第二話
「放して! 放してよ!」
「ダメだ、命を大切にしなくちゃ」
「放して! 私は、もうやることがなくなったのよ」
「それでも、ダメだ。これは、ダメなんだ」
「お願い、好きにさせて。私の好きにさせてよ」
「ダメだ。これだけは、ダメなんだ」
僕は、力いっぱい彼女を引っ張った。
彼女は華奢な体で必死に抵抗していたが、ふっと力を抜き、その場に座り込んだ。
僕は息を切らしながら彼女の前に立ち、彼女が話し始めるのを待った。
夜中に行き交う車のライトが時折、うなだれた彼女の姿を映し出す。それはまるで静止画のようだった。
「放してって、何度も言ったのに……」
彼女はうつむいたまま、そう言った。僕は、彼女の前にしゃがんで、顔を覗き込んだ。
「ごめん。どうしても放せなかった。君の美しい声に引き寄せられたから……」
彼女は、ゆっくりと顔をあげて、僕の方を見た。
「ダメだったのよ。今日、オーディションに落ちた。もう、私には何も残っていないの」
彼女の瞳には、涙が溢れていた。
「そっか、僕と一緒だ」
「えっ?」
彼女は、涙を拭って、僕の顔をじっくり見た。
「おじさん……、もしかして、石山真治?」
「そう、今日、見事に落選した石山真治」
「うそでしょう、どうしてこんなところにいるの?」
「疲れちゃってさ、一人になりたかったのさ」
僕は、彼女の隣に座りなおして話を続けた。
「僕も頑張ったんだけどさ、ダメだったんだよ」
「SNSで、すごい人気だったから、てっきり受かると思っていたのに……。私は、まだ選挙権がないけど、応援していたわ」
「そっか、ありがとう」
「でも、こんな結果だよ」
「大丈夫よ、次があるわ」
「そうかな」
「そうよ、こんなに若くて、人気があるんだもの」
「さっき、おじさんって呼んでなかったか?」
「えっ、そうだった? まあ、私からしたら、二十代でもおじさんだから、気にしないで」
「で、君はいくつ?」
「十七歳」
「高校生か」
「うん、オーディションに合格したら、大学には行かなくてもいいって親の了解もとっていたんだけど」
「大学に行くのがいやなのかい?」
「うん、その先が見えないから」
「その先か……、皆、さほど変わらないと思うよ。その先なんて、行ってみないとわからないよ」
「行ったら、何か見えるの?」
「見えるかもしれないし、見えないかもしれない」
彼女は、黙って僕を見つめている。僕は、何?という目をして彼女を見た。彼女は、ケラケラと笑い始めた。
「おじさんの言う通りだわ。行ってみないとわからないし、行ったからと言って、先が見えるかどうかなんてわからないわね」
「おれの落選のことをいっているのか?」
「そうよ」
「あー、悔しいなー」
「何票足りなかったの?」
「ダブルスコア」
彼女は、お腹を抱えて、大きな声で笑い始めた。
「ダブルスコアって、全然足りないじゃん」
「そうだよ、全然足りなかったよ」
僕も彼女と一緒になって、笑い始めた。
「ねえ、これからどうするの?」
「次に向けて、頑張るさ」
「そうじゃなくて、今日、今から」
「えっ? 家に帰るけど」
「ねえ、一緒にカラオケに行かない?」
「カラオケ?」
記憶の引き出しから、カラオケが何だったかを思い出すのに少し時間がかかってしまった。
「まさか、行ったことないの?」
「行ったことないし、僕は、歌は苦手で……」
「そうなの、残念」
彼女のため息があまりに大きかったので、僕は、ちょっとだけ嘘をついた。
「あっ、でも、歌を聞くのは大好きだよ」
「好きなとアーティストは?」
僕は、まだ地球の音楽を聴いたことがなかったが、シュリから渡されたデータの中に書いてあったアーティストを思い出して答えた。
「バウンディかな」
「へー、おじさんバウンディが好きなんだ」
「その、おじさんて言うのやめてくれないか?」
「なんて呼べばいいの? 石山さん?」
「そうだな、親しい人は、シンジュって呼ぶよ」
「シンジュって呼んでいいの?」
「ああ、いいよ」
「私は、戸川まな。まなって呼んで」
「まな、漢字は?」
「愛って書いて、まな」
「愛か、いい名前だね」
「ねえ、シンジュ、この後どうする?」
「家まで送るよ」
「つまんないの」
「未成年が何言っているんだ。さっ、行くぞ」
「シンジュ、言いにくいんだけど、私の家、東京じゃないの」
「は? どこだよ」
「岡山。帰りの深夜バスはもうとっくに出発したわ」
「どうするんだよ」
「わかんない」
「ちょっと待ってな」
そう言って、僕は、シュリに電話をかけた。
シュリは、タクシーで駆けつけてくれた。
「二人とも乗って、東京駅の近くにホテルをとったから、今日はそこに泊まるって、親に連絡して、明日ちゃんと帰るんだぞ」
シュリは、眉をひそめてそう言った。
