第3話
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「うわ麻木ダサッ!」
「日焼けしたくないのよ」
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「付き合ってくれねぇか?」
「待ってるよ」
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「うわ麻木ダサッ!」
「日焼けしたくないのよ」
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「付き合ってくれねぇか?」
「待ってるよ」
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「うわ麻木ダサッ!」
「日焼けしたくないのよ」
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「お前、それ俺観たことあるぞ。小学校の時」
「小菅は1・2年の時何組だったっけ?」
「2組」
「わたしも2組だったんだけど」
「マジか」
「1組の担任の片口先生が運動会の時の日焼け対策がこれを超えるぐらいのレベルだった」
「それだ! 片口先生! 運動会の練習で日光完全に遮断してた! 砂漠越えみたいな恰好の、長袖のアレ、なぁ! で、片口先生の分も全部清水先生が練習の指導しててさ!」
「お前がまだリレーの選手に選ばれなかった頃ね」
「あー、お前は6年連続走ったもんな」
「中高入れると12年」
「12年……じゃないか、9年か。9年経てばこうなるもんかね」
「成長の曲線が一番急こう配な時期だからね。わたしはその間待機だったけど」
「それは悪かった。だが中学時代はあれだけ太陽の下で走り回ってた麻木が今は片口先生越えの砂漠越えか。まぁ、砂漠に日傘持ってくやつはいないが」
「片口先生みたいなおばさんとわたしを一緒にしないでよ」
――スペイン南部のバルを切り盛りする肝っ玉母ちゃんグロリア・サンチェスは語る。
「全くなっちゃいないよこの小娘は! 本当においしいワインってのは、ワインだけじゃおいしくならないのさ! ピクルスがあって初めて“おいしく”なるんだよ! そりゃあ、ワインとピクルスを一度にやればすごくおいしいさ! でもそれだけじゃダメなんだ! ワインとピクルスをよりおいしくやるんなら、そのワインの価値を知らなきゃいけないよ! 最高中の最高に寝かせたワイン! もちろんいいワインは一朝一夕でできるもんじゃないよ。そこのところは、いいワインの準備をしてきたこの小娘を褒めてもいいかもしれないね。でもそのワインはいったい誰が空けるんだい? アンタ自身がすごいいいワインだって誰が知ってたんだい? だけどそれはもう決まったんだろう? アンタはいいワインかもしれないさ。でも、一度コルクを抜いたらすぐに飲まないとすぐに酢になっちまうよ! それになんだいなんだい! 日焼けが怖くって小麦色のヴィーナスになれるかい!」
「で、どういうところを探せばいいの?」
「木」
「いや木って」
「幹。主に細い茎」
「コツとかねぇのか」
「アブラムシがいるところにテントウムシもいる。幼虫をお願い」
麻木真理はベランダで栽培している愛しの朝顔を蹂躙するアブラムシ軍団を駆逐すべく公園にてテントウムシを徴兵することを決定した。そして現在愛しの朝顔に群がっているアブラムシ軍団を駆逐した後に、食料と領地の拡大と復讐戦に進軍してくる新たなアブラムシ軍団への対抗策として、仕事が終わると飛翔して帰宅してしまう成年テントウムシ兵ではなく、テントウムシ少年兵を中心としたテントウムシ義勇軍を結成するのだ。父は口には出さないが愛しの朝顔でさえアブラムシ軍団で疲弊しているので父の野菜にもアブラムシ軍団は多大な被害を与えている可能性が高い。長年の野菜作りでアブラムシへの対策ぐらいは父はすでに講じているのかもしれないが、ここで娘がテントウムシ義勇軍を率いて援軍に行くことは父への気持ちになるだろうと考えていた。そういう気持ちの積み重ねは評価につながり、評価は主な収入源が空欄の麻木真理が、自身の経済を支えることに大きな意味を持つ。しかし麻木真理はテントウムシ義勇軍結成のために赴いた公園でその真珠の様な白く柔く滑らかな肌を失うわけにはいかなかった。その理由は、小菅暁をテントウムシ義勇軍の主戦力となるテントウムシ少年兵の徴兵の事実上の執行者に任命したことに直結する。
