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桜 - A Cherry-blossom Front isn`t Extremely-

作者: 隻原 伽藍

それは、ある冬のこと。

僕は特になんともなく、平凡に過ごしてきた。もうすぐ冬もあける。俺はもうすぐ大学生になるのだ。年甲斐にもなく少しわくわくしている。最近あまりなかったような感情だ。高校に入ってからあまり感じなかったと思う。

大学は家から遠く車の免許もとった。昨日届いたその免許証は新品で親や他人のものでもない、自分の名前が入っている。車も少し前に届いた。ガソリン代とかは自分でバイトして稼ぐつもりだ。親に学費や食事代以外の費用を…いや、負担をかけたくなかった。本当は大学に行かずに働きたかったが親が強制的に行けというので行くことにした。親はその意図を知ってか知らずか喜んでくれている。

そして、学校の仮入学に行く為に車を使う。

だが、それが僕が新しく買った車を使う最後の機会だった。

交通事故だ。僕は近くの小さな病院では手が足りないと言うことで市立病院に回された。これは後で知った話だが、相手方が酒気帯び・居眠り運転という状態だったようだ。此方に一切の過失はないらしい。相手の男も此方に謝りに来るほどいい人だった。入院費と怪我の治療代は男が払ってしまっていたことも後で知った話だ。

4つベットが置いてある、一般病棟だった。その時、たまたま一緒だった老人がいた。定年あと、多くの国々を旅して回ったらしい。その時の話も一杯聞いた。万里の長城だとかドイツのバームクーヘンの話だとかイギリスのパレードの話だとか。

自分が入院してから少しして、その人は死んだ。癌だったらしい。本人の望みでこの一般病棟にいたのだ、と看取った男性が言った。そのとき顔を見たのだが、何かをやり遂げたような清々しい顔でねむっていた。何をやりとげたかは、自分にはわからなかったがこの老人の話はすごく面白かった。絶対に忘れないようにしよう、と僕は思った。

たまに廊下を歩き回っていると、一人の少女がたまに目にはいった。その子は、多分十代前半なのだろう。きれいな黒髪は腰辺りまで伸びていて、相当長い間病院にいると言うのがわかった。もうひとつ、気になったことがある。

…その子の目だ。

目の色自体は普通の黒色をしている。だが、その子の年相応という純粋な感じが全くない。まるで、なにかを諦めているような暗く虚ろな目だった。

いろんな人に聞いてわかったのは、その子がこの病院内で一番長く入院しているらしいということと、名前が『葵』という名前だということだけだった。何かひっかかる名前だったが思い出せない。

そうこうしているうちに、治療を受けてどうにかもとの状態に戻ったときだった。退院前、もう一度精密検査をした。

入院時の四倍の時間を使うほど長くかかった。(ちなみに入院時は四時間位かかった。)そして、再入院となったのだ。理由もわからずに、707号室に案内され再びベットに入ってしまった。本人に理由を伝えないには理由がある。 自分が入ったのは最初とは違う、最上階の個室だった。 病室から見下ろす街はいつもと違って見えた。酷く寒そうに見えた。いつもは明るい街が暗く感じた。

だが、自分には知るよしもない。暇なのでテレビを見るために広間に行く。一階層ごとに同じ構造をしているらしいこの病院は何度も入院する人にとって分かりやすい構造になっているようだ。少しあるいただけですぐにテレビのある広間についた。

だが、先客がいた。前に入院したときにたまに見かけた少女だ。彼女は暇そうにテレビを見ている。それが僕には少し寂しそうに見えた。リモコンは彼女の席に置いてあるが、自分のみたい番組だったからそのまま座って肘をついてテレビを見始める。その席はわざと葵の横の席だ。

「変えないの?」

と、澄んだ声が聞こえた。僕はそれが自分にかけられたのかまた、それが彼女の声だということが一瞬わからなかった。だが、すぐにそれに気づいて緊張してしまった。

「あぁ、う、うん。こ、この番組が見たかったんだよ。」

と、少しかみながら僕は答える。僕が視線を移しても目線を一切動かさずにテレビを…いや、今気がついた。彼女はテレビを見ていない。テレビの方向を見ているだけでテレビに焦点を合わせていない。何処か遠くに目を向けている。

