第3部 出来すぎた女の意外性
誠は彼女を目にすると「あ、ヒメちゃん! 待ってたよ!」と声を弾ませ軽快に立ち上がった。そしてそそくさと彼女が手にしていた買い物袋を取り上げ彩乃さんのいる厨房へと向かった。その誠の動きに小さな驚きの表情を見せた彼女。その彼女へ「ごめんねぇ、ヒメちゃん。買い出しまでさせちゃって」とティファニーが言う。
「いえ。とんでもないです。」
そう言って彼女は小さく微笑むといそいそと厨房へ向かった。
彼女は厨房に立つと買い物袋から買ってきた食材を取り出し、それを前に今度は袋からエプロンを取り出して身につけていた。その彼女の姿だが、俺たちのいるところからは丁度彩乃さんに隠されるような立ち位置になるから動作は見えるがはっきりとは見えない。
するとティファニーをはじめ、まほろば女性陣は「見に行こうよ」と言って一斉に鉄板テーブルへと移動し出すと「俺たちも行くか」と俺達Salty DOGメンバーもこぞって移動した。
彼女が広島お好み焼きを作る様を見るために皆が彼女へと集ったが彼女は気にすることなく黙々と仕込みを始めていた。そこへ彩乃さんが「手伝おうか?」と彼女へと聞くと「大丈夫です。今日は私に任せて休んでください」なんて自信を見せたかと思いきや続けて「でも味に自信はないですけれど」と言って彼女はからり笑った。
それを聞いた彩乃さんを含めた俺達は「またまたぁ」と声を揃え笑って言う。
俺達が座っている鉄板テーブルから下準備の風景は残念だが見えない。彼女の背中を眺めることしかできない状態だ。彼女は相変わらずTシャツにジーンズスタイル。初めて会った時と変わらない印象のシルエット。いや、年を重ねた分の女臭さが増しているように俺の目には映った。当然か。彼女はそういう年頃だったな。
まほろば女性陣は彼女のお手並みを見るために彼女へと取りついている。その取り巻きのお陰で俺達には後頭部しか見えない彼女の手さばきであるが、取り巻き達の歓声と感嘆、そして包丁がまな板をリズミカルに叩く音を耳にすればかなりのものだとは推測がつく。
「何だか凄そうだな」
俺の口から自然に漏れる。
「ヒメちゃんはホントすごいなぁー。これは楽しみだ」とニンマリした誠。
「今日はついてるかもな」と一郎は低い声を鳴らした。
しかし彼女の出来すぎさには参った。下準備が終わり俺達の目の前で繰り広げられた広島お好み焼作りは皆の口を閉じさせるほどのものだった。無駄口一切無しの彼女の仕事っぷりは玄人職人のよう。
彼女は俺達の方へ体を向け鉄板を前にする。そして期待感一杯で皆が黙って見守る中、彼女は手早く鉄板に油を引くとそこへ生地を綺麗に広げそこへ千切りキャベツを盛った。
「すごいキャベツの量だね」と誠がビール片手で頷きながら感心している。
「これが一番の特徴かも知れませんね」
彼女はそう言いながら今度はキャベツの上にもやしをのせた。
「へぇー、もやし入れるんだ」とティファニーは腕組み感心顔。
「はい。これがスタンダードです」
控えめな自信顔で言った彼女はその後も黙々とお好み焼きを作っていった。
そして出来上がった彼女のお手製広島お好み焼きは見た目だけでなく味も見事で彩乃さんも含め皆が唸り感心した。
さっそく誠は大声かつ大袈裟な口調で言う。
「ヒメちゃんってホント凄いなぁ。こんな美味しいもの作っちゃうんだからさぁ。天は二物を与えずなんて言うけど、あれは嘘だね」
「いえ、別に作り方を覚えて分量を間違えなければ誰でもちゃんと美味しく作れますよ」と淡白な表情で涼しく応えた彼女だがそれは嫌味な風に感じなかった。
