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動けない夜

医療は進歩した。

そう言われている。


健康診断では毎年、いろいろ指摘された。

血圧、血糖、腹囲。

最後は決まって「メタボリックシンドローム該当」と表示された。


特に自覚症状はなかった。

痛みもなく、仕事も普通にできていた。

階段も上れたし、息切れもしなかった。

だから何もしなかった。


AIは、ちゃんと説明していた。

痩せる必要があること。

内臓脂肪を減らすこと。

具体的な筋力トレーニングの回数。

一日の摂取カロリー。

避けるべき食事内容。


「推奨される運動プログラム」

「改善が期待される期間」

「未実施の場合のリスク」


すべて、表示されていた。


通知は消せた。

数値は見なかったことにできた。

明日からやる、という選択肢を、

何度も先送りにした。


昨年、脳梗塞になった。


倒れたとき、周りに誰もいなかったらしい。

発見が遅れ、治療開始も遅れた。

そう説明された。


説明は、人間ではなかった。


病室のモニターに図と文字が映し出され、

合成音声が淡々と続いた。


「発症推定時刻は〇時〇分」

「治療開始までの時間が基準を超過しています」

「再開通療法の適応外です」


感情のない声で、

条件と結果だけが並べられていく。


「左中大脳動脈領域に広範な虚血性変化を認めます」

「右上下肢に重度の運動麻痺が残存する可能性があります」


右が、動かない。


腕も、脚も、

命令を出しても反応しない。

動かそうとしている意識だけが、

宙に取り残される。


触られている感覚はある。

冷たい。

押されている。

それはわかる。


それでも、

動け、という命令だけが届かない。


「生命予後は安定しています」


AIはそう結論づけた。


命は助かった。

そう判断されたらしい。


次に始まったのは、リハビリだった。


担当はロボットだった。

猿型のロボット。

人間に近づけた結果なのか、

不快感を減らすための設計なのか、

理由は説明されなかった。


動きは正確だった。

無駄がなく、転倒のリスクも考慮されている。


歩行器の前に立ち、

理想的な動作を何度も再現する。


「こうやるんだ、ウッキー」


軽い語尾だった。

緊張緩和。

モチベーション維持。

どこかの項目に、

そうチェックが入っているのだろう。


正直、腹が立った。


歩けないことじゃない。

猿に教えられることでもない。


この右側と向き合うのに、

その語尾は、

どうしても受け入れられなかった。


今は夜だ。


病棟は静かで、

モニターの電子音だけが続いている。


天井を見ていると、

昼間のことが、

勝手に思い出される。


猿の声。

歩行器。

動かない右脚。


そこへ、

となりの病室が急にあわただしくなった。


足音が増える。

小さな指示の声。


入院があるみたいだ。


自動運転のストレッチャーが、

廊下を滑るように通り過ぎていく。


その上に、

若い女性が横たわっていた。

目は閉じたまま、

まだ麻酔が残っているらしい。


手術後だ。


切るべきところは切られ、

取り除くべきものは取り除かれた。


あいつは、

手術できたみたいだ。


時間内に見つかって、

適応があって、

治療を受けた。


俺は、できなかったのに。


同じ病院で、

同じ夜を過ごしているのに。


誰も悪くない。

AIも、ロボットも、

システムも、正しく動いている。


それでも、

この差は、

どうしても埋まらない。


ストレッチャーの音が遠ざかる。

病棟はまた静かになる。


右は、動かない。


それでも、

明日は来る。


またリハビリがあって、

また歩行器が出てきて、

またあいつが立つ。


猿型のロボット。

ウッキー。


「こうやるんだ、ウッキー」


その声を、

また聞くのだろう。


俺は目を閉じた。


また明日、

猿のウッキーに付き合うのか。


そう思いながら、

なんでもない夜が、

また一つ、過ぎ去っていった。

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