〈一章〉中二病生徒会長、参上(5)
その翌日だった。
教室に入るなり、牡丹は悶絶する。
「ねえ、あんた。なんか問題になるようなことしたの?」
固まり、もう少しで息をすることさえ忘れかけようとしていた牡丹に、緑が不安気に尋ねてくる。
「いいや、俺は何もしていない……はず」
「だったらどうして、ああやって果たし状みたいに生徒会室に呼び出されているの?」
「それ、俺が聞きたいんだわ」
真正面の黒板に目を釘付けにしながら、牡丹は「ははは……」と小さく笑う。
教室の一面に取り付けられた黒板のど真ん中に、まるで果たし状のような形式で書かれた生徒会室への招集令。そこに書かれていた名前は紛れもなく棚上牡丹のもので、差出人は昨日一緒にあの火事を見た、中二病全開生徒会長こと浅海恋だった。
「なんだか嫌な予感がする」
そう呟いた牡丹の声は、教室にいる誰の耳にも聞こえなかった。
放課後、今朝の呼び出しに応えるために生徒会室に向かった。
外では野球部やらサッカー部やらテニス部やらと、運動部に所属している生徒たちが声を上げて練習に勤しんでいる。
今、こうしてちんたら生徒会室に向かっている時点で分かると思うが、無論牡丹は部活動に参加していない。
「……生徒会室が遠く感じる」
生徒会室は特別講義棟の四階にある。ようするに渡り廊下を渡ってちょっと歩けばいいだけのことなのだが、不思議なことに階段を下りなくてはいけない物理教室の方が近くに感じられる。
もちろん、距離的にも生徒会室の方が断然近いのだ。それでも、なぜか生徒会室までの道のりが遠く感じてしまう。
「あ~、行きたくないなぁ」
思わず本音がこぼれてしまう。
昨日のたったあれだけの時間で、浅海恋の人物像が塗り替えられてしまった。
それまでは、たとえ面識がなくスタイルもずば抜けて良いわけではないとしても、『成績優秀の生徒会長』というイメージを持っていた。それがどういうことだろうか。昨日の夜、初めて対面し会話をしてみると、そのイメージはすぐさま消失した。
私は絶対幸福者であり、特別な力を持つ者。そして牡丹も絶対幸福者で私と同胞。彼女はそのように言い放った。しかも自信満々に胸を張って。
要約すると、浅海恋は中二病全開の生徒会長だということなのだ。
「着いちまったじゃん……」
あれこれと考え事をしているうちに、ついに生徒会室の前まで来てしまった。あとはこのドアを開けて入るだけである。
深呼吸をして心を落ち着かせる。そしてドアに手をかけ開けようとしたその時、
「わっ!」
「うおいっ!」
突然背後から大きな声がかけられるとともに、背中をトンと軽く押された。
「あはははっ、なかなか面白い反応するね、棚上くん。『うおいっ』だってさ。傑作」
「舐めてやがるんですか、中二病全開生徒会長野郎様」
「出会って間もない先輩に物凄い口の聞き方だね。まっ、そういうところ嫌いじゃないけどね」
背後から声をかけて牡丹を脅かしてきたのは、誰でもない浅海恋だ。
片目を瞑ってケロッと笑ってみせた恋は、生徒会室のドアを開けて牡丹を室中に招き入れた。
生徒会室には一度も入ったことのない牡丹であったが、その光景は大よそ予想した通りであった。
校内でもよく目にする長机が三つ、コの字になるように並べられていて、その周りにいくつかのパイプ椅子が置かれているといった状態だ。
長机の上には、それぞれ紙を折って作った簡易的な名札が置かれている。一番窓側の長机には、『生徒会長』と書かれた名札と、その隣にノートパソコンが配備されていた。部屋に入ってきた人は、真っ先に生徒会長と向き合うようになる配置だ。