「…………。」

「…………。」

テレビの音以外響かない二人きりの広間。物寂しい空間のなか、彼女が口を開いた。

「………ねぇ、それ…面白いの?」

つまらなさそうに彼女は聞いてきた。

「…え?まぁ、面白いと言えば面白いけど…まぁ、それなりかな。」

僕がそう答えると彼女はやっとその視線を動かして此方を見た。綺麗な顔も此方に向いた。 黒い虚ろな相貌が此方を見つめる。

「……ふぅん。貴方、ここに来るのは初めてね。」

彼女は急に話題を変えた。少し、視線に哀れみのようなモノが混じっているのは気のせいだろうか。

「うん、そうだけど。」

僕が答えると彼女はニコリと笑った。含みのない笑顔だったが僕には散る寸前の儚い花を連想させる。

「この病院の掟みたいなものよ。この階の病室に入って四度目の再入院からは死ぬのを覚悟しなさい。」

そう言い残すと椅子から立ち上がりスタスタと去ってしまう。僕には訳がわからなかった。

「……死ぬのを覚悟しなさい。」

………死。僕には実感がなかった。特になにか悪いところもない。死を予期させるようなことは…。いや、ある。あの、精密検査だ。なにかあったと言うことなのか。それはわからなかった。ひとつだけわかるのは死期が近づいているかもしれない、ということだけだ。


そして、僕の入院生活が始まった。最初の一年はたまに機械に三十分位かけられるだけだった。面倒なだけだったが数日間でなれた。

自分は最初、病院内の臭いのようなものが耐え難かった。消毒液のようなツンとした臭い。しなければならないのはわかるが、正直キツすぎる気がする。だが、2ヶ月もしたらきにならなくなった。

なんだか、日常が変わってしまってなにかはわからないモノに蝕まれてしまったようだ。そして、そうやってまた一月がきた。

大晦日には一時退院ということで家に帰った。そしたら、家族と親族が揃って迎えてくれた。いつもは仏頂面で自分には興味を示さない父でさえ、その日はよく笑った。母は自分の好きなものばかり作ってくれた。いつもは辛口な従兄弟達もほとんど会うことがない従姉妹達もこれまでにないくらいにこやかだった。兄も姉も妹も、いつもは口すら聞かないのによくしゃべった。

どう考えてもおかしい。そこで、一月五日の家族水いらずでいたときだ。やけに話しかけてくる父親に、問い詰めた。


「なんか重い病気なんだろ?」


と。すると父は黙って目を伏せてしまう。

(どうせ、いつも通り世間体でも気にしてるんだ。)

いつも、父親らしいことをしてこなかった父にたいして黒い感情が沸き上がった。それは、怒りにも近い感情だと思う。

「…どうせ、厄介払いできたと思ってるんだろ?」

自分が抑えられない。いつも言わなかった文句や怒りが吹き出してくる。

「オレなんざどうでもいいんだろ?!心配でもないんだろ!」

父をみた。父は怒っているようだった。少しだけ涙が目のはじに浮かんでいる。だが、なにも言わずにあるきだし、自分の部屋に籠ってしまった。どうせ酒でも飲んでるのだろう。頭のなかには怒りしかなかった。

身支度を整えて出掛けた。母が声をかけてきたが話すきはなかった。

「ちょっとそこまで。ご飯はいらない」

そう告げて家を出た。そして、たまに食べにいっている『なかなか』という焼き肉屋に入った。ここは安くてうまいし、人が来るのは夜からの事もあり空いていた。

「お、いらっしゃい。久しぶりやねぇ…」

と、いつも通り出迎えてくれたのは少し太った小柄な男だ。『なかなか』の店主である。ほとんど怒った事を見たことがない、寛大な人だ。

「そうですね。」

僕は軽く挨拶してカウンター席につく。定位置の一番奥でテレビの音などがあまり聞こえない位置だ。僕はここで人の会話を聞くのが好きだった。なにか、活気があっていいと思ったのかもしれない。

「注文はどうする?」

と、店主が聞いてくる。『いつもの。』といいそうになるのを抑えて、簡単なものを注文した。

「はい、どうぞ。」

と、出されたのは何故かいつもより多いご飯とおかずだった。たぶん、サービスしてくれたのだろう。覚めないうちに食べ始めた。相変わらずうまい。さっきまでの苛立ちも何処かに消えてしまった。しばらくその店で駄弁ってから家に帰ることにした。

家に帰るとやはり昔と違った家だった。必要以上に優しい母、昼言ったことを忘れたかのように振る舞う父、一緒にいた思い出を残そうとしているようだった。まるで今すぐにでも消えそうな火を扱うようだった。

