存在しなかった医師の夜
**医療は進歩した。**
**仕事は、もっと楽になるはずだった。**
AIとロボットが進化した。
劇的に、だそうだ。
手術はロボットがする。
看護もロボットがする。
診断はAIが出す。
検査も、治療計画も、退院日も、全部自動で回る。
医療は完成した。
少なくとも、システムとしては。
だから政府は整理を始めた。
保険点数で一番高い分野。
つまり——人。
病棟は日勤も夜勤も、看護師一人。
医者に至っては、病院に一人。
それで「十分」だと判定された。
夜はさらに効率化される。
一人の医者が、複数の病院を担当する。
AIが判断し、ロボットが動く。
人は承認するだけでいい。
その結果、
夜の当直室には、僕一人しかいない。
正確に言えば、人間が一人しかいない。
鏡を見る。
ぶしょうひげが伸びている。
三連直の三日目。
剃る理由も、剃る気力もない。
医師十五年目。
研修医の頃は、医療ドラマを見ていた。
夜の病院を走り、
患者を救い、
朝焼けの中で缶コーヒーを飲む医者。
あの世界には、
まだ人がたくさんいた。
今は違う。
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夜は、静かだ。
音はほとんどしない。
その代わり、
モニターがひっきりなしに切り替わる。
画面が分割され、
別々の病院、別々の病室、別々の顔が並ぶ。
どこかで必ず、何かが起きている。
小さな病院一つだけを担当していた頃は、
夜に一件あれば多い方だった。
あとは仮眠して、
「何も起きなかったな」と思えた。
今は違う。
十七ある。
どれか一つが落ち着くと、
別の画面が点灯する。
毎回だ。
診断も説明も、
すべてAIが行う。
モニターの一つに、
**急性虫垂炎**の文字が表示される。
CT、血液データ、経過。
一致。
年齢、二十代。
性別、女性。
若い、という情報も、
女性だという情報も、
判断には関係ない。
画面の下に、
**承認**のボタン。
僕は押す。
ロボットが患者を運び、
手術の準備が始まる。
術中のバイタルはAIがリアルタイムで監視する。
異常があれば自動補正。
そこに、
僕のやることはもうない。
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午前三時過ぎ。
一つの画面が、
他より遅れて点灯する。
市中病院。
末期癌を扱っているところだったはずだ。
はず、というのは、
眠い頭の中で病院名がもう思い出せないからだ。
モニターの中央に、
患者の顔が映る。
ベッドの横に、家族が数人立っている。
バイタルが表示されている。
心拍、呼吸、血圧。
すべてゼロ。
AIの判定は完了している。
**死亡確認:実施要**。
画面の向こうで、
誰かが小さく頭を下げる。
僕は画面を見る。
眠っているようにしか見えない。
昔なら、
ベッドサイドに立って、
家族の後ろに立って、
聴診器を当てていた。
今は、
数値と映像だけだ。
「……三時十五分死亡確認します」
そう家族につげ承認を押す。
時刻が自動で記録される。
家族が頭を下げている途中で、
映像は閉じられる。
死を確認した感覚はない。
誰かを看取ったという感じもない。
ただ、
画面が一つ、消えただけだ。
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少しして、
別のウィンドウが立ち上がる。
**死亡診断書(案)**
AIが作成した書類。
氏名、時刻、場所。
すべて入力済み。
視線が、
自然と「ア」の欄に行く。
**ア 大腸癌**
それを、ぼんやりと確認する。
間違っていない。
たぶん、そうだ。
この患者の声も、
表情も、
もう思い出せない。
あるのは、
この一行だけだ。
「ア 大腸癌」
承認。
書類は自動送信され、
次の画面が開く。
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オンラインだけで夜が終わる日もある。
歩かない。
触れない。
ただ、画面を見る。
人は助かっている。
それは事実だ。
でも、
助けた感覚はない。
夜を過ごした感覚でもない。
ただ、
眠れなかったという事実と、
疲労だけが溜まっていく。
ロボットは疲れない。
AIは迷わない。
だから夜は、
完璧に回る。
その代わり、
人間だけが
何もしていないのに疲れている
という状態で
朝を迎える。
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書類上は、
宿直という扱いになっている。
軽微な業務。
仮眠可能。
実働は想定されていない。
十七病院同時対応という文字は、
どこにもない。
承認の回数も、
説明の数も、
死亡確認の数も、
評価項目には含まれていない。
だからこれは、
働いていない夜だ。
明日も、朝から夜まで承認が続く。
それが通常業務だ。
ここ数日、
当直室から出ていない。
出る理由がない。
画面は回っている。
医療は滞っていない。
数字は良好だ。
書類上、
問題は何も起きていない。
だから今日も、
この夜は
存在しなかったことになる。
**……また、次の承認だ。**