目をきょろきょろと泳がせると、左右の壁には本棚が設けられており、多くのファイルやら本やらが収納されていた。その色あせ度から見ても分かるように、かなり昔の資料も保管されているようだ。
一通り観察してみたが、アニメや漫画の世界で出てくるように、豪奢な彫の施された木製の机や、牛革でこしらえた回転椅子などはない。特別目立つような物のない、至って普通の部屋だ。
「ようこそ、私の生徒会室へ! まあまあ、取りあえず好きなところに座ってよ」
「それじゃあ、遠慮なく」
発言にあった所有格が少し気になったが、取りあえずということで気遣いをありがたく頂戴し、牡丹は静かに腰を下ろした。
「まさか生徒会長特別席に座るとは思わなかったよ」
「でも、少し期待したでしょう?」
「まあね。私も初めて生徒会室に来たとき、棚上くんみたいにその椅子に座ってふんぞり返ったものさ。考えることは一緒だ。やっぱり同志だね!」
「すみません。もう一度入室からやり直していいですか?」
椅子から立ち上がり、ドアの辺りまで後退して立った。
早くも恋の流れに乗せられつつある。このままではまずいと思い、牡丹は早速本題を持ち出してみることにした。
「それでなんなのですか? あんな果たし状みたいな呼び出しして……」
大体の要件は把握している。
おそらくは昨日の火災の話であろう。あの時恋は、放火犯に直接犯行の目的を聞くと言い出した。つまるところ、今日こうして恋に呼び出されたのは、放火犯を探そうという話をするためというわけだ。あくまでも予想の範疇ではあるが。
「棚上くんってさぁ~」
だが、少し恋の様子がおかしかった。
昨日の彼女の様子から察するに、早速自分のペースで話を開始していくものだとばかり思っていた。それなのにどうしてだろう。恋の目が、いわゆるジト目状態になっているではないか。呆れ顔に近いと言ってもいい。
「モテないでしょ?」
「ちょっと放っておいてくださいません?」
牡丹の頭は今、稀に見るほどの処理速度で現状を把握しようとしている。
恋の発言が、あまりにもの脈絡のなさについていけなくなっているのだ。ただでさえも、突然の生徒会室への呼び出しにテンパっているというのに……。
「だってさ、普通に考えても分かるじゃん? 女の子が、ある特定の男の子だけを呼び出すんだよ? これ、どういうことか分かるよね?」
牡丹は生唾を飲み込んだ。
ついに処理速度が追い付けなくなってしまった。キャパシティーオーバーによってオーバーヒートを起こす。
確かに牡丹は未だかつて誰にも告白を受けたこともなければ、「棚上くんって気になる子とかいるの?」などと女子たちから甘酸っぱさを漂わせるような一言をかけられたこともない。そういう面から考えても、モテる方とは言い難い。
だからこそ、今のこの雰囲気に違和感を持ってしまう。なんとも言えない張りつめたような空気がある。このような感覚を味わうのは生まれて初めてのことだ。
(も、もしかして……)
言いかけて、少しばかり冷静になる。
今こうしてなんとなく会話している恋ではあるが、実際彼女と対面したのは昨日が初めてである。
そして一緒に火事を眺め、彼女の中二病発言にちょっとだけ付き合っただけである。そのようなフラグを立てた覚えなど微塵もない。
たとえ知らぬところで立てていたとしても、昨日今日会ったばかりの者を相手に、そう易々と好意を抱いたりするのだろうか。いや、ない。
(……遊ばれている?)
そう断言しようとしたとき、頭の隅に余念が見えた。
確かに考えとしては間違っていないはずだ。しかし、それは牡丹自身の考えであって、恋の考えではない。恋がなにを思っているのかなんて分かるはずもない。そもそも、色恋沙汰に縁もゆかりもなかった自分が、どうして『ない』と断言できる?
