第1話「返して。」
――小説は、もっと軽やかに、もっと立体的に。
セリフ、ト書き、効果音だけで構成された、新しい読書体験。頭の中で映像が勝手に再生される新ジャンル「台本小説」をお届けします。
トーン:日常ミステリー×ライトホラー
表記:場面見出し/ト書き[]/効果音〈〉/心の声()、台詞は「」
——
SCENE 1 市立図書館・夜・外観[小雨。看板灯が濡れた歩道ににじむ。]
〈ザー…〉
SCENE 2 館内・閉館後[非常灯だけが通路を筋のように照らす。奥の閲覧席にだけ温色の灯り。]
柊みどり(小声)「……よし。チェックリスト、走ります」
[若い司書・みどり。PC前。付箋で埋まったToDo。胸ポケットにも付箋の束。]
(返本処理、選書表、夜間巡回。締切は明日九時。落ち着け、順番に。)
〈ジー…〉蛍光灯の低い唸り。
画面の表計算のセルが、ふっと一つだけ赤に変わる。
〈ピッ〉
みどり「……あれ?」
画面隅に、ぼやけた文字。
[角張った画面内フォント]「……かえして」
みどり「不具合? タイマー?」
[マウスを動かすが、赤の点滅は続く。]
〈ピッ……ピッ……〉
SCENE 3 通路
[誰もいないはずの通路の奥で、書架の影がきしみ、台車のキャスターがひとりでに転がる。]
〈コロ……〉
みどり(硬直)「やめてやめてやめて……(小声)」
SCENE 4 閲覧席
[みどり、深呼吸。机の下から懐中ライトを取り出し点ける。]
〈カチ〉
みどり「動線、確認。返本→消毒→棚戻し。」
[床にガムテープで矢印を貼り直す。作業しながら心拍が落ち着いていく。]
(怖くない。怖くない。怖いのは締切。)
Excelのセルが並び替わり、赤が言葉の形に集まっていく。
[画面内]「返して。」
みどり(小さく)「“何を”……?」
SCENE 5 カウンタ奥
[バーコードリーダーの置台。電源は抜かれている。]
〈ピッ〉
みどり「……嘘でしょ」
〈ピッ、ピッ(不規則)〉
[コードの先は空だ。]
みどり(自分に言い聞かせる)「現象は現象、原因は原因。分けて考える。まずは——」
SCENE 6 給湯室前
[若い男性が顔を出す。丸眼鏡、リュック。]
霞 修「夜間統計の回収に……あ、すみません。閉館中ですよね」
みどり「あっ、霞くん! ちょうどよかった、これ見て」
SCENE 7 閲覧席・PC前
修(画面を覗き込む)「条件付き書式……時刻でトリガ? セルアドレス巡回……美しい」
みどり「美しくはない!」
修「すみません。えっと、赤になる規則、時間が2:03で発火……」
みどり「2時3分?」
修「はい。02:03。たぶんシステム時計と——」
[二人の背後の通路に、書架の影が偶然“矢印”の形を作る。]
〈シン……〉
みどり(気づかない)「02:03……」
SCENE 8 通路・台車の前
[台車の上に、一冊だけ古い装丁の本が斜めに立っている。背に「寄贈」の小さな印。]
〈ポト……〉
[しおりが滑り落ち、足元へ。]
みどり(拾い上げる)「“桐生”……?」
修「人名ですよね。寄贈者、かな」
SCENE 9 入口ホール
[スーツ姿の女性が冷気とともに入ってくる。前下がりボブ、きちんとした身なり。名札「市役所 文化振興課 真壁」。]
真壁 奏「鍵、忘れ物を取りに……って、何してます?」
みどり「あ、真壁さん! ご説明します。ええと、Excelが、その、しゃべって」
修「厳密には、しゃべっていないです。表示です。ルールにより発火する表示でして」
真壁(画面を見る)「……深夜の操作記録は残しておいてくださいね。念のため」
〈ピッ〉
[画面の“返して。”が強く赤くなる。]
真壁(わずかに目が揺れる)「……2月3日」
みどり「え?」
真壁「いいえ、独り言です。続けてください」
SCENE 10 通路・別方向
[軽やかな足音。ラフなシャツ、首からルーパー。色の付箋とサインペンでぎゅうぎゅうのトート。]
伊吹 灯「こんばんは〜! 展示の下見。って、何それ最高! 壁に投影したい!」
真壁「まだ調査中です。演出は後で」
灯「こういうのは“今”が旬なんですよ」
みどり「ちょ、ちょっと待って灯さん、まだ怖いんだけど」