わからない。そうする意味も、自分に起こっていることも。

とりあえず、わかっているのは『死ぬかもしれない』ということだけだ。


また、この白い牢獄に戻ってきた。

消毒液の臭いが体を包んだ。戻ってきてすぐに精密検査だ。今度は五時間程度ですんだ(それでもわりと短いた思った。)。

「おかえり。帰省はどうだった?」

また彼女だ。広場に行けばいつもいる。白い牢獄の住人だ。僕は気になっていたことを聞くことにした。

「気味悪かったよ。君は?」

僕は聞き返すと彼女はただ微笑んだ。そして、小さなでも確かにこう言った。

「私、そんなところないから。」

「え?ど、どういう…?」

僕は理解できなくて聞き返した。だが、彼女は微笑んでいるだけでなにもいおうとしない。もし自分の想像が正しいならば、彼女の家族でもなく仲が悪いかのどちらかだ。

「……そう、か。悪いこと聞いた。ごめん。」

僕が謝ると彼女は怪訝そうに顔をかしげた。なぜ謝られたのかわからない、とでも言うように。

「何が悪いの?知りたいなら聞けばいいじゃない。私の名前とか私の病気のこととか。」

彼女はエスパーかなにかの一種か、と僕は思った。だが、それよりも、その態度に驚いた。やっぱり、年相応には思えない冷静さだった。顔には微笑が浮かんでいるが僕には寂しそうに見えた。

「聞いていいのか…?そういうのって、普通隠したがるものじゃないの?」

「さぁ?私に普通がどうとか言われても困るわ。」

僕が確認のために問うと彼女はあっけらかんとした感じで即答された。確かに『普通』をこういうところで聞いても仕方ないと思い、気をもちなおした。

「君の病気は…なんなんだ?」

と、僕は緊張のせいか少しつまりながら聞いた。彼女は少しだけ真面目な顔になった。

「それはね……し―――」

「あ、いた!診察の時間よ!早く来なさい!」

彼女がいおうとしたとき、ちょうど女性看護師がきて止められた。彼女はまだ微笑を崩さない。実はこれがわかっていてわざとやったのかなぁ、と僕は思った。

看護師のとなりで一度彼女は振り返った。維持悪い笑顔で此方をみていた。傍らで女性看護師に付き添っていた男性看護師がやってきて、話しかけてきた。

「…すまんね、お話の邪魔して」

頭をかきながら男性が謝ってきた。

「いえ、別に大したことは話してないですよ。えーっと…」

と、僕はこの看護師をなんと呼ぼうか迷った。名前を知らないのだ。看護師の方も気づいたようで少し笑顔を見せた。よくみると、顔には隈があり、疲労のためか少し痩せこけて見えた。

「俺は片倉夏生だ。あの片倉小十郎の子孫だぜ」

何故かキリッと、顔を引きしめて歯を少し見せる。いわゆる、格好つけた感じだ。僕はどう反応していいかわからず、「へ、へぇ……」としか答えられなかった。歴史的な有名人だが、たしか子孫を残せずに死んだ気がする。

夏生さんは少し顔をしかめた。

「……やっぱ若い奴等にはこのネタは通じないか。小十郎の子孫ってのはうそだよ。フフ…」

少し暗い顔になって夏生さんは言った。結構きさくな人だが悪ふざけが少し過ぎる人のように僕は感じた。

「あ、そうですか…」

会話能力があまりない自分には少しハードルが高いようだ。だが、彼は饒舌らしく助かった部分があった。

僕は少し相槌をうったりするだけで様々なことを話してくれた。

例えば、さっきの女性看護師の名前が『宮崎夏希』といって片倉さんの彼女であることや、実は707号室の『赤松』というひとは無断で茶道と書道の道具を持ってきていて、たまに見せてくれるだとか。

