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第8部 さようなら(後編)

「あーあ……ホントゴメンネ、ヒデちゃん。みんな」

 大きな溜め息をついた彩乃さんはハンカチで涙をふき取り、それでも涙塗れになっている笑顔で自分に言い聞かせるかのように続けた。

「81年も人間やってきたんだから上等でしょ? 彼は十分自分の人生を完璧に全うしたの。だからね、笑って。笑顔。しんみりはダメなの。彼、そういうの大っ嫌い。みんな知ってるわよね? 死は悲しむものじゃないってよく歌ってたでしょ? 自分の運命を受け入れて、全うして迎える死は悲しむもんじゃないって。それが彼の生き方だった。きっと、だから、だからタカさんは……」

 彩乃さんは言葉を詰まらせた。そしていつの間にか映像が停められた店内には誰かがすすり泣く音だけが小さくこだましていた。


 彩乃さんは目を閉じ目頭へ何度とハンカチを当て一つ大きく息を吐き出した。そしてゆっくりと開いた目を俺に向けると顔にめいいっぱいの笑い皺を浮かべ静かに言った。

「ごめんね、ヒデちゃん。せっかくの誕生日に」

「そんなの全然関係ありませんよ」


 俺達は誰も知らなかったが孝明さんはずっとガンとの闘病生活を送っていたそうだ。それも孝明さんは高級なナノ治療はもちろん、放射線もワクチンも薬も全ての治療を拒み、ただ痛みを誤魔化すだけの処置で三年近くの時を過ごしたと言う。

 そして孝明さんはあれだけ反対をしていた悠久乃森で自らの手で自分の命を止めた。彩乃さんの目の前で。


 俺は孝明さんに言っておきたかった沢山の気持ちの一心で彩乃さんへ思うままに言葉を発した。

「彩乃さん、今から孝明さんに挨拶行きたいんですけど……」

「え?」

「お礼も直接言いたいし。間に合わないですかね?」

 彩乃さんは泣き腫らした目のまま照れ臭そうな表情をした。すると誠が俺の横へとやって来て言った。

「なんだてヒデ。一人で行く気かよ。俺もすぐ行きたい。孝明さんに聞いときたい事あったから」

 瞳濡らした赤い目の誠の相変わらずの口調に俺は笑って聞いた。

「なんだて? その聞いときたい事って?」

「どうしたら彩乃さんみたいな若くて美人な子を口説けるのかって事」

 誠の言葉に続いてトモちんが声を出した。

「俺も知りたい!」

 するとティファニーまでも。

「トモさんまでそんな事言うか?! モー男はすぐ若い若いってしょうもないなぁ。で、彩乃さんはどうやって騙されたんですか?」

「ティファニー分かってるわね。そうね。結局騙され続けちゃったのよね……きっと……分かっていたくせに……馬鹿な私ね……」


       *


 ひっそりと佇むライフケアステーション悠久乃森。その正門とは真逆の位置に納骨堂はあった。彩乃さんに案内されてそれを初めて知った。

「ここよ。ここにタカさんが眠ってるの。こんなところに納骨堂があるなんてびっくりでしょ?」

 彩乃さんはそう言って俺達の返事を待つことなく一人納骨堂の自動ドアをくぐり抜けて行った。俺達は黙ったまま彩乃さんへと続いた。


 きらめくあまたの表現会場くらいの広さの印象を持つ納骨堂には俺の目の高さくらいほどの黒い壁が心持ち狭い通路を作っていくつも並び、その壁にはロッカーのように四角く区切られた小さな扉のようなものがずらりと並んでいた。

 彩乃さんは軽く振り向き誰に言うでもなく「こっちよ」と言うと右の方へと歩いて行った。それに黙って皆ついていく。

 すると急に俺達の後ろの方がざわめき出した。納骨堂へ夜遅く20人ほどの人が一気に押し寄せた為、警備員がやってきたのだ。

 警備員の存在を知った彩乃さんと美鈴さんはすぐ警備員の元へと行き会話を始めた。どうやらご近所のせいかお互いをよく知っているらしい。お陰ですぐ話が通じて警備員は去って行った。


「こんな時間に人がわっと来れば怪しまれるわよね、酔っ払いの集まりじゃないかと」

 戻ってきた彩乃さんは普段通りにからからと笑って言うとそのまま歩き始めた。

 そして数メートルほど進み立ち止まった彩乃さんは左側の壁へと静かに手をかざした。その先には『柊 孝明』と毛書体で印刷されたプレートがあるだけの小さな扉があった。

 ここに孝明さんが眠っている。でもにわか信じられない。実感が湧くものが全くなかった。


 生きることに大した意味はない――


 孝明さんが言っていた言葉だ。


『生まれちまったから生きるしかない、死のゴールに向かってな』

『人間ってよー、多分、死に場所を探し見つけ出す為に生きてるようなもんだと俺は思うんだわ』

『生きるって事に大した意味なんてねぇんだよ。深く考えるほどでも無ぇ。だからさ、何も生き急ぐ必要も死に急ぐ必要もない。ウサギでもカメでも何だっていいんだよ。自分を見失う事さえなければ。でな、結局は生き様が死に様を作るんだ。分かるか?』

