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終章

 ついさっき彼女は一方通行を逆走する驚きの走りをして俺を慌てさせたが、それ以降は落ち着いた走りとなり俺の中に滲み出ていた恐怖心はすっかり消え身構える事なく俺はナビシートでぼんやり外の流れる深夜の風景を眺めていた。


 疲れ知らずの雨雲達は今もなお暗闇の中に雨粒を落とし続けている。それを相手に目の前のワイパー達は飽きる事なく黙々と仕事を続けている。

 そして車内には時折曲がれなどの指示をするナビの声が響いていた。一体何処へ向かっているのだろう?

 俺は眠たい声で彼女へと聞いた。

「ナビに目的地設定してるみたいだけど何処に行くの?」

(もろ)(ざき)(こう)です」

「師崎港!?」

 ここから優に1時間はかかる半島の先まで行くと言った初心者ドライバーに俺は少し驚いた。

「朝陽が見たくって」

「朝陽って、雨だだ降りだよ?」

「大丈夫です。予報通り明け方には止みます」

「止みます。って、凄い自信だなぁ」

「私、まだ水平線から昇る太陽って見たこと無いんです」

「そうなの?」

「はい。だから見たくて。暁の水平線というものを」

「そう言えば……俺も朝陽を海で見たことは無いか……」

「本当ですか?! 良かった!」


 眠気に襲われ初めていたこの頃の俺には彼女のはしゃぐ声が小鳥のさえずりのようで心地良かった――


 それから彼女の操る車は都市高速へと入り深夜の退屈な街の景色に飽きた俺はゆっくりと運転席へ顔を向けた。するとやっぱりそこにはあの遠藤香織がいた。

 また小鳥のさえずりでも耳にしたいと思った俺は彼女へ声をかけた。

「一通逆走の時はかなりビビったけど、すんなり高速にも乗れて普通に走ってるからすっかり安心しちゃって寝ちゃいそうだよ」

「本当ですか!? 最初はちょっと緊張もあってヘマしましたけれど、もう大丈夫ですよ! ゆっくり走るのでヒデさんはどうぞひと眠りしてください。まだ日の出まで時間はありますし」

「じゃ、遠慮なくそうさせてもらおうかな?」

 彼女の言葉に甘えて俺は目を閉じた。そして間もなく彼女の声が耳を打った。

「英秋さん?」

 奇妙な呼び方を突然した彼女。人をからかうのが好きなもんだと思った俺は目を瞑ったまま笑って応えた。

「突然畏まった呼び方して。気味悪いなぁヒメちゃん」

 すると横にいた(たち)の悪い女は言い放った。


「英秋さんを好きになっても良いですか?」


 意識が遠退き始めていた俺だったが彼女の放った思わぬ言葉で簡単に目覚めの域へと引き戻された。

 俺は即座に目を見開き彼女を見ると彼女は真っ直ぐ前を見たまま口をつぐみハンドルを握っていた。その表情はどこか涼しげに見えた。


(奴に何吹き込まれたんだよ?)


 思わずそう口から出そうになったが言葉を飲み込み俺は別の言葉を口にした。

「普通そう言う事をわざわざ聞くものか?」

「どうなんでしょう? 私には普通というものがよく分からないので」

 そう言って今度は含みのある笑いを彼女は静かに見せた。


 ――なんてこましゃくれた女なんだ

 ――悪ふざけにも程がある

 ――この俺にふざけた戯言(たわごと)

 ――俺のことを見透かしてか?

 ――七つも下のくせして


 いや、奴の息がかかった女が口にした()(ごと)だ。そして俺の目利きの悪さが迷わせているのだろうが彼女が自分の欲求に素直な阿波(あば)ずれなのだろう。そう解釈しておくのが妥当だ。

 そんな女だから奴の要求に応える事を続けているのだろう……


(……)


 でも疑うのは簡単だ。

 この状況を利用しない阿呆(あほう)な男がいるもんか。

 看板女優としてもて(はや)され、それに相応しいだけの条件を兼ね備えている女が何を企てているか知らないが俺へと近づこうとしているんだ。

 奴の差し金だとしてもだ。


「英秋さん」

「ん?」

「私はヒメじゃありません。香織です。それにちゃん付けで呼ばれるほど幼くありません。だからこれからは香織と呼んでください」

「こましゃくれた事を……」

「え?」

「ん?」

「何か言いましたよね?」

「ん? ああ。じゃあそうするよ」

 俺はそう言って再び目を静かに閉じた。


 それにこんな態度で俺に挑んでくるとは可愛いじゃないか。


 こましゃくれたかわいい女――


 俺はこのこましゃくれたかわいい女を逃がすまいと欲望に埋もれた……


―完―

あとがき ―東条英秋という名の男―


 東条英秋。A級戦犯として名高い人物と似た名前が与えられた彼はきっと小中学あたりでは結構からかわれたのではないのかと思ってしまう。そう思うと気の毒な男だ。

 その彼はそれのせいか分からないが少々捻くれていてあらゆる物事を素直に受け取らない癖が元来あるようだ。だからか面白い奴だ。


 その彼の視点で書き続けてきた物語、『つもるはなし、つまりよもやま 夏の巻・英秋編』は二年もの期間を経て物語の結末へと到達することができた。

 決して内容の濃い作品でもないものにこれほど時間を費やしてしまったのは私自身の能力の低さが主たる原因なのだが一人の人間の内面を追いかけ続けることはたいへん労力を要するということを今回の作品を手がけたことでよく理解できた。


 英秋自身の思考をすべて見通し表現することができたのかは私自身でも分かっていないのだが今の私にできる力の限界として認識しておく必要があると感じている。


 次は遠藤香織という名の女に迫る。彼女の精神世界にどこまで入り込み、彼女の心、目を通して入り込んでくる世界をどこまで正しく私は見ることができるのか? そしてそれを表現できるのか? 幾月幾年の歳月を要するかも計り知れないがそれに挑もうと思う。


2015年5月17日 11時44分 タリーズ名駅西店にて

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