〈一章〉中二病生徒会長、参上(3)
友達の何人かとハンバーガーショップに立ち寄り、家に帰った頃には日が完全に沈んでいた。
台所につながるドアを開けると、なんとも香ばしい匂いが漂ってくる。
「ああ、おかえり」
キッチンで母親が夕食の用意をしていた。
「夕食はサンマのガーリック焼きと推測」
「よく分かったわね。もうすぐだからおやつ食べないでね?」
ハンバーガーのセットを食べてきたことは黙っておこう。
牡丹は心の中で呟き、ソファーに腰を下ろす。テレビをつけると、ちょうど夕方のニュースが始まったところだった。
夕食までもう少しと言っていたし、ニュースでも見て待っておこう。
『まずは、連日のように発生している火事についてのニュースです。つい先ほど、小さな廃工場が燃え上がっているという通報が近所の方からされ、消防と警察は他の放火と関連付けて――』
ニュースキャスターの男の人が、真剣な表情で記事を読み上げていく。
この火事、実は牡丹の住むこの町の近辺で起こっている事件なのだ。
事の発端は三か月ほど前に起こった廃墟の全焼だった。もぬけの殻となってから十年ほどたった三階建ての建物が、突然燃え上がったという事件だ。
周囲の状況から自然着火は考えにくいとされ、放火という方向で警察たちは原因を追究していたが、結局分からず仕舞いのままだった。なかなか捜査が進まない中、二件目、三件目と似たような火事が次々と起こっていった。
そして今日もこうして火事が起こった。今回は町工場のような小さな廃工場が全焼したようだ。これで一件目の火災から早くも十三件目である。
警察は同一犯の犯行として調査に乗り出しているが、なにぶん手がかりが少なくてあぐねている状態だ。
捜査を進めていくことで分かったことは二つ。
どの火災においても火の勢いは激しく、まるでそこにあるすべてを消し去るかのように燃え上がり、そして燃え上がったその建物は必ず全焼しているということ。
もう一つは、そのような火災がこの町以外でも起こっていたということである。
「またなの? 犯人、早く捕まってほしいわね」
ちらりとテレビに目を向けた母さんが言葉を漏らした。
次々と起こる火災と、なかなか進展のない捜査。近くに住む人たちには不満と不安が溜まっていくばかりだ。
幸いなことに、今のところ連続放火による怪我人や死人は出ていない。しかしいつ、どこで、誰が巻き込まれるかわからない状況であることは確かだ。
母親と同じように、早く犯人が捕まってほしいと思う。
翌日学校に登校すると、教室内は昨日の火事の話で持ちきりだった。
「ほんと誰がなんのつもりでこんなことするんだろうね?」
席に着くなり、緑が声をかけてきた。
「そう言えば、緑や棚上くんの家の近くでも火事があったよね?」
緑と一緒にしゃべっていた女子が口にした。
「前の前だね。建物が燃えるところって初めて見たけどすごかったよ~」
「ほんと、怖いよね~」
先ほど緑が言ったように、誰がなんのつもりでこのようなことをしているのか、牡丹には皆目見当もつかない。そしておそらく、警察たちもそんな状態なのだろう。
結局、今回も事件現場から犯人の手掛かりとなるものはなに一つ出てこず、捜査が進展することはなかった。
それから二週間が過ぎた。日が沈み、夜空には星が輝いている。
今日は母親が高校時代の同窓会、父親が会社で飲み会ということもあり、夕食は牡丹一人で食べることとなった。
「……スーパーに行くか」
自分で適当に料理でも作ろうかと冷蔵庫を開けたが、残念なことに冷蔵庫の中はほとんど空に近かった。
と言うことで、自転車で十数分のところにあるスーパーに具材を買いに行くことにした。ついでにお菓子なんかも買い込んでおこう。
数十分ペダルをこぎ、夜風に当たってお目当てのスーパーに到着する。
店内に入ると同時に、エプロンを着用した店員さんが奥の扉から出てきた。そして弁当や惣菜、刺身などに黄色と赤色のシールを貼っていく。
「もしかしてタイムセールか!」
思わずガッツポーズをしてしまった。少し前に緑に言われたように、確かに牡丹は運がいいのかもしれない。
三割引の値引きシールが張られた弁当一つと、安売りされていたお菓子を二袋ほどカゴに入れてレジに向かう。
金額は最初に予定したものよりも随分と安く済ますことができた。ラッキー!
