終活を始めたら、愛する旦那様に『お前を愛することはない』と言われてしまいました
「もしも私が死んだら、骨を海に撒いてくださらない?」
私は、息子とその配偶者である令嬢に自分たちの王座と王妃の座を受け渡した夜、自分の手を見つめながら言いました。かつて滑らかで白く、王妃として威厳を保っていたその手には、小さな皺が刻まれています。
壁にかかっていた鏡を見ると、いつも太陽の光を浴びて輝いていた金色の髪にも、白い髪が混ざり始めていました。
時の流れは残酷に私の美貌を衰えさせていました。
だからこそ、何の気なしに呟いた言葉が、元王である旦那様ラドルにどれほど衝撃を与えるかなんて考えもしませんでした。
顔をあげると、顔を真っ赤にして怒っていた旦那様が、こう言いました。
「なんだと! リディア! 今後は、お前を愛することはないと思え」
カンカンに怒ったまま、旦那様は私の部屋を出て行ってしまいました。
私は、旦那様の背中を見送りながら、少し呆然としてしまった。
ほんの軽い気持ちで言っただけだったのに、なぜこんなに怒るのかわからなかりませんでした。
「今まで、碌に喧嘩もしてこなかったのに……もしかしたらそれがいけなかった?」
もう少し、なんでも話せる間柄だと思っていたのに、突然『死』という重い話を始めたから驚いてしまったのかもしれません。
「でも、もう私たちも歳だしね……」
そろそろ、終わりのことを考える歳にはなったと思います。
だけど、この歳になってから、離婚は悲しすぎる。
「よし、もう一度ちゃんと話をしましょう」
私は一冊のノートを持って立ち上がり、旦那様を探すため廊下を進みました。
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「はあ、なぜ、俺はあんなことを言ってしまったんだろう」
怒り散らかして、自分の部屋の椅子に座りながらそんなことを言った。
それから、自分の終活ノートを開きながらため息をついた。
ノートには、見晴らしのいい丘の上にお墓を立てて、一緒に骨をうずめると書いてあった。
「今日は、どんな墓を建てるか相談するつもりだったのに……」
大きさは、どうするか。
材質はどうするか。
見栄えはどの程度にするか。
などを相談するつもりだった。
場所はあの思い出の丘以外に考えたことがなかった。
「まさか、海に散骨派だったとは……」
そこまで、独り言をつぶやいた瞬間、戸口からかすかな足音が聞こえ、妻がそっと入ってきた。
さっきは怒ってしまったが、今は悲しさの方が勝っている。
「いいでしょうか?」
そう聞いて来た妻を咎めることはせずに、椅子に座るようにうながした。
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旦那様は、もう怒っていないようでした。
私を見ることなく、悲しそうに目を伏せています。
私は意を決して、旦那様に声をかけました。
「あなた……ごめんなさい」
私はおずおずと声をかけた。
「いや、俺こそ感情的になった。急にお前が死んだらなんて言い出したものだから驚いてしまって」
いつもの優しい旦那様に戻って、私はようやく心の落ち着きを取り戻しました。
私は、静かに心で感じたことを伝えることにしました。
「さっきは、ただ昔を思い出して、つい言ってしまったの」
そういうと、ようやく旦那様は顔をあげました。
「昔とは、いつのことをいっているのだ?」
私は、自分の持ってきたノートを広げてみせた。
ノートには、海を訪れたあの日の思い出が綴られています。
「あなたと新婚旅行で行った、あの海が忘れられなくて」
旦那様は少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに柔らかな微笑みに変わっていました。
旦那様は少し戸惑った表情で、一冊のノートを持ってきた。
ノートのページを広げると、綺麗な丘の上で手を繋ぐ三人の絵が描かれていた。
「俺は、息子と三人で護衛もつけずに行った、あの丘でのハイキングが忘れられなかったのだ」
二人はしばらくの間、互いに懐かしい思い出に浸り、静かな時間が流れた。
そこには、過去に感じた幸せが、今も変わらず息づいていた。
「「ふふふ」」
ひとしきり、二人で笑い合った後、私は言った。
「あの日のハイキングの思い出も素敵ですが、私は海に散骨してほしいのです」
「あの新婚旅行もよかった。だが、俺は絶対、丘の上に墓を立てたいんだ」
「私だって、海に骨を埋めたいです」
「俺だって丘がいい」
「むむむ」
「ぬぬぬ」
意見は平行線で交わることがありません。
誤解は解けましたが、このままでは『愛することはない』が真実になってしまいます。
旦那様はしばし考えた後、うなずきました。
「どうやらこの場で決着はつかなそうだ。二人で考えても、仕方ない。他の者にも聞いてみることにしよう」
「はい。そうしましょう」
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まず私たちは、私たちより年上な執事長に聞いてみることにしました。
執事長ザタールは、バーで楽しそうにコップを磨いています。
私達に気づくと、立派な白いひげを整えながら、私たちを迎えてくれました。
旦那様には、シャンパンを、私にはワインを注いでくれます。
目の前のお酒から漂ってくるブドウのフレッシュな香りが夢見心地にしてくれます。
「お前さんは、終活しとるのか」
旦那様は、シャンパンを傾けながら、執事長に聞きました。
執事長は少し考えると、こう言いました。
「死後は、異世界転生とやらをしてみたいものです」
異世界転生?
