表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
のろい  作者: 黒井 呂人
1/4

魔女と娘のはなし

グロい表現があります。繊細な方は閲覧をご遠慮願います。

薄暗く、陰気な部屋に彼女はいた。

そこは広い部屋だった。だか、部屋にはなにも無かった。

棚もカーペットも机もランプでさえも。

部屋には窓が無く、どこにあるのかわからない光源によってその明るさを保っていた。

ここにあるのは、部屋の中央付近にある椅子だけ。

極上の赤いビロード、シンプルだが繊細な細工が散りばめられた椅子。

一目で極上品だとわかるそれに彼女は座っていた。

彼女は眠っているようで、長く豊かな黒髪は無造作に垂れ下がっている。

身じろぎさえしない彼女はまるで人形の様だった。

雪より白い肌は黒髪をより引き立てる。

紅く色づいた唇が白い肌の病的な印象を押さえていた。

僅かに上下する胸を見なければ本当に人形だと思うだろう。

一定のリズムで上下していた胸が一時動きを停めた。

長いまつげが僅かに奮え、瞼が開く。その下から現れたのは黄金。

彼女の瞳は寝ぼけた様子を微塵も見せずに1点を見つめる。

この部屋にある唯一外部(そと)へと繋がる扉。

彼女はそれをじっと見つめ僅かに口角を上げた。


***


物音に目を覚ました。

否、実際は音などこの部屋に響いていない。

だが、わたしには聞こえた。

怒りと怨み…そんな感情(こえ)

わたしは楽しくなって、少し笑った。

客人だ。

久しぶりの。

丁重に持て成さなければ、と身を起こす。


扉は荒々しく開かれた。飛び込んで来たのは、人間の娘。

年の頃はたぶん12、3歳くらいだろう。

亜麻色の髪に、健康的に焼けた肌。ふっくりとした唇に、すっとした鼻。

美人と呼ばれる部類に入るであろう美しい娘。

だが、娘の最も美しいところは、その赤茶色の瞳だ。

怒りに悲しみ、憎しみに嫉み…そんな負の感情を隠そうとせず、前面に押し出しぎらぎらと輝く瞳。

これ以上に称賛できるものがあるだろうか。

わたしは笑みを深め、歓迎の言葉を錘むいだ。

「ようこそ、我が屋敷へ」

娘の瞳に宿る感情が一段と強さを増す。

わたしは笑みを深める。

そして思う。この娘なら出来るかもしれない。

わたしが望み、心の底から渇望しているモノになれるかもしれない。

「歓迎しよう。人間の娘よ」

わたしは楽しかった。

そして、嬉しかった。

こんなに気分が高揚したのはいったい何年ぶりだろう。

知らぬうちに笑みが深まっていたのだろう。

娘の殺気が強さを増し、その表情は人間がいうところの「鬼の形相」というものなのだろう。

まぁ、此処に来ることができるものは皆大なり少なりそうなのだが。


「歓迎、するですって」

娘は怒りに肩を震わせていた。

「ああ、歓迎しよう。人間の娘。久方の客人よ」

わたしは娘の神経を逆なでするためにっこりと笑った。

もっとこの感覚を味わいたかった。

この、肌が粟立つような、ぞくぞくとする感じ。

もっと強い殺気に身を包まれたい!全身に浴びてその感覚に酔いしれたい!