SCENE 11 閲覧席・壁面
[灯が小型プロジェクターを取り出し、Excel画面を壁一面に投影する。]
〈ブウウゥン〉
壁いっぱいに、角ばった赤文字——「返して。」
三人、言葉を失う。
〈……〉
修(小声)「書体、ヒラギノ角ゴ……じゃない、すみません」
真壁「…………」
[赤の一点が、すっと滲む。]
〈ジ……〉
[黒反転の小さな吹き出しが、壁の片隅にだけ生まれる。]
「……かえして」
みどり(手の中の古本の背表紙を見つめる)「この番号……セル番地と、同じ?」
修「C-0203……一致してる」
真壁「偶然か、意図か。どちらにしても、丁寧に辿りましょう」
SCENE 12 バックヤード
[段ボールが積まれた小部屋。みどりが箱から台帳を取り出す。薄茶の紙、端に古い丸ゴシックの印字。]
みどり「寄贈台帳、平成十七年……“桐生みつえ”。“思い出の本を、街に残したい”」
修「MARCの補助フィールド、寄贈者コードKIRYO……。ここ、空欄ですね。移行漏れ?」
真壁「可能性は高い。けれど公開情報ではないから、扱いは慎重に」
灯(付箋を手に)「“街に残したい”って、もうキャッチコピーじゃん。ナイトイベントの軸に——」
真壁「まだです」
灯「はぁい」
SCENE 13 通路・棚前
[みどり、ライトを向けながら矢印ガムテを一本はがし、向きを少し変える。]
みどり「返本→消毒→棚戻し……その前に“確認”。“誰かの本”を、確かに棚へ返す。プロセス、追加」
修「同定は僕がやります。請求記号、寄贈印、台帳の照合で」
真壁「法と個人情報を守る範囲で運用します。ログ、必ず残して」
灯「展示の絵は浮かんでる。『生きる目録』。背表紙にデータが呼吸するみたいに——」
[遠く、電源を抜いたはずのバーコードリーダーが、また一度だけ鳴く。]
〈ピッ〉
みどり(息を飲む)
修(耳を澄ます)「……一回きり。たぶん、静電気か、残留電荷。でも、今は“物語”になりつつある」
SCENE 14 書架の迷路
[三人+灯、通路に並んで進む。床の矢印、棚の影、背表紙の列。ライトの輪が移動するたび、影が一瞬、矢印や指の形に“見えては”崩れる。]
灯(囁き声で)「図書館ってさ、夜になると、海みたい」
みどり「海?」
灯「背表紙が波で、通路が潮の道。そこに落ちた“落とし物”が、いつか岸に返ってくる」
真壁「詩的ですけど、現実には回収と棚差しが必要です」
修「詩と手順は両立しますから」
SCENE 15 閲覧席・PC前(戻る)
[Excelの赤文字が、ふいに乱れる。]
[画面内]「返し…て」
修「セルの順番が……変わった?」
みどり「矢印の向き、変えたから?」
真壁「私たちが“返す”と決めたから、でしょう。比喩ですが」
SCENE 16 カウンタ裏
[静かな引き出しが、ひとりでに数ミリ開く。]
〈コ……〉
みどり(足を止める)「いま、開いた?」
[中には古い“貸出票カード”の束。表紙の端に赤い丸で“2/03”。]
修「02:03」
真壁「2月3日。……あの日付は、たしか——」
[言いかけて、言葉を止める。目の奥に迷い。]
灯(身をかがめてカードを見つめる)「この筆跡、同じ人だ。何回も借りて、返して、また借りて……」
暗がりのさらに奥——引き出しの向こう側に、白いものがふっと動いた“ように見える”。
[誰も気づかない。照明の反射が作る、細く長い“手”の形の影。]
〈……〉
黒反転の、小さな吹き出し。
「……かえして」
SCENE 17 エンディング前の静かな場面
[みどり、古本を胸に抱え、ゆっくりとうなずく。]
みどり「返そう。“誰か”に。間違いなく」
修「ログと手順、僕が書きます」
真壁「明日、正式に手当します。目的条項に立ち戻れば、道はある」
灯「じゃあ私は、返す“場”をつくる。見えるように。誰でも“気づける”ように」
SCENE 18 外観
[雨は細く、街灯に銀色の糸を垂らしている。図書館の窓のひとつ、非常灯がまたたき、すぐに安定する。]
〈ザー……〉
——1話終——
次回予告(帯文)
「請求記号が指すのは、書架か、出口か。次回『分類法の迷路』」




