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9.rationalization.

 スーパーは、奇跡的に何の被害も受けていないように見えた。

 ガラスも割れていなければ、屋根が焼け焦げてるわけでもない。

 それに少しだけ安心して、緊張を少し緩める。

 けっきょく、誰にも遭わなかったなぁ

 厳戒令とか出てたらどうしよう

 ・・・ていうかこの日本でそんなの出るのかな

 ぼんやりと脳裏をよぎった思考を、考えなかったことにして自動ドアではない扉を押し開ける。

 そう広くもない店内は、電気がついていないせいかだいぶ薄暗かった。

 少しずつ暗がりに慣れだした目がとらえた光景に、あたしは茫然と立ち尽くした。

 ・・・どういうことだろう、これは。

 整然と並んでいるはずの商品棚が、床に折り重なるように倒れている。

 なんとなく、人為的な痕跡を感じて、身体に震えが走った。

 鮮魚売り場や精肉売り場、野菜・果物売り場にむらがってるあの黒い塊は、ハエだろうか。

 もう慣れきってしまったはずの異臭が、改めて鼻を刺した。

 何も考えたくなくて、あたしは淡々と、買い物カゴをカートに乗せた。

 ハエのかたまりに近づく気にはなれなかったから、記憶どおりなら飲み物が陳列されているはずの棚のほうへ向かう。

 そこは、思っていたよりはずっと、いつもどおりで。テレビで見た大停電のときのアメリカのスーパーマーケットみたいに、商品が強奪されて荒れ果てているんじゃないかと思ってただけに、拍子抜けした。

 それでも、おんなじように考えた人がいなかったわけではなかったらしく、大安売りのときでもそうはならないほどには棚は空っぽだった。

 

 わずかに残っていた水のペットボトルを一つ手にとって、衝動に突き動かされるまま、口を開ける。

 お店の中で物を・・・それもお金を払ってすらいない商品に口をつけるなんて、そんなはしたないことを自分がすることになるなんてこれまで思ったことがなかったのに、一度口をつけたらもう、止まらなかった。

 口をゆすぐだけにして、外で吐き出してこうようと思ってた一口目さえ、もったいなくてはきだせずに。

 そのまま500mlを1本飲み干したところで、あたしはようやく息をついた。

 久しぶりに、人心地がついたような気がした。

 少しだけ落ち着いた頭が、水はもちろんのこと、コーヒーだとか炭酸飲料だとか、とにかくありったけのペットボトルやレトルト食品や、缶詰や、チョコレートなんかをカゴに入れて、それからふと思いついて、隣の“夏のキャンプ特集”と銘打たれたコーナーに向かう。

 思ったとおり、そこには携帯用のガスコンロとガスボンベがあった。

 自炊をあんまりしないと言っても、何かを暖めるのにコンロは欠かせない。

 あまり意識していないところで台所を利用していたことも、この数日で実感していた。

 棚が倒れている場所を避けて、そろそろとカートを進める。

 カートの上下の二つのカゴは、必要そうなもので既にいっぱいで、一歩足を進めるのもしんどかった。

 こんなたくさんの買い物をするのはどれくらいぶりだろう。

 お金足りるかな、と心配して。

 その心配の無意味さに笑った。

 人もいない、監視カメラの電源だっておそらく切れてるこの店で、お金を払うことにどんな意味があるっていうんだろう。

 そう思いながら、いつもの癖でレジを通る。

 レジスターの電源もやっぱり切れているらしく、見よう見まねで金額を算定してお金を置いていくなんてこともできそうもなかった。

 なのに、レジの上にいくばくかのお金が置かれているのが見えて。

 あたしは自分の醜さに涙が出そうになった。

 どうしようか迷って、結局お金は置かないまま、ずっしりと重いカートを押して店を出る。

 生まれてはじめての万引きに、きょろきょろと辺りをうかがって、その滑稽さに笑った。

 いっそ、誰かに見咎められて、警察に捕まってしまえたらいいのに。

 思いながら、のろのろとカートを押す。

 照りつける日差しの下を瓦礫をよけながら進んでいくのは結構めんどくさかったけど、久しぶりにまっとうなご飯が食べられる予感に、心はウキウキとはずんでいて。そんな自分を殴りつけてやりたいような気がした。



 部屋にもどってからが、大仕事だった。

 荒れ果てた部屋をおざなりに片付けて荷物を置くスペースを作るのも、ペットボトルやら何やらを持って階段を登るのも、持って帰ってきたものを整理して片付けるのも、カートを非常階段の下に隠すのも。

 ぬるくてなんともいえない味になった炭酸ジュースをちょっと飲んだりしながら、だましだまし荷物を運んで、なんとかぜんぶ終わった頃には窓から夕陽が見えた。

 本当なら、向こうがわに立っていた高層ビルのせいで見えないはずの夕焼けを横目に、あたしは何かをやり遂げたような気分で笑った。

 こんなに体力を使って、こんなに汗をかいたのは久しぶりだった。

 高層難民だったら、もっと大変だったんだろうなぁ

 なんとなく思いついて眉をしかめる。

 3階のこの部屋ですら、ここまで苦労したのだ。

 これが50階だとか100階だったら、と思うだに冷や汗がでそうだった。

 一生そんなところには住むまい。


 それから、ガスコンロを部屋の真ん中に設置して、説明書を斜め読みしながらガスボンベをセットした。階段を登っているときに、何度目の前が暗くなったのかよくわからないくらいには貧血気味で、おなかが減っていた。




 この日を皮切りに、あたしはあちこちから物を盗んでくるようになった。

 スリルも何もない、単なる生活の一部として。

 たとえば、それは、トイレットペーパーだったり、水のいらないシャンプーだったり、気になってた本の続きだったり、はたまた自転車だったりした。

 誰もいないから、非常時だから何をしてもいいわけではないことは分かっているつもりで、でも、他にどうしていいか分からなくて。

 罪悪感は合理化の前に屈服した。

 一度、ケータイの充電器を盗んできたこともあった。

 だけど、電源の入ったケータイは、どうしてだか圏外表示のままで。

 あたしは2時間かけて探し出したケータイを、部屋の隅に放り投げた。

 それでも。

 はじめて行ったスーパーが、見事に荒らされてたから、もしかしたらあたし以外にも誰かいるのかもしれない、と期待しながらおびえたけれど。

 生きている人にでくわすことはまったくなかった。

 護身用に包丁をもって歩くのも、じきにやめた。

 部屋まで漂ってくる異臭にも、そのうち慣れてしまった。

 人は、こんな風に適応していくんだなぁ、と。

 それがひどくおかしかった。


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