「いやぁ、でも焼き加減もあるだろうしさぁ」と誠が応えると「そうそう」と皆も口を揃えて言う。
そして彩乃さんはほくほくした笑顔で言った。
「ヒメちゃん、後でレシピ教えてね」
「はい」
正に出来すぎた女。バービードールのように鑑賞に適している見栄えの出来の良さだけではなく何をするにもそつなくこなす出来すぎさ。人当たりも程よく一つ一つ口にする言葉も嫌みなく、コミュニケーションの取り方、間合いの取り方もそつがない。まだ二十歳そこそこと言うのに。誠が言ったように天は二物を与えずとはハッタリだ。
俺は実際、そんな彼女が舞台の上で役者をやっている姿をまともに観たことがない。そもそも桂介達と知り合ってから長いが観客として舞台をまともに目にしたのは片手で足りる程度だ。後はいつもたまたまここへ来た時にまほろばが公演しているのをモニター越しに見るだけだ。奴らも同様。俺達のライブに顔を出したことなど皆無だ。ただしティファニーとさくらちゃんは別だが。
そんなまともに観たことのない俺が言うことではないだろうが、きっと彼女は舞台の上での映え方は尋常ではないだろうなと感じていた。そして変な話であるがそんな彼女がもし歌を歌ったらどうなるのだろうか? そんなことをふと思わせてくれる女だった。
待てよ。もし歌まで上手いとなったらそれこそ気味悪さは最大級の女となる。勘弁して欲しい。
そんな出来すぎた女。作られたかのような女。ここまではそれを確かめただけのつまらない話。しかしこの後、彼女の意外過ぎる好みを知り俺の彼女の見方が簡単に変わった。俺の安っぽい一方通行な女の見方によるものかもしれないがな……
まほろば女性陣と俺達Salty DOG、そして彩乃さんとあれこれと皆との談話が一時間ほど続き一段落感が出たところで彼女はさりげなく食器の片付けに入っていた。
全くそつのない出来た女だと俺は感心する。大層立派な家庭で育てられ教育されたのだろうなと思わせる行動だ。そう思いながらも俺も空いた器を手に取りシンクへと運んでいた。
彼女の立つシンク横へと俺が食器を置くと彼女は「あ、すみません」と俺を見ることなく軽く会釈して言った。
「ナニ言ってんだよヒメちゃん。こっちこそすみませんだよ。俺達の分まで皿下げてくれて」
すると顔を俺の方へ幾分向けて言った。
「いえ。私が一番下っ端ですから当然ですよ」
「下っ端? ああ、まほろばで、ってことだよね?」
「はい。あ、もちろんSaltyさんも入れてですよ」
「ナニ言ってんだよ」と俺は彼女の言ったことに笑うと続けた。
「年齢言えば一番ヒメちゃんが若いだろうけどウチらにそんな歳なんて関係ないさ。自分で出来ることは自分でやる。若いも若くないも関係ないよ」
「でもやっぱり新入りですし」
「新入りって、もう一年くらいは経ってるでしょ?」
彼女は手を止め少し首を傾げ言った。
「んーそうですね。それくらいはもう経ちましたかね」
そう言い終わると彼女は少し渋い顔をした。その顔を見た俺はすぐに奴の顔が浮かび言った。
「こき使われるんだ? 桂介の奴に」
「そこまででもないですけど。私、昔からこういうことを無意識にやっちゃうんですよね」
「へぇ、すごいな。気が利くってやつだ。じゃあ、おっさん連中にモテるだろ?」
「え? そうなんですか?」
彼女はハッと小さく驚いた。それが俺には少し可愛く見えた。
「膳の上げ下げのタイミングとか細かいところに気の利く女はモテるよ。さらに料理も上手いとくればおっさんじゃなくても大概の男にな」
「そうなんですか。じゃ覚えておきます」と彼女は無関心な乾いた笑みを作った。そして俺はつまらない事を言っちまったなと自分自身が可笑しくなり顔がほころんだ。