小菅暁と公園に行きたい。
+テントウムシ義勇軍を結成したい。
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「テントウムシ義勇軍を結成したいけど日焼けをしたくないから代わりに小菅がテントウムシ採ってくれない?」
第3話 “レディバック”
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「テントウムシって変わった虫だよな」
小菅暁は麻木真理から渡された空のペットボトルにテントウムシ少年兵たちをどんどん放り込んでいく。
「何が?」
アリも通さぬ鉄壁の守りで日光を防ぐ麻木真理の帽子、ストール、日傘、サングラスの装備は砂漠越えのセレブ貴婦人のようなかみ合わない実用性重視のファッションだった。そんな装備で平日の児童公園のベンチに座っても彼女は画になるのである。なぜならフォトジェニックだからだ。
「こういう虫は完全変態っていうんだろ。幼虫、蛹、成虫で大きく姿が変わるヤツ」
「ええ」
「じゃあカブトムシとかチョウはこれだ」
「そうね」
「で、不完全変態はカマキリとかバッタとかだろ?」
「ええ」
「カブトムシの幼虫は腐葉土を食って、チョウの幼虫は植物を食うがそいつら完全変態して成虫になると蜜しか吸わねぇよな。で、カマキリは幼虫も成虫もバッタを食って、バッタも幼虫も成虫も植物を食う。完全変態はエサが変わるのにテントウムシは幼虫も成虫もアブラムシのままなんだな」
「メジャーな虫ではそうなのかもね」
「どこか通じるところがあるな。見た目は大人になっても中身が変わらないのは?」
「は? 何に?」
「……俺にだよ」
その言葉が嘘であると麻木真理はわかっていた。自分は何も変われていない。見た目は、それは立派なフォトジェニックになったがその精神は小菅暁を待つと決めたあの日からまるで成長できていない。中学生がその気持ちならまだよくても今の年齢でその受け身姿勢は決して褒められたものではない。中身が成長できていない。それは自分と小菅暁の、自分の方だけだとその真実に改めて気づかされた。小菅暁は成長をしてきた男だった。全く平凡な小さくて臆病で目立たない幼少期から成長著しく激しく生意気な少年になり、家族の元を離れて暮らしそして戻ってきた。人生の経験値は小菅暁が圧倒的に上だった。幼いころから運動能力の良さとある程度の頭の良さで経験値をさほど重ねることなくここまで生き強く挑発的な少女となり、そして待つ立場としていつまでも自分がすべておいて上で優位だと思っていた麻木真理は自分の程度に気が付いた。そして気を使われてしまったことにも、気を使われなければならない程度の大人であることにも……。それは完璧なフォトジェニックであることを差し引いても彼女の負い目になるほどだった。
「ほら、俺は当時から今までも、変わらねぇから。メン食いだから」
「……激しく生意気」
小菅暁からテントウムシ少年兵の入ったペットボトルを受け取った麻木真理はペットボトルの口にラップを張り輪ゴムで止め、ポツンとラップの中央を爪楊枝で突いた。
「何それ」
「空気穴」
「へぇそう。お前そんな、そういうの得意だったんだ」
「大学で習ったのよ」
――スペイン南部のバルを切り盛りする肝っ玉母ちゃんグロリア・サンチェスは語る。
「なんで麻木真理が昆虫や植物に詳しいかって? その答えは簡単! 魔女だからさ! 大学で取得できる現代魔女の資格のための授業には『自然環境保護演習』ってのがあるのさ! 通年科目! 年に数回、森林や植物園で演習して自然を学ぶのさ! 薬草や毒草の知識は魔術じゃなくても魔女の知識として看板代わりさ。魔女は自然と友達だからね! もちろん、現代魔女に必要とされるモノはこれだけじゃないよ! 『心理学』や『基礎科学論』、トリック! それを使うために大事なハッタリの心! それもいつかは披露してくれるはずさ! だろう!? 小娘」
「ああ、魔女の資格ってやつ?」
「そう。他にはたとえばね、こう」
麻木真理は両手の指を組んだ状態で両手の人差し指だけを伸ばした。
「この忍者のポーズ」
「こうか」
小菅暁はそれを真似る。
「で、人差し指同士は離して。絶対に離して。極限まで」
「うん」
「で、離れたらその指と指の間を見つめる」
「うん」
「しばらくやっててみて」
「うん」
「……。今やったら、もっと指の間隔広がらない?」
