第7部 さようなら(前編)
俺がバンド、ギターを始めたきっかけはHackersを観てからだけど、ギターのプレイスタイルとか音楽に対する考え方とかは孝明さんからの影響がものすごくある。実際、ギターのイロハは孝明さんから教わったし。でも孝明さんは別にテクニックはいたって並だった。どちらか言うと上手くない方だった。今にしてみればそれは間違いない。始めた頃はめっちゃくちゃ上手いように俺の目には映っていたが。
このエフェクターを見ていると色々と思い出す。孝明さんとギターを通しての数々の会話。
『エフェクターなんてよ、結局誤魔化しだわ。俺はヘタくそだからな。素で弾くとバレバレ』
『でもよ、これが気持ちいいんだわ。エフェクター噛ましてブーストした歪みが。結局弾いてる人間が気持ち良く、楽しくなくっちゃ音楽なんてクソつまらなくなる。それがロックっちゅーもんだ』
『昔からよく言うだろ? 音楽は音を楽しむもんだって。要はノリなんだよ、ノリ。上手いも下手もカンケイねぇーよ』
そして忘れられないのが俺がローンで初めて買ったギターを孝明さんへ見せた時の会話。孝明さんはめっぽうギター好きだったが他人のギターには絶対触れないというのをこの時知ったんだ。
『お、デューセンバーグか!? その選択、ヒデらしいぃーなぁー。渋い!』
『どんな弾き心地かは気になるけどな。俺は人のギターに手を出さない主義だ。だから女も男付きには近づきもしない』
『知ってるか? ギターっていうのは女の身体と同じだ。見てみろ、シェイプがそうだろ? だからって俺は優しく扱えとは絶対言わねぇーけど。ハハ! でな、繊細なほど優しく触れなくちゃいけないものもあるけど激しく扱う方がイイ音出すものもある。で、値段が高けりゃあ良いって訳じゃない。弾いてみて自分がイイと思うか、気持ち良くなれなきゃ結局クソ同然。じゃあ形が歪なものだからって音が悪いなんてそんな決めつけはありえない。だから結局いろんなギターが弾きたくなる、試したくなる。そしたら随分と数が増えちゃったけどな。ハハッ!』
『ヒデ、俺の話をそのまま額面通りに受け取るなよ?』
『なんだよ、そのキョトンとした顔? 俺が言ってるのは、そうだからっていろんな女を弄んで試すようなことをするな、ってことだよ』
『ギターはいくらあっても場所を取るくらいでいいが、人の心はモノじゃないからな。心も身体も弄ぶものじゃない。色んなタイプの女と付き合うのは大いに結構だがどれも本気でなくちゃダメだ。本気の覚悟でこの女と生きているか? を見定めるために、そして自分自身が相応しい男であるか? 相応しい人間として足るか? それを知るために女と触れ合うんだ』
『ギターと女を一緒にするなって? ヒデならそのうち分かるよ。ヒデなら。ウチのカミさんはめっぽうヒデ贔屓だし』
『キョトンとするわな、そんな事言われて。何かよ、ヒデは俺に似てるんだってよ』
『知らねぇよ! 彩乃がそう言ってたんだから!』
孝明さんはいつも笑って色々と話をしてくれた。孝明さんの笑いはいつもきらめくあまたの店内に心地よく響き渡っていた。きっと色んな思い、楽しいばかりじゃない人生を背負って歩んでいたに決まっている。
『集い処きらめくあまた』は儲け一辺倒のところじゃないのは皆が知っている。きっと生活に余裕があるわけじゃなかったと思う。
でも孝明さんは俺たちの前ではいつも笑っていた。そしていつもその横には呆れ顔した彩乃さんがいた。
俺は孝明さんのように年齢を重ねて行ければ、そして彩乃さんの様な女性に出会えればといつも憧れていた――
「彩乃さん、孝明さんにお伝えください。早速今度のライブから使わせてもらいますって」
「ええ、伝えておくわ。で、今から何かやるの?」
「来月僕ら12周年ライブやるじゃないですか。そこで流す予定のビデオの上映を。でもまだぜんぜん編集できてないですけどね」