そんな単語聞いたことありません。
「異世界転生とは、なんだ?」
「異世界転生とは、文字通りこの世界とは別の世界に行くことです」
「別世界か天国みたいなもんか」
「その通りです。その世界では、私は、神からすごい力を与えられて、悪をズバズバ倒して、女の子にモテモテでウハウハな生活を夢見とります」
「……お前さん、その歳でそんなこと考えとるのか。先立ったメイド長泣いとるぞ」
私も、旦那様と同じ意見です。
メイド長とは、私の世話係で執事長の奥さんのことです。
執事長と同じように、私達より十以上歳上のため、数年前病気で亡くなっていました。
「嫁は、死後は、異世界転生してイケメン男子に囲まれてウハウハしたいと言っとりましたから、大丈夫かと」
「大丈夫なのかそれは……」
「女の子にモテモテになりたいだけで、妻のことを愛しておりますからな。女はモテてる旦那に好かれるというのは、鼻が高いらしいですよ」
「そうなのか?」
旦那様は私に聞いてきます。
「まあ、そうですね。あなたは王でしたから、若い頃はかなりモテモテだったではありませんか」
「ふむ。確かにそうだったな……」
そういいながら、私の手を握ってきます。
自分が愛しているのは、私だけだと伝えてきているようです。
私は年甲斐もなく顔が火照ってくるのを感じました。
執事長は微笑みを浮かべ、旦那様と私を見ながらいいました。
「ふふふ、お二人は今でもお熱くてうらやましいですな」
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次の日、私達は王座を譲り渡した息子のセリオスに話を聞いてみることにしました。
食堂にいくと、先日結婚したばかりの伯爵令嬢リリーと楽しそうに歓談しています。
完全に政略結婚でしたが、そんなことお構いなしに熱々の二人です。
今も、まるで二人だけの世界にいるかのように、パフェをアーンと食べさせ合っていました。
見ているこっちの方が、恥ずかしくなってきます。
「むふん」
旦那様はわざとらしく、咳ばらいをしました。
特に慌てた様子もなく、セリオスは言いました。
「父上、母上。こちらまで来るのは珍しい、どうしたんだ?」
「少しあなたの意見をきいてみたくなったのよ」
「意見?」
私の言葉にセリオスは首を傾げました。
私の代わりに旦那様が、セリオスに言います。
「結婚したばかりで、あれだが、お前は、死んだときの墓はどこに建てるかなどは考えているのか」
セリオスは少し考えると、ゆっくり言いました。
「私は、ピラミッドとやらに興味がある」
「ピラミッドとはなんでしょうか?」
私が聞くと、セリオスは頷き説明してくれます。
「階層構造にして、階ごとにモンスターを配置し侵入者を阻むダンジョン型の大きな墓のことだ」
「そんなお墓があるのですね」
旦那様は、宝や、モンスターなどを楽しそうに紙に描いて見せるセリオスに呆れたように言いました。
「あのな。セリオス。そんな墓を建てたら国の財政が傾くじゃろう」
「だから、興味があると言っているだけで、やるとは言っていない」
セリオスは、負けじと言い返します。
それをリリーが、間に入って取り持ちます。
「お墓を墓としてしか使用しないのであれば、財政が傾きますが、私たちが生きている間は訓練施設などとして利用するというのは、どうでしょう?」
リリーは、セリオスが書いていた紙に、実用性を盛り込んだ案をいくつも書いてみせます。
「さすが愛しのリリー、いい案を持っているな! こうなったら、今日から墓作りをやるぞ!」
紙を持って立ち上がると、セリオスは大きな声で宣言しました。
「ええ、やりましょう!」
リリーも元気に立ち上がります。
「まずは、モンスター捕縛からだ!」
「はい!」
二人して立ち上がると、怒涛の勢いで出発していってしまいました。
呆れた旦那様が言いました。
「馬鹿じゃろ、あいつら」
「でも、仲が良さそうで、うらやましいですわ。見習いたいです」
「見習うか……そうだな。すぐに行動にうつすのは見習った方がいいかもしれん」
私は、旦那様の言葉にピンとくるものがありました。
「でしたら、お互い骨を埋めたい場所を訪問してみるというのはいかがですか」
「そうだな……。うむ。では、行ってみるとするか」
私たちは、新婚旅行で訪れた海と、思い出のハイキングの丘を再び旅すること決めたのでした。
