第四節:魔女の狂気
時は遡り昼頃、一人部屋で椅子に座り難しい顔をしている女性が居た。
「やっぱり不味いね…」
ローブに身を包みフードを深く被る彼女はそうボソリと呟くと、その手に持っていた水晶を机に置く。
「以上があの場であった事の顛末だ。それで主、アイツはどうするんだ?」
アビゲイルの腰掛けた椅子の裏から女性の声が聞こえる。
アビゲイルは被っていたフードを外し、椅子にもたれかかりながらリヴァルへと視線を移す。
「どうもこうも…まだ決断は早いんじゃないかな?」
「だがアイツは闇魔法を使ったんだぞ?」
リヴァルがそう言うと彼女は一瞬険しい表情を見せる。
しかしすぐに気の抜けたような顔に戻り、ポツリポツリと喋り始めた。
「確かにアイツは闇魔法を使った…それは事実だよ。殺すのも簡単だけどさ、殺すのは少し惜しいんだ」
「それは…どういう」
リヴァルは大方予想が付いていたが主に聞き返すと、酷く歪んだ笑みで彼女は此方に笑い掛けながら話す。
「あれはまだ利用できるのさ、もしかしたら私の記憶を取り戻す手がかりにも…」
そこまで話し、ふと我に返ったように言葉を止め咳払いをする。
「ともかくだ、あの闇魔法は本来であれば人間には扱えない代物だ。しかし人間が使えるという証明を己が身で示したものが出たんだ。これを研究しないなんて勿体無いだろう?」
先程までの歪んだ笑みは消えており、いつもの意地の悪そうな笑みを浮かべる。
それを呆れかえった様な顔でリヴァルは見つめると、唐突にアビゲイルは彼女の頭を荒っぽく撫でる。
「こ、こら止めろ主!」
「まぁ取り敢えずは暫く監視させるしかないだろうなぁ…」
リヴァルは手を振り払おうと前足で抵抗するが、彼女はそんな抵抗に見向きもせず撫でるのを止めようとしない。
「もしもアイツが敵対するなら殺せばいいんだし…」
「いい加減に、コ、コラそこは止め」
頭を撫でていた手を喉元辺りに移動させ、喉元を爪で軽く引っ掛けるように触る。
リヴァルが両前足を使い抵抗するもの、無駄な努力でしかなく段々と悲鳴は嬌声へと変わっていった。
「あっと…ごめん」
アビゲイルがようやく気が付き撫でるのをやめると、珍しく謝罪の言葉を述べる。
リヴァルは開放されると同時に息を荒げ、過呼吸気味に息をしながら主を睨む。
「謝るくらいなら…最初からしないでくれるか」
睨んだままそう言うと、彼女はアハハと乾いた声で笑いながら目線を逸らす。
「全く…それで、私は相変わらずあれの監視か?」
「いや、今回監視役に呼ぶのは…」
そこで自室の扉にノックの音が響く。
「あの、アビゲイル様いらっしゃいますか?」
扉の先からは二人の聞きなれない声が聞こえる。
「来たか、入っていいよ」
アビゲイルは誰か分かっているらしく、相手に見えないであろう手招きをしながら呼んだ。
ガチャリと小気味いい音を立てながら自室のドアが開く。
そこに現れたのはクラリッサ・グリム・アヴィ
そう、セシリーのお気に入りの一人であり宿の経営を勤めている少女であった。
「コイツは確か…セシリーの」
「あぁ、お気に入りの一人で確か…」
「クラリッサ・グリム・アヴィです」
クラリッサはリヴァルを不思議そうに見ながら名乗る。
リヴァルはまたかという様に呆れながら、自分がアビゲイルと契約している魔法生物だと告げる。
珍しいものを見るような目でクラリッサはリヴァルを見ていたが、アビゲイルが話を始めると同時に視線を上げる。
「クラリッサさん、貴女にお願いがあるんだけどさ」
「私にですか?」
クラリッサは驚いたような顔をしてアビゲイルを見る。
「あぁ、君にしか出来ない事さ」
そう言うとアビゲイルはブツブツと何かを唱え始める。
その詠唱を見ながら、リヴァルは誰にも聞こえないような声で悪趣味だなと小さく呟く。