(訳が分からなくなってきたぞ……)
悶々とする牡丹を見つめながら、恋はくすりと小さく笑った。
「やっぱり面白いね、棚上くん。君、こういうの初めて?」
「ええ、まあそうですけど。分かるんですか?」
「うん。だって、顔に全部出ているしさ」
恋が指差した方に顔を向け、鏡に映った自分の顔が赤く染まっていることに気付く。正直なところ、自分でも驚くくらいに顔に出ていた。
「…………で、俺を呼び出した本当の要件はなんですか」
あまりにも恥ずかしすぎて、声が小さくなってしまう。最初の考察通り、どうやら遊ばれていたようだった。
「えっと……なんだっけ?」
「帰ります」
「嘘だってば! ちゃんと覚えているから!」
踵を返した牡丹を制止するように、恋は彼の腕に掴みにかかった。
「実はさ、棚上くんに頼みがあるんだけど」
「嫌です」
「せめて聞いてからにしてよ。あのね、実はショッキングなことに、私の生徒会にまだ書記がいないのよ」
「そうなんですか」
これは意外だった。生徒会とは生徒会長をはじめ、会計や書記などの役職すべてに人が就き、初めて生徒会として活動できるものであると認識していた。そのため、現段階でまだ役員不足であるとは思いもしなかった。
「ショッキングなことに書記がいないのよ」
「募集かけたりとかはしないんですか?」
「ショッキングなことに書記がいないのよ」
「書記がいないと困りません?」
「書記がいなくてショッキングなのよ」
「……」
これだけ無視しているというのに、どれだけ強情なのだろうか。もしかすると何か反応を見せなければ、このまま延々と言い続けるのではないだろうか。
「しょっ――」
「もういいですって! ちゃんと聞こえていますから! 『書記』と『ショッキ』ングをかけているんでしょう!?」
どうやら言い続けるタイプだったらしい。ようやく反応を見せた牡丹に対し、恋はどこか不満げな様子であった。
「ねえ、知ってる? ギャグを気付いてもらえないほど惨めなものはないんだよ?」
だったら言わなければいいのに、という言葉を飲み込む。
「そこで提案なんなのだけど、棚上くん書記をやっ――」
「丁重にお断りします」
「だから最後まで聞いてってば! でもどうして? 内申点よくなるよ? 先生の見る目が変わるよ? 受験に有利になるかもよ?」
そのような理由でこの人は生徒会長をやっているのだろうか。牡丹は問題発言をした生徒会長に頭を悩ませる。
「俺、基本面倒くさいことはやりたくないので」
「なにも面倒じゃないよ? 今まで通り、書記の仕事自体は私がやるからさ。棚上くんには私の話し相手になってもらいたいだけ」
それがなによりも面倒だ、と喉で言葉を止める。
「と言いますか、どうして俺なんです? 他にも生徒会に相応しい人がいるじゃないですか。そもそも、俺と先輩は昨日知り合ったばかりで、正直なところ、こうして何気なしに話していることでさえ不思議なんですよ?」
(……知り合ったばかり、か)
牡丹に聞こえないほど小さな声量で呟いた。その時の恋の表情は、どこか寂しげな感じがした。もちろん、その小さな一言にも、微妙な表情の変化にも牡丹は気付いていない。
しかし次には、そんな影はきれいさっぱり消え去っていた。
「となると困ったな~。実はもう提出しちゃったんだよね、棚上くんの生徒会への書記立候補申請届」
「はい?」
「今朝提出したはずだけど……撤回なんてできるのかなぁ~?」
「ちょっと待ってください」
「急がないと受理印押されちゃうかも……」
刹那、牡丹はさながら風のごとく颯爽と生徒会室から飛び出していく。額は、焦りからくる汗をいっぱいにかいた状態だった。
そんな彼の後姿を眺めながら、恋は再び小さく呟く。
「やっぱり、忘れちゃっているんだね」
生徒会室を飛び出し、廊下を駆けて渡り廊下を渡る。そして、階段を降り職員室に飛び込んだ。
「おお、どうした棚上。血相変えてさ」
最初に声をかけてきたのは数学を受け持ち、牡丹たちのクラス担任でもある雑賀 荒野先生だった。
「雑賀先生、生徒会の件で一つお聞きしたいのですが」
「ああ、書記の件だろ? ちょうど今、校長の承認印をもらったところだ。ほれ」
机の上にあった一枚の用紙を渡してくる。それを受け取った牡丹は、撤回の異を唱えようと顔を上げた。
「あ、あの実はですね……」
「しかし、まさかお前が立候補するとは思わなかったよ。まあ、頑張れ!」
体育会系の大きな体を揺らしながら雑賀は笑う。一見お堅い性格ように見えるが、実際はとても朗らかな性格というギャップがある。
大きな掌で肩を何度も叩かれ、すでに撤回する余地すらない。まるで恋と手を組み、牡丹をなんとしても書記に仕立てようとしているかのようだった。
「用事はそれだけか?」
「……はい」
ため息交じりで静かに職員室を後にした。
手には生徒会書記任命に関するプリントが握られている。プリントには生徒会長こと浅海恋のサイン、そして担任の雑賀先生と校長のハンコが押されていた。
ここに棚上牡丹の生徒会入りが決定された。
(横暴だ……)