店員の「ありがとうございました~」を聞き流しながらスーパーを出ようとすると、ちょうど店に入っていく女性とすれ違った。
(……今の人、どこかで見たような気がするなぁ)
少し考えてから思い出す。
「ああ、生徒会長の浅海先輩だ」
私服姿で、さらに黒縁の眼鏡をしていたのですぐに思い出せなかった。
ここで会ったのがクラスの女子であれば話をするかもしれないが、生徒会長とは親しいどころか話したことすらないので声をかけないでおくことにした。声をかけて気まずい空気になるのは目に見えている。
牡丹は自転車のカゴに買った物を詰め込む。
「牡丹くんだよね? 久しぶり」
さて帰ろうか、と鍵を解除した瞬間、背後から声をかけられた。声色から女の人のものであることが分かる。
牡丹はハンドルを握ったまま、声のした方を振り向く。
そこには先ほど店に入っていった黒縁眼鏡の女性――浅海恋が立っていた。右手にはスーパー袋が握られており、菓子パンがいくつかとコーヒー牛乳が一つ入っていた。
「あっ、ごめんなさい。私は浅海恋って言います。常運高校三年の生徒会長です」
恋は少し慌てた様子で自分の自己紹介をする。
「あ、こちらこそ。常運高校一年の棚上牡丹です。ところで、どうして俺の名前を知っているのですか?」
一度も話したことがないのに、どうしてこの人は自分のことを知っているのか不思議に感じた。
「私は生徒会長よ? 生徒の名前を憶えていて当然じゃない」
「えっ、まじすか!? あ、でも今久しぶりって……」
「嘘よ。あははっ。相変わらず面白いね、牡丹くん。……いや、棚上くん」
「俺、先輩が苦手です」
恋が月明かりのように明るく笑う。
どうしてだろうか。不思議なことに、初めて話す相手であるのに、どこかこの風景を懐かしく思える。まるで、ずっと昔から一緒にいたような感じがするのだ。
「ところで、それって晩ご飯?」
自転車のカゴに入っているスーパー袋を指差して恋が尋ねてきた。
「はい。今日、両親がいないので……」
「そうなんだ。だったら一緒に食べない? 実は私もこれから一人でご飯なんだよね」
「それでは失礼します」
「ちょっと牡丹くん? それが先輩に向ける態度なのかな!?」
頬を膨らましながら、空いている左腕をぶんぶんと振り回す。なんとも子供らしくて可愛い動きだ。
「と言うことなので、そこの公園で一緒に食べよう!」
「なにが『と言うことなので』なんですか……」
どうして初対面の人を相手にここまでフレンドリーに接してくるのだろうか。
疑問に思ったが口に出さずにしておく。尋ねたところでちゃんと答えてくれないことだろう。
「…………分かりましたよ」
こちらをジィ~ッと見つめてくる恋に負け、不承不承で承諾する。
牡丹と恋は、数分歩いて近くにあった公園に到着する。遊具はブランコ、鉄棒、滑り台だけと少なく、面積的にも小さな公園である。
牡丹がベンチに腰を下ろすと、その隣に恋が座った。
「なんで隣なんですか」
「嬉しいくせに~」
にやにやしながら牡丹の肩を小突いてくる。
「…………やっぱり帰ります」
「嘘だよ! ごめんって!」
立ち上がろうとする牡丹の腕に、恋が抱き付いてくる。恋の体重がかかり、浮いた尻が再びベンチに下ろされる。
深いため息を吐き、タイムセールで半額になった弁当を開封する。隣では恋が菓子パンにかぶりついていた。
「一つ、聞いてもいいですか?」
「なんでも聞いてくれたまえ! スリーサイズでも聞きたいのかい?」
「俺と浅海先輩って初対面ですよね?」
「ここまで完全無視されると女としてのプライドがズタボロだよ……」
少し寂しそうな顔をしてから、恋は目線を真っ直ぐ牡丹に向ける。
「でも、棚上くんが聞きたいことは分かったよ。ようするに、私が初対面であるはずの君に話しかけて、こうして一緒にご飯を食べているのがなぜかってことだよね?」
「まあ、そうです……」
流石は頭脳明晰な生徒会長である。さっきの一言と、牡丹の様子からその答えを導き出したのだ。察しがいい。
「それはね!」
十二本入りのスティックパンを掴み、勢いよく立ち上がると、夜空に輝く月をスティックパンで指して言い放った。
「それは、私と棚上くんが同類だからだよ!」
もちろん訳の分からない牡丹は、首をかしげながら頭の上にクエスチョンマークを浮かばせている。
そんな様子の牡丹を見て、やれやれと息をつきながら恋は続ける。
「私は絶対幸福者なの。そして、棚上くんも絶対幸福者ってわけさ」
「……はい? なにを言っているのですか?」
牡丹の頭は真っ白になっていた。目の前の人物が突然訳の分からないことを言い始めたのだ。困惑するのは必至だ。
「私と棚上くんは絶対幸福者と呼ばれる選ばれた存在なんだよ! ヒーローやヒロインみたいなものだよ。選ばれた私たちは、この町の平和を守らなくてはいけないの」
「ちょっ……、ちょっと待ってください」
待て、待て待て待て……。
一体この人は突然なにを言い出すのだ。この俺が絶対幸福者? 絶対幸福者は選ばれし者で、この町の平和を守らなくてはならない? いやいや、それよりも絶対幸福者ってなんだ!?
