村と魔女のはなし
わたしは手を離した。
指に絡みついた髪を振り払う。一房の髪はぱさりと娘の元に戻った。
娘の赤茶色だった髪はわたしの血を吸って黒く染まっている。
わたしは床に倒れている娘を一瞥する。その様子はまるで打ち捨てられた人形のようだ。
黒く汚れた髪は無造作に乱れ、悪意に輝いていた目は今や濁ったガラス玉のようだ。
わたしは嘆息する。娘の記憶とその母の記憶を読み取った。首を絞められた娘あの後、渾身の力で暴れ逆に母親を殺した。
首を絞める力はなくなったが酸欠のため娘は気絶し、再び目が覚めたときにはその時の記憶がなくなっていた。
「いや、すりかえられた、か」
わたしはひとりごちる。気絶した娘の記憶を何かがすりかえた。そして、その記憶を信じた娘は殺意と悪意を纏ってこの館に来たのだ。
相変わらず。
本当に変わらず。
「村は呪われているらしい」
再び溜息。先ほどまで感じていた怒りはもうない。覚えるのも馬鹿らしいからだ。
逆に哀憫さえ覚える。呪いに振り回されて死んだ母娘を思えば。
わたしは腕を一振りして、娘に背を向けた。
ぼっと音がして燃える音がする。
わたしは椅子へと向かった。
椅子に腰掛ければ青く大きな炎が見える。燃えているのは娘の身体。魔力を帯びた炎は彼女の血と娘の身体、記憶と想いを燃やしていく。煙も臭いもない全てを燃やし尽くす炎を見ながらわたしは思考にふける。
娘とその母が生まれたのは小さな村だった。
小さくて小さくて地図にさえ載っていない小さな村だった。
特産など何も無い村だったが、それで困ったことなどなにひとつない。なぜか。必要ないからだ。
周囲を深い森に囲まれた村から隣の村までを直線距離にして馬を走らせても10日以上かかる。深すぎる森の中を馬が走ることは不可能ゆえに実際に辿り着くのはもっと時間がかかるだろう。
村は完全に外部から孤立していた。
閉鎖した村は独自のルールや伝承、誇り、そして色彩を持っていった。
宝石のように輝く青い目などありえない。娘の母のような目を作るためにどれほど血を重ねたのだろうか。
わたしは目を伏せた。
村は呪われている。村に呪われた人々によって呪われていた。
なぜ村が完全に孤立しているのかはわからない。
孤立させられたのか自らしたのか自然に孤立したのか、誰にも分からない。どんな文献にも語り口にも載っていないからだ。
いつ呪われ始めたのかもわからない。村人たちは己が呪われている自覚などないからだ。それこそが呪いの本質かもしれないとわたしは常々思っている。
村は呪われている。そして呪っている。
娘をその母をそのほかの人間をそしてわたしを。村で生まれ育った全ての存在を呪っていた。
もう思い出せないほど昔のことだが、わたしも最初は普通の人間だった。呪われた村で生まれた黒い髪に琥珀色の目をした普通の娘だった。別に珍しいことではない。村人たちの大半は黒い髪に琥珀色から緑色の目をしていた。青っぽい目をした者の数は少なかった。青い目はその希少性と伝承の巫女への尊敬から羨望された。
そんな村でわたしは健やかに育ち、13のときに役割を頂いた。
閉鎖的な小さな村では全てを自分たちでこなさなければならない。一番重要なのは医師や薬師、司法など村人の命に関わる問題を対処する仕事だ。わたしに与えられた役割はそれだ。人の命と死に係わる役割。その役割を与えられたのはわたしと彼女の2人。わたしたちは師たちについてたくさんのことをを学んでいった。わたしは主に人の死を。彼女は主に人の生を学ぶ。役割がそう分けられたのは自然なことだ。少なくともこの村では。医師や薬師などの仕事は巫女に連なる仕事。その役割には巫女と同じ青い目を持った人間が選ばれることが多い。彼女も青い目を持っていた。そこに資質や向き不向きなど関係ない。青い目であることが重要なのだ。青い目がいなければ、しょうがなく他の人間が、それでもできるだけ青い目に近いものが選ばれていた。