「あら、楽しみ」
高校時代に始めて今年で12周年を迎える俺たちSalty DOG。来月、ここきらめくあまたで記念ライブをやる。そこで使う映像の編集を茂に頼んでいた。茂は映像の見せ方が上手く、映像作家とかその世界にいないのが不思議な位だ。そんな茂のセンスに惚れた他のバンド連中からはよくMusic Video作りを頼まれていた。
壁面に貼り付けられた大型フィルム・モニターに前触れなく突如現れた若き日の俺達、Salty DOGの練習風景。BGMは無い。本当に素の状態だ。
ティファ「おおぉ、やっぱ若い!」
さくら「誠さん可愛いなぁ。この頃は髪の毛真っ黒で、おかっぱみたいな髪型してたんですね」
誠 「ホントだ。もう全然覚えてねぇーや」
さくら「ヒデさんは昔から髪型変わってないですね」
一郎「今もツンツン」
俺 「流行なんて俺には関係ねぇーよ」
映像はバンドを始めた頃のスタジオ練習風景から始まり、間もなく文化祭での初ライブ映像へと変わった。
さくら「この頃はうちの座長やトモさんとは親しくなかったんですか? ヒデさん?」
俺 「全然。喋った記憶ないし」
さくら「ええ!? たしかクラスメイトだったんですよねー?」
俺 「それは間違いない。でも本当に学校であいつと喋った記憶ないんだよなー」
一郎「うわっ! これ、合歓の郷ん時じゃん!」
一郎の声に俺はすぐ目をモニターへ向けると皆でワンボックスカーへ荷物を積み込んでいる姿の動画が映っていた。
俺 「でぇら懐かしいーわ。これ合宿とは名ばかりでさぁ、初日だけちょっと真面目に練習して二日目は皆すげぇ二日酔いでほとんど何もやらず、ぼーぉっとしてたんだよな」
誠 「そういや茂がビデオ撮ってたなぁ。懐かしいわ」
サークルみたいな事をやってみたくて大学時代に俺達は夏休みを利用して三重県にある合歓の郷で二泊三日の練習合宿をやった。
でも結果はほとんどまともな練習はやらず別の事にみんな忙しかった。俺達がこの時ここへ行かなければまた違った人生に皆なっていたのかも知れない。それほど大きな出来事があった想い出の合宿だった。
モニターに映っていたのは俺ら四人がアイドルグループの好みをそれぞれ熱く語るドライブ風景。これを観ていたまほろばの皆も声を出して笑っていた。
そして映像は道の駅での昼食風景から現地到着と来て、そこから練習風景となると思いきや突然、ガールズバンドの練習映像が映った。
「誰、この子達?」
この頃、俺の隣に座っていたティファニーが俺の視界を塞ぎ興味津々の顔で聞いてきた。俺は慌ててPAブースにいる茂へ聞こえるよう叫んだ。
「これはまずいだろ!? 茂!」
すると茂はPAブースから顔を出すことなくマイクを通して言った。
「面白いでしょ?」
茂の声に「面白ぉぉい!」とSalty以外の連中が即座に声を上げた。
モニターにはデカデカと俺達と女の子バンドメンバーとの談話風景が映し出されていた。でもここには俺達の曲がBGMとして流れていて会話内容は分からないという隙の無い編集を済ませていた茂。
これを観てティファニーは大声で言う。
「何、すごい皆ヘラヘラして、カッコ悪っ!」
俺はティファニーへ説明するように言った。
「この子らとさぁ、たまたまスタジオが隣あわせになって、確か休憩の時に話しかけて仲良くなったんだよ」
「ナンパかよっ!」とトモちんが叫んだ。そしてティファニーは俺に擦り寄り聞いてきた。
「で、この子達と大人などんちゃん騒ぎでもしたって話?」
「んー……近からず遠からず、ってとこだな」
「何、その近からず遠からずって? どうせエッチな事してたんでしょ?」
すると誠の奴が身を乗り出して大声で言った。
「そりゃ若かったからな!」
「ええぇぇぇっ!?」
と一瞬にして店中に声が広がり騒がしくなった。
俺は皆の反応に声を出して笑うとこの展開を盛り上げるべく喋った。
