第三節:課せられた義務
何かが焼ける嫌な臭いを感じながら誠一は目を覚ました。
「…っ」
身体を動かそうとすると鋭い痛みが走る。
自分の身体を確認すると、厚い金属の鎧は見る影も無くボロボロになっている。
動かす身体に合わせて灰になった金属が滑り落ちていく。
肌の一部はやけどによる炎症が起きているが、動けないほどの痛みではない様だ。
「…生きてる?生きてる…のか」
そう言いながら周囲を見た彼は絶句する。
彼が目にしたのは黒く焼け焦げた木と、死体の山であったであろう場所に積まれた粉状の物体だった。
誠一たちを襲った化物は居なくなっており、しかしそこに居た事を証明するように地面の一部は焼け焦げていなかった。
「これを…俺が?」
ゆっくりと立ち上がりながら、この現状に思考を追いつかせようとする。
しかし理解出来ずに途方にくれる彼はふと一つのことを思い立つ。
「洞窟の奥…そこからアイツは出てきた」
未だふらつく足を引きずりながら、彼は洞窟の奥へと進んでいく。
洞窟の中は壁に松明が等間隔に設置されており、誰かが生活をしていた後の様な物が幾つか見受けられた。
「ここは…」
洞窟の最深部には異様な光景が広がっていた。
中央に血で魔方陣の様なものが描かれており、その周囲には裸のまま心臓のみを抉り取られている女性の死体が四人倒れている。
「惨い…」
その惨状に思わず吐き気を催し目をそらす。
目を瞑り再度深呼吸をしてその死体達へ向き直った。
死体に触れ確かめると死亡してからそれほど日が経っていないのか、腐敗は始まっておらず血も乾ききっていない。
どの死体の女性も耳が長く、土と血で汚れても尚綺麗な金髪と透き通るような翡翠色の瞳をしていた。
「エルフか?」
誠一は自身の脳内の知識と照らし合わせ、特徴が一致した生物の名を挙げる。
エルフはかつてエルシエル国で共に暮らしていた種族だが、やがて人の数が増えるにつれ少数のエルフは迫害されるようになったという。
結果としてエルフは国を追い出されるような形で国付近の森へ住処を移した。
非常に魔法の行使に優れた種族ではあるが、非力であり一部の人間は奴隷の様にエルフを扱っていたと文献に記されていたことを思い出す。
エルフの顔はどれも恐怖にゆがんだままその命を散らしている。
心臓があったであろう胸部には穴が開いており、そこから滴る血が地面を少しずつ赤に染め上げていった。
「せめてしっかり弔ってやろう…」
そういいながら誠一は立ち上がり魔方陣の奥にある机に目をやる。
奥には一組の机と椅子があり、その端には左上半身が噛み千切られた男性の死体が無造作に寝転がされていた。
机の上には血に濡れているが一冊の本が置いてある。
手にとって中を見るが見たことも無いような文字で書かれてあり、その一切を読み取ることが出来ない。
誠一は読むのを諦め机の上にその本を置く。
「後で持ち帰るか…」
そう言うと視線を男の死体に向け衣服に何か無いか探り始める。
男はローブの様なものを羽織っていた様だが、衣服ごと噛み千切られたようで服としての機能は失われているようだった。
誠一が探っていると懐から一冊の本が落ちた。
それを拾い上げてみると、血で汚れているがこの男の手記の様だ。
表紙から数枚は血に汚れていてまともに読めないが、ページを捲っていくと読める所が幾つか見受けられた。
日付は血で汚れていて読めないが、内容は問題なく読めた。
■月■■日
あの方から貰った魔道書を使い獣を呼んだ。
衛兵共が悲鳴も上げれず死んでいく様は見ていて気持ちが良かった。
しかし冒険者の様な男に足止めされ、あの憎きセシリーに深手を負わされてしまった。
だが此方には先日捉えたエルフの女達が居る。
あいつ等を使って少しでも鋭い尾用の魔力を確保しなければ。
■月■■日
どうやらセシリーはお気に入りを一つ増やしたらしい
ならそれを奪ってやる。あの女が邪魔をしない様に根回しもしてもらった。
鋭い尾の魔力が枯渇し始めている。
エルフの女を食わせたが足りないらしい。
周りの生物達も食わせてみるか。
■月■■日
偵察に向かわせていた小間使いがあのお気に入りが城を出たと報告してきた。
あらかた森の生物は食い散らしてしまったがエルフは四人残っている。