この病院の個人情報の管理はどうなっているのか聞きたくなるほどこの看護師はおしゃべりだった。

「…一つお願いみたいなもん。いいかね?」

急に片倉さんが真剣そうな顔で此方を見た。お気楽族なだけではなく、そう見せているだけのようだった。

「……内容によります。」

僕はそう答えた。無責任な安請け合いだけはしたくなかった。それに、なにか確信があった。多分、彼女のことだ、と。

「あいつ……葵っつーんだけどよ……あいつの友人になってくれねーかな…。」

と、神妙な面持ちで片倉さんが言った。

葵。彼女の名前だ。友人になってくれとはどういうことなのか。彼女にも友人の一人はいるはずだし、親族位はいるだろう。わからないことだらけだ。

後で彼女に聞かなければいけない。

「……わかり…ました。できるだけやってみます。」

と、僕は返した。あれだけ話してもらったお礼の気持ち以前に、彼女の事が気になっていた。

「ありがとうな。……まぁ、ある意味お前だからこそっていうこともあるけどな。」

と、片倉さんがニヤリとにやけながら言った。

「あの、それってどういう…?」

「あぁ、葵ちゃんと年が近いってこともあるんだけどね。葵ちゃん、男だろうが女だろうが人と喋ることを殆ど見たことがないんだよ。」

と、片倉さんが答えてくれた。…どういうことだろうか?人と喋らない…今日も話しかけてくれていたのに、本当は他の誰に対しても殆ど黙ったまま…ということか?これも聞きたいことに加わった。

「んじゃ、そろそろいくわ。」

と、片倉さんがいつのまにか持っていた缶コーヒーを僕に手渡していってしまった。彼女…葵は本当に何者なのだろうか…


「あら、まだいたの?」

ずっと考え事をしていたらいつのまにか葵が帰ってきていた。時計をみればもうすぐ午後5時を過ぎようとしていた。

「ちょっと考え事しててね。」

と、僕は愛想笑いして葵をみた。葵は首をかしげて此方をみている。

「……それって私のこと?」

笑顔はゆるんでいない。ゆるんでいないはずなのにその笑顔が少し暗いものに見えた。

「まぁ、そうだね。」

僕がそういうと彼女は少しだけ陰りのある笑みで此方を見た。そして、僕のとなりの席に寄り添うように座った。陰りがあるわりには嬉しそうでもあった。

「そう。………で、考えはまとまった?」

「全然だよ。わからないことが多くてさ……。」

と、彼女に聞かれたことに僕は少し笑みを見せて答えた。最近、作り笑いくらいしかしていないなぁ、と僕は思った。

「ふーん……」

彼女は考えるように顎にてを当てた。仕草の一つ一つが大袈裟でそれがおかしくて少し笑ってしまう。すぐに彼女も気がついたようで、頬を少しだけ赤くした。

「な、何よ!?…なにかおかしいところでもあった?!」

怒ったように顔をしかめて葵が言った。少し悪いとは思いつつ、また少し笑った。

「なんなのよ!」

「いやぁ、ごめんごめん。つい…ね。」

葵が怒りでも顔を赤くし始めた頃に僕は謝った。でも、本当はこの少し大袈裟な仕草をわざとしていると思っていたが違ったらしい。

「仕草が大袈裟だよ。それも結構。」

と、僕が微笑みながら言うと葵は少しだけ顔を曇らせた。少しだけ寂しそうにも見える。

「……わからないの。」

葵が言ったのはそんなこと。感情がわからないということなのか?……いや、違う。と、僕は思った。彼女は不器用なだけで、しっかりと感情を出している。

「…そっか。でも、大丈夫。相手に伝わればいいだけだからね。」

と、僕は言った。キザな言葉でも不器用でもいいから彼女に伝えたかった。葵は少しクス、と笑った。


「……そういえば、あのケーキ屋さんのショコラケーキは相当美味しかったな。」

大体一時間たった。僕はまだ、葵と話し込んでいる。

「へぇ…そうなんだ!いつか食べにいこうかな…」

と、葵は僕との会話を楽しそうに……いや、子供のようにはしゃぎながら聞いていた。

ふと考えると不思議なことだ。こんなにきれいな彼女がなんの取り柄のない僕になついているなんて。

もしかして、あったことあるのかもしれない。

「そういえば、君の名前を聞いてなかったね。」

と、僕が言うと彼女はアレ?という風に首をかしげた。

「忘れちゃったのかな?あっきー?」

小学三年くらいまで使っていた古いあだ名だ。僕は少し過去の記憶を漁る。だが、そう簡単には名前はでてこなかった。

「ごめん。忘れたみたいだ……。」

と、僕が項垂れると彼女は「まぁ、仕方ないよね。」と、ため息をついた。完全に自分が悪いのに。

「あらためて、私は藍原葵よ。小一から小三まで一緒だったわね。」

「あ!思い出した!」

やっと思い出した。藍原葵。

小学三年で、何かの都合により引っ越してしまい当時小さかった自分には連絡手段もなくそのままそれきりになってしまった親友にして悪友。よく二人で遊んでいたのを覚えている。

