ボトルの毒
「おい、こいつ、持ってきたぞ!皆で飲もうよ!」
そう叫んで、山崎が、パーティー会に入ってきた。
そこは、高級マンションの一室。推理作家の山村祐太郎の自宅だ。広い居間には、6つのソファが並べられて、絵画で飾られた大きな壁に囲まれている。主人の山村が、声をかけた。
「おう、山崎か。まあ、寛いでくれ。今、妻の由恵が夕食の準備中だ。おい、矢倉、そこのグラスを取ってくれよ」
山村のライバル作家の矢倉耕一が、大理石のテーブルに置いた空のグラスを山村に手渡した。居間の壁際で、絵画を眺めていた画家の佐々木純也がコメントして、
「おい、山村、この絵、モネじゃないのか?いったい、いくらしたんだ?」
「そんなこと、言えるもんか。まあ、確かにお前の描く絵よりは格が上だよな」
「おい、モネと比べるなよ。時代が違う。俺は、現代アートだぜ」
いつの間にか、評論家の岡田幸三郎が、酒を飲みすぎたのか、ウトウトとソファで眠り込んでいる。その隣に、来たばかりの山崎が、ドカンと座り込んで、黒い黒檀のテーブルに、黒いウィスキーのボトルを置いた。
「さあ、飲むぞ」
そう言うと、いきなりに、山崎は、持ってきたウィスキーのボトルの栓を開けて、そのまま、口へ持っていき、一気にラッパ飲みした。
「おいおい、山崎、無茶するなよ、身体に悪いぞ」
と、山村が声をかけたが、
「放っといてくれ!今、飲みたい気分なんだ」
「お前の家で、何か嫌なことでもあったのか?おカミさんと喧嘩でもしたか?おい、止めろって!」
ようやく、顧問弁護士の山崎は、ボトルを置いた。そして、隣で眠る岡田を叩き起こすと、
「お前の先月の「思潮」に載った評論、読んだぜ。ありゃ、悪評だな。読者の不満を買ってるようなものだよ、もっとマシなの、書けよ」
「素人には分からんさ。ましてや、三流の弁護士に理解されようなんて思ってないよ」
「僕、ちょっと、奥さんの料理、手伝ってきます」
そう言って、作家の矢倉が、キッチンの方へ姿を消した。それを眼で追いながら、画家の佐々木が、
「あいつ、腕の立つ作家のくせによく気が利くよな。まだ、若いせいかな。お、おい、山崎、大丈夫か?」
見ると、山崎が、飲んだ酒を床に吐いて、真っ青な顔をしている。床は、ヘドでドロドロだ。
「だから、無茶するなって。おい、由恵、掃除してくれよ」
遠くのキッチンから、妻の由恵が、雑巾を持って、早速、拭き掃除を始めた。綺麗で美貌の女性だ。束ねた後ろ髪が清楚で上品な印象である。
「俺はな!」
と、突然、山崎が立ち上がり、ウィスキーのボトルを掴んで、
「今の政治に不満がある!見ろよ、あの首相の馬面、ろくな頭を持ってー」
その拍子に、山崎は転倒し、ボトルを落とした。あわてて、佐々木が抱き起こす。
「おい、山崎、いい加減、落ち着けよ、今日は、山村の記念パーティーだぜ」
その言葉を訊いて、山崎は、シュンとなり、ソファに沈み込んだ。佐々木が、静かにボトルを拾うと、テーブルに戻した。そこへ、由恵と矢倉の二人が、銀の盆に盛ったオードブルや料理を抱えてやって来た。
それからは、皆で食事会となった。皆の隣では、ソファに沈み込んで、山崎がグウグウと、イビキを掻いて寝込んでいる。
そして、やおら、山村が、立ち上がり、パーティーの挨拶で演説を打った。名演説であった。
彼が座ると、まあ一杯ということで、山崎のボトルを矢倉が取り、山村のグラスに注いでやった。それから、佐々木が、デカンターの氷を割って入れてやり、そこへ、岡田が、ミネラルウオーターを注ぎ、最後の仕上げに、矢倉がマドラーでかき混ぜてやった。それで、山村は、嬉しそうにグラスのウィスキーを一気に飲み干した。しかし、楽しいパーティーはそれから一転して、悲劇となった。突如、山村が喉をかきむしったかと思うと、苦しげに声を上げて、床に倒れて、のたうち回り、やがて、口から血を流して、動かなくなった。
由恵が駆け寄って、必死に介抱し、一同が騒然となった。
「おい、救急車を呼べ!」
と、岡田が叫ぶ。
「駄目ですよ。もう、死んでますね」
と、矢倉が、山村の喉に手を当てて言った。
「いったい、どういうわけだ?」
佐々木が呟いた。
「じゃあ、警察だ!警察に連絡しろよ!」
岡田が言った。矢倉が、ポケットからスマホを取り出して連絡した。彼は、皆から離れて、戸口で話していた。
「あなた、しっかりして!生きて!生き返って!」
由恵がわめいている。皆になす術はなかった。無駄である。
岡田が、寝ている山崎を起こして、事情を話した。
「ええっ、山村が死んだ?何ってことだ」
一気に眼が覚めたらしい山崎が、驚いた様子で叫んだ。驚いたようだ。そして、しょげた感じでソファに座り直した。
それからは、皆が、腕を組んで、黙り込んでいた。時が流れた。
警察が到着し、部屋は混雑し始めた。関係者は、皆、別室に移動していた。現場では、鑑識の担当者たちが、それぞれ、手慣れた様子で、仕事をこなしている。
山村の死体を調べていた吉山刑事が、ゆっくりと立ち上がって、そばに控えた平井刑事に言った。
「こいつは、毒死だな。アーモンド臭がする。青酸系だ。それで、関係者は?」