「すみません。先輩がなにを言っているのかよく分からないのですが……」
「だーかーらー、私たちは特別な力を持つ特別な存在なの! その特別な力を使って、私たちは悪の組織と戦わなければならないの!」
「……」
「と言っても、私自身はまだ直接奴らと出くわしたことはないんだけどね? でも、用意は周到にしとかないと。いつ攻めてくるかわからないもの。万全の状態で挑まないとね」
「…………」
「でもよかったよ。まさか私と同じ存在がこの町にいるなんて思わなかったもの。独りじゃ心細かったから……。でもね、棚上くんが絶対幸福者で嬉しいよ。頼りにしているんだからね!」
「………………すみません、人違いです」
言葉を失いつつ、牡丹はなんとかその一言を口にする。
しかし恋は一歩も引き下がらない。
「人違いなんてないよ。だって同じニオイがするもの」
「どんなニオイですか!」
誰でもいいので助けてください! と心の中で叫ぶ。
一体なにがどうなっているのだろう。牡丹の中にあった『常運高校生徒会長・浅海恋』というイメージがどんどん崩れ去っていく。
そう言えば……と、牡丹は頭の端にあった記憶を引っ張り出してくる。
風の噂によると、浅海恋は不治の病を患っているらしい。命に問題はないが、今の医療技術では治療の方法がないとかなんとか。
(もしかして……)
牡丹はその病気のことを知っている。むちゃくちゃ詳しいわけではないが、どのような病状なのか、どのような年齢の人が患いやすいのかくらいは分かっている。
つまるところ、浅海恋を蝕んでいる病気の名前は――中二病である。
「先輩。やっぱり、人違いですよ」
「そんなことないって! だって感じるもの。絶対幸福者としてのオーラを!」
「ニオイかオーラか、せめてどちらかにしてくださいよ!」
「あ、ごめん。オーラにしとくね」
「はぁ……」
呆れてため息しか出ない。そんな牡丹に対し、なおも恋は強く迫ってくる。
「でもでも、棚上くんが私と同じだってことは確かだよ!」
恋の態度があまりにも真剣だったので、思わず牡丹は唾を飲み込む。
もしかすると自分では自覚していないだけで、他人から見ると自分は中二病を患っているように見えているのかもしれない。いや、そんなわけないよな? な!?
自問自答し、悶々とする。一度疑ってしまうと、不安がどんどん大きくなっていく。
と、その時だった。
牡丹の目の端に赤く揺らめくなにかが見えた。信号機や車のライトとは違う。まるで……そう、キャンプファイヤーのようだった。
気になってそちらに顔を向け、思わず唖然とする。
ここからそう遠くないところで、メラメラと火柱が立ち上がっているではないか。
「先輩……。火事ですよ!」
夜空を赤く照らしている火柱を指差しながら言う。
慌てて恋もそちらに目を向ける。
「また出たわね、悪の組織! 今度こそ退治してやるんだから!」
「ちょっと先輩、なに言っているんですか! まさか、あそこに行くつもりじゃないですよね?」
「行くに決まっているでしょ。悪の組織がこの町を恐怖で陥れようとしているのよ! 絶対幸福者としてほっとけないわ!」
そう言い切ると、ダッと地を蹴り、火柱の上がる方向へと走っていく。
「……ああ、もう! 仕方のない生徒会長ですよ!!」
このまま恋を一人であの場所に向かわせるのは良心が痛むので、闇に消えていく彼女の後を追うことにした。
自転車を公園に置いたまま、牡丹と恋は闇夜を照らす火柱の方角に向かって走る。
数分ほど走り、ようやく火災現場に到着した時には、すでに消防や警察、近所に住む人たちや近くを通った人たちが多く集まっていた。
消防士たちは消火活動をし、警察官たちは燃え上がる建造物を見つめる野次馬たちを抑えていた。
集まった人々は、ただその様子を見つめる者もいれば、写真を撮ったりするなど携帯電話を触っている者もいる。
燃え盛る炎は、魔物のように建造物を飲み込んでいる。
暴君とも言える火炎の塊を、消防士たちが必死に消火活動に当たっている。だが、まったくと言い換えてもいいほどその効果はない。
浴びせられる水をものともせず、火柱は天を焼き焦がすように揺らめく。焼け石に水とはまさしくこのことだろう。
