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缶コーヒー

作者: 羊谷れいじ

 よく晴れた初夏の日曜日。町の大きな公園横にある教会の壁は、空の雲のように白かった。式の時間よりも早く着いた僕は、少し公園を歩いた。昼下がりの日差しの下を歩く小さな子供をつれた家族連れや、若いカップルが楽しそうに通り過ぎてゆく。

 僕は自動販売機で冷たい缶コーヒーを買うと、ベンチに座った。

 そして、あの時も同じ缶コーヒーを買ったことを思い出した。




 高校2年生の秋、僕は少しセンチメンタルになっていた。誰かに恋をしてたわけでもなく、何かを失ったわけでもなかった。思春期独特の思いだったのかもしれない。これから大人になってゆくことに対しての期待や不安が渦巻いていたのだろうか。

 親友たちは、そんな僕とは裏腹に子供っぽく楽しそうにクラスメイトの笑い話なんかで盛り上がっていた。僕も決してそういうバカ騒ぎが嫌いになったわけじゃなかったのだけど、いまいち一緒になって騒げない気分だった。


 そんなある日、僕の町から少し離れた都会に住む裕子から電話があった。

「明日、そっちに遊びに行くね」

裕子の声は素っ気ないような不機嫌そうな声に聞こえた。

「具合でもよくないのかい?」

僕の言葉に裕子は、そんなことないよ、と笑った。


 次の日、僕はいつも一緒につるんでいた親友たちに、言葉を濁し気味に言い訳をして、学校が終わると急いで家に帰った。すると玄関で母親が出かけるところと出くわした。

 母は単身赴任してる父のところに行くので、今日は帰ってこないと言った。母を見送り、着替えをしながら、これから裕子が来ることを考えると、なんともいえない不思議な気分になった。

決してやましいことを期待していたわけじゃなかった。僕はそんなことを期待するほどませた高校生ではなかった。どちらかというとごく純情な田舎の高校生だったから。それでも落ち着かない気持ちにさせたのは、年頃のせいなのだろう。

 

夕方になり、すぐそばの駅に迎えに行くときには、空は曇っていて薄暗く、僕の見えない不安定さを表してるようだった。僕は肩をすくめると足早に駅に向かって歩いた。


寂れた駅にはぼんやりと蛍光灯が点り、薄暗い窓の外には線路が伸びていた。学校帰りの他の高校の高校生たちも行き交い、駅ビルのパン屋からは甘いパンの香りが漂っていた。

僕は小さな改札付近で裕子の姿を探してみたけれど、彼女はまだ来ていないようだ。すぐそばのベンチには老人が座り、誰を待っているのか何を待っているのか、わからなくなるくらい静かに目を細めている。 

 不意に僕を呼ぶ声がして顔を上げると、裕子が大きめのカバンを持って改札から出てきた。列車に揺られて疲れたのか、それとも寂れた駅の蛍光灯のせいか、彼女の顔が切なく見えた。

「何か食べたい?」僕は暗くなりそうな不安を振り払うように聞いた。

「ううん。お腹は空いてない恭一は?」

「僕も今はお腹空いてないや。取りあえず荷物もあるしウチに行こうか」

 裕子のカバンを持つと彼女と並んで歩いた。

 歩きながら彼女は最近の学校でのことを話した。

僕は何となく彼女の話を聞きながら、この風景がいつか思い出になる日が来るのかなと思った。この町に、この瞬間に、こうして高校生の僕と彼女がいた風景が、いつか遠い日のことになる。ごく当たり前のことだけど、僕はそう思うと、今という瞬間を大切にしようという思いに駆られた、そして彼女に微笑んだ。


 マンションに着くと、荷物を部屋に置いてリビングでコーヒーをおとした。静か過ぎる部屋に何か音楽でも流そうと思い、稲垣潤一のアルバムをかけた。ほのかに甘いイントロが流れた。その曲は「雨のリグレット」だった。


「ドーナッツでも買ってくれば良かったわね」裕子はコーヒーに口をつけるとそう言った。

「あ、クッキーならあるかも」

「いいね、食べたいわ」

僕は台所の棚を探ってみた。すると、ちょっと前に買ってしまっておいたバタークッキーが出てきた。それを皿に簡単に並べてテーブルにおいた。

「上出来、上出来」裕子は満足そうにクッキーをつまんだ。

僕もクッキーをひとつ頬ばるとコーヒーを飲んだ。

それから、どうして夏休みでもない普通の週末に急に来たのか、聞こうと思った。でも何だか彼女の横顔を見てると、そんなことを聞いてしまって彼女に変な気を使わせたりするかもしれないと思い直した。

 

気がつけば、ベランダ越しの町並みには灯りが点り、空も夜に包まれつつあった。


「ねぇ、今日は二人で外で何か食べない?」裕子はぽつりと言った。

「うん、いいよ。ハンバーグでも食べに行くかい?」

「いいわね、今日は私のおごりね」

裕子の言葉に僕は遠慮したのだけど、彼女はいいから、と言うので甘えることにした。


 外に出ると、秋の深まりを感じさせるほど肌寒かった。


 近所のハンバーグレストランは、外の寒さを忘れさせてくれるような暖かな照明だった。僕たちは向かい合って席に着くと手早くメニューを選んだ。さっきまで部屋に二人きりで妙な緊張感があったけど、レストランで少し気分が落ち着いたのか、急にお腹が空いてきた。