こいつ等の心臓を喰わせ魔法陣で制御魔法を行使すれば恐らく鋭い尾を再び制御できるだろう。
数日前から鋭い尾は餌を求めて森をうろついている様だ。
制御を失ったこいつは魔力尽きるまで暴れ続ける化物だが、制御してしまえば強力な兵器になる。
ここで日記は途絶えており、これ以外の内容は血で汚れていて読めそうに無かった。
「…これも持ち帰るか」
やりきれない気持ちを抱え誠一は立ち上がる。
本を二冊回収し、エルフを森の中へ運び土に埋め近くにあった花を数本取り墓前へと置いた。
何も守れなかった悲しみと怒りを抱え、誠一は馬に乗り帰路に就くのだった。
夜の静けさが辺りに広がった頃、誠一はエルシエル国に辿り着いた。
チェックを受け門を潜った先には、見慣れた顔が一人居た。
「セシリー様…」
普段以上に鋭い目をこちらに向ける彼女に、誠一は思わず呆気に取られてしまう。
「セーイチ…」
彼女は険しい顔をした後、目を瞑り決意を抱いた瞳で誠一を再度見据える。
「セシリー様、俺は」
「セーイチ、お前には果たすべき義務がある」
「え?」
セシリーは彼の言葉を遮るようにそう言い放った。
「明日の朝、私の部屋まで来い」
それだけを告げるとセシリーは踵を返し、呆然と立ち尽くす誠一を置いて城に戻るのだった。
一人取り残された誠一は拳を握り、改めて自分の無力を痛感する。
しかし、それはまだ始まりに過ぎないことを今の彼は知る由も無かった。
城に戻った誠一は、浅い眠りと覚醒を幾度か繰り返している内に日が昇り始めていることに気が付く。
「……」
朝食を済ませ身支度を整える間、彼の顔は非常に浮かないものだった。
ガイルもそれを察してか、必要以上の言葉を掛けるのは避けていた。
無言のまま自室から出た彼はそのままセシリーの部屋へと向かう。
いつも尋ねている時とは違い、今はその扉が重苦しいものに感じた。
「入れ」
部屋にノックをすると端的な返事が帰ってくる。
いつもと変わりない言葉、しかし今日だけはそれが自分を攻め立てる言葉のように感じていた。
「失礼します…」
部屋の扉を開けると、いつもとは違う光景が広がっていた。
机の上に置かれている書類は無く、代わりに誰かの私物が幾つか見受けられる。
「お前にはこれらを遺族の方々に届けてもらう」
「遺族…」
「そう、お前と共に作戦を行い騎士として最後まで国の為に戦った者達。その遺族にお前が直接渡しに行くんだ」
それがお前の義務だ。そう語る彼女の目は何処か悲しげな瞳をしていた。
「分かりました…」
遺された物達を見て、誠一は昨日の事をまじまじと思い出す。
「今回の事はお前だけのせいじゃない。でもな、隊長としての勤めは果たさなければならないんだ」
誠一の肩に手を置きながらセシリーはそう言い、部屋を後にした。
やるせない気持ちを抑え、誠一は遺品を持ち遺族達の元へと向かう。
一軒目の家は名も知らなかったあの女騎士。
エイダ・ヨーク・ライトの遺族の元へと向かった。
「はい、どちら様で…え?」
ドアをノックすると優しそうな風貌をした、三十台半ば頃の女性が家の中から出てくる。
軽鎧とはいえ、国の騎士が家屋を訪問する等という事は殆ど無いという。
であればこの女性の誠一に対する驚愕も当然のものなのだろう。
「貴女の娘、エイダ・ヨーク・ライトさんについてお話があります。旦那様もいらっしゃるのでしたらお呼び頂いても宜しいでしょうか」
「は、はい…取り合えず上がって下さい」
彼の重苦しい雰囲気を悟ったのか、不安な面持ちのまま彼女は誠一を家に迎え入れる。
リビングに案内され、暫く待っていると四十台前半くらいの男性が先程の女性と一緒に現れる。
女性は三個のティーカップを乗せたトレーを持っており、分けられたカップには鮮やかな赤色を基調とした紅茶が注がれていた。
「お待たせして申し訳ありません」
そう言いながら男性は対面に座り、女性も紅茶を配り終わるとその男性の隣に座る。
対面に座る彼らの顔は神妙な面持ちのまま、此方の声を待ち続けているようだった。
「エイダ・ヨーク・ライト殿は国の為に最後まで戦い、その生涯を国の為に尽くして頂きました」
そう告げると、夫婦の目は見開かれ信じられない物を見たかの様に固まる。