火災の現場に到着し、少し離れたところから見ている牡丹と恋のところにまで、その火の熱量は十分に感じ取れる。今額ににじみ出ている汗は、ここまで走ってきたためであるが、あの火から放たれる熱量のためでもある。
この場所からでもこれだけの熱量を感じているのだ。きっと、最前線で消火活動に当たっている消防士や、野次馬たちを抑えようとバリケードを作っている警察官たちは、もっと高い熱をその身に感じていることだろう。
息をするたびに、肺に入ってくる空気が熱い。
「ここって確か、研究室が入っていたビルですよね? どんな研究をしていたのかまでは知らないですけど」
「ええ、そうね。私の記憶が正しければ、ずいぶんと昔に閉鎖になって、今は廃ビル状態のはず……」
「ということは、狙われたのは今回も無人の建物ってことですね」
少し気になって牡丹は恋の顔を窺う。今、恋がどのような顔でこの現状を見て、なにを感じているのか気になったからだ。
「それにしても」
恋の唇が動く。
「一向に火力が衰えないわね」
確かに、と牡丹は思った。
ここに到着してそれなりの時間が経過している。そして今もなお、消火活動は続行されているのだ。それにもかかわらず、見たところ火柱は少しも小さくなっていない。
一切の衰えを見せない火柱からは、その建物を燃やし尽くすまで消えないという執着心さえ感じる。
まるで、放火した犯人の持つ恨みの感情が乗り移っているような……。
「……先輩、そろそろ戻りましょう。人もたくさん集まってきましたし」
こうして火に包まれているはいビルを眺めている間にも、次々と湧き出すように人が集まり、カメラのシャッター音がそこら中から聞こえてくる。
「先輩……?」
しかし、牡丹の声に恋は答えなかった。
恋の目線は、真っ直ぐと炎の衣をまとった建物へと向けられていた。口を固く閉じ、真剣な眼差しで一点を凝視している。
やがて、恋が口を開いて言った。
「ねえ、棚上くん」
「なんですか?」
「棚上くんはどうして犯人がこうして放火をするのだと思う? なにかが燃え行く様子を見て楽しんでいるのかな? それとも、いつ警察に捕まるのかというスリルを興じているのかな?」
放火犯が一体なにを思って火をつけ建物を燃やし始めたのか、牡丹には皆目見当もつかない。
恋の考えたように、燃え上がる建物を見て楽しんでいるのかもしれない。
いつ警察に捕まるのかというスリル体験を興じているのかもしれない。
次々と起こる火災に戸惑いや恐怖を見せる人々に愉悦を感じているのかもしれない。
はたまた、なにかの目的のために火を放っているのかもしれない。
どちらにせよ、放火犯がどういう心境で放火しているのかなんて、第三者である牡丹や恋に分かるはずがなかった。
「正直言って全然分からないです」
「だよね。私にも分からないや。こんなことをして、一体なにをどうしたいんだろう?」
そう言った恋は、不意に牡丹の方を向いた。
「よし。分からないのなら犯人に直接聞いてみよう!」
「……はあ?」
呆れたような声が口から漏れてしまった。
「犯人に直接聞いてみるって……。先輩、なに言っているんですか? 犯人が分からないから捜査が難航しているんですよ?」
思わず、と言った感じでため息を吐いてしまう。
しかし恋は断言する。
「確かにその通りだね。でも、私たちは絶対幸福者だから犯人と出会うなんて至極簡単なことなのさ。て言うか、私の能力――永久追跡がある限り、犯人を逃すことはないの」
この人はこの期に及んでなにを言っているのだ。中二病全開ですか!?
「まさか、連続放火魔を倒すことが宿命だから、なんて言わないですよね?」
「よく分かっているじゃないか! 流石は同士ってところだね!」
「違います、一緒にしないでください、心外です、絶望的です」
「ちょっと……、そこまで全否定する必要なくない!?」
「とにかく公園に戻りますよ! 自転車、置いてきたんですから!」
「もう、分かったようっ!」
中二病全開の生徒会長さんは、まるで子供のように頬を膨らませてブーブー文句を言って拗ねた。