11.A voice over the radio.
結果から言うなら、ラジオから聴こえた声は白昼夢のたまものではなかったらしい。
何でそんなことがいえるのかというと、次の日も、そのまた次の日も、ラジオから声が届いたからだ。
あたしはもちろん狂喜した。つけっぱなしのラジオを前に、眠ることすらせずに座り込み続けたくらいに。そのうちに、声が届く時間が決まっていることにも気づいた。晴れた日の昼下がり、だいたい1時から1時半の30分。その法則を見出したのは、もう一週間ほど前のことになる。気づいてからは、その時間だけラジオのスイッチを入れることにした。電池だって、無限にあるわけじゃないのだ。
とにかく、ラジオから声が届くようになって10日ほどがすぎたわけだ。
その10日間、というよりは声が届く時間の法則を見出してからの7日間で、あたしの生活はだいぶ規則的になっていた。
たとえば、感情にまかせて部屋を荒らす回数が少なくなった。その代わりといえるのかどうか分からないけれど、生活するために何かをすることが増えた。
もうこれは、日課と言ったっていいんじゃないだろうか。
朝起きて、ご飯を作って食べて片づけて川に水をくみに外に出る。ついでに道路の瓦礫を歩きやすいように動かしたりもする。そうして本を読んだり料理をしたりして、お昼が来たらラジオのスイッチを入れる。ラジオにしばらく耳を傾けて、その後はぼうっとして。夕方になる少し前に自転車で外に出かけて何かを盗ってくる。
相変わらず無人の世界は、けれど前ほどは恐ろしくなくなっていた。
他の人たちはどうなったのか、どうしてあたしは生きているのか、なんてことは分からないままだったけれど。それでもあたしは、生活らしきものをなんとか成り立たせられるようにはなった。
空が晴れていて、お昼が来たらラジオが聴けるのだ、ということがずいぶんと支えになっているからだと思う。
声と放送の内容から推測するに、話しているのは、若い男のようだった。
彼もまた、独りきりらしい。
らしい、というのは。彼が現状を殆どと言っていいほど語らないからだ。
普通、非常時の放送って言ったら、この地域はこんな状態ですよとか、この場所に行けばこんな支援が受けられますよとか、せめて明日の天気だとか、もっと有益な情報を流すのがセオリーなんじゃないの。
ぼやきかけた言葉をため息に変えたのは、放送を聴きはじめて2日目のことだった。
・・・きっとこの人も、どうしたらいいのか分からないんだ。
そう気づいてしまってから、男の他愛ない言葉にのめりこむようになった。
たとえば、今日の空の色とそこに浮かぶ雲の形。
たとえば、小学生だったときのささやかな冒険。
たとえば、一ヶ月前に読んだ小説のあらすじ。
たいていの放送は、そんなどうでもいい世間話に終始した。
たまに、いつだったか流行った歌を歌うことすらあって、あたしは音程の微妙な外れっぷりに笑いながら、気が向いたら一緒に歌ってみたりした。
顔すら知らない男の言葉に、あたしは共感し、そして笑った。
こんなにも。他者の存在に餓えていたのか、とびっくりしたくらいに。
電波状況はそんなによくないらしく、ノイズが入らない日はなかったけど。
一方通行の独り言のような、いや、まさに独り言でしかない放送を、あたしは待ち望むようになっていた。