二階の屍体
「絞殺ですね?」
平井刑事が、床に倒れた死体を調べていた。埃だらけの床で、足跡もない。初老の男性が、うつ伏せで絶命している。黒のブルゾンに、茶色のズボンを履いていた。首には、紐はなく、絞められた赤い線跡が残っている。
「ここは、空き部屋なのか?」
吉山刑事が尋ねた。確かにそこは、アパートの2階にある一室の空き部屋で、がらんとした空間にただ、外の駐車場に面した窓が開いているだけであった。
「あの窓は?」
また、吉山刑事が尋ねた。
「事件当時も開いていたと、被害者を発見したアパートの管理人の矢崎が証言しています。..............、しかし、この事件、全くの謎ですね、吉山さん」
「何故だ?」
「だって、この部屋、出入り口は、2つだけでしょ。入り口の扉と、この窓。扉は鍵が掛かっていて、出られないし、窓っていったら、ここは、2階だし、殺害犯人が下まで降りようとしたら、どうしても、跡が残るようなボロボロの古いペンキが塗ってある。でも、その壁に、降りていったような痕跡はないんです。じゃあ、どうやって、犯人は、ここから、抜け出したのか?...................」
「そうか?と、なると、ポイントは、入り口の扉ひとつに絞られるわけだ。では、犯人は、どうやって、鍵の掛かった扉から抜け出したのか.......................」
吉山刑事は断言すると、扉を振り返り、不審そうに、
「それで、発見者の矢崎は?」
「下の管理人室に待機させてあります。今から、事情聴取しますか?」
「この部屋の鍵、持ってるの、彼だけなんだろ?とりあえず、聴取してみるか?」
管理人室は、手狭な居間であったが、丸い座卓に座った中年男性の矢崎淳三は、二人に座布団を勧めてから、お茶をいれ、
「あの部屋、前の住人が自殺しましてね。その噂が立ったのか、借り手がなかなかなくて、困ってた矢先にこの事件でしょ?まったく、弱りましたよ」
「あの被害者に面識はありますか?」
と、平井刑事がお茶をすすって訊いた。
「ええ、顔を見てすぐに気づきましたよ。高利貸しの柳ケ瀬です。
近くの金融事務所で経営してたようですが、何人の人間が破滅して泣かされたことか。やつは、極悪非道な男ですよ」
「例の部屋、鍵を持ってるのは、あなただけですな?何者かの偽造したスペアキーの可能性は?」
と、吉山刑事が訊いた。
「それは無理でしょう。このアパートのマスターキーですか?それは、この部屋の金庫にしまってますし、その開扉番号を知っているのは、私だけですからな、まあ、不可能でしょうね」
と言って、矢崎は、部屋の隅の畳に置いた頑丈そうな黒い小型金庫を指差した。金庫の上には、可愛い小鳥のマスコットが飾っていた。
「分からんなあ、いったい、どうやって、犯人は、あの空き部屋から姿を消したのか?」
吉山刑事は、首をかしげた。二人は、アパートを出た。
「しかし、今日は寒い。凍えそうだぞ、こいつは?」
アパートのすぐそばの空き地で、数人の連中が、囲んで、焚き火をしている。暖かそうだ。
「これはいい。ちょっと、いれてもらおう」
吉山刑事は、そう言い残すと、さっさと早足で、連中の輪の中に加わった。あとに遅れて平井刑事が、追っていく。平井が追いつくと、吉山刑事がこんなことを言っていた。
「では、あの事件のことは、みなさん、ご存じで?」
「ええ、あたしたち、皆、柳ケ瀬の被害者でしてな、今度、被害者の会を開こうって話、してたばかりなんです」
そう言ったのは、田村恭一、会社員だ。事件の被害者の死亡推定時刻の午後9時から11時の間は、自宅で、嫁と飲んでたらしい。アリバイにはならない。
「あんな男、死んでいいのよ。世の中の毒みたいなものだからさ」
と言ったのは、高橋久美子、中年の愛想良さそうな風貌の女性だ。裏町通りの飲み屋で、ホステスをやっている。何でも、店の売り上げが悪く、つい、借金に手を出して、柳ケ瀬の毒牙にかかったらしい。アリバイは、店の同僚に聴いてくれとの事。
「あなたたち、刑事さんでしょ、今度の事件?分かるんだな、僕には」
と言ったのは、駅前通りで、占いの小屋を開いている小宮賢二、まだ若い好青年だ。アリバイは、当夜の、客を見つけて、聴いてくれと、手厳しい。
「あっしなら、アリバイはありますよ。事件当夜、都内の高速道路で、でっかい交通事故を目撃したんだ、間違いありませんよ」
そう言ったのは、神崎嘉男、駅前の店で、鍵の便利屋を経営している。
「俺は、アパートで、一人、布団の中だから、アリバイねえなあ。俺かよ、容疑者は?」
それは、川崎努、無職の遊び人だ。借金に手を出すのも、無理はない。
「あたしが、殺してやればよかったわ。あいつ、悪魔みたいな男なんだから」
と言ったのは、若い美人のOL、笹沢加奈子だ。何でも、借金を忘れてやるからって、柳ケ瀬は、加奈子に肉体関係を迫ったらしい。
「それにしても、今日は、冷えますな、まるで、氷点下だ」
焚き火の炎に手をかざしながら、吉山刑事が誰とはなくに言った。
しばらく、彼は、燃え上がる炎を見つめ、そして、彼らの姿をぼんやりと眺めていたが、急にハッと思いつくと、立ち上がり、ポケットのハッカ菓子をポリポリと食べながら、隣の平井刑事に小声で囁いた。
「おい、平井、分かったぞ、事件の謎。誰が犯人か、もね。でも、ここじゃ、まずいな。よし、本署に一旦、戻るか?そこで話すよ。それまでに、君も推理しててくれ。それから、鑑識に連絡して、死体はもう運んでくれと頼んで」
「単純な事件だったな」
と、吉山刑事は、デスクに足を乗せて、背もたれに、ふんぞり返った。
「最初、あの死体を調べた時に、部屋の埃に、足跡がないのがおかしいと、俺は睨んだ。つまり、あの部屋に出入りしたものはいない。となると、問題は、扉ではなく、むしろ、事件当時、開いていた窓だろ?じゃあ、どうやって、窓から、死体を入れたのか?って考えるのが、妥当だろう。すると、こういう真相が見えてくるわけだ。
犯人は、焚き火をしていた6人全員だよ。彼らは皆、柳ケ瀬に、恨みを抱いていた。彼らは、皆、口裏を合わせて、偽のアリバイを作っておいた。誰だって、柳ケ瀬の噂は聴いてるから、喜んで協力したさ。そして、深夜に、駐車場へ被害者を皆で呼び出した。そこで、凶行が行われた。皆で、力を込めて、ガイシャを絞殺した。その後だよ。皆は、6人の力を合わせて、勢いよく、皆で囲んで抱き上げた被害者の死骸を、空中へ放りあげて、隣のアパートの2階の窓のなかへ放り込んだ。2回の窓だから、6人もいれば、楽々に放り込めただろう。皆で、焚き火を囲んでいたろう。それで、俺は、ピンと来たのさ」
「さすがは、吉山刑事の名推理。いつも以上に冴えてますね!」
「平井、おい、俺を褒めてくれるのか?よし、分かった。俺に付いてこい。熱々のさつまいも、おごってやる」
「へへっ、これは儲けた」
二人は、刑事部屋をあとにした.....................。