「エイダ・ヨーク・ライト殿には深い感謝と」
「嘘よ!!」
誠一の言葉を遮り女性が身を乗り出して叫ぶ。
隣に居る夫が宥めようとするが、その制止を振り切り誠一の胸倉を掴む。
そこにはもう優しい女性の面影は無く、大切なものを失い絶望した目がきつく誠一を睨んでいた。
「あの子が死ぬわけ無い!あんなに優しくて強い子が死ぬなんて…そんな…」
胸倉を掴みながら叫ぶ彼女の力は弱く、簡単に振りほどくことも出来る。
しかし誠一はその剣幕に気圧され身動きを取れずにいた。
その様子を見かねたのか、夫が妻の手をゆっくりと取り抱き寄せる。
彼の腕の中で彼女は泣き崩れ、嗚咽と泣き声だけがその部屋を支配し続ける。
「すまない…君は遺品を届けてくれたのだろう?」
冷静を装っているが、その男の顔は悲しみと怒りで満たされていた。
「はい…此方に」
そう言って小さめの木箱を渡す。
中には運ぶ際に傷が付かない様に梱包された遺品がある。
重量的には軽いものであるが、誠一にとっては何よりも重い物に感じた。
「ありがとう…」
遺品を受け取った彼は妻を支えながら奥へと消えていく前、此方に弱々しく微笑みながら礼を言い去っていった。
誠一はその背中に掛ける言葉も見つからず、一礼し次の遺品を届けに向かった。
遺族への遺品を届け終わる頃には太陽が沈み始めており、もうすぐ夜が来ることを告げていた。
少しずつ雨が降り始める。遺族達の流した涙の様に、その雨脚は段々と強くなっていった。
「間違えていたのかな…」
雨に濡れながらボソリと誠一は呟く。
「大丈夫ですか?」
後ろから聞きなれた声が聞こえる。振り向くとクラリッサが心配そうに誠一を見ていた。
「あぁ…うん平気だ」
誠一はクラリッサに微笑み返すとその場を立ち去ろうとする。
不意に誠一の手に誰かの手が重なる。
振り向くとクラリッサが誠一の手をしっかりと握っていた。
「無理しないで下さい」
心配そうに此方を見上げる彼女に思わず黙り込む。
「私で良ければお話を聞きますよ?」
心の底から善意を向ける彼女に、思わず感情のコントロールが聞かなくなりそうになる。
しかしそれを誠一は押さえ込みそっと握られた手を剥がす。
「大丈夫、本当に大丈夫だから」
自分に言い聞かせるようにそう言うと、彼はゆっくりと歩き出した。
その背中を見送るクラリッサを見やる事無く、彼女が呟いた言葉に気が付くこともなかった。
城に戻るとガイルが門の前で待っていた。
「お帰りなさいませ、さぁこれを」
差し出された手には柔らかそうなタオルが一枚ある。
誠一は礼を言いながら濡れた頭をタオルにうずめる。
温かく優しい香りのするそれは誠一を包み込むが、それは同時に彼の感情の吐露を促す。
叫びたい、泣きたいこの気持ちを精一杯の理性を使い押さえつける。
自分よりも悲しい思いをした者が居る。
その者達のためにも自分が泣く訳にはいかない。
誠一は一度深く呼吸を吸い静かに吐くと、タオルを顔から外しその瞳に決意を抱く。
自分が強くあれば周りの人達を守ることが出来るかもしれない。
その為に強くなりたい、力を得たいと心の底から思う。
それはかつての誠一が持つことが無かったもの。
諦め全てを傍観していた頃には持てなかった夢であった。
決意も新たにセシリーへと報告へ向かおうとすると、通路の奥から足音が聞こえてくる。
「やぁ、帰ってきてたんだ」
通路の奥から声が聞こえる。
月明かりと壁に灯るランタンの薄明かりに照らされてその声の主がゆっくりと姿を現す。
「アビゲイル様…」
三騎士の一人、アビゲイルが誠一の前に立つ。
彼女はいつもの様な不気味な笑みを浮かべているが、その目の感情は酷く凍りついていた。
「君に手伝って欲しいことがあるんだ」
何時もより冷たく感じる声でアビゲイルが誠一に話しかける。
思わず身震いしてしまう程の冷たさを感じ、誠一は彼女に恐怖すら覚える。
「分かり…ました…」
誠一がおずおずと返事をすると、アビゲイルはいつもの調子の明るい口調に戻る。
しかし彼女の瞳は未だ何処か暗い感情を秘めているように見えた。
ガイルを自室で待つようにと指示を与えると、警戒しつつ誠一はアビゲイルと共に深い闇へと消えていった。