消えた殺人鬼
「追い詰めましたね、吉山さん」「ああ、あとは、逮捕だな」
その時、問題の物置小屋の正面扉の少し離れた木陰に、三人の刑事がいた。皆、真剣な面持ちだ。
その物置小屋に、先刻、隠れて侵入していったのは、希代の殺人鬼、智鬼竜三で、都内で十四人の女性を惨殺して逃亡した悪質犯である。無差別殺人であるが、足取りが掴めず、ようやくの粘り強い捜査網の結果、ついに、この小屋まで追い詰めたのだ。捜査陣の包囲は抜け目ない。智鬼が隠れると同時に、小屋の裏口には、拳銃を握った敏腕刑事が、二人、目を凝らして見張っていた。
しかし、奴はなかなか出てこないようだ。
「僕が、突入してきます。きっと、奴なら、まだ小屋の中でしょう」
突然に、吉山刑事のとなりにいた山崎刑事が言い出した。
「危険だぞ。お前、ひとりじゃ」
と、吉山が言った。
「任せて下さい。ここらで、僕、手柄、立てたくて」
ニヤリと笑って、山崎刑事は、片手にしっかりと拳銃を握ると、止めるのも聴かずに、小屋の正面扉に向かっていく。しかし、足取りは重い。そして、その後ろ姿は、扉の中へ消えていった。
「大丈夫ですかね、山崎くん、彼、ああ見えて、気が弱いから」
「まあ、仕方ない。様子を見よう、そのうちに、分かるさ」
しばらくの時が経った。
やがて、意外なことに、扉から、ひとり、山崎刑事が、何とも途方に暮れた様子で、出てくると、隠れている吉山と平井に告げた。
「まるで、手品を見せられた気分です。智鬼のやつ、小屋から消失しました。どうなってるんですか?訳が分からないですよ」
「何?智鬼が消えたって?」
と、吉山が叫んだ。
「ええ、小屋の中は、もぬけの空なんです。がらくたばかりが置いてあって。それで、僕、裏口を開けて、見張ってた刑事達に聴いたら、ここから、奴は出てないって言うんです。彼ら、智鬼と同時に裏口を見張ってたでしょう。あり得ませんよ。それで、僕、彼らに付近を至急に捜査するように指示しておきました。どうやって、逃げたのか?」
「小屋に、窓は?」
「いいえ、出入り口は表と裏の扉が2ヵ所だけ。ネズミ、一匹、逃げられませんよ、どういうわけだろう?」
「ううむ」
吉山が唸った。しばらくして、遠くから、刑事達の騒ぐ声が聞こえてきた。
「何でしょうね、吉山さん」
平井が言った。
「ともかく、行ってみよう」
そこは、小屋から、少し離れた大きな池のほとりであった。刑事達の指差す方向、池の中央辺りに、人の身体が背を向けて浮いている。もう絶命しているようだ。
「あれ、智鬼ですよ。背中の格好で分かります」
平井が言った。
「殺られたか?しかし、いったい、誰が、どうやって?」
と、吉山刑事が、コートのポケットから、ハッカ菓子の袋を取り出して、ポリポリと喰い始めた。
「小屋の裏口を見張っていたのは?」
「田上と河村の二人です。でも、彼らが共謀して、嘘をついたとは思えませんがね」
と、山崎が言った。
「ということは、何らかの方法で、智鬼が脱走し、そのあと、池のほとりまで来て、何者かに殺害された................」
吉山は、考えた。
「では、どうやって、智鬼は、あの小屋から抜け出したのか?」
また、吉山は、池の池面を見つめ、しばらくの黙考のあとで、突如、ひらめいたのか、立ち上がると、声をかけた。
「おい、平井、山崎、俺についてこい。事件の説明をしてやる。分かったよ、事件のトリックが!」
吉山は、真正面から、山崎刑事の瞳をじっと見つめて訊いた。
「おい、山崎、お前、何故、智鬼を殺害したんだ?」
山崎は、しばらく黙っていた。その後で、残念そうに、
「吉山さんには、隠せませんね、そうです。僕ですよ。でも、何故、分かったんです?」
すると、吉山は、見透かすように、
「状況が、すべて、君が犯人だって教えてくれたよ。
君は、小屋へ乗り込んで、扉を閉めた。そして、小屋で、潜んでいる智鬼の姿を認めると、その場で、その拳銃で射殺した。
そして、そのあと、何食わぬ顔で、裏口の扉を開き、中から、智鬼が消えた。急いで、付近を捜査してくれと指示した。その後で、誰もいなくなると、君は、やおら、智鬼の死骸を抱き抱えて、外へ出て、死体を運び、池に放り込み、また、急いで、小屋に戻ると、正面の扉から、いかにも、途方に暮れた顔をして、俺たちのところへ戻ってきた。どうだ、違うか?」
「おっしゃる通りですよ、吉山さん、でも、僕の殺害動機でしょ?
それは、簡単にいえば、僕の出すぎた正義感、刑事としての余計な正義感、ってやつです。馬鹿なことをしましたね、僕も」
そろそろ、夕陽が見えてきた。吉山は、赤い空を見つめながら、
「俺たちは、刑事だよ。決して、死刑執行官じゃない。それを、忘れてしまったんだよ、君は」
うなだれた山崎刑事を従えて、吉山と平井は、その場を、後にした................。