「隣の居間に集まっていますよ。何でも、死んだのは、有名な推理作家の山村祐太郎だそうです。僕、彼の小説、読んだことありますから」
「とにかく、話を訊いてみるか?部屋は?」
「こっちです、どうぞ」
それから、吉山刑事は、最年少の矢倉から、事件のいきさつを細かく訊かされた。吉山は、黙って、矢倉の証言を訊き、それから、そこにいた皆に向かって、
「これで皆さんの事情は理解しました。皆さんの一人一人から話を聞く手間が省けましたよ。.............、この事情からいくと、どう見ても、あの酒に毒が入ったとしか思えないのですが、皆さんの意見は如何ですかな?」
皆は黙り込んだ。突如、佐々木が口を開いて、
「俺たちの誰かが、彼に毒を盛ったと仰るんですか?そんな.........」
吉山刑事は黙っていた。すると、続けて岡田が言った。
「どうやって、毒薬を混入させたっていうんです?それに、山村を殺すような動機があるって仰るんですか、俺たちの誰かに?」
「動機について、誰か、心当たりはありますかな?」
また、沈黙が訪れた。
吉山刑事の頭が混乱しているようだ。やがて、彼は、自分に言い聞かせるように皆に答えた。
「申し訳ないが、我々に少々、時間をいただけますかな?少し、事件の整理をしてみたいと思います。ここでもう少しだけ、お待ちいただけませんか?また、お伺いさせていただきたいと存じます」
「おい、平井、どう思うね。今度の事件、何かアドバイスあるか?」
平井が、困ったように頭を掻いて、
「そうですね、僕の見たところ、毒薬は、山崎の持ってきたウィスキーのボトルに混入したかなと思われるんですが、どうです?」
「そう見て間違いないだろう。それじゃあ、いつ、山村のグラスに混入されたのか?よし、順に考えて整理するか?」
「そうですね、それでは、まず、疑わしいのは、ボトルを持ってきた山崎ですね?」
「うむ、あらかじめ、毒薬を仕込んでおけるよな、奴なら」
「でも、彼自身が飲んでますよ。たとえ吐いたとしても、おそらく青酸カリですよね、彼にも速効で毒が回って、ただじゃすまなかったと思いますよ」
「と、なると毒は仕込んでなかった。そして、飲んで以後、山崎は、眠り込んで、皆の証言によれば、ボトルに混ぜるチャンスはなかった」
「山崎は除外できますね」
「となると、容疑者は、矢倉、佐々木、そして、岡田の3人か。まず、山村の飲んだグラスを手渡したのは?」
「それは、矢倉のようです。その後、矢倉がウィスキーを注いだ」
「次に、佐々木が氷を割って入れた。こいつも臭いな、それで?」
「それから、岡田が、大型ペットボトルから、ミネラルウオーターを入れてます。そして、これは考えにくいですが、最後に矢倉がマドラーで混ぜてますね、マドラーに青酸カリを塗っておくってのは?」
「あり得るな。考えれば、どいつにも機会はあった。あとは、決め手か?何かあるか、平井?」
「さあ、分かりませんね、見当もつかない。吉山さんは?」
吉山刑事は、しばらく、取り出したハッカ菓子を舐めていた。集中しているようだ。こんな時は、邪魔できない、それを平井は熟知していた。
吉山刑事は、不思議なことに、パーティー会場のキッチンに置いた調味料器具の棚を見つめて何かを想像しているらしい。意味が分からない、と平井は正直、思った。
「殺しの動機はどうです?吉山さん?」
と、しばらくして、平井刑事が言った。
「あとで詳しく洗ってみるさ、それよりも、どうやら分かったよ、平井、どうやって山村に青酸カリをのませたか、って謎をさ?」
「俺たちは、基本的に間違っていたんだ、殺しの手口をさ」
吉山は、押し殺した口調で言った。
「どういうことです。まさか、毒薬は、酒ではなく、由恵のつくった料理に混ぜてあったとか?」
「そう言う意味じゃないよ。問題は、油と水だよ。油と水の問題さ。
巧妙な殺人だね。実に狡猾だ。頭が下がるよ。簡単なことさ、あのボトルには、油と水が混ぜてあった。それだけさ」
それで、平井は、吉山が調味料の棚をみていた意味を知った。
「犯人は山崎さ。奴は、あらかじめ、ボトルのウィスキーに青酸カリを混入させ、半分を捨て、上から食用油を加えておいた。これでどうなると思うね、平井?」
「青酸カリは水溶性ですよね。となると、水に溶けて、油には溶けない」
「そして、子供でも知っているが、油は水に浮く、こんなボトルを山崎が持ってきたら?」
「山崎は、まず、上の油を飲んで見せる。それは、不味くて吐きますね、なるほど。そしてボトルを掴んで、わざと転び、少し中身を床にこぼす。すると?
あとは青酸カリの混入した酒が残り、飲んだ者が死んでしまう、しかし、誰が死ぬか山崎には分かりませんね、どういうことです?」
「俺が思うに、奴は誰が死んでも構わなかった。奴は、自暴自棄になってたろう?あれが本音さ。あいつ、死ぬ気じゃないかな、近いうちに。誰でもいいから、道連れにしてさ。それにしても、怖いね、人間ってのは。死ぬ気になれば、何でもできるよ?そう思わないか?」
そう言い終えて、吉山刑事は身震いした。平井にも理解できたような気がしたのであった..............。