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あるピアニストの憂鬱

両手が重い。

そう思い出したのはいつからだろう。


私はただ、ヒイラギのために、あいつの力になりたかっただけなのに。


もう感覚のない金属の塊を、腕の力でなんとか持ち上げてみる。

ガシャガシャと音を立てて持ち上げられたそれは、歪な手の形をした重い重い武器だ。


「A53聞こえるか」

耳に不愉快なノイズとともに『先生』の声が聞こえた。ああ、またか。

最近になって私の耳は暗号として送られてくる信号を自動変換する機能が付けられた。


また人間から1歩離れてしまった気がする。



わたしはなんでたたかっているのだろう。

わたしは なにと たたかって……


そんな思考も虚しく、また意識が呑まれていく。

呑まれて飲まれて闇の海へ沈んでいく中、スイッチの入る音が聞こえる。



ここはもう終わった世界。

たった一体のAIを秘密裏に消すために人間がAIになった世界。




私たちはなにと、なんで、どうして戦っているのだろう。

押される鍵盤。踏み込まれるペダルの音。高ぶり、擦れるドレスの音。


「向こう側」にいるあの人たちにはこの音は聞こえているのだろうか。

いいやそんなことはないだろう。

あの人たちは私の指が、姿が奏でる音にしか興味ない。


指が滑っていく。

時に軽やかに、時に重々しく。

時に怒り、時に嘆きながら。


そして最後の和音を、この閉じ込められた小さな世界に叫ばせる。聞け、これが私だと言うように。


天谷銀杏

それが私の名前だ。

数々のコンクールは最優秀賞を総なめ、演奏会では何度か大きな交響楽団とのコラボを果たした。


私にはちょっとした特技がある。それは不思議なことに楽譜を見ると、その音が曲がこう弾いてくれと叫ぶ声を聞き取れる、というものだ。けれど、そんな風にインタビューに答えると、周りからは特段練習なんてしていないように妬みの目を向けられる。


そんなこと、全くないのに。

その曲が叫ぶ声を実現するために、どれほどの努力をしてきたかなんて、筆舌に尽くしがたい。こう弾きたい、じゃなくて、「こう弾いてくれ」と言われているのだから、それを常に再現しなくてはいけない。

まあそんなことを呟いたところで、曲の声が聞こえない人間には分からないこと。


私はホールという小さな世界で響く無数の拍手と花花に向けてひとつお辞儀をし、舞台から捌けていった。



「あ、イチョウ!お疲れ様!!」

舞台袖には私のために待つ人を基本的に入れないのだが。

私のムスッとした顔をよそ目にしつつ、花束を持って笑顔で待っていたのは幼馴染の今花柊だ。


「ヒイラギ、花束なんて持ってたらコケるよ。」

私は柊の花束を腕の中から奪い取った。

柊は生まれつき右腕がなく、袖を結んだ不格好な形をしている。それなのに元気に動き回り、笑顔の耐えない、不思議な男子であった。

今日だって、両手で持ってようやく持てるほどの大きさの花束を腕で抱えて待っていてくれた。


「えへへ、だってイチョウのために花束持ってくるの僕だけでしょ?」

「わかったから……てかくしゃみするなら花束から手を離してよ!!」

慌ててドレスの裾を持ち上げ離れる。と、同時に男とは思えない可愛いくしゃみが舞台袖に響く。


「ドレス汚れてない?大丈夫?」

「別に汚れてないわよ…てかもう撤収の作業始まるから急いで戻るからどいて。」

ヒイラギの肩をトンと押し、私は楽屋に戻った。


私の家はいわゆる音楽一家ではなく、どちらかといえば教育ママのいる家庭であった。

親は私の才能に気づいてからピアノの教室に通わせてくれたが、どんどん過干渉になっていった。

ひどい時は私の弾くピアノを全て近くで録音し、その度に高額な謝礼を支払い、有名なピアニストに聞いてもらっていたらしい。

そうやって、私だけの空間--すなわち楽譜との対話の時間が削られ、一時期はピアノをやめそうになるところまで行った。



その結果どうなったかといえば、まあ楽屋に誰もいれなくなったわけで。


誰もいない楽屋、誰にも聞かれない楽屋。



ドレスを脱ぎ、背伸びをする。

私だけの空間。それを味わうように大きくため息をついた。


と、その時。

「イチョウ、後で話あるから、いつものとこ来てくれる?」と、ヒイラギの声がした。

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