…年相応以上の落ち着きだった。外見で年齢をはかるものではないな、と僕は思った。

「きれいになったね…本当……」

と、僕は感慨深くなって言ってしまった。確かに昔の活発なイメージがなくなり、落ち着きのある感じになっているとはいえわからなさすぎる、と僕は思った。

「なにいってるの。秋久だってかっこよくなったじゃない。」

と、悪戯をする子供のように売り言葉に買い言葉だ。懐かしい思い出は、よくある漫画や小説のようだったが一番心暖まるものだ。葵はニコニコとこちらに向かって微笑んでいる。

「いやぁ、ほんとに久しぶり!」

「そうね。ほんとに……」

楽しそうに笑い会う二人。だが、そう長くは続かなかった。


その日から四週間で僕の体に異変がおき始めた。彼女はなんとかごまかせたが医者の先生は誤魔化せなかったらしい。すぐに治療が変わった。変わったというよりも長くなったというべきだ。機械にかけられる時間が一時間増えた。

その、機械にかけられるというのも少しわかったことがある。何かの光を当てられているような感じだ。そして、この治療法に覚えがあった。

たまにテレビでもやっているものだ。


……放射線治療。


つまり、自分の病気は癌ということになる。

実は、その少し前にこんなことがあったのを思い出した。


「………どうにかなりませんか!先生!」

父の声がいつも診察してもらっている先生の診察室から聞こえた。珍しく焦っているようだった。

「……無理です。同じ血液型でも珍しいタイプなので、ドナーが見つかりません。」

と、先生の方も感情を圧し殺したような声だった。自分の容態はそこまでよくないのだろうか?

「なんで……俺が代わりになれれば……」

床を殴ったような鈍い音が聞こえた。よくわからなかったが、やはり、あまりよろしくはなさそうだということはわかった。

「どの親だってそういうものですよ。」

慰めるように先生は父に言った。


そのときはよくわからなかったが、今、よくわかった。親のやりたかったことは理解できないが確かに重病だ。でも、不思議と実感はない。他人事のように自分はとらえていた。よく死にそうな人が自分をすごく冷静に分析しているのと、にている気がする。なんだか、大変なことになっている気がするがどうだってよかった。

彼女のことがひたすら気になっていた。

「あ、いた。」

「……あ、いた。ってなんだよ……」

僕は、この広い病院のなかでよく探し回る気になったものだ。でも、ちょうどよかった。聞きたいことがたくさんあった。

「そういえば、まだ質問に答えてもらってないぞ?」

僕がそういうと彼女は「わかっているよ」というようにニコリと微笑んだ。そして、広間の方を向くと「こっちに来て」というように手招きして、歩き出す。僕はそれについていった。彼女の様子はいつもと違って物静かだった。


「ぁ……ん”ん”ん……」

彼女の声とは思えないかすれた声が聞こえた。

「どうしたの?何かあった?」

僕が聞くと彼女は「特になにも。」と言って話を続けた。

「わたしの引っ越した理由は最初話のものとは違うの。」

意外な告白だが、今は聞くことに集中する。無言を話を促しているととったらしい葵はそのまま話を続ける。

「本当は……おかあさんが死んだから。」

彼女の母親はたしかからだが弱くてそのせいかはわからなかったがすごく不器用だったのを覚えている。プレゼントに手編みのマフラー作ろうとしたときも、お弁当を作ろうとしたときも失敗ばかりしていたようだった。葵は少しだけ涙を浮かべている。だが、流すまいと必死に抑えているようだった。

「あなたなら知ってるでしょ?お弁当の行方…」

「……あぁ」

いつも、交換と表して半分ずつ食べていた。確かに見映えは悪かったが、僕はこれだけしてもらえる葵が羨ましかったのを覚えていた。うちの弁当はいつも冷凍食品のみだった。兄弟が四人もいるからなのだろうが、たまにそれが不満だったことがあった。

ちなみに、その小学校は週一回月曜日に弁当を持ってきて食べるようにしていた。理由は知らないが『給食ばかりだと飽きる』というのが一時期あり、それでこのような習慣が残ったと言われている。もっとも、僕が四年になったときにその習慣がなくなり、普通の給食制にかわったが。

「ある日ね…私の好きなエビチリいれたよって、言われて、学校でこっそり見たの。でも、殻の剥き方もできてなかったから捨てちゃったのよ。」

そういえば、そんなこともあったなぁ…と僕は思った。

「そしてね、帰ったらおかあさんが『どうだった?』ってしつこく聞いてきたの。その時、いつもの鬱憤とバカにされてたイライラで八つ当たりしちゃったの…」

葵は少し元気なさそうに肩をおとした。顔も自然とうつむいてしまっていた。

「それから少ししておかあさん死んじゃったの。私が知らない病気だったよ。」

彼女の家に遊びにいったとき、彼女が疲れて寝てしまったことがあった。その時、彼女の母親が一生懸命マフラーを手編みしようとしていたのを僕は覚えている。すぐに見つかって『ナイショだよ?』と言われて今まで言ってない。