わたしたちは共に学び、成長していった。彼女は勉学は苦手だったがその優しい性格と人柄で人を癒していた。
わたしは勉学は得意だったがとっつきにくい性格と表情で人には敬遠されていた。
だがそれでよかった。わたしは彼女のように人を癒せない。人の傷のために泣けない。だが知識と技術で命を救い、よりよい旅立ちを施すことができる。わたしはそれで満足だった。
ある時、村を奇病が襲った。症状は高熱や腹痛などバラバラだったが共通点はひとつある。皆が皆、発症してから7日で死んだ。
わたしはありとあらゆる書物を漁り該当する病を探し、彼女は患者に付きっ切りで看病をした。
だがどれだけ探しても治療法どころか病名さえ分からなかった。看病も候をなさずひとり、またひとりと死んでいった。
死者の数が2桁に上がるか上がらないかというとき、わたしはふと思いついた。
これは本当に病か?症状がバラバラで、だが7日で死ぬ奇病。それはまるで呪いのようではないか?わたしは本を変えた。
ここまで探しても見つからないのは未発見の病という可能性もある。
だが、呪いという言葉を振り払うにはこの病は不可解すぎた。
何十冊という本を捲りわたしは手を止めた。
心臓と呼吸が一瞬止まる。震える体を押さえることが出来なかった。
「×××」
名前を呼ばれてわたしは振り向く。そこにいたのは彼女。今まで共に頑張ってきた彼女。彼女は悲しげな表情を作りながら、だけれど可笑しそうに笑いながらいった。
「どうして村人を呪ったの?」
***
わたしはいつの間にか閉じていた目を開けた。娘を燃やしていた炎は既に消えている。
床には焼け焦げた跡さえなく娘は灰さえ残さずに燃え尽きていた。当たり前だ。そうなるようにわたしが燃やしたのだから。
この人外の力はあの後、気がついたら身についていた。成長しない身体も、死なない身体も。気がついたらそうなっていた。
彼女がわたしを村を呪った罪人とした後、おそらくわたしは殺されたのだろう。
どうやって殺されたのかはあまり覚えていない。彼女の最後の言葉を聞いた後の記憶は酷く不鮮明で曖昧だ。
だが、恐らく殺されたのだと思う。この場所で。
今では魔女の館といわれているこの場所だが、昔は巫女の館といわれていた。歴代の巫女たちが蓄積した記憶と記録が詰まった書物が置かれている館だ。
その館の最も奥の部屋でわたしは殺された。そして、恐らく彼女もここで自害したのだろう。わたしを呪うために。
あの奇病は呪いの前兆、いわば生贄だ。相手を絶望に突き落とす呪い。彼女はわたしを呪うために村人を生贄としたのだ。
何度考えてもわからない。なぜ彼女があんな凶行に及んだのか。どうして呪うほどにわたしが憎かったのか。わたしには分からなかった。
いくら考えてもわかるはずがない。彼女はもう当の昔に死んでいるし、わたしは魔女として長い時間をこの部屋に幽閉されて生きている。
考えるだけ無駄だ。わたしは目を閉じた。
わたしはずっと待っているのだ。彼女の呪詛を超えるほどの憎悪を持った人間を。
それまでわたしはここで眠りながら生き続ける。理性を持ったまま何も無い部屋で長い時間を過ごすことはできないから。
「そういえば…」
眠りに落ちる前にわたしはふと思い出した。
母親の記憶の中にいた黒髪の男。あれは誰だろう。
人間のように見えた。少なくとも母親の記憶からは。だがあれは本当に人間だったのだろうか。
「お前は…だ、れ…?」
瞼の裏から僅かな光が透けて見えた。だがそれが何かを確かめる前に身体から力が抜けてわたしは眠りの世界に放り投げられた。
解決してないけど終わりです。