彼女は、ちょっと残念そうな顔をしたが、ホテルの前に到着したら、すんなりとタクシーを降りた。
僕は、彼女に名刺を渡した。
「大学受験挑戦してみなよ。また会おう!」
そう言って、彼女と別れた。
僕とシュリは、いつものように宇宙船に戻った。
「シンジュ、次の選挙はいつ始まるかわからないから、すぐに準備に入るぞ」
シュリは、テーブルの上の資料を段ボール箱に全て入れて片づけた。
「あー、もう、本当に悔しいよ。参議院選挙に出た方が良かったんじゃないか?」
「シンジュ、それは、考えが甘すぎるな。無名の新人が、簡単に国会議員にはなれないんだよ」
「都知事にもなれないよ」
僕は、口をとがらせて、シュリを睨んだ。
「これは、全て戦略なんだよ。都知事選挙で、知名度を上げる。それから国会に打って出る。どこの選挙区で出るかが問題なんだ」
「次もこのプロフィールで出るのか?」
「当たり前だろ? 毎回経歴が変わるなんてことは、ありえないんだ。経歴詐称になるじゃないか」
「既に経歴詐称してるけど」
シュリは、眉をひそめた。
「アハハハハッ。それにしても、よくこの経歴にできたよな。嘘がバレないのか?」
「大学の在籍データは、ちょっといじらせてもらったよ」
「同級生の証言が出てきたらどうするんだ? 石山真治なんて知らないって言われるぞ」
「人の記憶って言うのは、曖昧なものさ。相手が覚えていなくても、シンジュが覚えていたら、相手はどう思うだろう? 自分が忘れていただけかって思うさ」
「でも、僕も相手を知らないんだよ」
「シンジュ、僕の仕事が何だったか、すっかり忘れているようだな」
「あっ、そうだった、シュリは、アカシックレコードの記録者だったな」
「そういうことだよ。全ての人の記録を引き出すことができる。必要になればすぐにでもシンジュに渡せるよ」
「職歴は、大丈夫なのか?」
「スタートアップの共同代表者ってことになっているから、それも問題ないよ。僕が、証明すればいいだけさ」
「全部シュリのお陰だな。本当にありがとう」
「お礼を言うのは、まだ先だよ。ちゃんと国会議員になってくれよ」
「わかった。明日からも頑張るよ、だから、今日は、もう休まないか」
「そうだな。今日は、もう休もう」
僕は、宇宙船の中にある僕の部屋に入り、ベッドに倒れ込んだ。そのまま眠りにつこうと思ったが、さっき出会った彼女の顔が鮮明に映し出された。彼女は、もう眠っただろうか。もう変な気を起こしたりしないだろうか。明日、ちゃんと帰るだろうか……
彼女のあの歌声が、頭の中で何度もリピートして、僕は眠れずにいた。
「そうだ、バウンディ」
彼女に『好きなアーティストは?』と聞かれてバウンディと答えたけど、まだ一度も歌を聞いたことがなかった。どうせ眠れないなら、バウンディの曲を聞いてみようと思いYouTubeで曲を聞いてみたが、彼女のことばかりが思い出され、頭に全く歌は入ってこなかった。
朝、部屋を出たのは、十時を回っていた。
「シンジュ、今日は、遅いお目覚めでも、まあいいけどな」
シュリは嫌味を言って、黙々とパソコンで何かを入力している。
机の上は、昨日までの選挙の資料が山積みだったのをどけて、きれいにしたはずだったのに、今朝はもうたくさんの資料が広げられていた。彼は、僕が寝坊している間に、早く起きて仕事をしていたのだろう。
「おはよう、シュリ。何の仕事をしているんだ?」
「これは、私の本来の仕事さ」
「記録者の仕事か?」
「そうだよ」
「何の記録をしているんだ?」
「異星人の共生についてさ」
「それで、何て書いてあるんだ?」
「日本という国では、約三万八千年前から、この土地に人が住んでおり、弥生人など他の地域からの渡来があったものの、概ね現代まで日本人が多数を占める国である。しかし、近年、労働者不足だとして、特定技能制度を設け、他国からの移民が急速に増えている。移民政策でありながら「多文化共生」という目くらましの言葉を使い、政府に対しての非難を避けたいようだが、犯罪件数の増加、治安の悪化で、多くの国民が気づき始めている。森などの自然界でも共生は存在せず、淘汰と棲み分けだ。戦争やジェノサイドによる淘汰の結果の同化である。同化したとしても差別が残り、異星人との共生には至っていない。まあ、こんな感じかな」
「そうだよな。そんなに簡単に共生なんてできないよな。僕も街頭演説をしている時に、東京の治安が悪くなったのをどうにかしてほしいと言われたんだよ」
「私が来た2025年は、既に、こんな東京だったから気付かなかったけど、日本はこのころに大量に移民を受け入れたんだ」
「ちょっと前の東京は、今とは違っていたということか」
「1988年の映像があるけど、見るかい?」
スクリーンに映し出された東京は、色とりどりの服を着た女性が、街にあふれていた。
毎日更新予定