「遺品整理してたらね…グスッ…日記が出てきたのよ……。最初は、『うまく卵焼きが作れない』から始まって私の誕生日前日には『編み物のマフラー、啓くんに手伝ってもらったけどうまくできたかな…』とか……」

葵はかすれた声でゆっくりと話す。こういうとき、横やりはいれない方がいい。僕は黙って聞く。

「その日記…私が八つ当たりした日で止まっちゃってた。いなくなってからはじめておかあさんがどれだけ……私を大切に思っていたか…わかったん…だ……」

もはや、葵自身も何が言いたいかわからなくなっているようだった。大粒の涙がボロボロと流れ落ちる。

葵は後悔しているのだろう。自分だって引っ越しの時に後悔した。僕は彼女の背中をさすって落ち着かせようとした。でも、涙は止まらない。

しばらく、そのまま頭を撫でたりしながら落ち着くのを待った。


泣き止んでからいろんなことを聞いた。

そのあとの転校していった学校の話とか、いろんな話をした。そのころになると葵も落ち着きを取り戻していつも通り笑いながら話をしていた。

『そろそろ頃合いだろう』、そう思って僕は話を切り出した。

「葵…お前はどんな病気でここに来たんだ?」

「……」

どちらも避けていた話題のため少しだけ沈黙が二人の間に満ちた。

「やっぱりそのことね。そろそろ言わないといけないなって思ってたよ。」

葵は諦めたような溜息を吐いて言った。帰省していた時に少しだけ調べた。ここは重病人病棟に割り当てられてる。いわゆる、末期患者または治る見込みの無い病気の人がいるようだった。だからこそ、ここは人の出入りもほとんどなく物静かな病棟なのだと、看護師たちのスレッドで話していた。

「私の病気はね…」

僕は葵の言葉を聞いた。葵は諦めきった暗い目で僕を見ていた。


「心臓が弱くなってきているの。それに加えて癌も悪化してる。」


彼女は昔から体が弱かったがここまでひどくなるとは思ってなかった。

「よ…余命は…?」

僕が聞くと葵は冷酷に言い放った

「余命は去年で一年と半年って言われてたからもう半年くらいかもね。」

ある種の絶望はあった。でも、あきらめたくなかったものはある。昔の気持ちは言えなくても今を楽しんでほしかった。

「……そっか。」

今はこれだけしか言えなかった。でも、少しでも何か思い出を作ってあげたかった。

「今は、あなたと話しているほうが楽なの。昔に戻ったように思えるからね。」

そのまま、しばらく葵とおしゃべりしていた。やがて、診察の時間になり葵は診察室に行った。僕は考えていた。いい思い出づくりは何かないものか?と。

そういえば…彼女は桜と大勢で騒ぐことが大好きだった。そういう風に何かできないか…今は3月2日。桜前線はちょうど明日あたりにここに迎える…。

「よし……」

僕はちょっとしたサプライズを用意することにした。


電話をかけ、学校の先生や小学生時代で覚えている奴に連絡をいれ、なるべく多くの人を集められるように言った。

喧嘩別れしたような奴でも、葵を知らないやつでも、なんでもいいからとりあえず連絡を入れる。

「3月12日だ。……あぁ、頼む。」

当日になるまでに担当医師の許可が必要だったが、そこは片倉さんが何とかしてくれるらしい。たぶんこのとき、僕は自分の19年間生きてきた中で1番か2番目くらいに頑張ったと思う。

おおく集まってくれるのを願いつつ当日を待った。


当日……


「え?…外出?」

葵は目を丸くして僕を見た。ここはいつも通りのテレビのある広間だ。全てがいつも通り。この静けさも、がらんとしたこの館内の風景も…。

「そ、外出。一緒に行かない?」

「無理よ…。私、もう…」

葵は二週間前に歩けなくなっていた。もう病状が悪化し、毎日少しずつ動けなくなっていく。じきに目も見えなくなり、耳も聞こえなくなり、感覚がなくなり、そして死ぬのだろう。だが、その前に見せたいものがあった。

「そこは大丈夫。先生には許可がとってあるわ。条件付きだけど…。」

宮崎さんが恨めしそうに片倉さんを見た。片倉さんは苦笑いしながら宮崎さんから目をそらした。少し後ろめたいことでも頼んだのだろうか?