「監視する目」
彼女が詠唱を唱え魔法を行使すると同時に、クラリッサは一瞬背後に視線を感じる。
しかし振り向いても彼女の後ろには誰もおらず、自分が先程入ってきた扉が鎮座しているだけだった。
「君に加護を与えておいた、これで君の安全は保障された訳だ」
「安全…?その、お願いというのは」
「あ、ごめんごめん内容を話して無かったね」
ヘラヘラと笑う彼女に対しクラリッサは苦笑いを浮かべ、リヴァルは呆れた様な表情をしている。
「実は前に君が助けたセーイチって子がいるだろう?あの子を気に掛けて欲しいんだ」
「セーイチさんをですか?それは何故…」
「あの子死に急いでるみたいでさ、多分放っておいたら心が壊れるのが先か死ぬのが先かになるだろうね。そう、君の両親のようにね」
最後にはなった言葉、その言葉がクラリッサの心臓の鼓動を大きく跳ね上げる。
「な、なんで…」
「私は天才だ、一般人とは知識量が段違いなのさ」
自慢げにアビゲイルはそう言うと、クラリッサの近くまで歩いていき言葉を投げかける。
「頼めるかな?英雄の娘さん」
「…っ!!」
精神を逆撫でするような声、その声に思わずクラリッサは溢れ出そうになる感情を抑える。
「…わかりました」
そう言うと弾かれたようにクラリッサはアビゲイルの元から去る。
「主、もう少し言い方ってものがあるだろう」
「いいや、これでいいのさ。私にはある程度敵意や不信感を抱いてもらわないとね。そうしてくれないと私の思惑通り仲を深めてくれないかもしれないからね」
「もしも断られたらどうするつもりだったんだ?」
「その時は…洗脳でチャチャっとね?」
笑顔で語る彼女にリヴァルは冷たい目を向ける。
しかし彼女は全く気にしていない様子で、鼻歌混じりに部屋を出て行こうとする。
「リヴァル、少しセシリーの所行ってくるからアルバートのサポートしといて」
「了解、くれぐれも彼女を怒らせるなよ?」
リヴァルのその言葉に分かってるよと後ろ手で返し、アビゲイルはセシリーの部屋へと向かっていった。
「アビゲイル…記憶ってのはそんなに大切なものかい?」
一匹のみが残された部屋でリヴァルは呟く。それに答えるものなど居なく、やがて溜め息をつくとリヴァルの姿は霧のようにその場から消え失せた。
「誰だ」
何時もより幾分か刺々しい声が聞こえる。
どうやら彼女は、セーイチの件でまだ苛立っている様だとアビゲイルは感じた。
「アビゲイルだよセシリー、ちょっとお話したくてね」
「アビゲイルか、何の用だ」
ガチャリとドアが開きセシリーが顔を覗かせる。
その顔は不機嫌そうな様子を呈しており、普段の彼女とは別人と呼べるほどであった。
「あの子が回収したって言う魔道書、それとあの子自身についてちょっとね」
「…入れ」
暫くの沈黙の後、彼女はアビゲイルを自室に招き入れる。
部屋に入るとアビゲイルは我が物顔でソファに座り、片肘を付き不気味な笑みを浮かべる。
セシリーが対面に座ると同時に、セシリーの使用人が二人に紅茶を出す。
セシリーは一つ礼を言うと使用人に向けて下がるように言う。
「それで、お目当てはこれか」
セシリーが無造作に投げた本は空中で静止し、ゆっくりとアビゲイルの手元へと移動していく。
「全く、魔道書は乱暴に扱っちゃ駄目だろう?」
「お前ならどんな投げ方されても大丈夫だろうに」
そう言いながらアビゲイルは本を開き中身を確認していく。
「どうだ、なんか分かったか?」
「あぁ…うん……」
「どうした?」
「これ、古代召喚魔法が記載されている魔道書だよ」
「…つまり?」
「簡単に言うと普通の魔法生物とは違う、それも神格級の魔法生物を召喚出来る魔道書ってこと。成る程ね、これを回収できたとなればあの子に罰が無いのも納得だね。」
アビゲイルは大事そうに魔道書を抱えると一人でブツブツと喋り始める。