それからほんの小さな空白の後、俺は何気に彼女へ聞いた。
「ところでヒメちゃんは普段どんな音楽聴くの?」
「私ですか? んー、格別好んで聴いてるって言うのはないですね」
と淡々と言った彼女のこの言葉は嘘だとすぐ俺は思った。それは以前この店で見かけた時、店の隅でイヤホンをして小さくリズムを刻んでいるのを見たからだ。
俺はその時からずっと彼女がどんな音楽を聴いていたのか気になっていた。それはもちろん俺が音楽好きだからだ。
「ウソでしょ? いつだったかイヤホンして何か聴いてたよね? まさかラジオで落語を聴いてたとか?」
「え?」と口にした彼女。俺のつまらない冗談に意外にも表情が明るくなった。
「それ、正解って顔? すげぇ渋い」
「ヒデさん、私まだ何も言ってませんよ」
「じゃあ、何聴いてたの?」
俺は少し挑発がかった笑みを作りつつ彼女を真っ直ぐ見て迫った。すると彼女は少し戸惑い顔を見せて手を止めると俺の方へ顔を向け言った。
「Hackersって知ってますか?」
「Hackersって……まさかHackers Strike Againの事?」
「そうです」
短く応えた彼女は随分と照れ臭そうだった。俺はこんなはにかんだ表情をした彼女を見たのはこの時が初めてだった。
「ヒメちゃんがなんでHackers Strike Againを知ってるの?」
「ライブへ行ったことあるんで」
「マジで!? かなりマニアックだなぁー。意外すぎる」
俺は本気で驚いた。
「やっぱりそうですかね?」
「Hackersなんてアングラかつもろパンクじゃん。そんなん聞くの?」
「いえ、普段はあまり音楽って聞かないです。ただ以前、ここでHackersさんが演奏している時にたまたま通りかかって、それでつい惹きこまれちゃって」
「わかるわかる。あの人たち、マジ格好いいもんな。あの格好良さ分かるなんてなんか俺嬉しいなあ」
彼女の意外な音楽の趣味を知り、この時の俺は簡単に心躍らせていた。
「なんで嬉しいんですか?」
「いや、ああいうのってさぁ、実際、人ウケ悪いじゃん? しょうもないヒットチャートに並ぶ音楽じゃないし。そういう音楽に惹かれるセンスがヒメちゃんにあったなんてさぁ、やっぱ嬉しいでしょ?」
特段、音楽の好みが一緒だったからと言って嬉しい気持ちになるのは特別じゃない。趣味が合う仲間が増えれば嬉しいに決まっているだろ? ごく普通なものだ。でもこの時の胸の内のはしゃぎ様は普通ではなかった。
ガキそのものだった。自分で笑えるほどに。
俺は嬉しさの勢いが手伝って彼女へと自然に聞いていた。
「ねぇ。もしかして今度のライブ観に行く?」
「何のライブですか?」
「もちろんHackersの」
「あるんですか?」
「そうだよ。知らなかった?」
「はい」
「ウチらみんなで行くからよかったら一緒にどう?」
「予定が合えば行きたいです。いつですか?」
そう言って柔らかい笑みを浮かべた彼女だった。
この時、俺のガキ臭い感情は面白い様にはしゃぎ回っていた。何って、俺はチケットが取れるかどうかも分からない状況にも関わらず安易に彼女をライブへと誘っていたからだ。俺らしくないこのはしゃぎようと無責任な誘いは正にガキだと自分自身で証明したようなものだ。
そしてライブ前日。一郎から奇跡のメールが来た。
『ごめん。ウチのガキが急に調子悪くなってライブ行けそうにないわ。俺の分よかったら誰かにあげて』
一郎が彼女を招き入れる自然な流れを作ってくれた。大袈裟に運命だったなんて本気で思っちゃいないが、でもこれは結果的には運命的な機会だったのだろう。彼女へ近づき彼女を知るための。