22.「祖母という人」
最初から、だったのかもしれない。……否、徐々にということを錯覚してそう思っているのかもしれないが、俺は、ほぼ初めの頃から彼女にある人の面影を重ねていた。
_俺の祖母という人の面影に。
俺と唯が懐いていた彼女は、明らかに異質な存在の方だった。
俺の父方の祖母にあたるその方は、大正6年生まれ。俺と唯が5歳の頃、80歳の彼女は、とても80歳とは思えない程若々しい方だった。80歳だというのに、まだ20代前半だと説明されても納得してしまう程若々しい肌と鈴のなるように笑う彼女。少しドジなところもある祖母は、20代前半から、姿の変化がなくなってしまったのだという。
彼女を知る人たちは、そんな彼女を気味悪がっていた。不老というのは、その当時幼かった俺には想像もつかない程に周囲の大人たちに気味悪がられるものらしかった。
彼女は、ひだまりのようにいつも明るく、僕や唯をとてもかわいがってくれた。
唯は、幼馴染だ。正確には、男勝りの彼女に当時からあまり自分から人に対して積極的になれなかった僕は、あらゆる面で、唯に下に見られていた。いわゆる弟分。というような……かわいらしく言えば。だが。
唯にいじめられる……唯にとっては構ってやっているという感覚だろうが、俺としてはいじめられたとしか取れない様々な理不尽さをぶつけられる人が俺には祖母しかいなかった。
祖母は、料理が上手だった。いつも泣きながら祖母の僕にとっては少し珍しい洋風のつくりの家に駆けこむと祖母はいつも僕が目を輝かせるものを手作りしてくれた。中でも僕が大好きだったのは、彼女が昔教えてもらったという、ビーフシチューだった。居間には蓄音機が置かれている。
大正6年、祖母が生まれた年といえば、デモクラシーという言葉が流行した頃。同時期にロシア革命や、大正7年には、ドイツ革命などがおこっている。
彼女の中に出てくるお話は僕にはとても面白かった。
俺には、男の子なのに、泣き虫ねぇと笑い、唯には、女の子にしてはお転婆ね。と笑った。
祖母は、謎の人だった。祖母の実の息子である父も、私にも母さんのことはわからないのだと聞いてくれるなと苦笑されるほど謎の人だった。
何しろ、彼女の経歴を正確に知っていた人など居なかったのだから、謎だといわれるのも当たり前だと思う。
彼女は幼い僕の目から見ても、孤独なようなのに、頻繁に彼女の家には、お客様が訪ねてきていた。
それは時には、国籍の不明な初老の紳士だったり、孤独を抱えた老婆だったりし、
父がイギリス人で、(俺は祖母からそう聞いていた)語学が堪能だった彼女は、流暢な英語で、そのようなお客様をもてなしていた。
彼らは、彼女の話に涙をし、何故か非常に多い金額を彼女に包み、手渡していた。
父は、祖母に女手一つで育てられたのだが、母さんと暮らしている私にすら、母さんの収入源が何なのか、父親はどんな人なのか、死ぬまで一切教えてくれることはなかったのだと苦笑された。
祖母は天涯孤独な身の上で、経歴も一切明かさない。そんな人だった。