「ああ、俺らが同行のうえって感じだな。まぁ、一応外に出てもいいってよ。」

片倉さんがニヤリと笑った。少しこちらを見た気がするが気のせいだろうか。とりあえず、葵は着替えをするらしい。その間に僕と片倉さんは車の準備をする。親父の車で、父は快く許可してくれた。その時、しっかりと謝っておいた。そして、自分の病気に気が付いていることも。親は何も言わなかった。

別にそれでよかった。この一年で大切なものに気が付けたから。

「おい、そろそろお嬢さんが来るぞ。」

片倉さんはからかっているつもりなのかニヤニヤしたままこちらを見た。僕としてみれば今のこの状況では何の冗談にも気休めにもなっていなかった。

「そうですね。あと、宮崎さんがものすごい目でこっち見てますよ。どうします?」

僕も少し仕返しにからかってみると少し片倉さんの顔が少し青くなった。

「すまん、今すぐ小松空港まで…」

「はいはい、だめですよー。僕は葵を連れて行かないといけませんから。」

と、僕を使って逃げようとする片倉さんの逃げ道をふさぎ、さらに車のドアの鍵をかけ出口自体を一時的に塞ぐ。

「え、ちょ、おい。」

片倉さんは鍵に気づかずに開けようと努力している。その時、反対側の窓がコンコン、と叩かれた。僕が操作して窓を開けるとそこには宮崎さんと葵が普段着で立っていた。

「何してるの?片倉君?」

そういった宮崎さんの少し冷やかな目に僕と片倉さんは少し嫌な予感がした。

「いえ、少しからかわれたので仕返ししただけですよ。」

と僕はポーカーフェイスで本当のことを言う。…て、なんで僕がこんなフォローしているんだ?

「そ、そうだ。す、すまんな。ほんと。」

と、動揺を隠しきれてない片倉さんが便上する。ただし、宮崎さんの冷ややかな目線は便上した片倉さんの方に向いた。

「あんたさぁ、そろそろそのからかう癖やめたほうがいいんじゃない?」

「へいへい」

と、いつものことのように二人は話していた。それが少し羨ましかった。

「さて、行きましょうか。」

と、車のエンジンをかけ安全運転で、ある場所に向かった。


そこは辰巳丘高校――僕の母校だ。

「あ…」

葵が見る視線の先には僕の集めた小学校時代の同級生90人だ。桜の木の下に集まって主役を待っていた。

「あ、きたよ!」

「おい、おせーぞ!はやくしろー!」

「おーい、葵ー!!元気かー?」

「早くー!」

よくて30人位かな、と思っていたら、全クラス118人のうち、半数以上集まるとは思っていなかった。なんというか…旧友は偉大だな、と僕は思った。奇跡にも近かった。来てくれたみんなはたまたま県内、または隣の県の大学に進学していて、たまたま今日暇だった人たちだ。少しこれだけのためにわざわざ来た人が少なからずいるような気がしてならない。

僕の車がそこにつくとみんなワッとこっちに集まった。葵が出るとまるでアイドルのようにみんなが囲んでいく。足が不自由なので車いすでの移動だったがみんなが自主的にやるので宮崎さんたちはほとんど見ているだけだった。看護系に進んでいる同級生が指揮している節があった。

「お前はいかねーのか?」

と、片倉さんは聞いてきた。ほんとは行ったほうがいいのだろうが、行かない。多分、行くとばれてしまう。

「行きませんよ。流石にこの人数だと買ってきていたものだけじゃ足りませんし買い出しに行ってきます。」

と、嘘をついて買い出しに向かおうとした。『今ここでばれるのはマズい』そういう意識があった。

「ん、そうか。気をつけてな。」

と、片倉さんはみんなとは少し離れた――でも、すぐに駆けつけられる場所に――宮崎さんと一緒に腰を下ろした。

それを見届けた僕は近くの店に出向きお菓子をたくさん買った。ついでに、使い捨てカメラも買った。たまには携帯のデータではなく物質として残したかった。そして、無理した結果が体に出始めた。

実は体調が悪くなってきている。正確には体に痺れが残るようになっているのがわかった。大体、出発するときくらいからこの症状が出始めていた。自分の体のことなのに他人事のようにとらえて、分析している。――多分、もう時間がない。