「この力を探れば…取り戻す手掛かりが掴めるかも…」
「アビゲイル?」
「え?あ、あぁごめんセシリー。この本は失われた古代の魔術の一つ、それも召喚術の類の物だね。ただ、多分これは殆どの者が使えないだろうね。」
「どういう事だ?」
「これを行使するには、闇魔法を行使する必要性がある。闇魔法を使える存在は魔王とその眷属…」
「つまり私達では扱えない魔法って事か」
一瞬間を置いて、アビゲイルはそうだねと溜め息をつく。
「仮に召喚が成功したとしても恐らく操ることは出来ないだろうね。これに必要な魔力は尋常じゃない。そうだね、私でも召喚出来たとしてもきっと制御しきれずに暴走するほどさ。まともな人間には扱うことすらままならないよ」
宝の持ち腐れってヤツだねとアビゲイルはおどけてみるが、セシリーの顔は曇ったままだ。
「…一応他に使い道がないか私のほうでも探ってみるよ」
「あぁ、頼む」
「それで、さっきからずーっと景気の悪い顔してるけどさ、そんなに悔しいの?」
「……何がだ」
イラついた、トゲのある言葉がアビゲイルに向けられる。
「あの子達を、守れなかったことがさ」
セシリーの心を見抜く様にアビゲイルはその言葉を容易く口にする。
「私は!!」
「いいかいセシリー、今から言う事を聞いて欲しい」
セシリーの声を遮る様に彼女の口元に人差し指を重ね、いつにない真剣な表情をしたアビゲイルが語りかける。
「全てを守るなんて神様でもなければ出来ないさ。今回の事に関しては君だけの責任じゃない。ましてあの子だけの責任でもない。君は背負い過ぎなんだよセシリー、背負わなくていいものまで背負ってたらいつか君は破綻するよ?」
「私はただ……」
「大丈夫、私とアルバートだって居るんだからさ。」
「…私は少しアンタの事を誤解してたかもしれない」
「ハハハ、失礼だね君は」
幼い小さな身体に縋りながら、セシリーは声を上げる事無く泣き続けた。
抱き留めるアビゲイルが邪悪な笑みを浮かべてることすら知らずに。
暫く経った後、泣き止んだセシリーは恥ずかしそうにアビゲイルと対面する。
「あーえっと…その、すまん」
その珍しい姿に思わず笑いを堪えきれなくなったアビゲイルは、口元を抑えながら身体をくの字に折り曲げ肩を震わせ笑う。
「い、いやこっちも珍しいものを見せてもらったよ」
笑い涙を拭いながらアビゲイルが答えると、セシリーは少し不機嫌そうな顔をするがすぐに真剣な表情に戻る。
「それで、セーイチの事で何か用があるんだろう」
「あぁ、彼が帰ってきたら少し貸して欲しいんだ」
「別にそれはいいけど…変なことはするなよ?」
訝しげな目で見るセシリーに対して、アビゲイルはヘラヘラとしながら生返事を返す。
「そういえばリヴァルが見当たらないが…また酷使してるのか?」
「前ほどじゃないさ、今はあの洞窟内を調べているアルバートのサポートをさせてるだけだよ」
「程々にしておきなよ?また魔力不足で倒れられても困るんだし」
「それはリヴァルの心配?それとも私?」
おどけて聞くアビゲイルに彼女は両方だよと真面目に答える。
意表を突かれたのか、暫くアビゲイルは呆気にとられた様な顔をして何時もとは違う純粋な笑顔を見せる。
「ありがとう、セシリー。君もあまり思い詰めないでね」
「あぁ、ありがとうな」
お互いに握手を交わしアビゲイルは部屋から退室する。
「あぁ、ホントにありがとう。君は本当に…扱い易い」
アビゲイルは廊下を歩きながらそう呟く。
彼女の瞳に映る物は最初から一つだけという事実に、気が付く者はこの城にはいないだろう。
「ふふっ…遂に私の記憶を戻す手掛かりがこの手に」
狂気じみた笑みを浮かべる彼女は軽い足取りで自室へと向かう。
その狂気に染まった瞳に己が欲望を浮かべながら。