『だからさ。何で自殺できる施設を作んなきゃいけないってことだよ。自殺をわざわざ()()()()()、とか言い換えてな。ったく笑えるぜ』

『俺達には子供がいないけれど、自分の子供の行きつく先が自殺って悲しすぎるだろ? 親より先に逝っちまうってどうなん? 子供のいない俺でもオカシイって思うぜ。そう思わないか? ヒデ?』

『まぁな。終末医療を受ける身になりゃ選択肢としての安楽死はあってもいいかも、とは思う。でも安楽死なら病院でそのままできるだろ? 今までだって実際安楽死があったわけだ。それを法的に認めればいいだけだろ?』


 孝明さんはほんの数時間前にここで死を迎えた。それを安楽死と呼ぶのか尊厳死と呼ぶのか俺には分からない。多分そんな事はどうだっていいんだろう。彩乃さんの言葉を受け笑顔で送ればいいんだと思った。

 静かに手を合わせた時、気のせいか孝明さんの声が俺には聞こえた。


『俺の死に様を笑ってくれよ。泣かれちゃ恥ずかしくってしょうがねぇから。ハハッ!』


       *


 皆が孝明さんとのお別れを済ませると、きらめくあまたへと戻り後片付けをして解散となった。

 しかしまほろばの皆は彩乃さんからの要請もあり予定通り肝試しを実施することとなりその仕込みがあると言ってそのままここで朝を迎えるという。劇団とはすこぶる大変だと感心した。


 家の方向が誠と同じ俺は二人揃ってロング缶のビールを口にしながらダラダラと夜空の下を歩いていた。

 しばらく続いた沈黙の時間。人通りが全くない深夜。俺達のぺタペタと足を鳴らして歩く足音だけが聞こえる。

 きらめくあまたを出てしばらくしてすっかり車もいなくなった幹線道路へ出た頃、誠が珍しくしんみりとした声を出した。

「孝明さんの事でさぁ、今日改めて悠久乃森っていう所が本当にあまたの目の前にあったんだなって思ったよ。オレ……まだ人の死にまともに立ち会った事ないからかスゲェ複雑……」

「そうだな。本当にあそこで人が死んでるんだよな……」

 そして再び俺達の間に沈黙の時間が及ぶと缶ビールを口にして紛らした俺達。


 しばらく沈黙の時間を過ごしていると突如誠が俺の肩を掴み体ごと街路樹の陰へと引っ張り押し殺した声を上げた。

「ちょちょ、ちょっと、ヒデ!」

「何だよ?」

「しっ! あれあれ」と俺の視線を誠の指が先導した。

「あ」

 誠の指先にはここらで有名なラブホから揃って出てきた男女があった。はっきりしない明るさだったが女はポニーテールに白いワンピースなのは明らかだった。そして男の背格好。それは紛れもない二人だった。


 出来すぎた女と奴だ――


 誠は目を細め溜め息混じりな声を漏らした。

「桂介の奴、挨拶に行くとか言ってハッタリかましてヒメちゃんと二人でラブホにしけこんでたんかよ……しかも今日この日にさぁ……」

「だな……」


 並んで歩く二人の背中を呆然と眺めていた俺の脳裏には簡単に奴と出来すぎた女が裸で汗ばむ身体を捩らせ抱き合い、熱い吐息を混じり合わせてベッドの上で踊る姿を形作る事ができていた――


 結局俺はあの完成度の高い出来すぎた女を抱きたかっただけだ。

 男の欲求、男の価値としてイイ女のふしだらな姿を見物し私物化することに誇りを持ち、連れて歩くことにステータス性を感じる極貧の達成感。それが欲しかっただけだ。そんな低俗の欲求を満たしたかったんだ。

 そしてあの艶やかで長い黒髪に手櫛を入れ、透明感高い(なま)めかしいほどの肌の上をゆったりと指を滑らせたい欲望の(もと)に吹き上がった感情を吐き出したかっただけだ。そう言うことだ。


 この時、俺は自分の本心に気付くと共に奴に対する敗北感に覆われた。そして自分がこの本心に気付かないフリをしてきたことを知った――


「やっぱ、俺。孝明さんに似てるのかな……?」

「ん? ヒデ、何か言った?」


 俺は奴らを目にした後、誠と何を話していたかは覚えていなかった。ただ、ふと見た腕時計の針は短針長針仲良く交わり12時を指していたのは覚えていた。


 今日はもう5月16日だ……


 俺の二十代最後の誕生日だった昨日は孝明さんの命日となった。

 そして俺の中の女の存在を消し去った日となった。


 もう明日は来ることはない。


 さようなら――


 俺は眠りを覚える事なく朝を迎えた。

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