七夕からの手紙
七夕の日は、わたしをさらに苦しめた
わたしの身の回りの世話をしてくれるのは、アンドロイド2880F型の321だ
自動飛行車にトラブルが出て、わたしの下半身と妻のすべてを奪い去っていった。投げ出された、わたしのほうが助かったことは、わたしを今でも苦しめている
800年も前から一般的に、愛する人を事故で損傷した家族は、無事である細胞をIPS細胞で培養して、治療を受けるのだが、彼女の体は、車内の中ですべて焼失してしまった
心臓は心臓。胃は胃の細胞がなければ、それを培養することができないのだ
彼女のすべてを失ったことを知ったわたしは、脊髄手術を受けることもなく、何よりもまず、彼女と過ごした家へ必死で戻った
掃除を続けていた自動掃除機をバットで叩き壊し、玄関先から外へ投げ捨てた
そして、わたしは、床に、はいつくばって、彼女の痕跡を人目もはばからず、探し続けた
その姿をみながら親友たちは、何もできず泣いていた。わたしの行動は、あきらかに異常だったからだろう
すべての書籍がデーター化された中で、唯一本として出されていたのが、聖書だった。彼女が大切に読んでいた聖書を一枚一枚めくり、彼女の髪の毛をさがした
すると一本だけ小さな髪の毛がはさまっていた。綺麗好きの彼女が唯一残したたった一本の髪の毛だった
それを培養施設に持ち込み、出来る限りの再生を心みたが、培養できたのは、肌や筋肉などの表面的な部分だけだった
わたしは最先端のアンドロイドに擬似細胞と彼女の細胞をかけあわせ、2880F-321を作り上げたのだ
妻と最初に出会った瞬間、わたしは一目ぼれをした。彼女のほうは、わたしが年下だったからか、弟のようにしか、扱わなかった
彼女はよく笑うひとだった
わたしたちは思い出と共に絆を増していった
中国だけではなく、ローマなど世界中に広がった七夕の由来は、聖書であり、ユダヤ人のヨセフとエジプトの司祭の娘アセナテから来ていることもワクワクしながら楽しげに話してきたことを思い出す
アンドロイドの見た目はまったく彼女そのものだったが、目じりに浮かぶ、笑いシワやあの仕草は、消え去っていた
アンドロイドは、人間のように振舞うように設計されてはいたものの、特定の人物の仕草までは再現できない。アンドロイドの言葉に、血が通っていないことが身にしみた
彼女の綺麗な部分をすべて兼ね備えたこのアンドロイドをみると、彼女の不完全な部分をさらに渇望してしまう
失った責任を保つために足を治すことはしなかった
5年経った今でも決して忘れることはない
自分を傷つけることが生きる原動力になっていた
わたしは、疲れ果て、アンドロイドを冷たい目でにらみつけたあと、40階建てのマンションのバルコニーに車椅子を移動させ、静かに目を閉じ、身をのり出そうとした
アンドロイドが、わたしの体を支え、押さえつけた
叫んだ
「放せ!はなせよ!アンドロイド!」
そんな時にも、アンドロイドは優しい笑顔を向けていた
しかし、どこか寂しげにみえたからか、わたしは抵抗することをやめた
わたしを車椅子におろさず、室内のソファーに下ろすと、彼女は急にわたしの首を押さえつけると、チクっと痛みを感じた
「痛たッ!な・・・なんだ?」
彼女は話はじめた
「細胞記憶って知ってる?」
「細胞記憶?」
「うん。生き物の細胞DNAの中には、体を形成するための設計図だけではなく、そのひとの記憶とそのひとの祖先からの記憶が組み込まれているの」
なにを言っているのか、わからずわたしは黙っていた
「人間は、昔から前世というものを感じてきたといわれているけど、その前世を感じ取っていたのは、前世ではなく先祖からのDNA記憶だったというわけね」
「だから、それがなんだっていうんだ!?」
「心臓移植を行ったひとが、以前は嫌いだった食べ物が好物になることもあるそうよ」
「何を言ってるんだ」
「遺伝子情報を映像として映し出すソフトをあなたに贈るわ」
2880F-321は、自分の皮膚の細胞を取り、小さなケースにいれてパソコンにつなげた
スクリーンに乱れた映像が映し出された
そこには、鏡の中に妻の真菜の顔が映し出されていた
どうも、鏡で自分の顔をみながら化粧をしているようだ。彼女目線に映像は映し出される
スクリーンの彼女が奥にいる人物に話しかける
「あな・・の純粋なところが・・なのよ ザザっザザ」
映像と音声が完全には復元できないらしい
たしか、ぼくの好きなところを聞いたときの彼女の返答だ
スクリーンの中の彼女は、あの面影のままの彼女が蘇っていた。わたしの求める彼女がそこにいた。胸が熱くなり、ほほに涙がつたいはじめた
2880F-321はその指に持ったものをかざしながら問いただした
「これはさっきあなたから取った細胞よ。この中にもわたしがいるわ。あなたはわたしの存在を否定するの?わたしが生まれてこないほうがよかったというの?」
そうか。アンドロイドの細胞記憶に彼女の目線で映し出されたのなら、わたしの細胞、そして、わたしの目線の中に真菜が存在しているということだ。ぼくは、あの時の真菜をこの世界で実際には存在しない君を探し続けていた。みつかるはずもない。
でも、真菜は、僕の中に存在していたんだ
「ぼくはぼくの意思で君を消そうとしていたというのか・・・」
思い出の辛さから身を投じようとした今日は、七夕だ。これは君からの手紙なのか?
わたしは、アンドロイドに彼女を追い求めることをやめ、処分した。そして、脊髄手術を行い、わたしの中の真菜と一緒に前に進むことをはじめた
わたしは、部屋に真菜とアンドロイドの写真を飾った