「して、この度の用件はどういったことであろうか」

わたしは笑いたかった。

声のかぎり、大声で。

幼子の様に狂人の様にただひたすら純粋に心から笑いたかった。

でも、それは出来ない。

同じ過ちを2度も犯すことはひたすら愚かで滑稽だ。

「ふざけるな!!」

望み通り娘は怒りを爆発させすらりとナイフを抜いた。

薄暗いこの部屋でもわかるナイフの煌めき。

魔を払う力を持つと言われている銀で出来たそれ。

娘は破魔の剣を構え言い放つ。

「ママを、ママを返しなさいよ!この魔女が!!」

娘の瞳が僅かに紅く瞬いた。

「ママとな、わたしはそなたの母御などを頂いたおぼえはないのだが?」

瞳は紅みを増す。

「惚けるんじゃない!ママが、ママがいなくなったのよ!あんたがさらったんでしょ」

娘の瞳は紅かった。

わたしが見たのは鮮やかなそれ。

紅、赤、朱、あか。

一面のあかに雪のごとき白い腕。

そして1対のアオい宝石。

わたしが聞いたのはひとつの声。

『 』


わたしは笑った。

しかし、それは先刻までのものとは違う嘲笑と呼ばれる類のもの。

さてどうしたものか。

答えなどとうに出ているが一応一考する。

こういう無駄な行為も楽しいのだ。

決まっていた答えにわたしはにいっと口角を上げた。

「母御がいなくなったと。それで、そなたは復讐に来た」

娘は無言でナイフを構えている。

その顔は先刻までとは違い仮面の如く無表情だった。

わたしは笑う。

「そなたにチャンスをやろう」

娘が怪訝そうな顔をしたが、わたしは気にせず言葉を続ける。

「わたしはここから動かない」

わたしは自分の左胸、心臓の辺りを指差す。

「一撃で仕留めてみよ」

クッと口角を上げる。

「その、破魔の剣でわたしを殺すが良い」

娘のナイフを持つ手に力が入り、何時でも踏み込めるようにと重心が低く下げられる。

限界だった。

「心の臓を貫き四肢を引き裂け!眼球をくり抜き頭を潰しハラワタを引き攣り出せ!!」

あーははははは!

