えると優しい風が彼女を包み込み、ベッドへと移動させる。
そして自身もアビゲイルの横に移動し、そのままリヴァルも深い眠りへと誘われていった。
「アルバート様、周辺の探索が完了しました。現存している生物はごく僅かですが、絶滅には至っていませんでした。ただ、周辺の環境が変化した事で、魔物の餌が不足し近隣の村が襲われる可能性もあります。」
森の中に設営されたキャンプの中、一人の兵士がアルバートに報告を行なっていた。
この森には以前も調査に赴いた事があるが、ここまで静かな森は初めてであり彼自身困惑を隠せないでいた。
「えぇ、そうですね。近隣の住民は事が収まるまで王国に避難させておきましょう」
「では手配の方を致しておきます」
兵士はそう告げると一礼しキャンプから出て行く。
「彼がやったとは思えないんですがね…」
此処を調べて分かった事は幾つかあるが、どれもが彼一人で為せるものでは無い様な物ばかりだった。
「彼がもしも単独であれを退けたのであれば…」
険しい顔で考え事をする彼は最悪の事態を想定していた。
彼がもし魔王側の者であり、これが大規模な侵攻作戦の前触れであるという事。
それが事実であるなら早急に彼に対して対処する必要性がある。
セシリーの判断を疑いたくは無いという思いと、彼自身の考えが頭を廻り続ける。
「…いえ、今はそれより」
己の考えを断ち切るように立ち上がり、彼は洞窟の奥へと部下を引きつれ向かった。
洞窟の中は薄暗く、血と土が混ざり思わず顔をしかめてしまうほどの悪臭を放っていた。
奥には誠一の報告した通りの物があるが、誠一の言っていた男の死体は何処にも見当たらなかった。
誠一が埋葬したというエルフの死体は既に回収済みではあるが、男の死体を回収したという報告は受けていない。
「……残滓の探知」
アルバートが呪文を唱えると、壁に付着した血と魔方陣が光る。
アルバートは光を帯びた血に触れると、バチリという微弱な電気と共に血から光が消える。
「…これは雷撃?」
残留していた魔力は雷撃によるものだが、その付近には魔法を行使した形跡が無い。
「…これは一体」
しかしその疑問に答えてくれるものなど居なく、その場に居る誰もが首を傾げていた。
普通魔法を放った場合、効果を発揮した地点と行使した地点に魔力が残留する。
この奇怪な事実にアルバートは眉をひそめる。
「…魔王の仕業か、それとも」
セーイチ殿
彼の心の誠一に対する疑惑は深まるばかりであった。
「此方の魔方陣は…不可視の鎖ですか。あれを縛る為に使ったのでしょうが…失敗に終わったみたいですね。ここで調べられるのはこれくらいでしょうか…一度報告の為に国に戻りましょうか」
ここの詳しい調査は兵士達に任せ、一足先にアルバートは帰路に着く。
己の疑惑を晴らす為、そして誠一の真意を知るために。
影の中に潜む城、周囲には光が無く暗い炎のみで照らされた大地にその城は建っていた。
城の周囲は荒れ果てており、生命の跡形すら存在していない。
城の扉は固く閉ざされており、如何なる者であっても寄せ付けない物々しさを放っている。
扉の付近にはローブを羽織った下半身の無い骸骨が二体浮いている。
その骸骨の両手には長柄の大型な鎌が握られていた。
鎌は門を守る様にその刃を交差させ、命を削り落とすのを今かと待ち続けている。
そんな門前に一つの麻袋を担いだ誰かが歩いてくる。
表皮には鋭く逆立った針の様な物が付いており、その風貌は針鼠を彷彿とさせる。
しかしその針鼠の様な生物は二足歩行であり、大きく発達した両腕は人など簡単に薙ぎ払えるだろう。
彼の持つ麻袋は大きく、成人男性一人分程の大きさがあった。
「よぉ、魔王さんにお届け物だ。」
しわがれた男性の声でその針鼠は骸骨に語りかける。
骸骨が鎌の柄を地面に突き立てると門が開き、奥には暗い炎が浮遊していた。
「…繧??繧贋ココ髢薙?菫。逕ィ縺ェ繧峨↑縺」
その炎が理解不能な言語で話している。
「案内頼むぜ、ここは俺には広すぎる」
その男が炎に話しかけると、再び理解不能な言葉を発した後ゆっくりと城の内部へと進んでいく。
それを追い進んでいくとやがて豪奢な部屋に辿り着く。
その部屋は肌触りの良い絨毯が敷かれており、壁には骸骨の模様をした旗が幾つも立て掛けられている。
男は麻袋を抱えたまま前を見据える。その視線の先には玉座があり、一人の人間が居た。
「よう魔王様、言いつけ通り持って来たぜ」
抱えた麻袋を下ろし、玉座の前へとそれを置く。男本人は片膝をつき、その頭を垂れている。
玉座に座る人間、魔王と呼ばれた人物が何かを呟く。
すると、両脇に見るもの全てを魅了してしまいそうな程可憐な少女が二人現れる。
その少女達は麻袋を抱えると何かを呟き麻袋と一緒に消える。
「…針鼠、もう下がってよいぞ」
「俺達種族の存命は」
「あぁ、約束しよう」
その言葉に男が顔を上げると、その玉座に座る人間は嘲笑うような表情をしていた。
男は無言のまま立ち上がりその場から立ち去る。
その両手は血が滲むほど強く握られていた。
退室した部屋から笑い声が聞こえる。
「侮るなよ…人間風情が」
誰にも聞こえないほど静かに、しかし確かな殺意を込めた言葉を吐き捨てる。
城から見上げた窓は、薄暗く雷雲に包まれていた。