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空中の足跡

「首吊りの自殺死体が発見されたんですがね」

と、平井刑事が説明をした。

「その足下のぬかるんだ地面に、そこまで来た足跡が ひとつもないんです。こんなことって、ありえますかね?」

「そりゃあ、そうだなあ」

と、吉山刑事がデスクに足を組んで乗せ、組んだ両手の親指をグルグルと回しながら、答えた。

「例えば、自殺して以後に、どしゃ降りの雨でも降れば、足跡なんて消えるさ、だろ?」

「それで、調べたんですがね、最後の雨が降ったのは、10日前。しかし、検死の結果から見ると、自殺したのは2日前だそうです。ねっ、不思議でしょ?まさか、彼は、空中に足跡を残して、自殺したんですかね?」

「ううむ」

と、吉山刑事は唸っていたが、やがて、観念したような顔つきで、

「君の謎には、参ったよ、ぜひ、挑戦させてくれ、現場はどこだね?」

「そう来なくちゃ!僕が案内しますよ、どうぞ、行きましょう」


 吉山刑事は、問題の樹を見上げていた。確かにその樹だけが、ひとつだけ孤立したように、辺りに他の樹がなく、ポツンと取り残されたように生えている。その樹の、かなり高い枝に、大きな輪にしたロープに首をかけて、久那島隆平という中年の男が、首吊り自殺したらしい。自殺の動機は不明で、目下、調査中ということだ。

 続いて、吉山刑事は、足下の地面に、目を向けた。確かにぬかるんでいるし、足跡が残っている様子もなかった。

「ふうむ‥‥‥‥‥」

 吉山刑事は、相変わらず、捜査に行き詰まると、お気に入りの薄荷菓子を取り出して、その白い飴を舐め出して、思考に集中する癖がある。今日も飴を舐めていたが、急に、思いついたように、傍の茂みで、手がかりを探していた平井刑事に声をかけた。

「自殺した久那島の家族関係はどうなってる?」

「それがですね」

と、平井刑事が悩ましげな表情で、答えた。

「隆平には、妻と一人息子がいますが、ともに不仲なようです。妻の久那島百合子は、浮気性の女で、よく外で男をつくっては、真面目な隆平と口論が絶えなかったそうです。あと、息子の光一ですが、いつも家庭内暴力が激しくて、いつか息子に殺されるって、隆平が溢してたそうですよ。悲惨な家族ですね、‥‥‥‥‥、何か分かりましたか?」

「ああ、分かったようだ」

「何ですか?」

「この辺りには、残された人間の足跡は全くない、ということが、な。ただ、犬の足跡なら、少しあるが‥‥‥‥‥‥‥」

「意味はないでしょう、やはり、振り出しに戻りますね、足跡なき自殺事件って奴ですね」

「ふうむ、うむ‥‥‥‥‥」

 吉山刑事は、いがぐり頭を撫でて、考えていた。どうやら集中してきたらしい。無意識に、トレンチコートのポケットから薄荷菓子を取り出すと、ハッカ飴を舐めていた。ふと、辺りの森を見渡すと、すぐ隣に金網のフェンスがあって、その向こうは、広いグラウンドになっていた。どうやら、高校らしい。大勢の学生たちが、皆、思い思いに、運動の練習やトレーニングに励んでいる様子だ。

「あれは?」

と、吉山刑事が興味深げに聞いてきた。平井刑事が笑って、

「北嶋高校のグラウンドですね。今、放課後の時刻だから、部活の真っ最中でしょう!」

 よく見れば、グラウンドのあちこちで、陸上競技の練習に余念がないようだ。徒競走、走り幅跳び、走り高跳び、ハンマー投げ、マラソン、砲丸投げ、その他もろもろである。しばらく眺めていたが、やがて、吉山刑事が、思い立ったように言った。

「一度、彼らに、何か、目撃してないか、訊いてみるか?おい、平井、一緒に来い!」

「はいはい、分かりました」

 二人は、北嶋高校のグラウンドに向かった。しばらくの間、学生たちと話している様子であったが、やがて、得るところがあったのか、なかなかに、満足げな様子で、高校を出ると、その足で、近所の小さな喫茶店に入った。

 そこは、暗い雰囲気だが、地味で落ち着いた感じの洋風の店内だった。吉山刑事は、カウンター席に陣取ると、口髭を伸ばした若いバーテンに、ブラックコーヒーを二つ注文しておいて、おもむろに、平井刑事を眺めてから、言った。

「あの高校のグラウンドにいた学生たちに、久那島を殺すくらいの強い動機が見つかったよ」

「と、言いますと?」

と、平井刑事が興味津々で訊いた。吉山刑事は答えた。

「あのグラウンドにいた学生たち、陸上部なんだがね、その彼らが心から慕っていたキャプテンがいたんだが、先月の末に、酔っぱらいに殴られて、打ち所が悪かったのか、死んだらしい。その、殺した酔っぱらいっていうのが」

「久那島なんですね、なるほど」「だから、彼らは、今でも、久那島を恨んでいるそうだよ。殺害したっておかしくない。でも、久那島は自殺してしまった‥‥‥‥‥‥‥」

「彼らが知れば、複雑な心境になるでしょうね。彼に先を越されたわけだから‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 喫茶店の小さな窓から、北嶋高校のグラウンドが覗いていた。しばらく、黙って、吉山刑事は、彼らの練習姿をボンヤリ眺めていた。やがて、ゆっくりと、平井刑事を振り向くと、口を開いた。

「分かったよ。首吊り自殺の謎が。どうして、足跡は、なかったのか?少し、考えればいいんだよ。平井、お前に分かったか?」


「やっぱり、殺人事件だったのさ。彼は、どこかで、絞殺されたんだ」

 吉山刑事は、話し始めた。

「犯人は、北嶋高校の陸上部の連中だ。彼らが、共謀して殺害した。動機は、ご存じの通りで、キャプテンを殺された恨みだな。それで絞殺してから、大きな輪にしたロープに首をかけて、それを、巨大なハンマー投げの要領で、グルグル振り回して、遠くへ飛ばした。死体は、空中を飛び、それは、隣の森の木の枝に引っ掛かって、落下した。足跡は、ない筈さ。飛んだからね。‥‥‥‥‥‥、どうだい、簡単なことだろ?」

「言われてみれば、そんな感じですね。そうか、殺人か‥‥‥‥‥‥‥」

 二人は、静かにコーヒーを飲んだ。時は、緩やかに過ぎていくようであった‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。

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