旅の途中のビクターさん
「祈り屋っていうのは、ここかな」
ビクターの問いに、少年がつまらなそうに頷いた。
「そうだよ。何か用?」
「デンカー氏の言い付けで来たんだが」
街一番の金持ちの名前が出ると、少年の態度が一変した。
「それはそれは失礼致しました。荷物をお持ち致します。ええと、お名前は?」
「ビクター」
「ささ、ビクターさん、奥へどうぞ」
少年は来客の椅子にビクターを座らさせて、奥から水を持って来た。
「暑いですから、喉が乾いたでしょう。お飲みになってください。丁度大先生は外出なさっていますが、まあ大丈夫、すぐにお戻りになられます。そんなに待たずにいけますよ」
「ええと、私は祈り屋と言うのは初めてなんだが、一体何をするのかね」
「ええ、よくぞ聞いて下さいました。大先生様は、たぐいまれなお力をお持ちになられております。例えば、大先生がコインを投げるとします。裏と表の出る確率は五分と五分。それが普通です。しかし、大先生様が表よ出ろと祈りますと、なんと、表が六分で裏が四分」
「運命を変えるということか」
「そうでございます。大先生様が祈れば、運命が開けます。もっとも、ここまでのお力でありますから、なんでもかんでも祈っていては、大先生様が神に勝手に人の運命を変えすぎるなと、お叱りを受けてしまいます。そこで、一部の方に限定して、お祈りさせて頂いているのでございますよ」
「そういう事か」
ビクターは水で喉を潤した。
「失礼ですが、ビクターさんはどういったお方で?」
「ただの旅人だよ。宿で休んでいたら、デンカー氏から依頼があったんだ。デンカー氏の家族を殺した男に賞金をかけた。もしその男がいる方角に行くのなら、その男を捕まえるか殺して欲しい、とね」
「あれは痛ましい事件でした。酒場のいさかいで、不運にも、デンカー氏の息子さんが殺されてしまったのです。犯人は街の人間の懸命な追跡も虚しく、まんまと逃げおおせたのです」
「その犯人に似た男を、谷の街で見かけたと言う情報が入ったらしい」
そこに、男が入ってきた。少年が慌てて言う。
「大先生様、お帰りなさいませ。デンカー氏のご紹介のお客様です。ビクターさんです」
男はふんと鼻を鳴らして、ビクターをうさんくさそうに見た。そして言う。
「で?」
「私は旅の者なのだが、デンカー氏から、探し物が上手く見つかるよう、ここに行くように、言付けられてきた。代金はビクター氏が支払って下さるそうだ」
「なるほど」
男は懐から何かの粉を取り出して、ビクターの頭にふりかけた。そして、ブツブツと口の中で呪文のようなものを唱える。
「終わりだ。行くがいい」
あまりに呆気ないので、馬鹿にされているのかな、とビクターは思ったが、どうでも良いことだった。
「ありがとう」と礼を言って、ビクターは祈り屋を後にした。
翌朝、ビクターが街を出ようとすると、祈り屋の少年が走って追いかけてきた。大きな荷物を持っている。
少年は肩で息をしながら言う。
「ビクターさん、今から谷の街に行くんだよね」
「そうだよ」
「ならさ、僕も一緒に行かせてよ。実は僕もずっと旅をしているんだ。この街でしばらく働いていて、当座の旅費がたまったから、また旅に出るところだったんだ。どうかな。街にいる間、色々話をきいてきたから、谷の街までの道とか、街の中の様子とか、多少は分かっているよ」
ビクターは少し考えたが、断る理由は特に無かった。
「分かった。一緒に行こう」
少年は指を鳴らして喜んだ。
「僕の名前はドギー。よろしく」
ドギーはおしゃべりな少年だった。道中、ビクターにやたらと話し掛けてくる。
「あの祈り屋の先生、あれはインチキだよ。僕には分かるんだ。お祈りをして上手くいかなくてもさ、こう言えばいいんだもの。もっとひどい運命のはずだったが私のお祈りのお陰でここまでの不運で済んだ、ってね。結局、それが正しいのかなんて、誰にも分からないんだから」
「そうかね」
「そうさ。コインの裏表だって、インチキがあるに違いないよ。表しかないコインに途中でさしかえたりね。僕には分かるんだ。そういえば、ビクターさんは、何のために旅をしているの?」
「私は、海の向こうの大陸を目指している」
「もしかして、始まりの大地の事?乾いた地面しかない、不毛な土地だって聞いてるけど。そこに行って、何をしたいの?」
「ただの好奇心だよ。ただ、そこに行きたいだけさ」