「……あ、もっと広がる」
「それ繰り返してみてみ。指の距離を見つめている間、無意識に指の間隔が詰まっていっていることに気付くから」
「あ、マジだ! 勝手に距離が詰まる!」
「それは3年生の夏休みの時に集中講義で習った。魔女の最も簡単なトリック」
「へぇ、大したもんだ」
「卒業した後も使えるのは日常生活で困らない程度の植物と科学の知識よ。大体が手品とハッタリのトリックよ、あんなもん。ギア3骨風船で殴ってなんで強いのかわかってもガキにしか説明する機会がない……子供だまし」
「俺はガキの頃から今も騙されっぱなしだな」
「騙してる本人がその気がないのに、相手が騙されてるっていうんならそれは相手の言いがかり」
「俺にとってはナチュラル騙しを続けるお前は罪作り」
「……ふざけてんの?」
「言葉のトリックのつもりだったが違ったな。トリックなしでも、俺は……」
麻木真理を小菅暁は見つめる。
「……言うな小菅。今はまだ言わないで。……無理」
「そうか」
「準備ができてない」
後
手
・ 歩 歩
麻 歩歩角歩銀
木 香銀金
⛊ 玉桂金
「じゃあさ、俺今週末草野球の助っ人行くんだけど」
「うん」
「活躍するから、その時のために準備をしておいてくれねぇか?」
「観に行くよ」
「観に来なくていい。ちゃんと活躍したかどうかってことを、きちんとすぐにお前にその結果を持ち帰るから」
「から?」
「だから待っててほしい。その日のうちに行くから。俺は、お前に来てもらうんじゃなくて、俺がお前のところに行くことが重要だと思う。今度こそ、やったぞ! って言って」
「小菅」
「なんだ」
「……グッドラック」
「おう」
▮▮
――スペイン南部のバルを切り盛りする肝っ玉母ちゃんグロリア・サンチェスは語る。
「全く長いクラシコだったねぇ! ロスタイムが長すぎたよ! でも、もうそろそろ決着だと思っていいんだね? いよいよ運命のPK戦? どっちにしろワインもピクルスも用意してあるよ! これ以上待たせないでおくれ! そういえば前に、栓を開けてしまったらいいワインも酢になっちまうって言ったね。でもね、いいビネガーからは、いいピクルスができるのさ! アンタの口に合うかはわからないけどね! いい味わいだよ」
――アリゾナきってのタフガイ保安官リッキー・ロックスミスも熱弁を振るう。
「これでこそ男だ。これでこそカウボーイ! アキラ・コスゲは俺が知る限り一番のタフガイカウボーイでは、ない。彼は強さも勇気も、優しさも思いやりも、ついでに野球のウデもたいしたことはない。彼にはまだ克服すべき怠惰、臆病、不誠実があり、マリ・アサギにとってかつてそれは許容できないものだったことは事実だ。だが後ろに道はない。前に進むために怠惰で臆病で不誠実だった過去をいつまでも悔いて省みていることは無駄でその時間はさらなる臆病の烙印になる。それは前に進むことに臆した臆病だ。しかしどれだけ臆病でも男なら一歩先に行く必要がある。それはたとえ僅かな一歩先であろうとも、女性の手を引きリードするためにだ。保安官バッチも誇らしそうに輝いているぞ!」
――リアルな魔女のアンドロイドでの再現を目標とする著名な魔女評論家・研究家クラーク・ワイズマンは語る。
「これが、現在最も注目すべき魔女、マリ・アサギの人生の大きな転機の一つだったと振り返れる。それ(ずっと待っていた小菅暁との再会と関係修復後の話をすること)は回避不能だったし、最終的にはとても前進的なことでした。機会は油断している間にマリ・アサギを訪れなければならなかった。なぜならば、彼女が万全でいたならば、その堅牢な受け身に機会さえも彼女の玄関にさえたどり着くことができないからだ。彼女はほぼいかなる展開でも歓迎しなければならない。なぜなら、彼女はそれがないと自力で前進する力を用意していなかったからだ。だがこれからは違うだろう。指示待ち人間でも受け身人間でも後手人間でも、何もなければそれは無だった。あの日の激しく生意気な少年が機会を持って不意にマリ・アサギのドアをノックしたのだ。このことが、この上なく素晴らしいサプライズプレゼントであることにマリ・アサギは気づくことができたのだ」
――マリ・アサギに望む回答のほとんどを得られるほど忠実に彼女を再現したアンドロイド・マリ・アサギは語る。
「あの後わたしは言ったのです。待ってるよ、と」
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「待ってるよ」