「何で? みんな知らない? これが一郎の奥さんとの出会いって?」
「ええぇぇぇっ!?」とまたもや楽しい反応。
「知りたい! 知りたい!」とまほろば一座の女性達の声がめいいっぱい響いた。すると一郎は立ち上がってすごい形相で叫んだ。
「何だてヒデ! ヒデがそういうネタ使うんだったら俺も言うぜ! 乙彼はこの時の出来事がきっかけでできた曲だって言うエピソード」
「一郎! それは全然別だろう! 俺と違ってオマエはベースのユキちゃんと良い感じなって、結局ユキちゃんの友達だったミサトちゃんに惚れてハイ、結婚! なんだから」
一郎の強襲に対抗した俺の反撃に対し一郎は顔を両手で覆うと悶絶アクションで言った。
「んわぁぁ……大筋は認めるっ!」
一郎の反応に皆が笑うとティファニーが酔っぱらい顔で俺を見て大声で言ってきた。
「乙彼サマーってさぁ、どアホな純情男がやり手の女に振り回されましたッて愚痴ってる歌でしょ? つまり、どアホな男はヒデさんだったって話?」
俺はティファニーの声に大きく身を仰け反らせると一郎みたく悶えるように言った。
「うーん、ティファニーっ! 大筋は認める!」
すると皆の馬鹿明るい笑いが広がった。
俺達の合宿風景は釣りにテニス、カラオケに宴会とバンド合宿とは関係ない映像ばかり流れ周りからは野次や茶々ばかり飛びまくる。
そんな俺達の昔話で花咲く集い処きらめくあまた。彩乃さんも美鈴さんも俺達と一緒になって楽しそうに笑っていた。
「あ、これ、きらめくあまた20周年の時ね」と頬杖をついて朗らかな笑顔で言った彩乃さん。
映像は合宿風景から変わってきらめくあまた二十周年パーティーの時のものとなっていた。パーティーには俺達も招待され、孝明さんや美鈴さん夫婦、そして他の常連メンバーで丸一日、朝から晩までライブパーティーで大騒ぎしたんだ。あの日は本当に幅広い年代の人たちが入れ代わり立ち代わりで面白い一日だった。
「あの人にもこんな時があったのよね……」
彩乃さんは多分そう言った。でもほとんどが聞こえなかった。彩乃さんの声はさっきまでと変わって物凄く小声で震えていた。俺は驚き彩乃さんを凝視した。
「彩乃さん……?」
「もうずっと前から分かってたのに……いざその時になるとやっぱり別れって辛いものね……」
独り言のように言った彩乃さん。
「彩乃さん、別れ……って……?」
美鈴さんは彩乃さんへそっと近づき彩乃さんの肩へ手をかけると俺達へ言った。
「実はね、今日」
「美鈴ちゃん、いいのよ」
「あーちゃん。ちゃんと皆に伝えたかったからここに来たんでしょ? ヒデちゃん達に」
店の中に広がっていた孝明さんの歌声。モニターに目をやると孝明さん達とセッションした1950年代の曲、Something else(※1)の演奏風景だった。
彩乃さんは声を震わせ堰を切ったように言った。
「もう随分前からさぁ、カウントダウン入ってたの。アイツ、ホント格好ばかりつける人でさぁー。ホント馬鹿のバカで! ホントは怖くて辛くて仕方なかったくせに、『もうーいーくつ、ねぇーるぅとぉ、おーそぉおーしぃきぃーっ』なんて歌っちゃってさ……まったくさぁー、アイツ……何勝手に、何勝手にさ……散々、本当に散々反対してた、悠久乃森に安楽死の申請しててさ、勝手に日取りまで決めて……もうーいーくつ、ねぇーるぅと、じゃないわよっ!」
酔っ払っているかのような奇声混じりで言葉を吐き出したこの時の彩乃さんの顔は真っ赤で涙塗れだった。そしてその後、彩乃さんは独りカラカラと仰ぎ笑ったかと思うと両手で顔を覆い隠し咽び泣き出した。
「まさか……」
みんな言葉を無くしていた。
孝明さんがあの施設で最期を迎えていたなんて誰もが信じられなかった――
(※1)somthing else ロカビリー奏者エディ・コクランの曲。Summertime BluesやC'mon everybodyなどが有名。