わたしは大声で笑った。

その表情は煌々としていただろう。

わたしは両手を広げ叫んだ。

「そうすればわたしは死ぬだろう!そうしなければ死なないだろう!人間の娘よ!愚かなりしものよ!さあ、わたしを殺すが良い!!」

直ぐに切り掛かってくると思われた娘は微動だにしなかった。

赤い光がゆらゆらと揺れていた。

自らを殺せと言い楽しそうに笑う魔女に対して訝しんでいるのだろう。


わたしは軽く腕を振った。

鋭い空気の刃が生まれ空を駆ける。

刃は娘の真横を通り過ぎ壁にぶつかっり消滅した。

はらり、と娘の長い髪が床へと落ちる。

「ぅああぁあぁああぁああぁっぁあ」

娘はナイフを構え突進した。

わたしは楽しくて嬉しくて笑った。

ナイフが肉を貫いた。


***


彼女は眉を顰めた。

魔払いのナイフは彼女の望みどおりにその身体にめり込んでいる。

突き刺さったところからは赤い赤い血液が流れ出し、彼女と少女を汚していた。

彼女の眉間のしわが深くなり、その瞳には嫌悪が宿る。

ナイフは確かに彼女の肉体に刺さっていた。

だが、その場所は彼女の望んだところではなかった。

心臓に、届いていない。

彼女は激怒した。

こんな侮辱があるだろうか。こんな屈辱があるだろうか。

逃げ出すのではなく、はたまたナイフを反らされるのでもなく。

目的の場所に刺さっているのにも関わらず、心臓まで届いていない。

ナイフの刃が短いのではない。このナイフだったらゆうに心臓を串刺しにできる。

にも関わらず、ナイフは心臓に届いていない。それは。

ああ、口惜しや口惜しや。思い込みだろうがなんであろうが、この娘ならできると思っていた。

期待が大きかったぶん落胆も大きくなり、大きすぎる落胆は憎悪へと簡単に変化する。

わたしは怒りのままに娘の体を払い除けた。

どさりと細い体は吹き飛ばされ壁へと激突する。

ぐっとうめき声を上げて身をよじる娘にわたしは近付いた。

こつりこつりと靴音がした。

ああ、わたしは靴を履いていたのだなと思った。

歩くなど一体いつぶりのことだろうか。

今だにもがいている娘の体。先ほどの衝撃で切れたのだろう、所々が血で汚れていた。

わたしはその満身創痍といっていい体を踏み付けた。

遠慮も配慮も慈愛も同情も何もない、ただただ純粋な憎悪だけで踏み付ける。


「くっ…あぁあ……!!!」

唇から苦悶の音がもれるが気にならない。そんな小さな事より、わたしの期待を裏切った事が呪わしい。

わたしは娘の長い亜麻色の髪を掴み上げる。

「人間の娘」

この愚かな存在のためにわざわざしゃがみ込んでやる。

痛み、恐怖、まだ微かに残る憎悪が瞳の中にあった。その色にわたしはまた苛立った。

顎を掴み鼻の頭が触れそうなくらいに顔を近付ける。

不愉快だ不愉快だ不愉快だ不愉快だ不愉快だ不愉快だ不愉快だ不愉快だ不愉快だ不愉快だ

今はすでに濁ってしまった、赤茶色の瞳にわたしは毒を注ぐ。

「毋御を取り戻すのではなかったのか」

「わたしを葬り去るのではなかったのか」

わたしは娘の腕を掴み、先程娘が傷つけた場所を触れさせる。

そこからは今だにどくりどくりと血が流れ出ていた。

心臓に到達していないとはいえ、重症である事には違いない。…………人間であるのなら。

娘の細い指を傷口から体内へと侵入させる。傷口が広がり、流れ出る血の量が増えた。

ひっと息を飲む音が娘の喉から漏れ、その視線は自身の手に固定される。

恐怖に染まりいく瞳を見ても一向に苛立ちは収まらなかった。

「ここにナイフを差し込み」

「心の臓を串刺しにして」

「わたしを殺すのではなかったのか!!!!!!」

我慢できずに怒鳴り、娘の身体を床に叩きつける。

傷口から抜けた指がぐちゅりと音を立てる。

自身の血とわたしの血で染まった娘の瞳には恐怖しかなかった。

はぁはぁはぁと荒くなった息を整えてわたしは娘に侮蔑の目を向ける。

この罪人が。


わたしは再びしゃがみこみ、娘の目を覗きこむ。

ガラスのような赤茶色には私の姿が映っていた。

ふむ。わたしとはこのような姿をしていたのだったか。

鏡のないこの部屋で久しぶりに見る自分の姿だ。

わたしは優しく娘に話しかける。

「のう。娘」

恐怖しかなくなった表情に嫌悪が募るがぐっと我慢する。

衝動のまま嬲り殺すのもよいが、この娘にはそれさえももったいない。

愚かにも真実を見間違えたこの娘には、自身の罪全てを自覚させなければならない。

「そなたはわたしがそなたの母御を攫ったと言うたが、それは真実か」

娘の目が怪訝そうな驚きのような形に見開かれた。

わたしはくっと笑う。

「そなたがその目で見たのかえ。母御がわたしに攫われるのを」

「本当にそなたの母御はわたしに攫われたのかえ」

「最後に母御を見たのはいつのことか」

「あの青い瞳には何が映っていた」

「あの時そなたが見たものはなんであった」

「母御は最後なんと言った」


言葉で入り込み、脳内にある見て見ぬフリをしている記憶を引きずり出す。

ちがうちがうと娘の口が戦慄く。ちがうちがうちがうとうわ言のように繰り返す娘にわたしは優しく微笑んだ。自覚しろ。


「のう。娘よ」


ふとわたしは思い出した。

魔女と呼ばれて忌み嫌われている我が身だが(それはそれで当たり前のこととも思える)わたしの本来の役割はこういうことではなかっただろうか。


「母御は何故、そなたを殺すことを望んだのだ」

「ちがうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!」


全てを思い出した、思い出さされた娘は喉が裂けるほどの絶叫を上げた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