「ふうん。僕はね、どこか大きな商業都市を目指して旅をしている。いつか気に入った大きな街を見つけて、そこで商売をして、楽しく贅沢をして生きるんだ。僕は小さな村で生まれたんだけど、辛気臭いったらありゃしなかった。そこら辺じゅう、家畜の糞だらけさ。銅貨すら、ろくに見たこともない、物々交換の世界。あんなところで一生を終えるなんて、絶対に御免だね。だから、自分の人生を変えてやろうと、旅に出たんだ。自分の人生は自分で決めるものさ。ところで、ビクターさんは、何か人と違ったところがあるよね」
「そうかい?」
「そうさ、僕には分かるんだ」
「そりゃあ良かった」
一週間後、二人は谷の街に到着した。
街にひとつしか無い宿に入った。
ビクターは宿の主人に聞き込みを始める。
「この街に、フィリップと言う人はいるかね」
「何人かいるよ。粉屋と、白湯屋にフィリップがいる。老人と少年だ。他にもいるかも知らんが、私が知ってる限りではこの二人だね」
「そうか。ありがとう」
宿の主人が出ていくと、ドギーが言う。
「ねえ、ビクターさん。人を殺して逃げまわっている人が、自分の名前を正直に名乗っているとは思えないんだけど。きっと、嘘の名前で通しているんじゃないかな」
「そうだね。しかし、元々ろくな情報があるわけでもない。フィリップは背が高くて、ヒゲを生やしている。右の頬に刃物の傷跡がある。それだけ。私は顔を見たことがない。まあ、普通にやってたらどうせ見つからないだろう。だが、運が良ければ犯人が見つかるさ。私は今から聞き込みをしてくる。君は体を休めていなさい」
「分かった。気を付けてね」
「ああ、ありがとう」
しばらくして宿に帰ってきたビクターは、ドギーに聞き込みの収穫は何も無かったよと報告した。
「だから言ったのに」とドギーが言った。
翌朝、宿の二人に来客があった。
背の高い優男だった。男が言う。
「フィリップを探している人がいて、それがあんただと聞いたんだが。もしかして、デンカー氏の依頼かい?」
「ああ、その通りだ。あんたは?」
「私もそうだ。デンカー氏の依頼で、ここまでやってきた。あんた達は、いつやってきたんだい?」
「昨日だよ」
「そうか、私は三日前から来ている。そして、三日前からフィリップの事を探しているが、全く手掛かりが掴めない。フィリップはここにはいないね。断言してもいい。私は諦める事にする。君達も、そうした方が良い。いない人間を探しても時間の無駄だ。一文の得にもならない。ところで君達はこれからどこに行くんだい?」
「海の方角に向かうつもりだ」
「そうか、それは大変な旅だな。気を付けてくれたまえ。私はデンカー氏の元に戻るよ。良ければ、君達の事も伝えておこうか?」
「そうかね。では、デンカー氏に伝えておいてくれ。この先、フィリップが見つかれば、必ずご連絡すると」
「確かにお伝えする。ではな。君達の旅の安全を祈っているよ」
「ありがとう。我々も、あんたの旅の安全を祈っておくよ」
男が出ていくと、ドギーがため息をつく。
「残念だね。せっかくの稼ぎ話が、実らなかった」
「まあ仕方ない。でも、早い段階で分かって良かったよ。時間の無駄にならずにすんだ」
「まあ、そうだね。ところで、さっきの男の人は、祈り屋に寄らなかったんだね」
「どういう事かな」
「僕達より早くこの街に着いたのなら、僕達よりも早く出発したはずだよね。でも僕は、祈り屋であの人を見ていないんだ」
ビクターが首を傾げる。そして、言う。
「ところで、ドギーはさっきの人はどう思ったんだ」
「どうって、何が?」
「私の事を、普通と違うとか、前に言っていただろう。その事だよ」
「その事なら、さっきの人も何か違っていたよ。ビクターさん、よく分かったね。そう、僕には、何か良く分からないけと、そういうのが分かるんだ」
ビクターは首をひねって、少し考え込た。そして、言う。
「まあいい。では、出発は明日にしよう。私はこの街でもう少し用事がある。ドギーは、今日一日、この街を楽しめば良い」
「分かった。今日一日、別行動だね」
「そういう事だ。危ない場所に行くんじやないよ」
「うん、そうする」
夕方、ビクターは玉子小屋に来た。
小屋の中には誰もいなかった。
外を見廻すと、谷から一人の女がはい上がってきた。背が高く、大柄な女だった。
ビクターに気付き、驚く。
「どなたですか?」
「突然、すまない。ここで玉子を買えると聞いてやってきたんだが」
「お客さんですか。驚きました。わざわざここまで来なくても、市場で玉子なんか買えますのに」
「断崖絶壁に住む鳥の玉子とは、珍しいじゃないか。せっかくこの街に来たのだから、旅の土産話に、自分で買いに寄ってみようと思ったんだ」
「そうですか。では、今とってきた玉子があります」
「ありがとう。売ってもらうよ」