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目の前には、果てしなく続く青い海が広がっていました。水面は太陽の光を受けて、きらきらと輝いています。穏やかな波が静かに砂浜に打ち寄せ、そのたびに小さな泡が白く散っては消え、風がそっと頬を撫で、潮の香りが優しく包み込みました。新婚旅行の時も、こんな美しい光景でした。
私たちは、ゆったりとねそべりながら、手を取ります。
「あのころは、露出の高い水着を着て、あなたは顔を真っ赤にして綺麗だと言ってくださいましたね」
私は少し微笑みながら、懐かしい思い出を振り返ります。
旦那様は、恥ずかしいのか、昔のように顔を真っ赤にして言いました。
「なぁに、君はいまでも十分綺麗だよ」
昔のように優しい声です。
「あらあら、こんなにしわくっちゃんなのに、口のいい旦那様ですこと」
私は軽く笑って肩をすくめたが、その言葉にはどこか照れくささがありました。旦那様の目に映る私が、今でも「綺麗」だと言ってくれることが、何よりも嬉しかったのです。
「それで、どうですか?」
新婚旅行で過ごしたあの美しい海の風景が、鮮やかに蘇りました。夕陽が照らす砂浜、寄せては返す波音、そして、二人だけの時間。昔の思い出と重なり素晴らしく感じます。
「そうだな。こんな綺麗な思い出の中に溶けていくのもいいかもしれないな」
旦那様の言葉は、静かな波のように心に響いた。
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私たちは、久しぶりにあの思い出の丘を訪れることにしました。足元には小道が続き、両脇には木々が生い茂っています。昔、息子と三人で護衛もつけずに登った道は、今も変わらず、私たちを迎えていてくれています。あの頃は、元気いっぱいで息切れ一つせずにこの山を登り、頂上に立ったときには、息子と旦那様が並んで夕陽を見つめる姿が、とても誇らしかったことを思い出しました。
しかし今は、少しずつ足を進めるたびに、体力の衰えを感じざるを得ませんでした。
「昔は息も切らさず登ったものだが、もう歳だな」
旦那様は笑いながら、額の汗をぬぐった。その姿に、昔の若々しさと、今の穏やかな老いが重なり、私は微笑みました。旦那様が今もこうして隣にいてくれることが、何よりも嬉しい。
私は旦那様の手をそっと握り、二人でゆっくりと歩みを進めた。
「ほら、もうすぐだぞ」
やっとの思いでそれほど高くはない丘の頂上に辿り着くと、そこには広がる壮大な景色が待っていました。目の前には、どこまでも続く緑の大地と、その先に広がる広大な空。太陽は沈みかけており、オレンジ色の光が山々を優しく染めています。私たちは静かにその夕陽を見つめ、昔の思い出がよみがえってくるのを感じました。
「ああ、いい景色ですね」
色褪せていた思い出が、光と共に蘇ってきます。
「この場所は、俺たちにとって特別な思い出が詰まっているな……息子と三人で登ったあの日も、こうして二人で来た今日も」
私たちは、肩を寄せ合いながら静かにその場に立ちました。私たちを心地よい風が包んでくれます。
「それで、どうだ?」
旦那様の問いに、私は答えました。
「そうですね。あなたと一緒にずっとこの景色を見続けながら眠るのもいいかもしれません」
私の言葉は、赤い夕陽に照らされて輝いていました。
こんな素敵な夕陽が沈む景色の中、お墓に入るのも幸せだと思ったのでした。
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旅を終えて、再び王宮の城の自室で旦那様と向き合いました。
「よし、決めたぞ」
「私も決めました」
そして、せーので一緒に言いました。
「海に散骨することにしよう」
と旦那様。
「丘の上に墓を建てましょう」
と私が言いました。
「なにぃ!?」
「なんですって!?」
てっきり意見が揃うと思っていた私は動揺しました。
どうやら、旦那様も同じだったようです。
「君はあれほど、海がいいと言っていたじゃないか」
「あなたこそ、丘の上がいいといっていたでしょう?」
「それは」
「だって」
「「死後も一緒にいたいから」」
そうして、お互い笑い合いました。そして、静かに手を取った。
「よし、もっといい案があるかもしれないし、二人でよく考えるか」
「はい。そうしましょう。これからも一緒に生きて、もっとたくさん素敵な思い出を作りましょうね」
私たちは、お互いの心を共有しました。
雨降って地固まる。
愛は壊れかけて、さらに強く結ばれました。
いつか来る終わりを楽しみにしながら。
そして、これからももう少しだけ続くであろう日々に、心からの感謝を想いながら。
二人で生きていきたいと思うのでした。