 料理が来るまでの間、今度は僕が最近の学校でのことや、親友の楽しい話をした。裕子は楽しそうに笑って僕の話に聞き入っていた。そんな二人の時間が嬉しくて僕は、ちょっとだけオーバーに話をして盛り上げた。

 料理が来る頃には、僕たちはすっかりいつもの楽しい二人に戻っていた。僕も彼女も、二人きりで過ごすのは緊張していたんだな、と思った。

 

料理を食べ終わる頃、裕子は少し考え込むようにガラス張りの外に目をやった。

それから、

「ここを出たら、二人で少し散歩しない?」とためらいがちに言った。

「今からかい?」

「うん・・・。ちょっと歩きたいの」

「いいよ。じゃぁどこに行きたい?」

「海が見たいな」と裕子は言った。

僕はオーケーと言った。


 店を出ると、少し霧が出ていた。僕は裕子を連れてすぐそばの自動販売機に行き、温かい缶コーヒーを2本買った。

「はい、寒いから、これジャンバーのポケットに入れて手で触っていれば暖かいよ」と僕は微笑むと一本を彼女に渡した。

 彼女は僕に言われたとおり、缶コーヒーをポケットに入れて手で触った。

「温かいね・・・」彼女の笑顔は子供のようだった。

「うん、じゃぁ 行こうか」

そう言って僕が歩き出すと、彼女は僕の手を掴んだ。僕はハッとして彼女を見た。

「こうして、こっちの手をつないでいたら、もっと温かい」と彼女は言った。

「そうだね・・・」

僕は彼女に握られた手をそのまま、自分の手と一緒にコートのポケットに入れた。

「これで寒くないね」僕は鼻をすすると照れ笑いをした。


 僕たちは秋の夜風に吹かれ、少し離れた港を目指して歩いた。僕のポケットで手をつなぎながら。

 何を話したんだろう。僕は彼女の手の温もりや横にぴったりと感じる彼女の存在に、すっかり気持ちが落ち着かなくなってたんだと思う。港に着くまでどれくらいの時間がかかったのかさえわからなくなってた。ただ、車が行き交う真っ直ぐな夜の道を歩き続けた。

 港に着く頃には、もう片方のポケットに入れてた缶コーヒーはぬるくなっていた。


 夜の港の海面は真っ暗で、そこに大きなフェリーが浮いていて、僕たちはしばらくそれを眺めてから、倉庫街を歩き、釣り人たちがいる漁港に出た。

 寒さに身を縮めながら釣りをしている人に話しかけて、バケツの中を見せてもらった。バケツの中では、黒い魚が2匹ほど泳いでいた。

釣り人はそんな僕たちを恋人同士だと思ったらしく、若いっていいね、と笑った。

 


 裕子と二人で夜の港に立っていると、それは夢の中の出来事のような気持ちがした。言葉に出さなくても、どうして今日、彼女が僕のところに急に来たのか、わかるような気がした。僕たちは帰りもポケットで手をつないで帰った。、帰り道、僕は彼女が離れてしまわないように強く手を握った。


 その夜、彼女は僕の部屋に寝て、僕はリビングのソファーで毛布をかぶって横になった。でも、手をつないで港まで歩いたことで、妙に目がさえて結局、一晩中眠れなかった。


 朝方、こっそりと部屋のドアを開けて彼女の様子を見に行こうとすると、彼女もまた眠れなかったらしく起きていた。僕はベッドの彼女の横に座り、二人で朝があけるのを黙ってみていた。

 不意に裕子は、間を持たせられなかったのか、僕をこちょばし始めた。僕は必死に堪えていたけれど我慢できず、彼女の両腕を抑えた。顔が接近して、緊張が高まった。僕は頭が真っ白になり、裕子の唇に吸い寄せられるように顔を寄せたその時・・・・


「ジリリ!」目覚ましが大きな音を立てて鳴った。

僕と裕子は驚いて思わず飛び上がった。

それから、顔を見合わせて大笑いをした。


 結局、僕と裕子はそうして高校生を終えた。限りなく接近したけれど、交わることのないレールのような二人だった。それから、僕は大学に合格し、彼女は看護学校に入り、紆余曲折はあったけれど、一線を越えることはなかった。



 



缶コーヒーを飲み干し、ゴミ箱に缶を放り込むと、僕は再び教会に足を向けた。不意に僕を呼ぶ懐かしい声がする。見上げると、純白のウェディングドレスに身を包んで、教会からリハーサルを終えて出てきた裕子だった。

 久しぶりに見る彼女の笑顔は眩しいくらい輝いて、僕は目を細めて手を振った。

 結婚おめでとう。



 もし、遠い未来にこう尋ねたら、君はきっと笑うだろうな。



「あの時、目覚ましが鳴らなくて、

僕に少しだけ勇気があったら未来は変わっていただろうか」











                        ※この小説は26歳のときの作品の焼き直しです


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