玉子を受け取り、ビクターはひとつ深呼吸して、崖へ歩いた。崖の中をのぞき込む。
「これは凄い。危険な仕事だろう」
「はい。私の前の、玉子取りをしていた人間は、足を滑べらせて死にました」
「そうか、あなたも気を付けないといけないね」
「はい。では、私は用事がありますので、これで失礼します」
「いやいや、もう少し話をさせてくれないかな。実は、私は頼まれて、とある人を探しているんだがね。この街に来てからおかしな事があったんだ。ある人が私の前に現れた。丁度あなた位の背格好さ。その人が、三日前からこの街で私と同じ人を探していると言う。だが、いくら探しても、この街にその探し人はいないと言うんだ。私はその後、街で探し人の事を聞くのをやめた。今度は、その同じ目的を持っていた人の事を聞いて回ることにした。するとね、おかしな事が分かった。その人は、街に一つしかない宿に泊まっていないし、他のどこにも立ち寄った形跡がない。誰もわからないと言うんだ。一体、この街には、幽霊でもいるのかね。これ、どう思うかい」
女は首を傾げた。
「何の話でしょうか」
「でね、私は考えた。実は、その人が探し人そのものだったんじゃないのか、と思ったんだ。変装して、我々を追い返そうとしているんじゃないか、とね」
女が呆れて言う。
「いい加減にしてください。私は、今から仕事があるのです」
「悪いね、もう少し時間をくれ。それでね、もし探し人がこの街に逃げ込んでいたとしたら、三ヶ月程前に到着しているはずなんだ。ところであなたも、三ヶ月程前にここにやってきた。街で聞いた。そうだね」
「一体、何ですか。私を疑っているのですか?私は女です。男じゃないです」
「私は、探し人が男と言った覚えはないのだが。よく分かったね、フィリップ」
その瞬間、女が男になった。
髭を生やし、右の頬に刃物の傷跡があった。
ビクターが悲しそうに言う。
「フィリップ、君をこの街で見た人間がいる。気を抜いて変装を解いてしまったのか。せっかく、類まれな力ごあるというのに」
「わざとじゃなかったんだ。なぜ、それが分からないんだ」
フィリップはビクターの言葉を聞いていない。目を血走らせて、宙に向かって話す。
「わざとじゃなかった。あいつが俺を痛めつけようとするから、自分を守ろうとしただけなんだ。殺すつもりなんてなかった。なのに、死んでしまった」
そして、ビクターを睨み付けて言う。
「俺は悪くないんだ。俺は諦めろとお前達に言った。何故、諦めなかったんだ。俺はただ、ここでおとなしく生きていこうとしていただけなのに。私はデンカー氏のところには行かない。私は悪くないんだ。裁かれるいわれなどないのだ。裁かれる位なら、自分で自分を殺す。そうだ、お前も道連れになれ」
フィリップはビクターにしがみつき、谷底に飛び込んだ。
落ちながら、フィリップが悲鳴を上げた。ビクターから腕を手放した。その瞬間、ビクターは宙に浮いた。
フィリップと目が合う。信じられないと言う目をしていた。
そして、フィリップは何が起きたか理解できないまま、一人深い谷底に落ちていった。
鳥達が異変に騒いでいた。
ビクターはため息をひとつついて、鳥のように、上へ舞い上がって行った。
ドギーは既に宿に戻っていた。
「なかなか良い街だったね。僕は気に入ったよ」
「なら、この街に留まるかい」
「いや、やめておくよ。僕はもっと大きな街に住むんだ。このくらいの街じゃあ、儲け話もそこそこでしかないよ。それよりもさ、始まりの大地にいくんでしょ。僕も一緒に行かせてよ。はるか昔、僕達のご先祖様達は、穢れてしまった、母なる青い星を捨てた。空を飛び、空の向こうへ旅をした。そして、始まりの大地に降り立った。お父さんからよく聞かされた昔話だ。せっかくビクターさんと出会えたんだから、商売をはじめる前に寄り道して、見てみるのもいいと思ってさ」
ビクターは、捨て子だった。自分の親が何者か分からない。自分のように、人と違う力を持っていたのだろうか。今となっては、探しようがないから、何も分からない。
これは一生埋められない、ビクターの
心の欠落した部分だった。
どうしても埋まらないならば、はるか昔に自分の先祖が降り立った大地に行ってみよう。そこで、自分のルーツに花でもたむけたならば、自分の中の孤独感が多少なりとも整理がつくかもしれない。そう思い、旅をしているのだった。
「ねえ、ビクターさん、聞いている?」
「ああ、聞いているよ。」
「ご先祖様達は、本当に空を飛べたのかな」
「私だって、空くらい飛べる」
ドギーがくすくすと笑った。
ドギーがぽつりと言う。
「この先、フィリップは見つかるかな」
「さてね」