自分の意識がそう判断した。


一方、葵は久しぶりに会った友人たちとしゃべっていた。

「あ、そういえばこの近くに美味しいケーキ屋さんで来たんだって!葵ちゃんも一緒にどう?」

「んー…病院の外出許可が出ればいいけど…」

片倉は、みんなと一緒にしゃべっている葵をみて、『青春だねぇ…』と心の中でつぶやいた。

「なーにしんみりした顔してんの。」

と、宮崎が声をかけた。

「いんや。なんでもねーよ。少し昔のことを思い出してな。」

と、片倉はしゃべった。高校からの付き合いである宮崎も納得したようだ。

「…まぁ、思い出さないこともないわね。」

「だろ?」

片倉は少し笑った。少し堅物な彼女ではあるが昔よりは柔軟になってきていると思う。だが、彼女の意見は違ったようだった。

「んー……なんかあんたにからかわれていた思い出しかないわ。」

「うわ、ひっでぇ。それって初デートとかも忘れたのかよ。」

と、少し肩を落とす。確かに誰だってこういわれれば少しショックだろう。

「冗談よ」と言って宮崎は少し笑った。でも、すぐにその顔に影が差した。この状況が喜ばしくないのは確かだが、そんなに心配することがあるのだろうか。

「どうした?今はそんな顔しねーほうがいいぞ。」

そういって片倉は宮崎の頭をなでた。


少しして、僕が戻ると花見中の大学生たちに見えた。宮崎さんや片倉さんを含めて。

「はい、一応持ってきたよ。」

「お、わりぃ。後で払うよ。」

何人かの男子が買ってきたものを運び出す。手際は悪いが人数はそれなりにいるため、すぐに終わった。

「って、ことで!葵、誕生日おめでとう!」

『おめでとぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおお』

そう、今日は葵の誕生日でもあった。この日に固執した理由だ。桜だったらこんな咲き始めよりもう少し待っていたほうが綺麗だ。それに、みんなを集めるにしたってもう少しで成人式がある。

だが、たぶん自分がそこまでもたないのもあるし、何より誕生日が一番いいと思ったからだった。

「あ、ありがとう」

葵はぎこちなく微笑んでお礼を述べた。

「いやいや、俺らじゃなくてあいつにいえよ。ぜーんぶあいつが仕組んだんだぜ。」

と、友人の一人が僕を指さして言った。言うなって言ったはずなんだけどな…。

「そうなの?」

僕に聞いてきた。心なしか半眼になっている気がする。まぁ、いつも通り接しながらここまで準備を進めてきたから少し疑っているのかもしれない。

「……さぁて、写真撮ろうか。ほら、みんなあの桜の木の前に並んで。」

と、あからさまに逃げた僕に葵は「意気地なし」というように視線を投げ、すぐに並び始める。車いすなので端っこに並ぼうとしたがみんなが、

「だめだよー!主役が端っこなんて許さないから!」

「そうだぞ!やっぱ主役は真ん中だ!ほら道開けろ!」

と、協力して真ん中に寄せた。なんだか、昔あった嫌なこともなかったかのように仲良くてこれをやってよかったと思う。

「はい、ちーず!」

カシャリ、と音が鳴って使い捨てカメラの一枚目に集合写真が刻まれた。後は、集まった分のクラスごとの写真や一人一人のツーショットを撮ったりしていた。


そして、このパーティーも終わりを迎える。みんな終わりを少し惜しむようだったが少しずつ帰って最後に四人が残った。

「あー…楽しかった。」

「ああ、そうだな。」

葵と僕は顔を見合わせてそう言った。

「さ、そろそろ病院に戻らないと。疲れたでしょうから片倉君が運転するわ。」

「へいへい。わかりやしたよーっと、その前に…」

片倉さんは何かを取り出した。それは僕の買ってきたものと同じ使い捨てカメラだった。

「最後に一枚、お前ら二人だけでな。」

僕と葵は桜の前に立つ。二人で寄り添うように隣り合わせで笑いあって。

「1+1は?」

と片倉さんが合図をふる。僕たちは声をそろえて「2!」と言って、片倉さんはシャッターを下ろした。

そのあと、僕の病状は悪化の一途をたどり、4月14日に死んだ。癌ではなく新種の病気だったらしい。一方、葵は治らないと思われていた病気が治って次の年の6月10日に退院した。僕は最期に葵に伝えたいことがあったため、死ぬ前に葵に向けてメッセージを書いた。


『今までありがとう。大好きだよ。』

桜の花びらを添えた死者からの手紙は生き残った者に春を告げた。

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